第298話 売り言葉に買い言葉

「『ベストオブ老害』……まさにこれに尽きるな」


 この言葉から始まったレオポルドのぼやき。

 しかしその裏には、偉大な魔術師に対する深い敬意が透けて見えた。

 その証拠に顔には笑みが溢れており、決して悪口を吐いているようには見えなかった。

 

 それがわかっているからこそ、リタはどうしていいかわからない。

 脊髄反射のように盛大に喚き散らしたいのはやまやまだが、ここでキレても全く意味不明だろうし、だからと言って華麗にスルー出来るほどお人好しでもない。


 最早もはやそこには貴族社会で鍛えられた顔芸など微塵も見られず、ただひたすらに歯を食いしばる少女がいた。

 眉間には深いしわが刻まれて、特徴的な細い眉はキュッと吊り上がる。

 灰色の瞳は鋭く細められ、小さく白い手はプルプルと小刻みに震えていた。



 こ、堪えるのよリタ!!

 この男はアニエスのことを言っているだけじゃない!!


 わ、私はリタ!! リタなのよ!!

 アニエスではないわっ!!

 だ、だからここで腹を立てるだなんて、全くのお門違いなのっ!!


 る……るんるんららるる、らんらんらん――

 らんるんらん――


 うふふふぅ――

 あはははぁ――


 今日もお花畑はとっても綺麗ねぇ――



「ぐぬぬぬ……むふぅ……」 


 必死に頭の中にお花畑を思い描きながら、何とか気を静めようとするリタ。

 ギリギリと奥歯を噛み鳴らし、強く握りしめた掌には爪が食い込む。

 白磁のような頬は真っ赤に染まり、プラチナブロンドのドリル髪が細かく揺れた。


 そんな明らかに常軌を逸したリタの様子に、再びレオポルドが胡乱な顔をする。


「リタ嬢……そのような顔をされて……いったい如何された?」


「……な゛、な゛んでもあ゛りませんわ゛っ。お゛、お気になさらずっ!!」


「い、いや、しかし……」


「はぁ、はぁ、はぁ……と、ところでエスピノ様……アニエス殿の残した無詠唱魔法はどうなりましたの? 幾らか解析できましたの?」


 怒りを必死に我慢しながら、突然話題を変えるリタ。

 明らかにそれは不自然だったが、鬼気迫る様子に気圧されてしまい誰も何も言えなかった。

 するとレオポルドの瞳がキラリと光る。


「おぉ、よくぞ訊いてくれた!! 実はアニエス殿が残した文献から、無詠唱魔法の基礎が解析されてな!! 実際に幾つかの魔法を発動できるようになったのだ!!」


「そ、そうですの……それはおめでとうございます。ちなみにエスピノ様もお使いになれますの? その無詠唱魔法を」


「ふふふ……当たり前ではないか!! なぜ私が次期宮廷魔術師候補の筆頭と言われていると思うのだ? 他の誰にも使えない無詠唱魔法が行使できるからに決まっているだろう!!」


「それは凄いですわ!! 世界に数名しかいないと言われる無詠唱魔術師。その一人があなただったとは!!」


「ふははははっ!! そうだ!! 私はその内の一人なのだよ!! もっと驚いてくれてもかまわんぞ!?」



 ドヤ顔とはまさにこれを指すのだろう。

 そう思わずにはいられないほど得意満面になりながら、思い切りり返るレオポルド。

 その彼を周囲の魔術師たち(取り巻きとも言う)も一緒になってはやし立て、一種独特の雰囲気を醸していた。


 しかしそこにリタが一石を投じる。


「お言葉ですけれど、無詠唱魔術師であれば我がハサール王国にもおりますわよ。の有名な王国魔術師協会のナンバー2、ロレンツォ・フィオレッティが」


「あぁ、あの隻腕の無詠唱魔術師か。あまりにそれは有名だな。 ――実を言えばの御仁とは一度会ってみたいと思っていたのだ。この戦役が終わればハサールとは国交を結べそうだし、私も次期宮廷魔術師として彼に――」


