第313話 唐突な知らせ

 ケビンが指揮所を強襲した後、程無くアストゥリア軍は瓦解した。

 もっともそれは無理もない。戦が始まって間もなく、総大将であるところの将軍ヒルデブレヒト・アナスタージウス・ルードルフ・ブルーノ・ホルトハウス(長ぇよ)を始めとする幹部連中、そして主だった指揮官に至るまで皆殺しにされたのだから。


 現場に残された中隊長クラスの者たちだけでは、最早もはや軍としての体裁を整えることなどできるはずもない。

 結局、中隊規模の集まりの状態で右往左往するしかなくなった彼らは、格好の各個撃破の対象となってしまう。そのため早々に心が折れた兵たちは、まるで脱走兵さながらに逃げ出したのだ。

 

 戦場に残されたのは無数のアストゥリア兵の死体と血塗れの指揮所。そして返り血に染まったまま佇む勇者ケビン。

 ブルゴーとハサールを通して、その他の死体は殆ど見られなかった。


 そんな完勝とも言うべき戦も終わり、やっと周囲が落ち着きを取り戻した頃、遂にその男が姿を現した。

 11年前の第八次ハサール・カルデイア戦役以来ブルゴーにまで名が知れ渡っていたものの、国交がない故に誰もその姿を見たことがなかった、ハサール王国西部辺境候にして武家貴族筆頭のムルシア家当主、オスカル・ムルシア。

 聞きしに勝る巨漢ぶりに皆が圧倒される中、リタの姿を認めるなり唐突に言い放った。


  

「うははは! リタよ、待たせたな! 俺が来たからにはもう大丈夫だ! さて、一緒に国へ帰ろう。フレデリクも待っていることだしな!!」


 周囲の好奇な視線などどこ吹く風。真っ直ぐリタを見つめるオスカルは、ともすれば子供と見紛うような屈託のない笑顔を見せた。

 するとリタは旅装のパンツスタイルにもかかわらず、両手でスカートの裾をつまむ真似事をする。

 それは貴族令嬢の挨拶――カーテシーだった。ゆったりと優雅に、顔に笑みまで浮かべて将来の義父に礼を交わした。

 

「ごきげんよう、ムルシア公。ご無沙汰しております。この度の出立に際しましては、ご挨拶に伺いもせず大変失礼いたしました。改めてここにお詫び申し上げます」


「なぁに、構わぬ。子細は承知している故、気にするな。互いに時間がなかったから、こればかりは仕方あるまい。――まぁ、何はともあれ元気そうでなによりだ。お前に何かあれば息子に合わせる顔がないからな。正直ホッとしたぞ」


「それはありがとうございます。ムルシア公におかれましても息災のご様子。このリタ、心より安心いたしました。――ときにムルシア公。敢えて伺いますが、これは一体どのような――」


 挨拶も終わり、続けてリタが問おうとしていると、急遽オスカルの視線が横に逸れる。釣られてリタも視線を向けると、そこに一人の男が現れていた。

 全身を真っ赤に染めた、むせ返るような血の匂いが上る佇まい。

 一見血塗れに見えるものの、決してそれは自身のものではなく、その全てが返り血という見るも恐ろしい立ち姿。

 

 それはケビンだった。

 ブルゴーの王配にして今や国民的英雄でもある勇者ケビンが、敵指揮所の皆殺しからちょうど戻ってきたところだ。

 その姿に居住まいを正したオスカルは、恭しくも堂々とした挨拶を述べた。


「これはコンテスティ公ケビン王配殿下、お初にお目にかかります。私はハサール王国西部辺境候を賜っておりますオスカル・ムルシアと申します。この度は突然の拝謁を失礼いたします」


「あぁ。貴殿があの有名なムルシア公か。いやいや、そのように畏まらなくても。――それで此度こたびはどのようなご用向きか?」


 変わらず血塗れの顔に笑みを張り付けたままのケビン。しかしその瞳は決して笑っていなかった。

 まるで窺うように鋭くオスカルを見つめながら、敢えて戦の参戦に対する礼も述べずに淡々と挨拶のみに終始する。

 それに気付いた将軍コランタンが、さり気なく横から助け舟を出す。


「お話の途中に失礼いたします。ささっ、殿下。まずはお着替え下され。頭の天辺から足の先まで血塗れですぞ。さすがにこれでは、客人に対して失礼かと存じます」


「あ? あぁ……そうだな。――ムルシア公、大変申し訳無いが、まずは血を落としてくる。暫しお待ちいただきたい」


 ケビンはそう告げると、オスカルの返事を待つことなく世話役の後について指揮所から出ていったのだった。 



『ほぉ……あれが魔王殺しサタンキラーか』とでも言いたげな、好奇の眼差しで見送るオスカル。するとその背に再びリタが声をかけてくる。顔には些か固い笑みが浮かんでいた。


