第310話 彼女なりの事情

 アストゥリア軍の進軍開始。

 その報に俄然騒がしくなるライゼンハイマー城内。

 すでに末端の兵まで知れ渡り、彼らはいま上からの指示を待っているところだ。

 それを尻目に、城内に散らばる仲間の死体と肉片を片付けていくカルデイアの者たち。

 あまりに壮絶な景色に気分が悪くなる者多数の中、集められた城仕えの者たちはその作業に無理やり従事させられていた。

 中には知人の死体に縋り付いて泣き叫ぶなど、未だ現場は阿鼻叫喚の地獄絵図といったところだ。そんな中、ブルゴー軍の上層部は早速打ち合わせに入った。



「それで、アストゥリアの規模と距離は?」


「はっ。大凡おおよそですが、数は我が方の3倍、距離にして1日といったところでしょうか」


「3倍? ふぅむ……つい先日までは2倍程度だったはずだが……」


「報告によれば今もなお続々と援軍が到着しているようです。そのため現在は3倍程度ですが、時間とともにその差はさらに開いていくものと思われます。最終的には数で圧倒し、我々が断念するのを狙っているのではないかと」


「……我らに首都を放棄せよということか。 ――まさに漁夫の利だな。一体誰が血と汗を流したと思っているんだ……もっとも、如何にもアストゥリアのやりそうなことではあるが」


「ふぅむ……なんともやりきれませんが……如何いかがいたしますか、殿下」


 城下を見渡せる高い場所から、目を細めて遠くを眺める勇者ケビン。

 遠くのアストゥリア軍を未だ瞳に捉えることはできないが、そこに奴らがいるのは間違いない。 

 今やブルゴー王国の王配にまで上り詰めたこの男は、一両日中には相まみえる相手に思いを馳せつつ話を進めた。


「ははは、将軍。そんなの訊くだけ野暮だろう。 ――どれだけの犠牲のもとにカルデイアを滅ぼしたと思っているんだ? 今ここで逃げ出したりしたら、それこそ彼らは浮かばれん。なにより俺はアストゥリアのやり方が気に食わない。まるで盗人のように人の手柄を横取りするなんて、あまりに恥がなさすぎる。どれだけ面の皮が厚いんだ」


「はははっ、確かに。しかしどうかご安心を。このコランタン、想いは殿下と同じですぞ。宿敵アストゥリアとまみえたのであれば、それが異国の地であろうと間違っても引くなど有り得ませぬ。故に――」


「あぁ、打って出るぞ。アストゥリアを粉砕する。そして奴らを巣に逃げ帰らせてやる」


 などとケビンが何処か涼しい顔をしている横で、部下たちは眉間にしわを寄せていた。

 ケビンを始めとする上層部は敵の攻撃を受けて立つと言っているが、現実を見れば見るほど非常な困難を伴うのは明らかだ。

 なにより首都を落としたばかりのブルゴー軍はすでに疲労の限界に達しており、ここで新たな敵が現れたからと言ってすぐに戦闘に入るのはあまりに酷だった。

 

 そんな中、誰とはなしに壁際に視線を向ける。するとそこには、少々時代遅れなドリル縦ロールに髪を束ね、透き通るような灰色の瞳で見返す小柄な少女が佇んでいた。

 もちろんそれはリタだった。

 彼女は無言のまま、軍の打ち合わせを壁に持たれながら眺めていたのだ。

 そんなハサール王国からの助っ人魔術師が、己に集まる視線に気付くと居住まいを正した。



「なんですの? 皆で一斉にわたしくを見て……顔に何かついてます?」


「い、いや……その……伺いますがリタ嬢。もちろん次の戦でもご助力いただけるのですよね?」


 若干上目遣いになりながら、参謀シモン・ルッカが問いかける。

 するとリタは事も無げに答えた。


「お断りですわ」


「えぇ!! な、なぜ!?」


「ど、どうして!? 貴女は助っ人ではないのですか!?」


 リタの返答に口々に疑問の声をあげる幹部連中。

 すると彼女は小さなため息とともに再び口を開いた。


「皆様、何か勘違いされているのではなくって? ここから先はブルゴーとアストゥリアの問題ですもの。このわたくしが介入するいわれなどこれっぽっちもありませんわ」


「し、しかし、先の戦ではあれほど力をお貸しいただけたではありませんか!? なぜ急にそのようなことを――」


「そ、そうですよ!! ここでアストゥリアを退けられなければ、全てが無駄になってしまうのですよ!!」


 前のめりになりながら、まるで責めるように言葉を吐く。

 そんな幹部たちにリタは呆れたような顔を返した。


「と申されましても。 ――確かに先の戦では力をお貸しいたしましたわ。しかしそれは兵をお借りしたことへのお返し……言わば交換ですわ。そこに一方的な貸し借りはございませんことよ」


