第309話 将軍との茶飲み話

 ブルゴー兵たちが戦後処理に忙しくなる中、リタ一人が暇を持て余していた。

 もともと単なる助っ人でしかない彼女は様々な仕事に駆り出されることもなく、良い意味で気を遣われ、悪い意味で放置されていたのだ。


 特に忙しいケビンなどは、部下に指示を出したり自ら駆け回るだけで全くリタに構う余裕すらない。

 手が空いているのが自分だけである現実にさすがにリタも居た堪れなくなり何度も手伝いを申し出た。しかし誰に言っても盛大に遠慮された挙句に、のんびり茶を飲んでいろと言われる始末だ。


 そんな中、不貞腐れたリタが本当に茶を飲んでいると、その背中に声をかけてくる者がいた。それはブルゴー王国西部辺境伯にして西部軍最高司令官でもあるコランタン・クールベ伯爵だ。

 この60歳手前の大柄な老将軍はやっと手透きになったらしく、何気に表情を作りながら話しかけてくる。


「失礼する、リタ嬢。少し話をしてもかまわぬか?」


「あら。これはクールベ将軍。今日も早朝からお忙しそうでしたけれど……もうよろしいですの?」


「あ、いや。忙しいのは変わらんのだが、さすがにずっとということではないゆえな。今は少し手透きができた」


「あら、そうですの? ならば一緒にお茶でも如何です? 忙しいのにかまけて誰も構ってくれませんし、手伝いを申し出ても遠慮されてしまいまして。わたくしだけ暇なものですから、お話の相手でもなんでもして差し上げますわ」


「そうか。それなら、失礼ながらご一緒させていただこう」


「うふふ……どうぞこちらへおかけくださいませ。いまお茶を入れて差し上げますから」



 それからコランタンは、小柄で華奢(しかし巨乳)な15歳の可憐な少女が、慣れた手つきで茶を入れるのをジッと眺めていた。

 自ら話を所望しながら全く口を開くことなく、ただひたすらにリタの一挙一動に注目する。そして目の前に茶が差し出されるとやっと表情を緩めた。


「うむ、これは良い香りだ。痛み入る」


「どういたしまして。これは離宮の厨房にあった茶葉ですけれど、この甘い香りは恐らく南クリキア産ではないかと思いますの。如何でしょう?」


「あぁそうか。しかしすまんな。不調法者ゆえ昔から茶の種類には疎くてな。どれを飲んでも同じ味にしか思えん。それで妻にはよく叱られるのだ」


「うふふふ、そうですか。 ――ときにクールベ将軍。奥様――スザンヌ様はお元気ですの? もうかれこれ20年ほどお会いしておりませぬが」


「あぁ、おかげさまでな。恐らく元気にしていると思うぞ。私ももう半年以上会っていないから、正直わからんがな。 ――まぁ彼女のことだ。亭主がいない間に思い切り羽でも伸ばしているのではないか? はははっ」


「ふふふ……かもしれませんわね」


 互いに意味深な目つきで見つめ合いながら、そのじつなかなか核心に触れようとしない。そんな仮面でも被っているかのような会話が続く。

 しかし遂にコランタンは、話を切り出した。



「それで、だ。リタ嬢。さすがの私も驚きましたぞ。話ではハサールに潜伏していると聞いてはいましたが、まさか本当だったとは。しかもそのような姿になっていたとは、全く思いもしませんでしたな」


「ふふふ。まぁね。何の因果か、この姿。今ではすっかり慣れてしまいましたけれど。それでも初めは大変でしたのよ。なにせいきなり3歳児なんですもの。しかも片田舎の極貧生活で食うや食わずの毎日。本気で餓死するかと思いましたわ」


「そうですか……それはお察しいたします。しかしそれにしても――」


 そう告げながらコランタンは、顎に手を当てながらしげしげと無遠慮にリタの容姿を眺め廻した。そして小さくため息を吐く。


「随分とまたお美しいですなぁ。うちの孫娘も世界で一番愛らしいと思っておりましたが、中々に貴女様も引けをとりませんな。 ――あ、いや。念のために申しておきますが、うちの孫娘の方が断然上ですぞ」


「うふふふ……まぁ、そういうことにしておきましょう。 ――それで話は変わりますが……実際どうですの? ケビンとエルミニアは」


「ははは。他国のこととは言え、息子とその嫁のことはやはり気になりますか? よくよく考えれてみれば、あなたは女王陛下のしゅうとですからなぁ。何気にお察ししますよ」


「そりゃあそうでしょうとも。今となっては遠い他国のことですけれど、これでもわたくしは生まれも育ちもブルゴーですのよ。少なくとも貴方の4倍はそこで生きてきたのですもの。祖国が気にならないなんて言ったら嘘になりますわ。それに義理とは言え、ケビンはわたくしの息子のようなもの。その嫁も含めて気になるのは当然でございましょう?」


