第311話 予想外の出来事

 突然の招集命令に戸惑いながらも、ブルゴー軍の士気自体は決して低くなかった。

 カルデイアを滅ぼした自身への自負と助っ人魔術師リタの存在、そしてなにより自軍の総大将にして自国の支配者でもある勇者ケビンへの絶対的な忠誠と信頼は、疲弊し切った兵たちですら奮い立たせたのだ。


 情報によれば、敵の数は自軍の数倍にもなるという。

 しかし如何に戦力差があったとしてもケビン一人で一個大隊規模の戦力にはなるし、リタに至ってはそれ以上だ。

 特に先の戦で見せた魔獣の召喚は、兵たちの戦への概念自体を変えてしまった。戦とはより多くの戦力を揃えた方が勝つ、などという言わば数の理論を真っ向から否定して見せたからだ。


 思えばブルゴー王国も以前はそうだったのかもしれない。

 あの最強の魔女と謳われたアニエスが健在だった頃は恐らくこんな戦い方だったのだろう。だから常に数で劣勢だったアストゥリアに敗れたことは一度もなかったし、毎度の国境侵犯も必ず追い返していた。

 だから今回もそうなるはずだ。

 

 そんな風に誰もが思うものだから、誰一人アストゥリアを脅威に思うものはいなかった。

 事実、隊列を組む兵たちの顔には悲壮感など欠片も見られない。

 しかしそんな余裕も実際に敵軍を目にした途端吹き飛んでしまう。何故ならそれは、思わず戦意を喪失してしまうほどの戦力差だったのだから。



 やや高台となった場所から俯瞰でアストゥリア軍を見下ろすブルゴー軍。彼らの目には敵の数が少なくとも4倍はあるように見えた。

 ここまで戦力差が開いてしまえば、如何にケビンとリタがいようと無傷では済まされない。特に近接戦闘に特化したケビンに至っては、敵中に突撃しなければ真価を発揮できないのだ。


 確かにケビン自身が討たれる心配は少ないだろう。これだけ接近戦を得意とする者などこれまで見たこともなければ聞いたこともない。

 なにより彼は「魔王殺しサタンキラー」なのだ。およそ普通の人間に倒されるとも思えなかった。


 とは言え、その後を追いかける者たちはまさに決死の覚悟だ。

 如何にケビンが強かろうとさすがに彼一人に戦わせるわけにもいかず、必ず斬り込隊がその後を続くことになるのだが、誰もがそんな役目など引き受けたくなかった。

 もっともそれは他の兵たちも同じだ。

 互いに立ち位置が異なるだけで、数倍にもなる敵兵と斬り結ぶ事実は変わらない。


 似たような状況ではあるが、対カルデイア戦の時はまだマシだった。確かに戦力差があったとは言え、それは2倍程度のものでしかなかったし互いに疲弊もしていた。

 しかし今回に限ってはそうも言っていられない。

 さすがに4倍にもなろうかという戦力差など誰も経験したことはなかった。ここまでになると最早もはやケビン一人がどうこうできるようなものとも思えず、あとはリタに頼るしかない。


 誰もがそう思った時、不穏な噂が流れ始める。

 それは――リタはこの戦に手出しするつもりがないということだった。

 

 前回の首都攻略戦では彼女の方に借りがあったために助太刀してくれたが、今回それはない。

 あくまでこれはブルゴーとアストゥリアの戦でしかない以上、ハサール人のリタが一方的に手を貸すのは難しいとのことだ。

 それでも敢えて手伝わせた場合、これまで膨大な血を流して奪い取ったこのカルデイアの覇権は、その半分をハサールに奪われてしまいかねない。


 とは言うものの、ここで全滅の憂き目にあうくらいならその程度は安いもの。

 などと誰もが思ってみたところで、当の支配者――ケビンにその気がない以上それは望み薄だ。

 どうやら彼はリタに協力を求める気は端からなく、自分たちだけでなんとかしようとしているらしい。

 そしてその噂は、すぐに現実のものとなったのだった。



「殿下。これは圧巻ですなぁ。さすがの私もこれほどまでの戦力差は初めてです。もっとも、軽く蹴散らしてご覧に入れますがね。乞うご期待と言ったところでしょうか」


「ふふふ……さすがはクールベ将軍だな。この景色に眉一つ動かさないとは。まことに恐れ入る」


 将軍コランタン・クールベにそう告げると、ケビンは眼下に広がる圧倒的な数の敵に頬を緩めた。

 なんだかんだ言いながら、将軍同様に彼自身も何とも思っていないらしい。

 するとコランタンが笑った。


「ははは!! まあ、そうでもなければブルゴーの西部軍など纏められませぬよ。もっともこれを最後に、息子に家督を譲り渡そうかと思っておりますが。そろそろ現役を退いて旅にでも出ようかと」


「ほぅ旅か……どこへ行くんだ?」


「そうですなぁ……ハサールなどは如何かと。これまでの国とは国交がありませんでしたからな。これを機に色々と見て回りたいものです。 ――お勧めはありますかな? リタ嬢」


 言いながら後ろを振り向くコランタン。

 するとリタが顔を綻ばせた。誰もが見惚れるようなその顔は、この戦場には些か場違いにも見えた。


「そうですわねぇ……まずは首都アルガニルにお越しくださいませ。わたくしはそこの首都屋敷に住んでおります故、盛大に歓迎いたしますわ。それから有名な観光地もご案内いたしますし」


