第302話 猫祭り

「どうやら奴らは攻めあぐねているようです。先程もおかしな鳥を飛ばしてきた程度で、それ以外に何もしようとしてきません」


「まぁ、無理もあるまい。なんとも手前味噌ではあるが、これほどまでに攻めにくい城もないからな。このままなら食料が尽きるまで……そうだな、あとひと月は持ちこたえられるはずだ。もっとも、その前に奴らが現れるだろうが」


「……アストゥリアですか。それはそうと、本当に大丈夫なのでしょうか? あの密約がきちんと守られれば良いのですが」


「まぁ、大丈夫だろう。他国を治めるために、いきなり異国人が頭に就くのは悪手だ。住民の反発を抑えるためには同国人の協力は欠かせないからな」


「しかし後に我々は裏切り者と呼ばれたり、切り捨てられたりは――」


「心配するな。もとよりセブリアン陛下の評判は芳しいものではなかった。確かにライゼンハイマーの血統は大切なのかもしれないが、市井の者たちにしてみればどうでもいいことだ。 ――自分たちの生活が改善しさえすれば、支配者が誰だろうと関係ないものだ」


「そういうものですか。 ――確かにこの10年、国内の状況は悪化を辿るばかりです。ならばここでアストゥリアが善政を敷いてくれれば、むしろ我々は救世主と崇められるかもしれませんね」


「まぁな……そうなることを切に願おう」



 高い城壁上から眼下を見下ろしながら、首都防衛隊隊長ヨハンネス・クレーマンと近衛騎士団長エルヴィン・メスナーが雑談を交わす。


 数日前、まさに謀反とも言うべき動きを見せた彼らではあるが、彼らには彼らなりの矜持があった。

 その会話からもわかる通り、この10年のカルデイアの凋落ぶりはまさに目に余る。

 経済は破綻し、失業者は増え、そのせいで生活が覚束ない。

 市場には商品が並ばず、食料が手に入らないため常に住民たちは飢えていた。


 少なからず国から食料の配給を行なってはいたが、そろそろ限界が見え始めた矢先にこの戦だ。

 そもそも戦をする余裕などないはずなのに、愚かな支配者のせいで強行されてしまった。結果、国庫はさらに圧迫されて配給も滞って久しい。

 男たちの多くが戦死した。働き手を失った家族はさらに困窮して、職を求めて首都から離れていった。


 最早もはやこの状況を見過ごせなくなった国の重鎮や軍の幹部たち。

 このままセブリアンの統治に任せるよりも、大国アストゥリアの下に入るほうが幾らかマシだ。

 そう思った彼らが一斉に蜂起したのが、先日の謀反騒ぎだった。


 

 眼下に陣を敷く宿敵ブルゴー軍を見下ろしながら二人が渋面を隠さずにいると、突如大声が響き渡った。


「お、おい、あれを見ろ!!」


「な、なんだあれは!!」


「何かが飛んでいる……あぁ!! どんどん近づいてくるぞ!!」


 何処か慌てるような兵たちの叫び声。

 それにふとクレーマンとメスナーが視線を向けると、そこには信じられない光景が広がっていたのだった。




 ――――




「ひゃ、101匹マンさん……も、もしかしてそれは……」


 何気ないリタの一言に、思わずつばを飲み込んでしまう勇者ケビン。

 何故なら、リタが述べた言葉――「アラゴン掃討作戦」の意味を瞬時に彼は理解したからだ。


 今から約60年前。

 アストゥリア帝国と小競り合いを繰り返していたブルゴー王国は、ある日国境沿いにある城――アラゴン城をアストゥリア軍に占拠されてしまう。

 もちろんブルゴー軍は城を取り返そうと攻城戦を試みたが、籠城し、守りに徹した相手に攻め切れない日々が続く。


 これ以上時間がかかると背後をアストゥリアの援軍に襲われてしまう。そうなった時、やっと宮廷魔術師のアニエスが派遣されてきたのだ。

 期待と不安の眼差しに晒されながら、アラゴン城を俯瞰で眺めた彼女は一言告げた。


「わしに任せよ。これから奴らを城から追い出す故、お前たちはそれを待ち受ければよい」


 自信満々でもなく、かと言って弱気でもない。まるで表情を浮かべずにアニエスは言い放つ。

 そしてその直後、彼女はあれ・・を呼び出したのだった。



 今となっては、それを直接見た者はいない。

 しかし未だ語り草になっているその城攻めは、ブルゴー戦史の中でも特に血生臭い一戦として有名だった。


 敢えてその名を挙げたのは、これからそれに類するものを見せるということ。

 そんな予感に身震いしながらケビンが見つめていると、リタはこれ以上ないほど極上の笑顔を返してくる。

 