「ははは。私にも息子と嫁と、そして可愛い孫もいますからな。貴女の想いは痛いほどわかりますよ」


「ふふふ……将軍は話が早くて助かりますわ。今はまだ無理ですけれど、最近は孫に会ってみたくてたまりませんの。聞けば一番上のクリスティアンなんかは、もうすぐ11歳になるとか。あぁいいですわぁ。思い切りこの胸に抱き締めてみたいものですわぁ」


 妄想を膨らませたリタは、その豊かなバストごと思い切り胸を抱き締める。

 そしてぎゅうぎゅうとはち切れんばかりに双丘を押し上げていると、ハッとして急に居住まいを正した。



「あら……ごめんあそばせ。大変失礼いたしました。ケビンが結婚してからというもの、一度もエルミニア女王にはお会いしておりませんの。せっかく息子の嫁になってくれたのですもの、一度はお話をしたいものですわ。 ――もっとも彼女の為人ひととなりは幼少の頃から存じ上げておりますから何も心配しておりませんけれど。まぁ、人並みに嫁いびりでもしてみたいというのが正直なところでしょうか」


 などと言いながら、何処か悪戯っぽく笑うリタ。

 最強の魔女がする嫁いびりとはどれほどのものなのかと、その姿を眺めながら思わず妄想してしまうコランタンだった。

 

「それで、正直なところケビンとエルミニアの治世は如何ですの? 三代にも及ぶ王家に仕えてきた貴方の率直な感想が聞きたいですわね」


「まぁ……そうですなぁ」


 リタの質問に、顎に手を当てながら考えるコランタン。

 中途半端に伸びた無精ひげをジョリジョリと撫でながら、慎重に彼は口を開いた。


「一介の武人でしかない私如きが陛下について論ずるなど、それこそ不敬の極みと申すもの。とは言え、まぁ、貴女様にであれば構わないでしょう。 ――そうですなぁ……エルミニア女王陛下に代わってから未だ数か月。その評価は未だ尚早かと。ただひとつ言えるのは、先代とは比べものにならないくらい良いということですな。何よりあの誠実で勤勉なお人柄は、役人からも国民からも受けが非常によろしい。それだけでも好ましいと申せるでしょう」


「まぁ……確かにあぁ見えてイサンドロ陛下は、軽い、薄い、短い、小さいと四拍子揃った御仁でしたもの。ふふふ……まさに軽薄短小ですわね。幼少時より人当たりも良く社交的ではありましたけれど、そのじつ何も彼は考えておりませんでしたわ。皆はあの見目の良さに騙されておりましたが、わたくしはとうの昔に見破っておりましたのよ。 ――もっとも兄のセブリアンも大概でしたけれどね」


「ははは……こりゃまた手厳しい。まぁ、それについてはさすがに私から申すのははばかられますな。それでエルミニア陛下ですが、我らとしては、すでに世継ぎ問題を解決してくれているだけでもありがたいと思っておりますよ。これで次代のブルゴーも安泰だと思えば、我らも頑張り甲斐があるというものですからな」


 まさに死体蹴りとも言えるリタの言葉に、思わず苦笑を返してしまうコランタン。

 その顔を見る限り、その論評には彼なりに納得できるところがあるのだろう。

 しかし彼はその話題に必要以上に深入りしようとはしなかった。そんな将軍を面白そうに見つめながら、尚もリタは話を続ける。

  


「そうですわねぇ。結婚して11年でしたかしら? その期間で、よくもまぁ8人も子をこしらえたものだと、他人ひと事ながら感心してしまいますわ。 ――英雄色を好むと申しますけれど、まさか本当だったとは思いませんでしたもの。それに一緒に暮らしていた時は、そんな様子はおくびにも出しませんでしたのよ。一体何処でガス抜きをしていたのやら。 ――それで、そのケビンなのですけれど、彼は如何かしら?」


「ケビン王配殿下ですか? あぁ、彼ならもう私から言うことなど何もありませんな。まず戦士としての実力は間違いなく世界一でしょう。世界広しと言えど、武力で彼に勝てる者などいないのではないかと。実際に戦いぶりを間近で拝見しましたが、それはもう凄まじいものでした。まさか一人で軍を壊滅させる御仁など、私も初めて見ましたよ。 ――あの圧倒的とも言える武力は、この老体ですら熱くさせるものでしたなぁ」


 恐らく先の戦を思い出したのだろう。些か興奮気味にそう語ると、コランタンは深く鼻息を吐いた。

 そんな将軍に向かってリタは盛大に眉を顰める。


「それでも彼は、魔国への遠征では死にかけましたのよ。チェスの治癒魔法のおかげで事なきを得ましたけれど、それでも何度死の淵から蘇ったか。それこそ数えきれないほどですのよ」


「あ、あの殿下がですか……そ、それほどですか、魔国とは……」


「ええ、そうですわ。今さらながらに申し上げますけれど、ブルゴーはその魔国と隣り合っているのですから、ケビンがいるからと言って全く安心などできませんわよ。事実、先日なんかは魔族のあぶれ者に苦戦していたではありませんの」


