第308話 ふたつの小さな墓
その後ケビンたちは、離宮の中で死にかけのヒュブナーを発見した。
セブリアンに深々と胸を刺し貫かれていた彼ではあるが、幸運にも出血量が少なかったため、駆けつけたチェスの治癒魔法により一命を取り留めることができたのだ。
敵に命を救われたことに複雑な思いを抱きつつも、素直にヒューブナーは感謝の意を述べる。そしてセブリアンの死を告げられると、がっくりと肩を落としながら悲しみと安堵が入り混じった複雑な表情を浮かべた。
「そうですか……陛下は亡くなられたのですね……」
「すまんが俺が首を刎ねた。本来であればブルゴーに連れ帰って裁きを受けさせるところだが、すでにヤツは正気を失っていたのだ。 ――狂人を裁いたところで、
「それは……大変お手数をおかけしました……」
変わらず無表情のままケビンが答えると、ヒューブナーは何処か申し訳なさそうな顔をする。
彼とて敗戦国、そして亡国の宰相なのだから、その胸中には様々な思いが入り乱れているはずだ。しかし軍は崩壊、首都も制圧され、挙句に国家元首まで殺されてしまえば如何な彼とて諦めるしかなかった。
とは言え、未だ地方の諸侯は健在だ。しかし国が崩壊したこの状況で、
如何にブルゴーと言えども、この広いカルデイアの地を隅々まで支配するなど不可能だ。そのため既存の諸侯に忠誠を誓わせたうえでその支配を継続させるのは間違いなかった。
これまで350余年にも及んだライゼンハイマー家の支配ではあるが、崩壊するのは一瞬だった。
それでも地方の諸侯は生き残り、今後はブルゴー王家を称えながら生きていくのだろう。その変わり身の早さに嫌悪感を覚えながら、それすら押し殺してヒューブナーは淡々と述べた。
「ジルダ殿が亡くなってからというもの、陛下はお心を病んでしまわれたのです。ここ最近など、ケビン殿下に対する憎しみのみで
「俺に対する憎しみか……そうだ、お前にひとつ問いたい。いったいジルダとは何者だ? 俺がその人物を殺したのだと、何度もセブリアンから責められたのだが」
「あぁ……申し訳ありません。ジルダ殿とはセブリアン陛下の側妃になるはずだったお方です。 ――ブルゴーより陛下を救い出し、その後もずっとお傍に控えてきた護衛兼愛人の女性でございまして。相思相愛とはまさにあれを言うのだと、その仲睦まじさは巷で有名でした」
その言葉にケビンの眉が上がる。そして問い質すように語気を強めた。
「なに……側妃だと? それはおかしくないか? そもそもセブリアンが婚姻していたなど聞いたこともなかったが?」
「それが……つい最近の話なのですが、急遽ご結婚されたのです。 ――それには少々事情がございまして……」
「事情とは?」
「はい。実はジルダ殿を間接的に死に追いやったのは、その正妃――ペネロペ様なのです。にもかかわらず、敢えて陛下はその女性を妻に――」
「ちょっと待て、全く意味がわからんぞ。何故そんな人物と結婚を? そのペネロペとやらは、奴が愛する者を殺した女なのだろう?」
「まぁ……それは陛下の意趣返しと申しますか……この戦の行く末を悟った陛下は、ペネロペ様を巻き添えにしようとお思いになったのです。他の諸侯たちが生き残ったとしても、彼女だけは己の道連れにしてやろうと……」
「それで、その妃――ペネロペとやらはどうしたのだ? 見たところここにはいないようだが?」
その質問に瞬間ヒューブナーの目が泳ぐ。しかし彼は即座に外を指し示した。
「さ、先ほどの人食い魔獣なのですが、そのあまりの恐ろしさにペネロペ様は正気を失ってしまいまして……突然外へ逃げ出してしまいました。もちろん私は必死にお止めしたのですが……恐らく今頃はもう……」
「そうか……」
彼の言わんとすることを悟ったケビンは、それ以上追求するのをやめた。そして相手にバレない様に小さな溜息を吐くと、徐に姿勢を正した。
「話は変わるが、そのジルダとやらはどこに埋葬されたのだ?」
「はい。ジルダ殿の遺体は、ライゼンハイマー家の墓地に埋められました。側妃になる予定だったとは言え、未だ婚姻もしておらず、そのうえ公族でも貴族でもない彼女をそこに埋葬するには多くの反対が出たのですが……最後には陛下が押し通しました」
「わかった。宰相よ、すまぬがそこに案内してくれないか?」
――――
治癒魔法により傷が癒えたとは言え、未だ足元さえ覚束ない。そんなヒューブナーは複数のメイドに支えられながら城の裏手へと歩いていく。
時折休息を挟む足取りはお世辞にも早いとは言えないが、後ろを行くケビン一行は一言も文句を言わなかった。
そして歩くこと20分。鬱蒼と茂る森を抜けた向こうに大きな広場が見えてくる。
大公の居城と同じように、その墓地に華美な装飾類は一切なかった。
単に墓石を並べただけの質実剛健を絵に描いたようなその様は、この国の有様を如実に表していた。しかしその中でも、一か所だけ異質なところが目に付く。
そこは墓地の一番端の一角だった。墓石の灰色と地面の茶色に視界が埋め尽くされる中、そこだけ色が付いていたのだ。
確信するように真っすぐ歩いていくケビン。するとそこには、予想通りジルダの名が彫られた墓石があった。
他と同じようにそれも非常にシンプルなデザインだったが、さらに上をいっていた。
なぜなら彼女の墓石には、その名――「ジルダ」としか彫られていなかったからだ。そこには家名はおろか、生年すら記されていなかった。
