第299話 裏切りと言う名の選択

 場所は変わって、こちらはカルデイア大公国の首都ベラルカサ。

 およそ350年に渡って栄えてきた西岸随一のこの都市は、国の屋台骨とも言える巨大な貿易港も兼ねている。


 とは言うものの、俗に言う「第八次ハサール・カルデイア戦役」で大敗を喫してからのこの10年、殆どその機能を失っていた。

 何故なら、それまで付き合いのあった交易相手が軒並み引き上げてしまったからだ。

 

 戦に負けたカルデイアは膨大な戦後賠償金を背負わされてしまい、それを原因として国内経済は荒れに荒れ、遂に破綻してしまう。

 さらに同時進行で交易の取り扱い量は減少を続け、ついに貿易港としての役目も果たせなくなってしまった。


 そこに目を付けたのが、東側一帯に広大な国土を持つアストゥリア帝国だ。

 典型的な内陸国であるアストゥリアは、全く海を持たない。

 そのため長きに渡って交易を陸路に頼ってきたのだが、近年それも頭打ちになってしまい、その解決策を模索しているところだったのだ。


 ちょうどその時、カルデイアの破綻が見えた。

 それと同時にカルデイア、ブルゴー間の戦が本格化するに至り、現アストゥリア皇帝――エレメイ・ヴァルラム・アストゥリアはどさくさに紛れてカルデイアの覇権を手中に収めようと目論んだ。

 しかし途中にあるファルハーレン公国に軍の横断を阻まれたのと、予想を上回るブルゴー軍の足の速さのためにすっかり後手に回ってしまった。


 本来ならブルゴー軍よりも先にカルデイアの首都を制圧しているはずだったのに、気づけばその後塵を拝していたのだ。

 それでもアストゥリア軍は、距離を置きつつ虎視眈々とブルゴー軍の背後を狙い続けていたのだった。




「えぇい、放せと言っている!! 一体なんのつもりで俺の邪魔をする!!」


「い、今一度、今一度ご再考ください!! この状況で陛下自らが打って出るなど、それこそ正気の沙汰とは思えません!! お願いでございますから、戦は兵たちにお任せください!!」


「何を言う!! あの・・ゲルルフですら討たれたのだぞ!! 最早もはやこんなところに閉じ籠っていてもどうにもならぬわ!! ――なれば最後に見事な死に花を咲かせてやろうと言っているのだ!! えぇい、邪魔をするな!!」


 カルデイア大公の居城――ライゼンハイマー城の一室に、幾つもの怒鳴り声が交差する。

 もちろん一人は大公セブリアン。そしてもう一人は宰相ヒエロニムス・ヒューブナーだ。

 そして他にも首都防衛隊隊長ヨハンネス・クレーマンや近衛騎士団長エルヴィン・メスナーの姿も見える。


 迫りくるブルゴー軍に対して、自らが打って出ると言って聞かないセブリアン。

 言葉は違えど皆それぞれに言っていることは同じだった。


「陛下!! だからこそ籠城すべきだと申しているのです!! 相手はあの・・魔王殺しサタンキラー』なのですよ!? そんなのを相手にまともに戦えるわけがありません!!」


「そうですよ陛下。漆黒の腕の首領でさえ、いとも簡単に斬り捨てられたのです。さらにヴァルネファー将軍が死んだのも、彼の隊が全滅したのも、全てケビンの仕業なのですから、そこに御身を晒すのは如何なものかと愚考いたします」


「ここは我らが何とかいたします故、こちらで陛下はどっしりとお構えいただければと存じます。必ずや敵を退けてご覧にいれましょう」

 

 それぞれがそれぞれの口調で何とかセブリアンを説き伏せようとするのだが、当の本人は全く聞く耳を持とうとしない。ただひたすらにケビンに対する罵詈雑言を吐き続ける。

 そんな些か常軌を逸した姿は、絶望的なこの状況下においてむしろ部下たちを冷静にさせたのだった。


 


『それほどケビンを殺したいと仰るならば、陛下の代わりに私が参りましょうか?』


 などと告げて自信満々に出て行ったゲルルフだったが、数日前に討ち死にしたとの知らせが入った。 

 どうやら彼は、勇敢にも勇者ケビンと一騎打ちを演じたらしい。

 しかし今一歩のところで力及ばず、最後には一刀のもとに斬り捨てられたと聞く。


 その他のメンバーも、ファルハーレンの公妃と公子を人質に取ろうとして失敗した。

 彼らは皆、ハサールからの助っ人魔術師に全滅させられたということだった。

 

