第301話 鳩のサブレ
カルデイア大公国の首都、ベラルカサ。
人口80万を擁するカルデイア随一のこの都市は、一国の首都にしては少々
石畳は至る所が陥没し、街路樹は枯れ果て、住宅の壁には穴が開く。
住民生活に直結するため本来なら即座に補修されるのだろうが、一見した限り、どうやら何年も放置されているようだ。
もっともそれは無理もない。
俗に言う「第八次ハサール・カルデイア戦役」により背負わされた戦後賠償金が重く
今では住民への食糧配給の方が喫緊の課題であって、そもそも戦などする余裕すらないはずだった。
そんな荒れ果てた景観を横目で見ながら、粛々とブルゴー軍が行進していく。
周囲の建物には多くの住民がいるのだろうが、固く扉を閉ざしたまま全く姿を現さない。
それどころか、人の気配さえまるで感じられなかった。
郊外からもはっきりわかる
当初は敵の待ち伏せも警戒していたが、全く抵抗にあわないまま気づけば城の前に到着していたのだった。
「
「ふむ……そのようですな。見たところ、どうやら打って出る気はないようです」
「うーん……それは一体何のためだ? どこからも援軍を期待できない以上、籠城する意味はないと思うのだが。そもそもカルデイアは我々の倍近くもいるのだから、正々堂々と正面から戦えばいいものを。 ――何故に閉じこもる? さっぱり意味がわからない」
「まぁ、それだけ我らを――いえ、ケビン殿下を恐れているということなのでしょう」
そして横には参謀ルッカと助っ人魔術師のリタ。
その他にも軍の幹部連中が幾人もいるのだが、皆一様に渋い顔をしていた。
それは何故なら、誰がどう見てもライゼンハイマー城が難攻不落に見えたからだ。
なみなみと水で満たされた広く深い堀で城を取り囲み、四方に一箇所ずつある出入り口の跳ね橋は当然のように引き上げられていた。
見る限り船を使う以外に近付くことさえ儘ならないが、それだと城壁上から矢を射掛けられてしまう。
かと言って空を飛ぶわけにもいかないし、堀の水を抜く方法も思いつかない。
そんな状況に参謀連中が頭を悩ませていると、レオポルドがリタに話しかけてきた。
「おい、リタ嬢。これをどう見る? この状況では歩兵は使い物にならないだろう。なにせ城に近付くことさえ叶わぬのだからな」
「あら、レオポルド様。そういう貴方様にはなにか策でもありまして? 随分と自信がお有りのようですけれど」
背筋を伸ばし、胸を反らして腰に手を当てながらリタが答える。
その顔には変わらぬ薄笑いが浮かんでいた。
そんな彼女にレオポルドが自信有りげな顔をした。
「ふふふ……当たり前ではないか!! 魔術師とは後方支援要員とのイメージが強いが、このように兵が使い物にならぬ時にこそ真価を発揮するのだ!! ――いまこそ我ら魔術師が主役になる時!! そしてその存在を陛下に知らしめるのだ!!」
「……随分と威勢がいいですわね。
「ふははっ!! そう、そのとおりだ!! 確かに出入り口の扉を兼ねているあの跳ね橋を魔法で吹き飛ばすこともできるだろうが、如何せんその後が続かん。 ――なにせ、兵たちは水の上を歩けないからな」
「まぁ……そうですわね。ですから、外から扉を吹き飛ばすのは却下ですわ。それこそ敵の思うつぼ。ならばなんとか内側から跳ね橋を下ろさせなければいけないのですけれど……そこがまた難しいですわね」
「そう、そこだ!! まさにそれこそが重要なのだ!! ふふふ……聞いて驚け……我に秘策あり!! ――いいか待っておれ。これから殿下に我が秘策を授けてくるからな!!」
そう告げるとレオポルドは、クルリと勢いよく身を翻す。
そして脱兎のごとく駆け出したのだった。
「ちょ、ちょっと!! その作戦とやらを
一体その自信は何処から生まれるのだろうか。
まさにその策が最善とばかりに自信を漲らせながら、レオポルドは勇んでケビンに駆け寄ったのだった。
「――というわけで、私が内側からあの入り口を開けてご覧にいれましょう。さすれば兵たちも突入できるかと」
「随分簡単に言うが……そんな簡単にいくものか? 話を聞く限り、中々に難しそうだが……」
「いえいえ、ここは
「……わかった。それではやってみせろ」
「はっ!!」
自信満々に秘策とやらをケビンに説明するレオポルド。
しかしケビンの顔には胡乱な表情が浮かぶ。
何処か胡散臭いものを見るような視線に晒されながら、それでもレオポルドは天に向かって両手を突き出した。
「えぇーゴホン!! あー、あー……よしっ。 それでは失礼して――我、汝を呼び出さん。
朗々と響き渡るレオポルドの呪文詠唱と、両手から放たれる光の渦。
まるで流れるような動きと声は、彼がこの呪文を唱え慣れていることを表していた。
突然呪文を唱え始めたレオポルドに皆が興味深げな視線を向けていると、突如
それは――鳥だった。
人の頭ほどの胴体に、広く大きな羽を持つ一羽の鳥。
とは言え、決してこの世のものではないらしい。その証拠に全身に淡い光を纏わせて、
「ぽろっぽー」
「おお、サブレよ。久しいな。今日はお前に頼みがあって呼び出したのだ。聞いてくれるか?」
「ぽろっぽー」