「ほぉ、それはいいですなぁ。楽しみだ。それではついでにムルシア領もご案内いただけますかな? あの有名な五段の滝とやらを一度見てみたいものです」


「うふふ……来年……いえ、再来年以降であればご案内できるかと。その頃であればわたくしもムルシア家の一員となっておりますし」


「ふははっ!! あぁ、そうでしたなぁ。そう言えば貴女はムルシア家に嫁ぐのでしたな。それでは若奥方として歓待していただけますかな?」


「わ、若奥方……ふふ、改めてそう言われますと、なんだか照れてしまいますわね……」


 何気に頬を赤らめながら、くねくねと手を揉みしだくリタ。

 しかし彼女の正体を知るケビンとクールベは思わず微妙な顔をしてしまう。

 前世のアニエスをよく知る二人は、目の前の少女にどうしても225歳アラウンド・トゥーハンドレットの老婆の顔を重ねていたのだ。

 それに気付いたリタが顔色を変えた。


「なんですの、その顔は……? なにか言いたいことでもありまして?」


「な、なんでもありませんぞ!! お気になさらず!!」


「そ、そうだ。気にしないでくれ。もともと俺はこんな顔だし……」


「……そうですの? なにやらお二方から悪意を感じましたけれど」


 じっとりとした半目で交互に二人を見つめるリタ。

 するとケビンが誤魔化すように咳ばらいをする。


「ごほんっ。あー、さて将軍。先ほどの続きだが――」


「そ、そうでしたな殿下。 ――まずは殿下が先陣をお切りになって、私の隊がその後を続きます。その左翼をフライアー隊長が、右翼をガルバー隊長率いる隊が押し込んで、その後ろから――」



 などと事も無げに話しているが、実のところそれは死にに行くようなものだった。

 もちろんケビンは別格だ。彼一人で数百からの敵兵を屠ることもできるし、万が一にも討たれることはないだろう。前回同様そのまま突撃を続けて敵司令部を強襲するつもりだった。


 しかしその他の兵たちは果たしてどうなるのか。

 などと考えたところで悲惨な末路しか思い浮かばない。

 もちろんケビンが敵司令部を全滅させられれば、これだけの戦力差であるにもかかわらず敵も敗走せざるを得なくなるだろう。

 ところが分厚い人の壁を抜くには如何なケビンとてそれなりの時間がかかる。そしてその時間がそのまま味方の損害に繋がっていくのだ。


 とは言うものの、それ以外に戦いようがないのも事実だ。

 あとはケビンの突撃速度に全てがかかっていると言ってもいい。



 それを十分承知する幹部たちは、皆緊張の色を隠せない。

 中には武者震いを通り越して本当に震える者まで出る始末だ。

 そんな一見勇ましい場に見えて、そのじつまさに死の行軍デスマーチ以外のなにものでもない様は誰もが気付いていながら気付かないふりをしていた。


 それでもリタは一切動こうとしない。

 最早もはや悲壮感すら漂う現場を眺めつつも、自ら助けを申し出ることもなければ立ち去りもしない。

 ただひたすらケビン率いるブルゴー軍の幹部たちの様子を事細かく観察しているようにしか見えなかった。


 そんな彼女に幾つかの非難がましい視線が集まりそうになったその時、それを遮るように一層大きな声が上げられた。


「さぁ皆の者、行くぞ!! これは絶好の機会というものだ!! 宿敵アストゥリアの奴らに、我らブルゴー軍の恐ろしさを思う存分味わわせてやろうぞ!!」


「おー!!」


「見てろ、アストゥリアめ!!」


「皆殺しだ!!」




 遂にブルゴー軍が動き出した。

 口では勇ましいことを言いながら、誰もが沈痛な面持ちで半ば死を覚悟する。しかし今さら引き返すことも叶わなければ突撃するしかない。

 ふと前方を見れば、まるで手ぐすねを引くようにニヤニヤ笑みを浮かべる敵兵が見える。どうやら彼らは己の勝利をこれっぽっちも疑っていないようだ。

 するとそんな現場に徐々に大きな音が響き始める。


 ドドドドドド……

 

 それは地響きだった。

 まるで何か生き物の大群が押し寄せてくるような巨大な足音。

 ブルゴー軍もアストゥリア軍も、これから戦を始めようとしているにもかかわらず、一瞬現実を忘れて皆その音に聞き耳を立てた。

 すると次の瞬間、どこからともなく声が響いた。


「ほ、報告いたします!! 正体不明の軍勢が突如現れました!! 場所は――真後ろです!!」


「なにぃ!?」


「はぁ!?」


 次々と大声を上げていくアストゥリアの幹部兵たち。

 すると突然それは姿を現した。



「うはははははっ!! 待たせたなリタよ!! この俺が来たからにはもう安心だ!! 我がムルシア家の将来の若奥方殿よ、お前一人に戦わせるなど、そんなことをさせるわけがなかろう!! アストゥリアなどこの俺が皆殺しにしてくれるわっ!! うあははははは!!!!」


 身長183センチ、体重140キロのまるで筋肉の塊のような巨漢の男。

 それはハサール王国西部辺境候にして武家貴族筆頭のムルシア侯爵家当主、オスカル・ムルシアその人に違いなかった。

 そしてその背後に連れているのは、アストゥリア軍に匹敵する数の軍勢。


 それを見たリタは、思わず開いた口が塞がらなくなった。

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