第295話 変えられない過去

わたくしは一生貴方を赦さない!! これだけは絶対に曲げることができないわたくしの矜持!! これは貴方の業だと思って、死ぬまで背負い続けることね!!」


 まるで叩きつけるようなリタの言葉。

 これ以上ないほど眉を吊り上げ、普段は愛らしいれ目がちな瞳もこの時ばかりは鋭く細められる。

 人を殺せる視線とは、きっとこういうものを指すのだろう。

 そう思わずにはいられないほど、瞳には殺気がこもっていた。


 その瞬間、嫌でもジルは悟ってしまう。

 自分が何百、何千回謝ろうとも、決して彼女は心を動かさないであろうことを。


 これまでずっと無視されてきたために、正面から話をしたことはなかった。

 それでも機会があるごとに謝罪し続けてきたのだが、その度に拒否されてきたのだ。

 しかしここまで明確な拒絶は初めてだった。

 そのうえリタ自身の口から「一生赦さない」と告げられてしまった。


 その事実に愕然としたジルは、ガックリと肩を落として小さく呟いた。



「これ以上なんと言おうと貴女様の気持ちは変わらない……それは十分わかりました。 ――ならばもう謝るのはやめます」


「ふんっ、やっと理解したようですわね。それならば――」


「その代わり、やはり俺は姿を消します。せめてこの姿が貴女の視界に入らぬように、この遠征が終わり次第国を出るつもりです」


 卑屈な顔をしながらも、何処か決意のようなものを漲らせるジル。

 まるで淀みのない口調からは、彼の本気が垣間見えた。

 しかしそれを聞いたリタの様子が再び変わる。

 眉を吊り上げ、瞳を細めて睨みつけるのは変わらなかったが、さらにギリギリと音が聞こえるほどに強く奥歯を噛み締め始めた。


 抑えきれない怒りが顔に満ち、小刻みに震える両手からはパリパリと電気のようなものが爆ぜる。

 それでも彼女は必死に己を抑えつけながら、震える口を開いた。


 

「決して赦されないとわかっていながら、それでもひたすら謝り続ける。情けなく卑屈に、そして己を哀れむのをやめようともしない。 ――いい加減にしてくださいまし。いったい貴方はなんですの? よもや悲劇の主人公にでもなったおつもり? それとも、可哀想なご自身に酔いしれてでもいらっしゃるの?」


「そ、そんなことは――」


「敢えて申しますが、そんなものは謝罪でもなんでもない……単なる自己満足に過ぎませんわ!! それが透けて見えるが故にわたくしは貴方の顔など見たくないのです!!」


「リ、リタ様……」


「だいたいなんですの!? 俺は、俺はと、さっきからご自分のことばかり!! ――本来そうではありませんでしょう? もっと周りに目をお向けになったら如何ですの!? 自分がどれだけの人間に支えられているのか、貴方は考えたことがありますの!?」


「支えられている……?」


 その言葉に、思わずジルは胡乱な顔をしてしまう。

 確かに以前は次期東部辺境候として大勢の人間に支えられていた。それこそ上げ膳据え膳、朝から晩まで人の世話になっていたのだ。

 しかしあの・・事件以降全員が去っていき、結局誰一人残らなかった。


 以来自分は誰の世話にもならずに生きてきた。

 世話になったと言えば、精々パン屋の老夫婦くらいのものだろう。


 そんな思いに囚われたジルは、その表情を変えようとしない。

 しかしリタはそんなことなどお構いなしに話し続けた。



「なんですの、その顔は? まるで思い当たるフシがないとでも言いたそうですわね。 ――ならば訊きますが、貴方が騎士見習いになれたのは一体誰のおかげだと思ってらっしゃるの!?」


「えっ……? あ……そ、それは……ラインハルト様が……」


「そうでしょう? あのままでは一生パン屋で終わるはずだった。そんな貴方に彼が手を差し伸べてくれたのでしょう? さらに一人ぼっちの貴方に、友人としてカンデまでてがってくれた」


「……」


「けれど、見習いが正騎士に取り立てられるまで最低10年はかかる。それでは到底間に合わない。そう思ったラインハルト様は、敢えてこの遠征に貴方をねじ込んだのです。 ――貴方は知らないでしょうけれど、この人選は彼の苦労の結果なのですよ!!」


「そ、そんな……」


「姿を消すのは勝手です。確かにそれで貴方は満足するでしょう。だけどそんな結末のために貴方を導いたのではありません!! ――もしもそうなることがわかっていたなら、わたくしだって貴方を助けようだなんて思わなかった。あのまま見殺しにしていましたわ!!」


「うぅ……」


「チェスだってそう。あれだけの人物があれだけの魔力を消費させて、敢えて貴方を助けたのです。その理由をもう少し考えたほうがよろしいのではなくて!?」


「……」


「そんなものは押し付けだ、余計なお世話だと思うかもしれない。けれど貴方には生きてほしい、死んでほしくないと思ったからこそあの時わたくしは助けたのです!! ――貴方はこの想いすら踏みにじるおつもり!?」


