第297話 暫しの別れと新たな出会い

「さぁ、皆様とはここで暫しのお別れですわ。これからわたくしはケビン殿下とともにカルデイアの首都――ベラルカサへと向かいます。お借りした兵の方々がおります故、道中の危険はそう多くないとは存じますが、決して油断なきようお願いいたします」


 ジルが大怪我を負った5日後。

 遂にファルハーレン一行はブルゴー王国軍と別れる時が来た。

 ここから彼らはハサール王国のある北東方面へ、そしてブルゴー軍はカルデイアの首都を落とすために西へと舵を切る。


 そんなアビゲイルたちの今後の危険を慮ったケビンは、かねてからの約束通り一個中隊を貸し与えた。

 とは言うものの、もちろんそれはタダではない。

 本国からの増援も絶えて久しいブルゴー軍。そこから貴重な戦力を割いてもらう代わりに、リタが同行を申し出たのだ。


 ケビンはその条件を二つ返事で了承した。

 それは何故なら、単純に戦力として考えた場合、歩兵の一個中隊よりもリタのほうが何倍――いや、何百倍も有益だったからだ。



 先の戦いからもわかる通り、ケビンの強さは最早もはや常人の及ぶ域ではない。

 しかしそれは対個人戦闘に特化されており、軍による集団戦闘ではその強みを生かしきれていなかった。

 精々が魔力を込めた剣で広範囲に敵を切り裂く程度で、それとて魔力が切れてしまえばそれきりだ。

 

 さらにゲルルフとの一戦で見せたようにケビンのスタミナは底なしに見えるのだが、もちろんそれも無限ではない。

 如何に常人離れしているとしても、彼も人間である以上息も上がれば疲れもする。

 そのうえ魔力が尽きてしまえば、勇者と呼ばれる彼であっても普通の人間と大差なかった。

 

 それに対してリタ――アニエスの専門は攻撃と広域殲滅魔法だ。

 さらに得意の召喚魔法を駆使すれば一対多を最も得意とすると言っても過言ではなく、この先の首都攻略を鑑みれば彼女の力こそ必要と言えた。

 小柄で華奢(しかし巨乳)な、まさに深窓の令嬢にしか見えないリタではあるが、なによりその実力はケビンが一番理解していたのだ。




 ケビンなど主だったブルゴー軍の幹部たちが見送る中、緩々ゆるゆると街道を逸れていくファルハーレン一行。

 そんな中、次々とリタに向かって仲間たちが暫しの別れを述べていく。


「あぁ、リタ嬢……またしてもわたくしたちのために貴女が犠牲になってしまうのですね。それを思うと、この胸は張り裂けそうです……必ずや再び元気な姿をお見せくださいませ」


 と、アビゲイル。


「リタ嬢、色々とありがとう!! 先にハサールのお祖父様のところで待ってるね!! 早く帰ってきて!!」


 と、ユーリウス。


「おう、リタ!! 絶対に無茶すんじゃねぇぞ!! お前のことだから心配なんぞしてねぇが……いいか、必ず無事に帰ってくるんだぞ!! そして俺とエミリエンヌの結婚式に出席するんだからな、わかったか!!」


 と、ラインハルト。


「リタ様。本来なら僕もご一緒したいところなのですが……なにぶん状況が許さないものですから。大変申し訳ありません」


 と、ロレンツォ。


「リタ様。この遠征ではとても勉強させていただきました。一日も早くチェス夫人のような偉大な治癒魔術師になれるよう、ひたすら努力する所存です。その成果をお見せしますので、必ずや無事にお戻りください」


 と、ルイ。


「ジルには僕がついていますから、どうかご安心を。再びそのお姿が見られる日を楽しみにお待ちしております」


 と、カンデ。


 思い思いに別れの言葉を告げながら、名残惜しそうに去っていく仲間たち。

 すると最後に、やっと歩けるようになったジルがよろよろと歩み寄ってくる。



「リタ様……俺は護衛のために来ていたはずなのに、思えば逆に助けられてばかりでした。命を助けられ、この先の道まで示していただいたことは、本当に感謝してもしきれません。 ――と申しつつも、非常に心苦しいですが先に国へと帰らせていただきます。そして貴女様の帰還を心からお待ちする所存です」


「ありがとう、ジル。しつこいようですが、くれぐれもアビゲイル様たちをお願いしますわね。わたくしの代わりに全力でお守りして、必ずや国王陛下のもとへ無事に送り届けてくださいませ。 ――それとジル、覚悟しておきなさい。わたくしは一度ここで別れますけれど、必ずや国へ帰ると約束します。そして貴方の今後を見届けますから、どうかそのつもりで」


「は、はい、承知しました。それではお気をつけて。暫しの別れを」


「えぇ。それではジル、再び相まみえる日まで――ごきげんよう」


 以前とは違い、しっかりとリタの顔を見て話ができるようになったジル。

 その姿には明らかな心の変化が見て取れて、今や何も心配なさそうだった。

 微笑むリタに会釈を返すと、ジルは馬車に飛び乗る。そして姿が見えなくなるまでずっと見つめ続けたのだった。

 