 ふむふむと頷きながら遠くを見つめるレオポルドに、途中でリタが口を挟む。

 顔には怪訝な表情が浮かんでいた。


「あの……伺いますけれど、エスピノ様はロレンツォ殿をご存じなのでは?」


「いや、会ったことはないな。かねてから彼とは一度魔法談義をしてみたいと思っていたのだが、国交がない以上それは難しかろう」


「お会いしたことがないって……つい先日までここにいたではありませんか。まさかご存じなかったとでも?」


「……なにぃ!! ここにいただと!? それはどういう――」


「いえ、ですから……わたくしの仲間として中年の男性魔術師がおりましたでしょう? 隻腕の――」


「あぁ、あれか!? か、彼がそのロレンツォ・フィオレッティだったというのか!!!! な、なぜ教えてくれなかった!? 隠していたのか!?」


「隠していたって……それは聞き捨てなりませんわね。同じ魔術師同士なのだから親交を結べばよろしいですのに、距離を置いていたのは貴方様方ではありませんの。それを今さら咎められても困りますわ」


「ぐぬぬぬ……」


「まぁ、いいですけれど。それで自慢するわけではありませんが、彼の無詠唱魔術はそれはそれは凄いものでしてよ。機会があれば一度お見せしたいものですわ。 ――ちなみに彼は、このわたくしの師匠ですの。あしからず」


 最後にさりげなく付け加えられた言葉に、レオポルドの両目が見開かれる。

 そして信じられないものを見るように、目の前の少女を見つめた。



「師匠だと!! な、ならば問うが……まさか貴女も無詠唱魔術を使えると言うのか……」

 

「うふふ、おかげさまで。なにぶん師匠に恵まれたのと、わたくし自身の素質もありまして、かねてより無詠唱魔術師の仲間入りを果たさせていただいておりますわ。もっとも広く公表しておりませぬので、ご存じないのは当たり前ですけれど」


 驚くレオポルドに多少の溜飲を下げられたのか、今度はリタがドヤ顔をする番だった。

 そして周囲の魔術師たち(取り巻きとも言う)が騒めき始めるのを眺めながら、腰に手を当てて勢いよく鼻息を吐く。

 月の明かりに照らされて、その姿はまるで森の妖精のように見えた。



 そんなリタに向かってレオポルドが問う。


「そ、そうか……ならばその無詠唱魔術をここで見せてくれぬか? ぜひ貴女の実力を拝見したい」


「大変恐縮ですけれど、謹んでお断りいたしますわ。だって見せろと言われて見せられるほど、わたくしの魔術は安くはありませんもの。貴方様だってそうではありませんの?」


「ぐぬぬ……し、しかし、同じ無詠唱魔術師として、見聞を広めたいとの思いは貴女も一緒なのでは――」


「見聞と仰いますけれど、ならば一つ忠告いたしますわ。本当にそう仰るのなら、そのように狭い世界に閉じ籠らずにもっと周囲に興味を持つことをお勧めいたします。 ――少なくとも相手が何者かくらい、多少は気にした方がよろしいですわよ」


 今やドヤ顔から見下した顔に変貌したリタを、凄まじい目つきでレオポルドが睨みつける。

 完全に痛いところを突かれてしまい、何も言い返せずに呻るばかりだ。

 それでも何とか言い返そうと必死に口を開いた。


「く、くそ……優しくしておればつけ上がりおって……いくら王配殿下の寵愛を受けているからと言っていい気になるなよ!! 恥を知れ!!」


「ちょ、寵愛って……い、いやらしいですわね!! 言っておきますけれど、殿下とわたくしには何もやましいところはありませんわ!! 確かにいつも殿下のお傍にいるように見えるかもしれませんが、それとて魔術師としての私を信頼なさってのこと。 ――身内であるにもかかわらず、貴方様にお声がかからないのはまさにそこなのではなくって?」


 突如表情を変えると、リタは早口にレオポルドを煽り立てる。

 するとレオポルドも、年甲斐もなく売られた喧嘩を買った。



「なんだと!! いい気になるなよ!! お前よりも俺の方が劣っているとでも言うつもりか!? 何を根拠に――」

 

「そんなもの、見ればおわかりなのでは? 貴方様ではなく、私を殿下がお傍に置くのは、魔術師としての実力を正しく評価されているからに他なりませんわ。悔しいお気持ちはわかりますけれど、そこは甘んじて受け入れるべきでは?」 


「ぐぬぬぬ……ならばわかった!! この先カルデイアとの決戦が控えているからな。その場で私とお前の実力の差を思い知らせてやろうではないか!! ――いいか、見ておれよ。必ずやお前に恥をかかせてやる!! 楽しみに待っていろ!!」


 売り言葉に買い言葉。

 しかしリタは、その言葉に一言も答えなかった。

 それでもその顔には、何処か不敵な笑みが溢れていたのだった。

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