第303話 隠された目的

「アニエス・シュタウヘンベルク。 ――その名であれば、貴方も聞いたことがあるのではなくって? うふふふ……」


 見る者全てを釘付けにするような、含みのある妖艶な笑み。

 睫毛まつげの長いたれ目がちな瞳を糸のように細め、小さく紅い唇でこれでもかと弧を描く。

 ともすれば社交界の花のような美しい姿は、しかし同時にどこか恐ろしくも見えた。


 その姿を見たレオポルドは凍り付いたように動けなくなってしまう。

 細い瞳を大きく開いて、痩せて頬骨の目立つ顔には大量の汗が流れ始め、まるでアホのように口は大きく開け放たれたままだ。

 そんなブルゴーの一級魔術師に向かってリタが告げる。


「あら、一体どうなさいましたの? なにやら言いたそうですけれど。気にせずはっきりと仰っていただいても構いませんのに。 ――それとも、わたくしのことがそんなに信じられませんの?」


「お……お……」


「なんですの、そのアホ面は。知の泉と例えられる魔術師ともあろう者が、そのような顔をするものではなくってよ」


「お……おま……」


「え?」


「お……おま……おま……」


「なんですの?」


「お、お、お前……」


「……」


「お前がアニエスだとぉー!!!!????」


 リタを指差したまま、力の限り絶叫するレオポルド。

 変わらずアホのように口を開けたまま、矢継ぎ早に言葉を吐いた。



「あ、あの・・ブルゴーの英知と崇められ、100年以上に渡り王国に君臨し続けた希代の魔術師!!」


「ふむふむ」


「『ブルゴーの護り』ヒルデベルトの養女にして、自らも『魔王殺しサタンキラー』勇者ケビンの養母!!」


「まぁ、そうですわね」


「さらにあの・・魔王と刺し違え、挙句に誰も成功させたことのない転生の魔法を発動したという!!」


「そうそう」


「その名も、ブルゴーの老――」


「あ゛ぁっ!? 何じゃとぉ!! 今度こそ殺されたいんか、われぇ!!」


「ひぃぃぃ!!!!」



 凄まじい形相で目を剥いたリタに、思わず悲鳴を上げるレオポルド。

 その顔は恐怖に彩られていたが、同時に訝しむ様子も見て取れた。

 そんな彼に鋭い視線を投げながら、尚もリタが怒鳴り続ける。


「お前、ええ加減にせぇよ!! 誰が『老害』じゃ、このバカちんが!!!! そもそもお前ら後輩どもがしっかりせんから、ずっとわしがトップであり続けねばならんかったのじゃろが!! ――己の不甲斐なさを棚に上げて、人を老害呼ばわりするなんぞ魔術師の風上にも置けんわっ!! このハゲが!!」


「し、しかし、突然そのように告げられたところで、にわかに信じがたいのもまた事実!! なにか決定的な証拠をお示しいただかないことには――」


「あ゛ぁっ!? なに、証拠じゃとぉ!!」


「そ、そう証拠です!! 貴女がアニエス殿だという何か決定的な証拠をお見せください」


「ふふんっ、わかったわ!! なればこれでどうじゃ!!」



 そう告げるや否や、頭上に掲げたリタの両手から眩い光が放たれる。

 そして遥か上空の雲が割れたかと思うと、そこから巨大な何かが姿を現した。

 それを見たレオポルドは、これ以上ないほどの大声で絶叫する。


「な、な、な、なにをなさっておいでなのです!! ま、まさかその魔法は――」


「察しがええのぉ、そのとおりじゃ!! 証拠が見たいと言ったな!? なれば、これを見てさらせ!!」


「しょ、しょ、しょ、正気ですか!!?? こ、こ、こ、こんなところに隕石なんて落とされたら、皆死んでしまいますよ!!」


「そんなん知るか、ボケがっ!! わしは人から疑われるのが一番嫌いなんじゃ!! ――世界広しと言えど、この魔法が使えるのはこのわし、アニエス・シュタウヘンベルクしかおらんのはお前もよく知っておろう!! 故にその証拠を見せてやると言っとるんじゃ、おぉ、われぇ!!!!」


 憤怒の表情に彩られ、最早もはやリタは前後の見境すらなくなっていた。

 怒りのあまり目は三角に吊り上がり、小さな鼻からは勢いよく息が吐き出される。

 そんな怒り心頭のリタを、縋り付くようにレオポルドが止めた。

 

