第314話 堪忍袋

 突如告げられた祖国の危機。

 あまりと言えばあまりに唐突な知らせに、リタを始めとするハサール王国の者たちは皆凍り付いてしまった。

 ある者は目を見開き、またある者は声も出せずにいる。その様子をブルゴー人たちが何とも居た堪れない顔で眺めていた。


 厳密に言うなら、リタ――アニエスにとっての祖国とはブルゴー王国を指すのだが、転生した今となってはこの身体・・・・で育ったハサール王国がそれだった。

 生まれてから二百年以上にも渡り生きてきたブルゴーに対して、ハサールでの暮らしはたった10年少々でしかない。しかしここで激動とも言える第二の人生を送って来た彼女にとって、最早もはやハサールはブルゴー以上のものになっていた。


 なによりここには、前世のアニエスがついぞ持ち得なかった愛する両親と可愛い弟、さらに敬愛する祖父母も揃っている。

 そのうえ最愛の婚約者までいるとなれば、今やその思い入れは強かった。

 だから今のリタにとっての祖国とは、紛れもなくハサール王国に他ならなかったのだ。

 

 そのハサールが現在進行形で侵略を受けているという。相手は南に広がる大帝国――アストゥリア帝国。

 南部防衛の要であるフリンツァー辺境伯軍はすでに壊滅し、今はラングロワ侯爵率いる東部軍が足止めをしているらしい。しかしそれもいつまで持つかわからない。


 ご存じのようにハサールとアストゥリアは親戚国だ。ハサール王妃であるマルゴットは前アストゥリア皇帝の娘であり、現皇帝の妹にあたる。

 にもかかわらずアストゥリアが軍を動かし、あまつさえ侵攻したのは、全てはハサールがファルハーレンを味方したからだ。


 属国とまではいかないまでも、アストゥリアにとっては取るに足らない小国でしかないファルハーレン。その国土を軍が通過することに難色を示したばかりに、感情を害したアストゥリアに強硬手段に出られてしまったのだ。

 しかしその時に手を差し伸べたのがハサールだった。


 もっともそれは当然と言えた。

 何故なら、親戚国とは言え、所詮は王妃の出身国でしかないアストゥリアに対し、ファルハーレンにはハサールの第一王女――アビゲイルが嫁いでいるからだ。

 国王ベルトランにしてみれば愛する長女と孫が暮らす国なのだから、如何に相手が強大なアストゥリアであったとしても、ファルハーレンにつくのは当たり前だった。

 

 とは言うものの、それは少々見通しが甘かったと言わざるを得ない。

 遠くカルデイアまで派兵しておきながら、まさかそれを捨て駒にしてまでハサールに侵攻してくるとはさすがのベルトランも予想していなかった。

 精々小競り合いを繰り返す程度で終わると思っていたのだが、それはアストゥリア皇帝の怒りの深さを見誤った結果だった。


 すでに取り返しのつかないところまで事態が進展しているにもかかわらず、今や完全に遠ざけられている自分たち。

 そんな事情を瞬時に察知したリタは、未だ口も開けぬままのオスカルとロブレスに詰め寄った。そして厳しい口調で責め始める。



「何故おわかりにならなかったのです!? 敵の動きを見ていれば、その裏に何があるのかくらいわかりますでしょう!! 将軍閣下といい、参謀殿といい、他の幹部の皆様といい、その目は揃って節穴ですの!?」


「なっ……リ、リタ、お前……」


「リ、リタ嬢……」


「これのどこがハサール最強軍ですの!? この程度の陽動も見抜けないとあらば、どれほど強くとも意味がありませんわ!! 散々踊らされた挙げ句にこんなところまで遠ざけられて!! 今から軍を反転させたところで、到底間に合いませんわよ!!」


 余裕すら感じさせる普段の佇まいなど何処へやら、感情を剥き出しにしたリタがオスカルとロブレス、そして軍の幹部たちをなじり始める。

 特徴的な細い眉とタレ目がちな瞳をこれでもかと吊り上げて、まるで射殺すような視線で睨みつけた。


 咄嗟にカッとなる悪癖はあるものの、普段のリタはおよそ16歳の少女とは思えないほど沈着冷静だ。

 しかし今やそれさえもかなぐり捨てて、ひたすらヒステリックに怒鳴りつけていた。

 それも自分の父親よりも年上の将来の義父だけではなく、ベテランの軍幹部たちを目の前にして、まるで臆することなく正論をぶち撒けた。


 普段であれば彼らも反論したりたしなめたりするのだろうが、不思議とそうはならなかった。やはり思い当たる節があるのだろう。忸怩じくじたる思いを隠さぬまま、敢えてその言葉を受け止めていた。