 ――――




 仲間たちと別れたリタは、ブルゴー軍の幹部連中と行動を共にするようになった。

 それは彼女が王配ケビンの客人という立場に加え、他国とは言え一応は伯爵家令嬢という身分を慮った結果の措置なのだが、当然それを面白く思わない連中もいる。


 その筆頭がブルゴー王国から派遣されていた魔術師連中だ。

 中でも特に鼻息の荒いのが、ブルゴー王国魔術師協会の一級魔術師にして次期宮廷魔術師候補、そして同時に伯爵家当主も務めるレオポルド・エスピノだった。


 この40代半ばの男性魔術師は、他国の魔術師であるリタに対して敵対心を隠そうともしない。

 同じ魔術師同士であるのに積極的に関わろうとしないのはもちろんのこと、他の魔術師たちにもリタと親しくしないように言明するなど、その言動は傍から見てもやりすぎに見えた。

 

 もっとも彼の気持ちはわからなくもない。

 やっと本国から派遣されてきたレオポルドは名を売ろうと躍起だった。

 王配ケビンの前で目覚ましい活躍を見せて、次期宮廷魔術師の座を手繰り寄せようと必死だったのだ。


 その矢先にファルハーレン公子の誘拐騒ぎが起こった。

 しかし勢い込んで駆けつけてみれば、とっくにリタが解決した後だった。

 それだけでも面白くないというのに、肝心のケビンはリタばかり贔屓ひいきして全く自分を見てくれない。


 普段の会話のみならず、作戦立案や軍議にいたる全てにおいてケビンはリタを推そうとする。

 ロリコンとの噂もある勇者が意図的に美少女を優遇したくなる気持ちもわからなくもないが、それにしても度が過ぎていた。


 次期宮廷魔術師候補との呼び名も高いレオポルドを差し置いて、全てにおいてリタが優遇される。

 挙げ句にその他の有象無象と一緒にされて、異常にプライドの高いこの男が面白いわけがなかった。




 それはある日の夕食時だった。

 仲間の魔術師たちと一緒にレオポルドが食事を摂っていると、背後から近づいてくる者がいた。

 ふと振り向くと、まるでドリルのようなプラチナブロンドの縦ロールと灰色の瞳が目立つ、およそ戦場には似つかわしくない10代半ばの美少女。


 もちろんそれはリタだった。

 恐らく一緒に食事がしたいのだろう。片手に料理の皿を持ち、ニコニコと人好きのする笑みを湛えながら近づいてきたのだ。

 そして話しかけてくる。


「皆様ごきげんよう。突然失礼いたします。 ――もうとっくにご存知だとは思いますが、わたくしはハサール王国にて二級魔術師を拝命しております、リタ・レンテリアと申します。以後お見知りおきを」


「……なにか御用で?」


 他国の者とは言え、仮にも伯爵家令嬢でもあるリタに向かって必要以上にぶっきらぼうに返すレオポルド。

 まるで隠すつもりもなく――いや、むしろ見せつけるかのようにその顔に不快感を滲ませた。


 しかしリタは、そんなことなど気にしない。

 前世で100年以上、そして今世でも10年もの長きに渡って魑魅魍魎ちみもうりょう跋扈ばっこする貴族社会で生き残ってきたリタは、決して本心を顔に出さなかった。


 顔芸のできない者は貴族社会で生きていけない。

 そのためリタは――内心はどうであれ――この段階でポーカーフェイスを崩すなどあり得なかった。

 そんなリタが、変わらず微笑みを浮かべながら口を開く。


「同じ魔術師同士なのですもの、せっかくですから仲良くさせていただこうかと思いまして。 ――わたくしもご一緒させていただいてよろしいでしょうか? それともお邪魔でしたかしら?」


「いえ……どうぞこちらへかけていただければ」


 『よろしいでしょうか?』などと丁寧に伺っておきながら、決して相手に断らせない貴族特有の傲慢さ。そして本心を包み隠す上辺だけの笑み。

 その両方を慣れた仕草で見せつけるリタと、苦虫を噛み潰したような顔のレオポルド。

 そんな両者の視線が一瞬交差したものの、特にそれ以上言及されることはなかった。



「ありがとうございます。突然お邪魔しまして失礼いたしました。わたくしも魔術師の末席に身を置く者として、ぜひ他国の魔法事情を聞いてみたくなりましたの。それで失礼を承知でお声がけさせていただいた所存ですわ」


「魔法事情……だと?」


 思わず胡乱な顔を返してしまうレオポルド。

 しかしリタは全く気づかぬふりをしながら話し続ける。


「えぇ。ご存知のようにハサールとブルゴーには国交がありませんので、中々こちらには貴国の情報が入ってこないものですから。それでお話を聞きたくて」


「……して、どのような?」


「今から10数年前、当時の宮廷魔術師――アニエス・シュタウヘンベルク殿が行方不明になりましたけれど、その後はどうなりましたの?」


「あぁ、先々代の宮廷魔術師か。知っての通り、彼女は魔王討伐の折に行方不明になったままだな。噂によればハサールに転生して今も潜伏し続けているとも聞き及ぶが……詳細は不明だ。 ――ハサールといえば貴女の国ではないか。貴女こそ何か知っているのではないか?」