「ムルシア公。先程の続きでございますが、果たして此度こたび如何いかがされたのですか? もしや本国からの指示ですの?」


「いや違う。あくまでこれは俺の独断だ。これまでファルハーレン北部でアストゥリアの相手をしていたのだが、途中でアビゲイル様を保護してな。話を聞けば、お前だけこの地に残ったと言うではないか。――リタよ、お前は我が家の嫁になる大切な身。それを思うと居ても立ってもいられなかったのだ」


 その言葉を聞いた途端、リタの顔にパッと明るい表情が浮かんだ。


「あぁ……そうですか。アビゲイル様たちは無事に保護されたのですね? それは良かったですわ。皆様息災で?」


「あぁ、全員無事だ。怪我の一つもない。アビゲイル様、ユーリウス様はもとより、婿殿――ラインハルト殿も相変わらずだ。ついでに、あの・・ジルもな。いつまでも戦地に置いてはおけぬから、別働隊の保護のもと一足先にハサールへ向かわせた。今頃は領都カラモルテに着いている頃だろう」


「そうですか……それは何よりですわ。それを聞いて安心しました」


「そうか、それはよかった。これで陛下のめいも無事に果たしたというわけだ。お手柄だったな、リタよ」


「はい。ありがとうございます」


 目に見えて安堵したリタは、肩の力を抜いてホッと小さなため息を吐いた。

 しかしそれも一瞬で、すぐに真顔に戻って再び話を続けた。



「アビゲイル様の保護。それについては謹んでお礼申し上げますわ。改めてご協力を感謝いたします。――しかしそれとは別に、ここに一つ確認したい儀がございますの。よろしくて?」


「ん? なんだ?」


「大変失礼ながら率直にお伺いいたしますけれど、此度こたびの参戦でございますが、これはどのようなおつもりで?」

 

「あ? いや、もちろんお前を助けようと思ってだ。それからブルゴーの助けにもなればと――」


「あ、いや、暫しお待ちを! そ、それは私がご説明申し上げる! よろしいか、リタ嬢!?」


 リタの質問にオスカルが答えようとしていると、それを遮るように参謀プリモ・ロブレスが口を挟んでくる。

 このように参謀が刺さってくる時は、大抵オスカルが何か失言を吐きそうになっている場合が多い。過去の経験からそれを知っているオスカルは、些か不機嫌な顔をしながらも黙って口を閉ざした。

 するとリタが答える。


「えぇ。どうぞ参謀殿。お好きに仰って下さいまし」


「あ、ありがとうございます。――えぇと、此度の参戦でございますが、単純にリタ嬢をお助けにあがっただけでありまして、決してブルゴー軍に助太刀しようなどと考えたわけではございません! はい、決して! ……ですね、将軍?」


「あ? あぁ……そ、そういえばそうだったな。お前の言う通りだ、ロブレス。結果的にブルゴーを助ける形にはなったが、端からリタ――お前を助けるために来たのだ。決してそれ以外の理由はないと誓おう。そ、そもそも息子の婚約者の危機に駆けつけて一体何が悪いというのだ? こんな当たり前のこと、誰にも文句は言わせぬぞ」

 

 しどろもどろのやや不自然な口調を聞く限り、どうやらオスカルは事前に参謀から言い含められていたらしい。とは言え、すっかり忘れてしまっていたようだが。


 国王のめいではなく独断で他国の戦に介入した以上、そこに国同士の貸し借りが生まれるような理由付けは慎むべきだ。

 仮にブルゴーを助けるために参戦したなどと告げてしまえば、ここに政治的な駆け引きが生まれてしまう。


 オスカルが言う通り、将来の義父になるべき人物が息子の婚約者の危機に駆けつけたところでなんら不自然ではない。

 結果的にブルゴーを助けることになったものの、それは単なる偶然以上のなにものでもないのだ。

 そんなまさに模範回答とも言える返答に、リタはニンマリと笑みを浮かべた。


「それはありがとうございました。わたくし如きのために軍まで動かしていただき恐縮至極でございます。――ケビン殿下が戻り次第、もう一度そのお話をなさっていただけますか?」