「あぁよしよし……ところであの城が見えるか? お前はこれからあそこに飛び込んで、中から扉を開けるのだ。 入り口の扉を吊り上げているロープを燃やせ――できるな?」
「ぽろっぽー」
「そうかそうか、それは頼もしいな!! 期待しているぞ!!」
突如宙から現れたかと思えば、妙にレオポルドと親しげな鳥。
いや、正確に言えばそれは鳥ではなく、鳩によく似た召喚獣だった。
どうやら彼は基礎的な無詠唱魔法を駆使する以外にも、召喚魔法も使えるらしい。
何処か得意げにチラチラとリタの顔を見ながら、鳩のような魔獣――サブレの頭を優しく撫でた。
そんな召喚獣の出現に驚きながら、ケビンが問う。
「レオポルドよ。見たところあまり強そうには見えないのだが……本当に大丈夫なのか?」
「お任せを。こう見えてサブレは、対魔法防御に非常に優れた特性を持っているのです。故に敵の魔術師の攻撃などまるで寄せ付けません。そして口からは炎の弾を吐くことができるのです。 ――確かに矢を射掛けられれば危険かもしれませんが、飛ぶ鳥を落とすなどそう簡単にできることではありませんから」
「そ、そうか……」
「はい。それではこれからサブレに扉のロープを燃やさせます。 ――よし、準備はいいか、サブレ?」
「ぽろっぽー!!」
「よしっ!! いけっ!!」
合図とともに大きな鳴き声を上げると、サブレは大きく羽ばたきながら瞬く間に天へと登っていく。
色も大きさもまさに「ザ・鳩」といった趣のサブレではあるが、全身に光を纏わせた神々しいまでの姿は、確かに普通の鳩ではないと思わせるものだった。
そんなサブレが城の上空を数度旋回すると、そのまま急降下する。
そして――矢に射抜かれた。
「ぽろっぽーっ!!!!」
「サブレー!!!!」
城の弓兵から首に矢を受けたサブレは、錐揉み状に回転しながら堀の中へと落ちていく。
その姿を見つめながら、レオポルドは悲鳴を上げ続けた。
「うあぁー!! サブレー!! 俺のサブレがー!!!!」
「ぽろっぽー!!!!」
果たして召喚主の声が聞こえているのか、いないのか。最後にサブレは一際大きな鳴き声を上げると、眩い光とともに姿を消したのだった。
「……」
「……」
「……」
一瞬の出来事に、
果たしてここでなんと言うべきか誰もわからぬまま、何処か気まずい空気が漂ってしまう。
サブレの名を叫びながら堀に飛び込もうとするレオポルドを抑えつけながら、幹部たちは叫んだ。
「くそっ、失敗だ!! 口では大層なことを言っておきながら、なんだ、この体たらくは!!」
「秘策があるからと聞いてみれば、一体これはなんだ!?」
次々に口汚くレオポルドを罵しる幹部たち。
しかし彼らにしてもその代案を示せといわれても困ってしまう。
事実、何気にジトッとしたケビンの視線を受けた彼らは、王配の言わんとすることを理解すると一斉に口を
サブレの名を叫びながら泣き続けるレオポルドと、バツの悪そうな顔をする幹部たち。
そんな部下たちを一瞥すると、
「リタ嬢、ご覧の通りだ。恥ずかしながら我々は行き詰まってしまった。じっくりと時間をかけて攻略してもいいのだが、なにぶんそう潤沢に時間もない。 ――そこで伺うが、貴女ならこの状況を如何する? どのように城攻めをされる?」
他国からの助っ人とは言え、たかだか伯爵家令嬢のリタに丁寧な言葉を使う王配ケビン。
物腰は柔らかく、顔には笑みさえ浮かんでいた。
するとリタは突然話しかけられたにもかかわらず、驚きもせず答えた。
「そうですわねぇ……皆様も仰る通り、このままでは城に近付くことさえ儘なりませんわ。深い堀に隔たれて、入り口という入り口の跳ね橋は全て引き上げられていますもの。無理に近づけば矢を射掛けられ、攻撃魔法が飛んでくる。 ――結局は中から扉を開けるしかないのでしょうけれど、それはまず不可能」
「……」
「ならば答えはひとつですわ。我々が開けるのではなく、カルデイアの皆様自らに開け放っていただくしかありませんわね」
「……そんなことができるのか?」
「えぇ、簡単ですわ。ときに殿下。
「アラゴン掃討作戦……アラゴン……あぁっ!! も、もしかしてそれは――」
驚きを隠せないケビン。
必死に何かを言おうとするのだが、言葉が詰まって中々出てこない。
そんなケビンに向かって、リタはこれ以上ないほど妖艶な笑みを見せた。
「先程レオポルド殿がサブレを召喚しましたけれど、実は私も召喚魔法は得意ですのよ。もっとも彼は鳩がお好きのようでしたけれど、
「ま、まさか……それは……」
「うふふ。さすがに王配殿下ですわ。お察しがよろしいですのね。 ――ここだけの話ですけれど、実は
「……」
「ですから、少し多めに呼び出そうと思いますの。その名も――」
「ごくり……」
「101匹マンさん、をね」
特徴的な細い眉を吊り上げて、透き通る灰色の瞳を細め、紅く小さな口でこれでもかと弧を描く。
思わず見惚れそうになるほどの美しい笑みにもかかわらず、そこには嗜虐的とも言える表情が隠されていた。
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