「いえ。残念ながら噂以上のものは存じ上げませんわ。 ――ところでわたくしがお訊きしたいのは、そのアニエス殿が残した研究資料などがどうなったかということですの。わたくしも魔術師の端くれですから、彼女が残した研究結果をどこまで解読できたのか興味がありますのよ」


「ははぁ……それか……」


 返事とともに表情を緩め始めるレオポルド。

 どうやら彼はこの話題が嫌いではないらしく、直前までの不機嫌そうな表情を消し去ると訊いてもいないことまで勝手に語り始めた。



「アニエス・シュタウヘンベルク!! 100年以上にも渡り我がブルゴー王国に君臨し続けた伝説の宮廷魔術師にして、稀代の魔術研究者。そしてあの魔王討伐を成し遂げた英雄。 ――その存在はまさに至高といっても過言ではない!!」


「そ、それほどまでに優れたお方だと?」


「あぁ、そのとおり!! 彼女こそ魔術師の中の魔術師。我がブルゴー王国の魔術師であれば、誰もが目標にするお方だ」


「い、いやぁ、それほどでもないがのぉ……もっと言え」


「えっ?」


「な、なんでもありませんわ!! おほほほっ!! そ、それで、彼女の残した研究はその後どうなりましたの?」


「あ? あぁ……あの膨大な研究結果を記した書物だが、今は国立魔術研究所に保管してある。そして日々その解読が行われているところだ」


 などと、言わば国家機密ではないかと思われることまでベラベラと喋り続けるレオポルド。

 さすがにそれには他の魔術師たちも苦言を呈したのだが、それすら無視して話し続ける。



「そしてその研究に当たっているのが、誰あろう……この私なのだ!! どうだ? 凄いと思わんかね!? ――もっと驚いてもらっても構わんのだぞ!?」


 偉大な魔術師である、アニエスの残した膨大な研究資料。

 それを解読する任に当たっているのが自分だと、まさにドヤ顔で自慢し始めたレオポルド。

 しかし当のリタにしてみれば、自分の書いた日記を他人に解読されているようで決して気分の良いものではない。

 その証拠に次第に彼女の眉間にはシワが寄り始めていた。


 それでもリタは、つらっと質問を続ける。


「それで……なにか成果はありまして? アニエス殿の資料は解読できましたの?」


「それがなかなか。やっと最近全体の一割程度が翻訳できたところだ。なにせ彼女は有名なひねくれ者だからな。すべての文が暗号化されているうえに、さらに読めないほどの悪筆が鏡文字のようになっているのだ。一文を解読するのに3日はかかる」


「ほ、ほぅ……有名な……ひねくれ者……ですの? それはなかなか聞き捨てならない――」


「あそこまでこじらせた御仁は、さすがの私も見たことがない。私も若い頃に一度会ったことがあるが、噂に違わぬ気難しいお方だった」


「そ、そんなに気難しいと?」


「そうだな。 ――ちなみにリタ嬢、の御仁の二つ名をご存知か?」



 その質問にリタの表情が緩む。

 そして何処か得意げに口を開いた。


「『ブルゴーの英知』。あまりにそれは有名ですわ。余人の及ばぬ広い博識と魔術に対する深い造詣。その二つ名は、遠くハサールまでも当然のように届いておりましたもの」


「あぁ……確かにその名もあるな。しかし私が言いたいのはそちらではない。それは――」


 ここで大きく息を吸い込むレオポルド。

 その姿に何か嫌な予感を覚えながらも必死にリタはポーカーフェイスを保ち続ける。しかし無意識に眉間に寄るシワだけは如何ともし難かった。


 そんなリタに向かって、苦笑交じりにレオポルドが告げた。


「『ベストオブ老害』……まさにこれに尽きるな。たとえ国王に対しても正論を振りかざし、曲がったことは一切認めない。そのうえ一度決めたことはてこでも変えようとしないのだ。 ――その恐れ知らずと頑固さは確かに頼もしい限りだが、皆から『老害』と言われるのもよくわかる」


「……」


「あれなら一生結婚できなかったのも頷けるというもの。寄り付く男など、恐らく一人もいなかっただろうな」


「……」


「とまぁ、それは一般論にすぎんのだが、とは言え今の私には中々に切実だ。まさに嫌がらせとしか思えない暗号といい、凄まじい悪筆といい……あれと日々格闘させられる苦労たるや――」



 今や完全にボヤきと化した言葉を吐きながら、それでも何処か嬉しそうに語るレオポルド。

 しかしそれを聞いたリタの顳顬こめかみからは、「ピキッ」と音が聞こえたような気がした。

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