「そ、そうではありますが……」


「と言いますか、もしもわたくしがいなければ、今頃はカルデイアとアストゥリアに挟撃されていたでしょうね。 ――よもやそれだけではご満足いただけませんの? 人からリンゴを恵んでもらいながら、さらにそれを切って渡せなどと容易に言えたことではありませんわよ?」


「し、しかし!! あ、貴女であれば無傷でアストゥリアを退けることも可能なのでしょう!?」


「そうですわねぇ……はっきり申し上げますが、その程度の軍などわたくしにかかればイチコロですわね。行軍のど真ん中に隕石でも降らせれば、即全滅ですもの。 ――もっともその地は巨大な窪地……後に湖と化してしまいますけれど」



 ゴクリ……


 思わず唾を飲み込んでしまう幹部たち。

 事情を知らない者であればリタの言葉は誇大な妄想に聞こえるかもしれない。しかしカルデイアの首都を落とした手腕を知る彼らは、決してそうは思わなかった。

 彼女は本気で言っている。その手にかかれば間違いなくアストゥリアは一撃なのだ。

 

 しかし思えば思うほど新たな疑問が湧いてくる。

 するとその中の一人が遂に確信に触れた。


「そ、そうであるなら尚の事お力を貸していただきたいのですが……ご存知通り、我々は疲弊し切っています。貴女一人で敵を退けられるのであれば、なぜそうしていただけないのです!?」


「そ、そうだ!! そうすれば無駄な人死ひとじにも出ずに済む。それはリタ嬢も望むことではないのか!?」


「確かにそのとおりだとは思いますわ。わたくし一人が奮闘しさえすれば全て解決する。そのうえ誰も死ぬことはない。まさにウィンウィンですわね。 ――けれど貴方達は一つ大切なことを忘れてませんこと?」


「大切なこと……?」


 リタの言わんとすることが理解できないのか、思わず胡乱な顔を返してしまう幹部たち。

 すると彼女は小さな鼻息を吐いた。


「えぇそうですわ。大切なこと――それはわたくしがブルゴー人ではないということ。そしてその意味。 ――ねぇ、殿下?」


 そう告げながら、リタはちらりとケビンの顔を見る。

 するとケビンは苦笑を浮かべたものの、何も言わずにその先を促した。

 そんなブルゴーの王配から視線を戻すと、尚もリタは口を開いた。



「ブルゴーとアストゥリアの戦であるにもかかわらず、ハサール人の私が一人で事を収めてしまう。もしもそうなった場合、一体なにが起こるのか。 ――さぁ、もうおわかりでしょう? そこには国と国との多大な貸し借りが生まれますのよ。場合によってはカルデイアの覇権の半分を寄越せとハサールから迫られても文句は言えませんわよ。さぁ如何いかが?」


「……」


「……」


 部屋の中を一瞬にして静寂が支配した。

 確かに効率と人道を重視するなら、リタ一人に任せるのがいいのかもしれない。なにより彼女の力を以てすれば、アストゥリアを全滅させられるのは間違いないのだから。

 しかしそれによって国際的な政治問題に発展するのであれば話は別だ。

 事実、ブルゴーの支配者――勇者ケビンが彼女の力を借りようとしていないところを見る限り、つまりはそういうことなのだろう。


 それに気づいた途端、ケビンの言葉の裏を探りもせずに浅はかは言葉を吐いてしまった幹部たちは、皆一様に恥じ入ったのだった。



 とは言え、ケビンにしてもリタの力を借りるのは吝かではなかった。

 しかし彼女の方から申し出てこない以上、そもそもそのつもりがないのだと悟ったのだ。

 自身に対して厳しいリタ――アニエスは、人に対しても同じように厳しい。特に自助努力さえ放棄して端から人に頼ろうとする者に対しては全く情けも容赦もない。

 たとえ死にかけていようとも、そのまま見殺しにするほど徹底していた。


 長い付き合いからそれを良く知るケビンは、初めからリタを頼ろうとしなかった。

 しかし出来得る限りの努力の末にどうにもならなくなった時には、必ず助けてくれると信じていたのだが。

 その証拠に、首都攻略戦が終わった後もリタは国に帰ろうとしていない。恐らく彼女は最後までブルゴーの行く末を見守るつもりなのだろう。

 

 あっさりとリタに助力を断られた幹部たちだったが、それをきっかけにしてむしろ顔にはやる気と覚悟が浮かび出す。

 その顔を眺めながら、ケビンは満足そうに告げた。


「まぁ、そんなわけだ。あくまでこれはブルゴーとアストゥリアの戦いでしかない。そこにハサールの出番などあるわけがないだろう? ――さぁ、長年の宿敵が迫ってきているんだ。血祭りに上げる準備をしようじゃないか!!」


「はっ!!」


「お任せを!!」


「目にもの見せてやりますぞ!!」


「おぉー!!!!」


 王配の激に即座に答える部下たち。

 その姿にケビンは満足そうに頷いたのだった。

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