「うふふ……それでは殿下、ここはわたくしにお任せを。これからカルデイアの皆さまを城から追い出します故、兵たちはそれを待ち受けていただければよろしいですわ」


 ニンマリとした笑みを零しながら、そう告げるリタ。

 その意味を悟ったケビンは、身震いを止められないまま矢継ぎ早に指示を出し始めたのだった。




 それから少し後、兵たちが所定の位置についたのを確認したリタは、小さな咳払いとともに両手を天に突き出した。

 それからおもむろに呪文の詠唱を始める。


「∈♮∌♯∞⊿〠∂∝ʅ( ՞ਊ՞)ʃ※§∠♯――」 


 それは誰も聞いたことのない、およそ言語とも呼べないものだった。

 敢えてそれを表現するなら、美しい音色に乗せたハミングだろうか。

 そんな思わず聞き惚れそうになる声を聞くこと約30秒。突然リタの頭上が輝き出したかと思えば、そこから何かが姿を現したのだった。


「グオォォ!!」


「グルォァォ!!」


「ゴアォォゥ!!」 


 リタが述べた通り、確かにそれはぬこだった。

 いや、正確に言うなら、それはほんの少しだけぬこに似たところのある別の生き物に過ぎなかった。 


 太い首の周りにはフサフサとしたたてがみが生えており、全身を覆う体毛は細く短かい。

 背中にはまるでコウモリのような大きな翼が生えており、それを開くと全幅は4メートルはあるだろうか。

 さらに鋭く尖った尻尾は、サソリのそれにしか見えなかった。


 鋭いトゲが生える尻尾の先からは、毒のような紫色の液体が糸を引いている。

 そして大人の胴体ほどもある太い四肢でのしのしと歩くフォルムは、見ようによってはぬこに見えなくもないが、やはり正確に言うと獅子に近いものだ。

 そんな体長3メートルはあるだろう魔獣――マンティコアがその姿を現したのだった。


 一匹ですら逃げ出したくなるほどの恐怖なのに、それが次から次へと宙から湧いてくる。

 そして気づけば、凄まじい数の魔獣が群れをなしていたのだった。


「グルルォァ!!」


「ガルゥゥ!!」


「ひぃぃぃ!!」


「く、食われる!!」


 恐怖のあまり腰を抜かす兵たちと、威嚇するように唸るマンティコアたち。

 見たところ100匹以上はいるだろうか。腹が空いて堪らないとばかりに涎を垂らし、まさに獲物を物色する目つきで周囲を見渡す。

 その横には余裕の表情で佇む少女――リタがニンマリと笑みを見せた。


「さぁ、これ以上ない頼もしい助っ人をお呼びしましたわ。これで万事解決。 ――殿下ならびに将軍閣下、そして各隊長の皆様。準備はよろしくて!?」


「あ、あぁ……」


「だ、大丈夫だ」


「お、おぉ……」


 恐怖に顔を引き攣らせながら、なんとか返事をする隊長たち。

 その様子を確認すると、マンティコアの群れに向かってリタは告げた。


「さぁ皆様、レッツ・パーリーですわっ!! 今日はおかわり自由。遠慮せずに全て平らげてよろしくてよ!! ただし、鎧を着ていない者は食べてはいけません。生かしておくように。それから、喉が乾いたらお堀の水を飲んでくださいまし。 ――さぁ、おいきなさい!! 思う存分食べ尽くすのです!!」