しかしその代わり、上には一輪の小さな花が乗る。
ついさっき供えられたばかりなのだろう。控えめな黄色い花びらが、未だ
その様子を感慨深そうに見つめながらケビンが呟く。
「ジルダか……。そうか、家名はないのか。そして生年も不明……」
「どうされましたか、殿下。何か気になることでも?」
将軍コランタンが背後から気遣わしげな声をかけてくる。するとケビンは振り向くことなく答えた。
「いや、なんでもない。ちょっと考え事をしていただけだ」
「そうですか。 ――それで、これがその『ジルダ』とやらの墓ですか」
「あぁ、そのようだな。恐らく毎日花を捧げていたのだろう……本当にヤツはこの女を愛していたんだな」
「えぇ。そうですね……」
不意にそこで会話が途切れる。
ケビンもコランタンも、そしてリタまでもが一切何も喋らずに黙ったままだ。しかしその沈黙をケビンが破った。
「セブリアンの遺体は持ってきているな? それではこの隣に埋めろ」
「えっ? しかしヤツはこの国の大公ですので……位としてはもっと奥の方がよろしいかと――」
「いや、いいんだ。誰も見知った者がいないあんな場所より、ジルダの隣の方が嬉しかろう。ここに並べて埋葬してやれ」
「……承知いたしました」
ザクザクと墓穴を掘り進める兵たちを眺めながら、ケビンはヒューブナーに問いかける。その顔には何処か憂いのようなものが浮かんでいた。
「大公の側妃になるような人物でありながら、公族でも貴族でもなく、さらに家名すらない……いったいジルダとはどんな人物だったのだ?」
「はい。ジルダ殿の本職は暗殺者です。殿下もご存じかと思いますが、あの『漆黒の腕』の構成員でした。 ――とは言え、陛下とともに過ごすようになってから、すっかり彼女は足を洗ったような状態でしたが」
「……それなのに、何故俺が殺したなどと? 何度も言うが、俺には全く身に覚えがないのだが」
「申し訳ございません。大変申し上げにくいのですが、貴国の先代国王イサンドロ陛下を殺めたのは、実はこのジルダなのです」
「な、なにっ!? この女が!?」
予想外の驚きととも大きく見開かれるケビンの瞳。
30歳を過ぎたばかりとは言え、普通の人間の何倍もの経験を積み重ねてきた彼は多少のことでは驚かない。しかし予想だにしなかった事実にさすがに驚きを隠せなかったらしい。
そんなブルゴーの王配に向かって、ヒューブナーは心底申し訳なさそうな顔をした。
「はい、そうです。彼女がイサンドロ陛下を暗殺したのです。 ――実のところセブリアン陛下は、この戦に乗り気ではありませんでした。お恥ずかしい話ながら、今や我が国には戦をするような余裕などは全くありませんでしたから。しかし降り掛かった火の粉は払わなければならない」
「あぁ……それはわかっている」
その言葉に、ケビンは曖昧に頷く。
最後にはカルデイアを滅ぼすことになったが、この戦がイサンドロの軽薄な思い付きから始まったことをケビンもよく理解していた。
そのため、先ほどセブリアンに「この戦に大義はあるのか」と問われて咄嗟に返答できなかったのだ。
その言葉をどう受け取ったのか、ヒューブナーは尚も話を続けた。
「とは言うものの、
「……」
「それはあまりに難しい作戦でした。しかし暗殺のプロ――ジルダ殿が成功させたのです。セブリアン陛下への愛ゆえに、彼女はどんな困難にも打ち勝ちました。 ――その代わり、そのまま帰らぬ人となってしまいましたが」
「そうか……」
己の理解を告げるために一言だけ答えると、そのままケビンはむっつりと押し黙ってしまう。
結局この戦自体には大した意義などなかったのだ。
自国の犯罪者が、気付けば隣国の支配者になっていた。確かにこの事実はブルゴーにとって面白くなかった。さらに言えば周辺国へ示しがつかないのも事実だ。
しかしそれとて無理に戦を起こすほどではなかったし、思えば外交努力でなんとかできたのかもしれない。
しかし先代国王イサンドロはそれすら放棄して、戦などという最も愚かな方法を選んだ。しかもまるで夕食のメニューを決めるかの如き気楽さで。
結果的にイサンドロの弔い戦となったものの、それは意図せずカルデイアを追い詰めてしまった結果でしかなく、まさしくそれは自分で蒔いた種と言うほかなかった。
その事実に、今さらながらに愕然としてしまう。
あの愚かな男一人のやらかしのために、どれだけの戦費を費やし、どれだけの民が路頭に迷い、そしてどれだけの兵が血を流したのか。
それを思うだけで、
それから少し後、セブリアンの遺体は土に埋められた。
結局墓石は用意されなかったが、それでもジルダの墓のすぐ隣で、彼女と同じ花も供えられた。
片や名前のみ彫られたシンプルな墓と、片やそれすらないただの土盛りの墓。
周囲から比べてもとてもこじんまりとしたそれは、一国の大公とその側妃となるべき人物の墓としてはあまりに小さく、そして質素だった。
しかしそれは、なんとなくこの二人に似合っていた。
互い以外の誰からも愛されることなく、儚くこの世を去っていったセブリアンとジルダ。
もしもあの世と呼ばれるところがあるとしたなら、再び相まみえることができるだろうか。
それはこの世に生きる者には一生わからない。
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