 怒りと興奮のために顔を真赤にさせながら、ひたすら叫び続けるリタ。

 今やその瞳には涙が浮かび、少しでも気を緩めれば頬を伝いそうになっていた。

 それでも彼女は叫び続ける。

 まるでそうしなければ死んでしまうかのように、無心にその口を動かした。



わたくしが赦さないから、代わりに姿をくらます!? ふざけるんじゃありませんわよ、一体何様のおつもり!? そんなものただの逃げではありませんの!! 目の前の事実から目を逸らし、ただ楽な方に流れているだけですわ!! ――先程貴方は『何故あんなことをしたのかわからない』なんて仰いましたけれど、それだって気に入らない!! たとえ過去に仕出かしたことであっても、それは間違いなく自分でしたことでしょう? それを「わかりません」からと責任を放棄するだなんて、それこそ人間のクズのすること!! 普通の神経なら、そんなことなど口が裂けても言えないのではなくって!? ――過去の過ちは決してなかったことにはできない。大切なのはそれを受け入れた上で、これからどうするかではありませんの!?」


「リ、リタ様……も、もう十分に――」


「うるさいですわよ、黙ってお聞きなさい!! ――そもそもなんですの!? わたくしが赦してくれないですって!? そんなの当たり前ではありませんの!! 世の中に赦されることと決して赦されないことがあるくらい、5歳の子供だって知っていますわ!! それを赦してもらえないからと意固地になって姿をくらますとか、貴方どれだけこじらせてるのよ!! 厳つい猪みたいななりをしているくせに、そんな子供じみたことしたってちっとも可愛くなんかないわ!! ――あぁ、言っているうちにもっと腹が立ってきた!! だいたい貴方は、自分から事を起こしたことがありますの!? 最初から最後まで父親の言いなりになった挙げ句に、家を取り潰し、家族を失い、関係者全員を路頭に迷わせた。這々ほうほうていで行き着いたパン屋ではいつまで経ってもパンひとつ満足に焼けず、貴方を待っているアーデルハイト嬢は返事もせずに放置する!! 騎士見習いになれたのだって、ここに来れたのだって、見かねたラインハルト様が口を利いてくれたからだし、賊の一人すら倒せずに逆に殺されかけたのだって自分の責任でしょう!? いつもいつも人や時勢に流されて、何一つ自分から動こうとしない。そのくせ自己満足のためだけに人から赦されようとする!! いい加減その生き方を変えていこうなどと思いませんこと!? 頭が悪いと自分でもわかっているくせに、それを補う努力もせずに全てを腕力だけで解決しようとするからそういう目に合うのです!! ――あぁ、もういい加減にして!!!!」


「……」


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 満足に息継ぎさえしないまま一気に言いたいことだけをぶちまけると、突如リタは黙ってしまう。

 それから膝に手を当てながら両肩で息をしていたのだが、しばらくすると次第に落ち着きを取り戻していった。


 そんなリタに気圧されながら言葉も見つからないままジルが固まっていると、再びリタがキッと睨みつける。

 そしておもむろに口を開いた。


 

「はぁ、はぁ、はぁ……いいですこと? 先程も申したとおり、決してわたくしは貴方を赦さない。どんなに謝られても逆立ちされても、これは絶対に変わることはありません」


「はい……」


「これを言い換えれば、決して変えられない過去と同じ。どんなに正そうとしたところで絶対に不可能。時間と労力の無駄以外のなにものでもありません。 ――ならば貴方は後ろを見ずに、前だけを見て生きていくべきなのです。そのためにはどうするか。何を成すべきか。ない頭を絞って必死にお考えなさい!! よろしいですわね!?」


「はい……わかり……ました……」


 大きな身体を丸めながら、リタの言葉を噛みしめるジル。

 その姿を高いところから見下ろしながら、リタは小さなため息を吐いた。

 するとその顔にこれまでとは別の表情が浮かび始める。


 それは「迷い」だった。

 数瞬彼女は迷った挙げ句、思い切ったように口にした。



「それからジル。最後に申しますが……貴方の弟ぎみ――アルセーヌ殿ですけれど……心からお悔やみを申し上げます」


「えっ?」


「やむを得なかったとは言え、弟ぎみのことは残念でした。わたくしにも同じような年齢の弟がおります故、貴方の想いは痛いほどわかります。 ――とてもわたくしになど言えた義理ではないのでしょうが、それでもここに謹んで哀悼の意を表します」


 何気ない様子を装いながら、そのじつ緊張の面持ちを隠せないリタ。

 やや早口に言葉を述べると、最早もはやジルの顔を見ようともせずにクルリとその場で後ろを向いた。

 そして突然出口へ向かって歩き始める。



「あっ……リ、リタ様……?」


「それじゃあ、ジル。わたくしはもう行きますわね。 ――いいですこと? とっても面倒くさかったのですけれど、せっかく鳥を捕まえてきたのですから遠慮なく召し上がって。とにかく今はゆっくり身体を休めなければなりません。そしてたくさん食べて血を増やすのです。いいですわね?」


「リタ様……」


 聞こえているのかいないのか。ジルの返事を待たずしてリタはテントから出ていった。

 次第に遠ざかる小さな足音。

 その音を聞いているうちに、ジルの頬には止めなく涙が流れ始める。


 厳つい顔を顰めながら、声にもならぬ声を押し殺してジルは泣いた。

 そして小さく呟く。


「ありがとうございます……リタ様、ありがとうございます……」



 今や誰も入ってこない野戦テント。

 その中に、太く低い咽び泣く声だけが響いていた。 

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