 静まりかえる指揮所。誰一人として反論する者のいない中、尚もリタが吠えた。


「そもそもあなた達は国防軍なのではなくって!? にもかかわらず、何故こんなところまで出張ってきているのです!? 本来守るべきものを蔑ろにして、余計なことをするからこのようなことになるのですわ!! ――ムルシア公。貴方様はわたくしを助けるためにここまで来たと仰いましたわね? 正直に申せば、確かにそれは嬉しいですし有り難いですわ。ですが、決して祖国を捨て置いてまですることではないでしょう!? 違いますの!?」


「そ、それは……」


 まるで叱られた子供のように言い淀んでしまうオスカル。

 その姿を横目に見ながら、次にリタは居並ぶ幹部たちをキッと睨みつけた。


「あなた達もあなた達ですわ!! 一体を何をなさっておられたのです!? ここに来たのはムルシア公の一存だと伺いましたけれど、誰も止める方はおりませんでしたの!?」


「うっ……それは……」


「あ……いや……」


 オスカル同様、顔を伏せて視線をあわせようとしない幹部たち。見る限り、どうやら彼らもこの状況に思うところがあるらしい。

 とは言え、将来の上司(正確にはその妻)になるであろう少女に対して、面と向かって物申せるかと問われれば些か微妙ではあったのだが。

 しかしそんな彼らを無視するように、最後にリタは伝令に問いかけた。



「伝令殿。問いますが、南部軍が突破されたのはいつ頃ですの? 現在の状況は? そして敵軍の動きは? 詳しくお教え下さいませ!」


「は、はい!! 申し上げます!! それは――」


 矢継ぎ早の質問に少々慌てながら、それでも伝令が語り始める。すると聞けば聞くほど状況は切羽詰まっていた。

 

 ファルハーレンの危機に際し、ハサール国王ベルトランは過剰とも言える規模の軍を送った。それは彼の本気の表れと言えるものではあったのだが、さすがに国防の要であるムルシア軍まで派遣したのは少々やりすぎだった。

 結局はそこを突かれてしまった。敗走したように見せかけて、そのじつ西へムルシア軍を遠ざけたアストゥリア軍は、そのまま南からハサールに攻め込んだのだ。


 それが5日前。

 遠く祖国を離れたムルシア軍が呑気に他国の戦争に介入している間に、ハサール本国が危機に陥っていた。

 伝令がここに来る間にも戦況は刻一刻と変わっているはずだが、果たして現在どうなっているかすらもわからない。


 幾ら息子の婚約者を救うためとは言え、あまりに浅慮が過ぎるオスカルに、さすがのリタも感情的になってしまう。

 上位貴族どころか国を代表する武家貴族筆頭家当主を相手に、頭ごなしに怒鳴り散らしていた。


 貴族としての序列、そして将来の嫁としての立場を慮ればさすがにそれは不敬の極みなのだろうが、己の仕出かしに思うところのあるオスカルは敢えてその罵倒を受け止めていた。

 文句も言わず言い訳もせず、ただただリタの言葉に耐えていたのだ。

 するとそこに、着替えの終わったケビンが姿を現した。



「失礼だとは思ったが、話は聞かせてもらった。貴殿らがこの地に赴いている間に、ハサール本国が大変なことになっていたようだな。――とは言えリタ嬢、もうその辺にした方がいい。ムルシア公も参謀殿も、そしてその他の者たちも、そこまで言われずとも十分わかっているはずだ。それ以上は見苦しいだけだろう」


「殿下……」


「それに、そのように感情的なのは貴女らしくない。本来の貴女はもっとこう……どっしりと落ち着いているはずだろう。――『起きてしまったことは仕方がない。大切なのは、これからどうするか』ではないのか?」


「あっ……!」


「などと、俺もよく言われたものだ。――今もなお敬愛する、とある女性ひとからな。ふふふ……」


「……」


 優しく諭すようなケビンの言葉。気づけばリタは、かつての弟子に諭されていた。

 幼少の頃から厳しく躾けてきた息子のような存在に、逆に諌められてしまったのだ。

 その事実にハッとすると、思わずリタは周囲を見渡してしまう。するとそこには、自分の親のような年齢の男たちが居並んでいた。


 ハサールの主力である精鋭揃いのムルシア軍。そこで幹部を務めるほどなのだから、皆一角ひとかどの人物ばかりだろう。中には上級貴族家出身の者もいるはずだ。

 その彼らに向かって、まるで小さな犬のようにギャンギャン叫んでいたのだ。

 ともすれば感情を抑制できない子供のような自分を思い返し、今さらながらに恥ずかしくなってしまう。

 

「……失礼いたしました。殿下の仰る通り、意図してこの事態を招いたのではない以上、彼らを責めるのは全くのお門違いでございました。――どうか皆さま、お許しくださいませ。このリタ、突然の知らせに正気を失っておりました。大変申し訳ございませぬ、この通りでございます」