 ゲルルフが首領を務める「漆黒の腕」は、諜報と暗殺を生業とする最強の秘密組織だ。

 にもかかわらず簡単に返り討ちにされた事実は、彼らの暗躍に一縷いちるの望みを抱いていたカルデイアを絶望の淵に叩き落してしまう。


 今や首都防衛隊以外には寄せ集めの兵しかいないカルデイア軍ではあるが、それでもブルゴー軍よりは多い。

 しかしその優位は、先のヴァルネファー将軍の惨敗やゲルルフ達の討ち死にの前には些か頼りなくも見えた。


 ここまで来たからには、最早もはや籠城しかない。

 固い城壁の中に閉じ籠って守りに徹すれば、如何なケビンと言えどそう簡単に攻略できないはずだ。

 なにより遠い異国の地で何か月も城攻めをする余裕などないだろうし、ブルゴー兵たちの疲労もそろそろ限界だろう。


 そのため、ひと月も持ちこたえられれば、間違いなく諦めるに違いない。

 そして援軍すら望めないブルゴー軍は、そのまま祖国へ帰っていくほかないのだ。


 そんな少々楽観的な思いに誰もが囚われた時、突如セブリアンが吠えた。



何奴どいつ此奴こいつもふざけやがって!! 言っておくが、俺は端から籠城するつもりなどないわ!! そもそも相手はあのケビンなのだぞ!? 奴を前にして城に閉じ籠るなど、そんなことができるか!!」


「し、しかし、相手は勇者なのですよ!? お言葉ですが、陛下が戦って敵う相手とは思えません!!」


「報告によれば、ブルゴー軍は攻城兵器を持っていないようです。ですから城内に閉じ籠れば時間を稼げます。そして相手の消耗を待つのです」


「やかましい!! 俺はこの手で奴を八つ裂きにすると、亡きジルダに誓ったのだ!! その好機を奪うというなら、誰であろうと容赦はせぬぞ!!」


 感情的に吠えまくるセブリアンは、最早もはや誰の言葉も聞こうとせず、憎悪のあまり焦点の合わなくなった瞳で周囲を威嚇するばかりだ。

 そんな国家元首の姿に誰もが危機感を募らせたその時、一人の男が進み出る。



 それは美しい銀髪が目立つ、ひょろりと背の高い美丈夫だった。

 年の頃は30代半ばだろうか。

 すでに中年と言われる年齢であるにもかかわらず、思わず目がいくような整った顔立ちと若々しい雰囲気の男は、近衛騎士団長のエルヴィン・メスナーだ。


 有力貴族メスナー侯爵家出身のエルヴィンは、コネや身分ではなく、実力でその地位を勝ち取っていた。

 剣の腕は大公国内でも随一と言われており、これまで公式試合では一度も負けたことがないほどの実力派だ。

 その彼が吠えまくるセブリアンの前に出てくると、おもむろに口を開いた。


「私とて愛する妻のいる身。ですから、ジルダ殿の仇を討ちたいと願う陛下のお気持ちは痛いほどわかります。そして個人的にはその願いを叶えて差し上げたいとも思うのです。 ――しかしそれとこれとは別のこと。貴方様は私人である以前にこの国の大公なのです。そのように私情を差し挟むのは如何なものかと」

 

「なんだと、メスナー!! よもや貴様まで俺に逆らうのか!? 貴様は俺の近衞隊の隊長ではないか!! なれば俺の言に従うべきではないのか!?」


「お言葉ですが、陛下。この状況で城から打って出るなど、それこそ常軌を逸していると言わざるを得ません。仰るとおり、陛下をお守りすることが私の使命であるならば、むしろそのめいには従えません」


 怯むことなく真正面からセブリアンを見据える様には、彼の近衛騎士としてのゆるぎない矜恃が透けて見えた。

 何と言われようとも、たとえめいに逆らうことになろうとも、主人の命を守り通すことこそ己の使命とわきまえる。

 

 そんな騎士団長の姿を、忌々しげにセブリアンは睨みつけた。



「きさまぁ……俺はお前の主人なのだぞ!! その主人が命じているのだ、言うことを聞け!!」


「……」


「これは好機なのだ!! 奴をぶち殺すための好機なのだ!!!! これを逃せば二度と奴を討つことなどできん!! とにかく俺を行かせろ!!!!」 

 