「わ、わかりました、もう十分です!! 貴女がアニエス殿であることは十分納得いたしました!! で、ですから、それだけは勘弁してください!!」


「なんじゃとぉ!? ならばわしが間違いなくアニエスだとお前は認めるのじゃな!? おぉ!?」


「認めます、認めます、認めます!!!! 貴女様があの偉大な魔術師――アニエス・シュタウヘンベルク殿であると認めます!! ですから、あの隕石を――」


 必死の形相でリタをなだめ続けるレオポルド。

 今やそこには、居丈高に人を小馬鹿にするような普段の態度は微塵も見られなかった。




「はぁはぁはぁ……少し興奮しすぎましたわ。お見苦しいところをお見せして、大変失礼いたしました……」


「はぁはぁはぁ……い、いいえ、もとはと言えば、私の失言が原因ですから」


「ま、まぁ、いいですわ。今日はこのくらいにして差し上げますわ。けれど、次はもうありませんわよ。いいですこと?」


「で、できるだけ気を付けます」


「あ゛ぁ!? できるだけ!?」 


「す、すいません!! 二度と申さないと誓います!!」


 必死にリタをなだめすかし、すんでのところで人類滅亡の危機を回避したレオポルドだったが、その後もリタの扱いに難儀していた。

 見た目は10代半ばの少女でしかないのに、内面に息づく精神はまさに老練な魔術師のそれだ。

 それどころか、聞きしに勝る偏屈さと気の短さは想像以上だった。

 

 初めこそ愛らしい見た目に騙されて小馬鹿にしていたが、今思えば薄氷を踏むが如き危うさだったのだと、今さらながらにレオポルドは気付かされてしまう。

 そしてふと、大変なことに思い至る。


 魔女アニエスは魔王討伐の際に行方不明になってしまい、今もなおその行方は知れない。

 これは広く市井に広まる常識ではあるが、実は転生して生き延びたともよく耳にする。

 さらに一部の王族や国の重鎮のみが真実を知っているとの噂もある中、レオポルドは偶然その秘密を知ってしまったのだ。


 これまで真実が明るみに出ていなかったのは、もちろん意図的に隠していたからに他ならない。

 つまりそれは国家機密とも言える重要事項であるのに違いなく、偶然とは言え、もしもそれを知ってしまったとなれば――

 


「ごくり……」


 そこまで考えが及んだレオポルドは、思わず唾を飲み込んだ。

 そして真っ青な顔でリタに問う。


「あ、あの……念のために伺いますが、一体どれだけの者が貴女様の正体をご存じなのでしょうか?」  

 

わたくしの正体を……? そうですわねぇ……恐らくブルゴーではエルミニア女王陛下とケビン王配殿下、そして先王アレハンドロ殿下くらいかしら。その他の重鎮たちもわたくしがハサールに潜伏していることはご存じのようですけれど、詳しくは知らされていないはず」


「そ、そうですか……では、ハサールは?」


「ハサールですと、我が弟子のロレンツォの他に魔術師が一人、そして信頼できるギルド員が数名と言ったところかしら。 ――それがどうかなさいまして?」


「いえ……その……真実を知ってしまった以上、もしや私は……」


 まさに戦々恐々としながらレオポルドが問うと、つらっとした顔でリタが頷く。

 しかしその仕草は何処か芝居じみていた。

  

「まぁ、当然ですわね。なにせこれは最高機密ですもの。もしも口外されようものなら、わたくしの人生は目茶苦茶めちゃくちゃ。 ――いったい誰がこんな200歳オーバーのばばあとなんて結婚したがりますの? 愛しのフレデリク様との婚約は破棄され、娘の正体を知った両親は嘆き悲しむ。それを思えば、ここで貴方を抹殺するのは当然のことですわ。 ――後の憂いは先に絶つ。それがわたくしの主義ですもの」


「ひぃぃぃ!!」


 ニヤニヤと笑いながら、それでいて相手を追い詰めるリタの言葉。

 それは己の嗜虐心を満たすための、悪趣味とも言えるものだった。


 その言葉に、レオポルドはじりじりと後退り始める。

 彼とても自他ともに認める実力派の一級魔術師ではあるものの、伝説の魔女――アニエスを相手にしては赤子同然だった。

 しかもあれほどの凄まじい魔法を見せつけられた以上、この場から逃げるなどまず不可能。



 あぁ……ここで死ぬのか……

 思えば本当に魔法漬けの人生だった。 

 『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』との噂を若い頃は馬鹿にしていたが、気付けば本当に魔法使いになっていた。


 もちろんそこに後悔はない。

 今では世界に数人しかいないと言われる無詠唱魔法も使えるようになったし、次期宮廷魔術師候補としても最有力視されている。

 