 そう告げるとリタは、オスカルを始めとするハサール軍幹部たちに深々と頭を下げたのだった。




 珍しく感情を表に出してしまったリタではあるが、内心はどうであれ、少なくとも外見上は落ち着きを取り戻したように見える。

 するとオスカルが問いかけた。


「リタよ。とにかく俺は軍を反転させて一路ハサールへ戻るつもりだが……お前はどうする?」


わたくしですか?」


「そうだ。強力な戦力として期待できる類稀なる魔術師のお前ではあるが、所詮は年若き女子おなご。無理に付き合う必要はないが――」


「お言葉ですがムルシア公。最早もはや参戦しない理由はありませんわ。わたくしの大切な祖国が攻められているのです。しかも愛する家族と婚約者も危機に瀕しているとあらば、黙って見過ごすなどありえませんわ。そもそもそのために日々魔術の研鑽に励んできたのですから」


「そうか。とても頼もしいかぎりだが……しかし我らの足は遅い。歩兵の速度にあわせれば、ハサールに着くまで10日はかかる。もちろん騎兵を先行させるつもりだが、果たしてどうなるか――」


 焦る想いを必死に隠しながら、淡々とオスカルが告げる。

 規模の割に機動性に優れるムルシア軍ではあるが、さすがに長距離の移動は歩兵の速度に合わさざるを得ない。その他にも補給用の馬車や物資など足の遅いものも多く、騎兵を先行させるとは言うものの、それだけでは戦力として心許なかった。


 軍隊というものは、様々な兵種を複合的に運用してこそ真価を発揮する。そのためオスカルの案は決して褒められたものではないのだが、だからと言って歩兵の速度に合わせていれば間違いなく手遅れになる。

 

 それを歯痒く思いつつも、代案がない以上そうせざるを得ないオスカル。

 するとリタが答えた。


わたくしは私で単騎で向かいます故、心配はご無用ですわ」


「た、単騎だと? お前は何を馬鹿なことを――」


「失礼ながらムルシア公。わたくしは正気ですわ。一刻を争うこの状況。決して呑気なことは言っていられませんもの」


「た、確かにそうだが……わかった。ならばせめて騎兵を幾人か付けてやろう。せめてその身を守らせてくれ」


「お気持ちは大変有難いのですが、それも結構ですわ。自慢ではありませんが、我が愛馬はとても足が速いものですから。誰もついて来られませんの」


「し、しかし――」


 如何に攻撃魔法に特化した強力な魔術師とは言え、か弱い少女をたった一人で戦地に向かわせるのはオスカルとてはばかられた。そのため選りすぐりの騎兵を護衛に付けると提案したのだが、当のリタはやんわりと拒絶する。

 そして話はここまでとばかりに突如きびすを返すと、おもむろに口笛を鳴らした。


「ぴぃー!!」


「ブヒン、ブフン、ブルルン!!」


 程無くして聞こえてきたのは、何処かで聞いたことのある美しいいななき。

 真っ直ぐ額から延びる螺旋模様の角と、染み一つない真っ白な体躯。

 馬と呼ぶにはあまりに神憑り的な姿は、まるで神話の世界から抜け出してきたように美しい。


 そう、もちろんそれはリタの愛馬(いや、だから馬じゃないって)――ユニコーンのユニ夫だ。

 輝くような神秘的な姿に周囲の者たちが驚く中、どこかドヤ顔で近づいてくる。するとリタが告げた。


「さぁユニ夫、行きますわよ! 準備はよろしくて!?」


「ブフン、ブヒン、ブフフフンッ!」


 力強く応えるユニ夫に、勢いよく跨るリタ。

 するとその背にオスカルが声をかけた。


「お、おいリタ! 本当に一人で行くつもりか!? 一体どうするつもりだ!?」


「どうするって……そんなの決まってますわ。ケビン殿下に言われて思い出しましたの。わたくしもその昔、ある御方によくそう言われていたことを」


「なに?」


「『起きてしまったことは仕方がない。ならば、これからどうするかを考えろ』とね。――ですから考えましたの。これからどうするかを」


「そ、そうか。それでどうするつもりだ? お前一人に何ができる?」


 そう問われたリタが不意に背後を振り返る。そして――ニンマリと笑みを見せた。



「うふふふ……そんなの決まってますわ。我が祖国を踏み荒らす憎きアストゥリア。その頭上に鉄槌を下して……いいえ、降らせて差し上げますの。世界のバランスが崩れる故これまで散々我慢してきましたけれど、もうこれ以上は無理ですわ。――さすがのわたくしも堪忍袋の緒が切れました」


 美しくも愛らしいリタの笑み。

 今やそこには、そこはかとない迫力が滲んでいた。

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