「グルルォォ!!」


「グォォォ!!!!」


 バサッ、バサッ、バサッ――


 魔獣の唸り声にも負けないほどの高く響き渡るリタの声。

 それを合図にして、今や100匹にもなるマンティコアの群れは、ライゼンハイマー城へ向かって真っ直ぐ羽ばたいていったのだった。




「うわぁー!! なんだこいつらは!!」


「ひぃぃぃ!! ば、化け物だぁ!!!!」


「食われる!! 助けてくれぇ!!!!」


 これを阿鼻叫喚と言わずしてなんと言おう。

 そう思ってしまうほど、それは凄惨な光景だった。


 何の前触れもなく突如空から現れたかと思うと、恐ろしい魔獣の群れは城の中庭に舞い降りていく。

 バサバサと大きな羽音を立てながら地に降り立つマンティコアたち。

 その姿を見た途端、城内はパニックになった。


 それでもさすがは勇猛なるカルデイア兵というべきか。

 中には槍で攻撃する強者つわものもいたのだが、残念ながら皆例外なく食い殺された。


 次第に真っ赤に染まっていく城の中庭。

 恐れをなして城内に逃げ込む兵たちと、それを追いかけて引き倒し、情け容赦なくかじりつくマンティコアたち。

 生きたまま食いちぎられ、はらわたを引きずり出されて、それでも死ねずに悲鳴を上げ続ける兵士たち。


 今や部下を助けようともせず、我先にと逃げ惑う隊長たち。

 未だ息のある血塗れの仲間を踏み潰しながら、必死に逃げ惑う兵たち。

 まさに地獄絵図としか言いようのないその光景は、まるでこの世のものとは思えなかった。


 そんな中、突如誰かが叫んだ。


「扉を開けろ!! 跳ね橋を下ろせ!! このままでは全員食い殺されてしまう!! とにかく外へ逃げろ!!」


 一体誰が叫んだのかはわからない。

 しかしそれを合図にして、全ての城の入り口が開かれたのだった。




「よしっ!! リタ嬢が申したとおり、ついに扉が開いたぞ!! ――よいか皆の者!! これから大挙して敵が飛び出してくる。我らはそれを迎え撃つのだ!! 鎧を着ている者は泳げない。容赦なく堀に突き落とせ!!」


「おぉー!!」


 跳ね橋が下り始めたのを見た将軍コランタンは、それまで半信半疑であったにもかかわらず、まさに初めから信じていたと言わんばかりに部下を鼓舞した。

 そして自慢の愛剣を抜き放つ。


 日の光を反射して、まばゆいばかりに輝く名刀ウンタースベルガー。

 その輝きに一瞬目を細めると、自ら先陣を切って飛び込んでいったのだった。




 城の四方でほぼ同時に始まった兵たちの衝突。

 武器すら持たずに命からがら逃げ出してくるカルデイア兵と、準備万端迎え撃つブルゴー兵たち。

 その様子を少し下がったところで眺めながらリタが呟く。


「あぁ懐かしい。この光景……アラゴン掃討作戦を思い出しますわね。あの時はもっと規模は小さかったですし、マンさんも30匹しかいませんでしたけれど……」


 何処か遠くを見つめるようなリタ。

 本来であれば彼女も敵を蹴散らしたかったのだが、そこまでは世話になれないとケビンに断られたのだ。

 そのためリタは、少し下がったところから所在なく戦闘を眺めていた。


 そんな彼女に声をかけてくる者がいた。

 それはレオポルドだった。

 親友でもある召喚獣――鳩のサブレを失った彼は暫し茫然自失だったのだが、ここにきてやっと正気を取り戻したようだ。

 その彼が問いかけてくる。


「リタ嬢……お前は何者だ? 高位の魔術師の中には外見すら偽る者がいると聞く。そのように若い娘の姿をしているが、もしやお前は見た目通りの者ではないのではないか?」


「……どうしてそう思いますの?」


「お前はいまアラゴン掃討作戦を懐かしいと言った。俺の記憶が確かなら、それはもう60年も前のはず」


「……」


「それにあれはなんだ? あのマンティコアの群れ。一匹二匹であれば中位の召喚師にも呼び出せるが、一度にあの数を呼び出せるなどおよそ聞いたことがない。 ――唯一、あるお方を除いてはな」


 疑うようなレオポルドの視線に、自然とリタの目つきも鋭くなる。

 そして絞り出すように問う。


「……あるお方とは?」


「そんなの決まってる。この俺が尊敬してやまないの偉大な魔術師――アニエス・シュタウヘンベルク殿のことだ!!!!」


 そう述べると同時に、素早くレオポルドの右手が動く。

 そして直後に巨大な爆音が響き渡った。



 ドゴーン!!!!



 周囲に轟く爆音と視界を覆い隠す真っ黒な煙。

 自ら無詠唱魔法が使えると豪語するだけあって、レオポルドは全く予備動作もないまま突如炎の玉を放ったのだ。しかも至近距離から。


 並の魔術師なら間違いなく即死だった。それだけそれは素早く、かつ正確な攻撃だった。

 しかしその直後、煙のむこうから声が響いた。


「ただの馬鹿かと思っていましたけれど、中々に鋭いですわね。 ――それにその無詠唱魔法。かなり荒削りですけれど、正しく導けばまだまだ伸びそう」


「ふっ……やはり只者ではなかったか。リタ嬢よ。さぁ、正体を晒してもらおうか。 ――お前は一体誰だ? クロティルドか? まさかシンジェロルツではあるまいな?」


「うふふ。もうバレているようですから、誤魔化すのはやめますわ。とは言え、わたくしはクロティルドでもシンジェロルツでもありませんけれど」


「……では一体誰なのだ? その二人以外に見た目を謀っている者など聞いたことはないが」


 訝しむようなレオポルドの瞳。

 それを真っ直ぐ見返しながら、リタはニッコリと微笑んだ。



「アニエス・シュタウヘンベルク。 ――その名であれば、貴方も聞いたことがあるのではなくって? うふふふ……」

 

 その名を聞いた途端、まるで凍りついたようにレオポルドは動かなくなった。

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