「お、おう。わかった」


 目には見えないが、何処か迫力を纏ったリタの物言いに、思わず唾を飲み込んでしまうオスカル。

 その横では参謀ロブレスも、将来の上司になるであろうこの可憐な少女に計らずも背筋が伸びる思いだった。



 微妙に緊張が満ちる指揮所の中。

 話が終わるとともに破顔したリタにホっとロブレスが胸を撫で下ろしていると、続けてリタが口を開いた。


「もう一つよろしいですか? 先程アストゥリア軍を下したと仰っておられましたけれど、その時のお話をお聞かせ願えませんかしら? できるだけ詳細に」


 打って変わって無表情になったリタ。その顔に何気にたじろぎながら、オスカルが答える。


「お、おぉ、アストゥリアか。――ふん、まさに他愛もない連中だったな。帝国きっての精鋭揃いだと聞いてはいたが、いざ戦ってみれば然程さほどのことはなかったぞ」

 

「はい。我らの勢いに恐れをなしたのか、防戦一方でしたな。あれで帝国一の部隊だと言うのですから、少々拍子抜けでした」


「ふははっ! あぁ、もっともだ。しもの帝国軍も、我がハサール西部軍には手も足も出なかったというわけだな。うははははっ!」


 アストゥリア軍を追い詰めた時の様子を思い出しながら、オスカルが豪快に笑い始める。

 しかしそれを尻目に、リタの顔から次第に表情が消えていった。

 

「ムルシア公。一つよろしいですか? その対アストゥリア戦なのですけれど、開戦からの様子を事細かくお教えくださいませ」


「あ? なんだ? 戦況になど興味があるのか? 女にしては珍しいな。――まぁいいだろう。ケビン殿下が戻るまでもう少しかかるだろうから、それまで話をしてやろう――」




 それから暫く、リタはアストゥリア軍が敗走するまでの様子を黙って聞いていた。そしてやっと最後に口を開いたのだが、顔には何かを恐れるような表情が浮かんでいた。


「やはりそうでしたのね……やっとわかりましたわ。何故ムルシア公がこれほど早く駆け付けられたのかが」


「あ? なんだ? それはどういう意味だ?」


「おかしいと思っていたのです。相手はアストゥリアきっての精鋭部隊。なのに初めから防戦一方で、挙句に敗走するなど普通であればあり得ない。ハサールへの侵攻が目的ではないにしろ、少なくとも時間稼ぎくらいはするはずですもの。にもかかわらず簡単に引き、あまつさえムルシア軍をそのまま西へと向かわせた……」


「お、おい、リタ。お前は何を言って――」


 理解できないまま、胡乱な顔を向けるオスカル。

 すると何かに気付いたのか、突如ロブレスが悲鳴を上げた。いや、それは悲鳴ではなく、最早もはや叫びに近いものだった。


「あぁ!! な、なんてことだ!! 我々は騙されたんだ!! こ、これは大変なことに――」


 頭を抱えたロブレスが、そのまま地面に座り込んでしまう。血の気が引いたその顔は、今や青を通り越して白くなっていた。

 それでもピンとこなかったオスカルは、胡乱な顔のままリタとロブレスを交互に見る。するとリタが告げた。


「ムルシア公……まだおわかりになりませんの? ここに至るまでのアストゥリアの動き。それを考えれば、自ずとその目的もわかるのではなくって? わからなければお教えいたしますが――」


 答えを述べようとリタが身構えた時、突然背後が騒がしくなる。何事かと皆が同時に振り向くと、そこには全身泥塗れの軍服を着た男が転がり込んでくるところだった。

 はぁはぁと大きく肩を動かしながら、息を整えることなく男は叫んだ。



「も、申し上げます!! 我がハサール王国にアストゥリアが攻め込みました!! 既に南部軍は壊滅し、今や首都に迫る勢いです!! ――ムルシア公!! 何卒なにとぞ、何卒すぐに軍を戻されたし!!」


 その言葉を聞いた途端、リタはもとより、オスカルを始めとするハサール軍の全員が凍りついたのだった。

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