「た、確かに……私ももう少しで引退して家督を長男に譲り渡すつもりですが、今一度その辺りを言い含めねばなりませんな。 ――それでもいざ魔国が動き出せばどうなるかわかりませんが……ときリタ嬢。ひとつお訊きしたいのだがよろしいでしょうか」


「なんですの?」


「貴女はもう……ブルゴーに戻るおつもりはないのでしょうか? 先ほどの話ではありませんが、もしも魔国が動き出した時のことを考えますと、非常に心配になってしまいます。単純な武力であればケビン殿下もいらっしゃるので問題ありませんが、要は魔術師です。貴女がいなくなってからというもの、恥ずかしながら我がブルゴーは魔術に関しては二流国家へ成り下がってしまいました。 ――あれからもう10年以上も経つというのに、未だに国を代表するような魔術師は育っておりませぬし……」


 何処か窺うような視線を投げる将軍コランタン。

 その様子を見る限り、どうやら彼はリタに戻ってきてほしいようだ。

 しかしそんな視線などものともせず、素知らぬていでリタは答えた。



「残念ですけれど、最早もはやわたくしはブルゴーに戻るつもりはありませんわ。このままハサールで結婚し、子を産み育て、普通の寿命で死んでいく。前世で成し得なかったことをすべて経験するつもりなのです。 ――そんな人生設計をすでに立ててしまいましたもの、いまさら戻られませんのよ」


「そうですか……」


「けれど大丈夫ですわ。そのためにレオポルドに声をかけたのですもの。確かに性格には少々難があるようですけれど、彼の才能は本物ですから。 ――なにせあのノートだけで独学で無詠唱魔術を身に着けたのです。これからわたくしが鍛えれば、将来は必ずや偉大な魔術師になることでしょう。それに今後はハサールとブルゴーの間に国交が築かれるはず。そうなれば私もブルゴーの危機に馳せ参じるのも吝かではありませんわ。何といってもわたくしは、ハサール王国西部辺境候の妻になるのです。同じ武家貴族家として、決して黙ってはいませんわよ」


 その言葉にパッと顔を明るくするコランタン。

 直前までの憂いを含んだ表情を一変すると、その顔に再び笑みを浮かべた。


「あぁ……それは心強い。もしもの時は頼りにしておりますぞ」


「ふふふ……お任せあれ」



 それからリタは、茶が冷めたからと再び準備を始めた。

 するとその美しくも優雅な所作に見惚れながら、再びコランタンが口を開いた。


「あぁ、それでケビン殿下のことなのですが……先日は大変失礼いたしました」


「突然なんですの? それに失礼とは?」


 突如謝罪の言葉を吐かれてしまい、思わずリタは訝しげな顔をする。

 どうやら彼女はコランタンに謝罪される覚えなどないようなのだが、それでも茶を入れる手を休めることはなかった。

 そんな姿を見つめながら、コランタンは話を続けた。


「いや、その……事情を知らぬばかりに、殿下は若い娘が好きなのだと要らぬ疑いをかけてしまいましたからな。知らなかったとは言え、あの時は大変失礼いたしました。 ――思えば母と息子の感動の再会であったにもかかわらず、思わぬ水を差してしまったのだと、今さらながらに後悔する所存です」


「あぁ……あれですわね。まぁ、あれは自業自得と申しましょうか、脇が甘いと申しましょうか……いずれにしてもケビンの浅慮ゆえ、将軍が気に病む必要はこれっぽちもありませんからご安心を。もっとも彼のロリコン疑惑は言い得て妙かもしれませんわよ。嫁なんて立派なアラサー女子のくせに、未だに10代にも見えるようなロリババアなんですから」


「まぁ……確かに。おっと、これ以上は不敬ですな。とは言え、それにかけては貴女もなかなか――」


「あ゛? なんぞ?」


「な、なんでもありません。失言でした、お赦しを」


 などと思わずコランタンが本音をぶちまけそうになっていると、突如周囲が騒がしくなる。

 その様子に立ち上がって事の次第を問い質すと、近くいた軍の幹部から報告が入った。



「将軍!! たった今早馬が入りました。遥か東方にて陣を敷きこちらの様子を伺っていたアストゥリア軍ですが、遂に動き出し、こちらへ向けて真っすぐに進軍してきているとのことです。恐らく我らを蹴散らして、首都を制圧するのが目的ではないかと思われます。 ――このままではアストゥリアにこの地の覇権を渡さざるを得なくなりますが、如何いたしましょうか!?」


 その報告を聞いた途端、コランタンの眉が上がる。

 それまでの好々爺然とした顔を投げ捨てると、一転して厳しい表情を浮かべた。そして矢継ぎ早に指示を出す。


「誰でもいい、ケビン殿下を探して参れ!! そして居場所を知らせるのだ!!」


 それまでとは打って変わって、突如騒がしくなったライゼンハイマー城内。

 最早もはやそこには、戦勝に浮かれる様子など微塵も見られなかった。

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