「……」


 だらしなく腹の突き出た中年太りのセブリアンは、お世辞にも強そうには見えない。

 さらに背が低く手足の短い体形は、およそ運動とは縁がなさそうだ。

 事実彼は幼少時から運動全般を苦手にしてきたし、そのせいで剣の腕もからきしだった。


 にもかかわらず、そのセブリアンが「魔王殺しサタンキラー」を討つなどと言っているのだ。

 それは全く説得力がないどころか、そのために城外に軍を展開するなどまさに自殺行為以外のなにものでもない。

 それがわかっているからこそ周囲の誰もメスナーを咎めようとはせず、ただひたすらに経緯を見守るだけだった


 どんなに怒鳴ろうが、なじろうが全く動こうとしないメスナーに痺れを切らすセブリアン。

 遂に彼は腰の剣を抜き放つと、自身の近衞騎士団長に突き付けた。


「貴様ぁ……てこでも動かぬというのなら、この剣で斬り捨てるまで!! さぁ、大人しくそこをどくか、このまま斬り殺されるか、好きな方を選べ!!」



 剣の重さすら支えきれずにプルプルと腕を震わせて、それでも必死に剣を突き付けるセブリアン。

 息は荒く、目は座り、涎が垂れそうなほど大きく開けられた口。

 その全てが常軌を逸した姿に小さな鼻息を吐くと、おもむろにメスナーが大声を上げた。


「皆の者、よく聞け!! 大公陛下がご乱心あそばされた!! 陛下を部屋までお連れするのだ!! ――いいか、決して手荒にするな!! 丁重にご案内するのだ、わかったな!!」


 その声を合図にして、部下の近衛騎士たちが動き始める。

 そして瞬く間にセブリアンの武装を解除すると、担ぎ上げるようにして自室へと連れ去ったのだった。


「き、貴様ら何をする、無礼者が!! 放せ!! おろせ!! 俺はケビンを殺さなければならんのだ!! そうジルダに誓ったのだ!! うおぁー、放せぇー!!!!」 



 次第に遠ざかっていくセブリアンの叫び声。

 それを聞いた宰相ヒューブナーが、何処か哀れむような、安堵したような複雑な顔をしていると、突然周囲を近衛騎士たちが取り囲む。

 皆一様に剣を抜き、有無を言わさぬ迫力に満ちていた。


 思わずヒューブナーが声も出せずに棒立ちになっていると、その前に首都防衛隊隊長ヨハンネス・クレーマンが立ち塞がる。

 身長180センチを軽く超えるこの大柄な軍人は、まるで威圧するかのように低い声で告げた。


「宰相殿。大変心苦しいのですが、陛下と一緒に貴方もここからご退場いただきたい。 ――この非常時、ここから先は我らが指揮をとる。申し訳ないが、これ以上貴方達には任せられない」


「な、なにをする、貴殿は正気か!? 幾ら非常時とは言え、国家の大事に陛下を蔑ろにするなど言語道断!! もしもの時には貴殿らは責任を取れるのか!?」


「責任……? ふふん、笑止だな。このまま籠城を続けていれば、我らは生き延びられる。にもかかわらず、外に打って出るなど正気の沙汰ではない。 ――それは先ほどから何度も申し上げてきたこと」


「し、しかし、それは陛下の采配だろう!! 貴殿らも陛下の忠臣であるならば、そのめいに従って――」


「言っておくが、我らはここであの・・陛下と心中する気はない。宰相殿は拘っておられないようだが、我らにしてみればセブリアン陛下などポッと出の部外者のようなもの。 ――確かにライゼンハイマーの血を引いておられるようではあるが、そこに忠誠を捧げられるかと問われれば甚だ難しいと言わざるを得ませんな」


 その言葉に思わずヒューブナーが周囲を見回していると、騎士団長メスナーと目が合ってしまう。

 するとメスナーは何とも言えない複雑な顔をした。

 


「宰相殿。これは我らの総意に他なりません。あなた方は気付いておられなかったようですが、今やこの場に陛下の忠臣はいないのです。とても残念なことですが、我らは我らが生き残る道を選んだまでのこと」


「お、お前たち何を考えている!? 籠城するにしても、打って出るにしても、どのみちこのままでは先も見えて――」


 そこまで言うと、ヒューブナーは突如ハッとしてしまう。

 それと同時に、凄まじい目つきでメスナーとクレーマンを睨みつけた。


「さ、さては、お前たち……アストゥリアと手を組んだな!? そうだろう!? ――このまま籠城を続けてブルゴー軍を釘付けにして、その背後をアストゥリアに襲わせるつもりだな!!」


「さぁ、なんのことやらわかりませんが」 


「それでもしブルゴーに勝ったとする。それでお前たちはどうするつもりだ!? よもやアストゥリアの犬にでも成り下がるつもりか!? それともこの地の統治を約束されたか!?」


「お好きに仰っていただいて結構です。どのみち我らは、ここで死ぬ気など毛頭ありませんから。 ――少しでも生き残れる道を選んだまでのこと」


「おのれぇ……謀反だ!! これを謀反と呼ばずに何とする!? お前たちは陛下を、そしてこの国を裏切るつもりか!! なんて奴らだ、恥を知れ!!!!」


 

 静まり返った室内に響く、宰相ヒューブナーの叫び声。

 しかしその声を遮ろうとする者は誰もいなかった。

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