 しかし……せっかく身に着けた無詠唱魔法。その研究を今後も続けていきたかった。

 魔女アニエスのような偉大な魔術師になりたかった。


 そして……一度でいいから女性とお付き合いしてみたかった……



 などと考えながらレオポルドが己の死を覚悟していると、再びリタが話しかけてくる。

 変わらず顔には笑みがこぼれていたが、直前までの嗜虐的なものは消えていた。


「と、思っていましたけれど、やっぱりやめることにいたしますわ。その代わり、貴方にはわたくしの言うことを聞いていただきます」


「えっ……? 言うことを……?」


「えぇ、そうですわ。 ――いいですことレオポルド。この戦が終結すれば、間違いなくブルゴー、ハサール間には国交が生まれる。それどころか、友好国として深い絆で結ばれるのは間違いありませんわ。確かにアストゥリアを封じ込めるための政治的な思惑が透けるのは否めませんけれど、それでもこの二国は自由に行き来できるようになるのです」

 

「……」


「ですからレオポルド。貴方はハサールに留学しなさい。そしてわたくしから魔法を学ぶのです。 ――あの資料だけであそこまで無詠唱魔法をものにできたのですもの、このわたくしが直接指導すれば間違いなく偉大な無詠唱魔術師になれるはず。 ――貴方にはその才能がある。むざむざそれを潰すのは忍びないですわ」


「えっ……?」


「なんですの、その顔は。もしや理解できませぬか? わたくしはこのままハサールに骨を埋めるつもり。ですから貴方には、代わりにブルゴーをお願いしたいと申しているのです。 ――勇者ケビンとその子供たちを護り、そしてわたくしの祖国ブルゴーをお守りいただきたいのですわ」



 直前までと打って変わって、優しげな口調のリタ。

 顔には柔らかい笑みが浮かび、それを見る限り、決して出まかせを言っているようには見えなかった。

 しかし突然降って湧いたような提案に、さすがのレオポルドも返答に窮してしまう。

 するとリタは、突然口調を変えた。


「だがしかし!! もしもお前がこの話を蹴るのであれば、わしはこのままお前を消す!! たとえ受けたとしても、少しでも余計なことを申してみよ。この話を反故にするのはもちろんのこと、この世の果てまで追い詰めてでも必ずやお前を消してやる!! ――見てみよ、あのマンティコアの群れを!! あれをお前に向けて解き放つからな、覚悟せぇ!!」


「ひぃぃぃ……わ、わかりました!! そ、その提案を受け入れます!! いや、むしろ喜んで従いましょう。 ――唯一尊敬する偉大な魔術師、アニエス殿から直接指導を受けられるとあらば、正体を口外しないなど、それこそお安い御用!! 必ずや墓まで持っていくことを誓います!!」


 予想もつかない展開に戸惑いながらも、ついに提案を受け入れたレオポルド。

 その言葉からもわかる通り、決して彼は口外しないだろう。 

 直前までとは違い、希望に満ちた顔を覗かせながら今や笑みを浮かべる余裕すらあった。

 そんなレオポルドを眺めながら、小さくリタは呟いた。


「うふふ……ケビンと言い、レオポルドと言い、これでもうブルゴーは完全にわたくしの支配下ですわね……」


「はい?」


「な、なんでもありませんわっ!!」




 そんな二人の背後では、変わらずブルゴーとカルデイアの戦闘が続いていた。

 とは言え、最早もはやそれは戦闘とも呼べるようなものではなかったのだが。

 するとその様子を見たリタが再び口を開く。


「さぁ、レオポルド。こんなところで油を売っていないで、そろそろ戦闘に参加した方がよろしいのではなくて? 殿下に良いところを見せられなければ、今後のハサール行きの話もできませんわよ」


「しょ、承知いたしました。それでは、少し暴れて参ります。 ――では」


 軽い会釈とともに歩き出そうとするレオポルド。

 その背中に向かって、最後にリタが声をかけた。


「ちょっとお待ちなさい。最後にひとつ教えて差し上げますわ。先ほどの鳩の魔獣――サブレですけれど、もう少し経ったら再び召喚してみるといいですわよ」


「えっ?」


「貴方は知らないようですけれど、こことは別の世界に生きる彼らは、こちらの世界で死ぬことはありません。再び召喚したなら、きっと元気な姿を見せてくれるはずです。ぜひ試してごらんなさい」


 見惚れるような笑みとともに、そう告げるリタ。

 するとレオポルドに再び笑みが戻る。

 

「……ありがとうございます。重ね重ね貴女様には礼しか申し上げられません。 ――それでは殿下に名を売ってまいりますので、また後ほどお会いしましょう」


 そう告げながら戦闘に飛び込んでいくレオポルド。

 今やその顔に、悲しみは全く見られなかった。

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