第294話 彼と彼女の矜持

 テントの入り口へ視線を向けると、そこには見慣れた姿があった。

 今やトレードマークにもなっている、少々古風な縦ロールのドリル髪。

 長引く遠征のために少々煤けているものの、母譲りのプラチナブロンドは変わらず輝きを放っていた。


 そんな小さな頭が伺うように覗いたかと思えば、すぐさま引っ込んでしまう。

 どうやら彼女――リタは中の様子に驚いたらしく、入るのを躊躇したらしい。

 するとそれに気づいたアビゲイルがすかさず声をかけた。


「あぁ、ちょうどよかったリタ嬢。どうぞ中へお入りになって。今あなたを呼びに行かせるところでしたの」


「えぇ……」


「もうお気づきだと思いますが、やっとジルの意識が戻ったのです。 ――それはあなたもずっと望んでいたことではなくって? なにを戸惑ってらっしゃるのです、どうぞ中へお入りになって」


 ふんわりと優しくもあるが、どこか抗いがたいアビゲイルの口調。

 それにはさすがのリタも逆らうことができずに、まさにずと姿を現した。

 しかし決して正面を見ずに視線を逸らす様は、彼女の心の内を現していた。それに小さな苦笑を浮かべると、アビゲイルは周囲に向かって告げた。

 

「さぁ、皆さん。どうやら積もるお話もあるご様子。暫し彼らを二人だけにして差し上げましょう。 ――よろしいですか?」





 母親の真意を理解できないユーリウスは最後まで渋ったものの、強い口調で再度告げられるとすぐに諦めた。

 そしてアビゲイルを先頭に皆が出ていくと、狭い野戦テントの中にはリタとジルだけが取り残される。


 こうして意図せず二人きりにされてしまったリタとジル。

 互いに視線を合わせられないまま気まずい空気を漂わせていると、沈黙に耐えきれずにジルが口を開いた。


「あの……こ、この度はありがとうございました」


「……」


「てっきり俺は自分が死んだものだと思ってましたが、貴女様が助けてくれたと聞きました。俺が今こうしていられるのは、全て――」


「勘違いしないで」


「えっ?」


「勘違いしないでと申し上げているのです。言っておきますけれど、貴方を助けようだなんてこれっぽっちも思いませんでしたのよ。 ――わたくしはただ、ユーリウス様を助けようとしただけですわ」


「し、しかし……」


「結果的に貴方は一命を取り留めましたが、それについてもわたくしはなにもしておりません。全てはチェス夫人がやったこと。 ――礼を申されるのであれば、直接彼女に仰ってくださいまし」


「……」

 

 いつにも増して仰々しいリタの言葉遣い。

 同国の仲間とは言え、もとより彼女はジルに対して一線引いた態度を崩さなかったが、ここにきて余計にそれが際立っていた。

 あまりに無下な言葉に思わずジルは答えに窮してしまう。

 しかしリタはそんなことなどお構いなしに話を続けた。



「とは言え、あそこで貴方に身を挺していただかなければ、今頃ユーリウス様がさらわれていたのもまた事実。それについてはねぎらいの言葉を掛けるのもやぶさかではございません。 ――よくやった、と」


 それまでずっと能面のように無表情なリタだったが、最後の言葉とともにちらりとジルを見た。

 しかしそれも一瞬で、すぐに視線を逸らしてしまう。

 思いもよらぬ言葉に再びジルが答えに窮していると、続けてリタが口を開いた。


「しかし敢えて苦言を呈するならば、あの所業はあまりに無謀が過ぎます。いまさら申し上げても詮無きことなれど、他にとりようもあったのではないかと思うところ。あれでは命が幾つあっても足りませぬ。 ――少しは考えて行動されては如何いかが?」


「も、申し訳ありません……結果的に事なきを得ましたが、あの判断はあまりに浅慮に過ぎました……」


「事なきを得たって……そもそも貴方は――」


 母親に叱られる子供のように、その身を小さくするジル。

 ベッドに横になったままであるものの、可能な限り身体を丸めて心から申し訳無さそうな顔をする。

 そんな彼に追い打ちをかけようと尚もリタが言い募ろうとしていると、前触れもなくテントの入口が開けられた。

 


「おぉ!! 少年よ、やっと目を覚ましたか!!」


「あぁ、ジル!! 良かった、気がついて本当に良かった!!」


 入り口から突然姿を見せた者――それはチェスとカンデだった。

 この元祖天才神術僧侶美熟女(自称)と騎士見習いの青年は、ジルが意識を取り戻したと聞いて居ても立ってもいられなかったらしい。

 さすがに入り口でメイド衆に止められたのだが、元来おおらか(大雑把とも言う)なチェスは構わず突撃してきたのだ。

 

 突然の訪問にリタもジルも目を白黒させてしまう。

 しかし直後にリタは、まるで助けられたとばかりにホッとした顔をする。

 半ば強制的にジルと二人きりにされたものの、どうやら彼女はその覚悟ができていなかったらしく、二人の訪問にむしろ助けられた思いだったようだ。


 それはジルも同じだった。

 口では謝罪と感謝を述べていたものの、リタが醸す空気に居た堪れなくなった彼は無意識に助けを求めていたらしい。

 そのため二人の訪問にはリタ以上に安堵していたのだった。



 そんなジルに近づくと、チェスは無遠慮に身体を触り始める。


「で、どうかね少年よ。何処か痛いとか違和感とかないかね? ――ちょっとごめんよ。まずはその右腕を見せてもらおうかねぇ」


 何処かおどけたような、冗談混じりのチェスの声。

 ジルを触る手付きは柔らかく優しかったが、細かいところまで見逃さないとばかりに目つきだけは鋭かった。

 その様子に少々気圧されながら、ジルが答える。


「右腕……あぁ……そういえば……」


「はいはい。それじゃあ、手を握ってみてちょうだい……うんうん、それじゃあ今度は開いて……今度はギュッと強く握ってみようか」


「は、はい」

  

 などと暫く右腕を中心にジルの調子を見ていたチェスだったが、やっとその顔に安堵が広がる。

 それから自身の息子を眺めるような、優しい母の笑みとともに口を開いた。


「うん。どうやら大丈夫そうだね。千切れた腕も無事に繋がったようだし、後遺症もなさそう。少々血が足りないみたいだけど、それも時間が解決してくれるね」


「そ、そうだ、この腕は……もしかして貴女が? まさか、こんなことができるなんて……」


「まぁ、こんなの朝飯前ですよ。元祖天才神術僧侶のチェス様にかかれば、千切れた腕もすぐに元通り!! 少年よ、君はひっじょーに運が良かった。もしも私がいなければ、今頃君はこうしてはいられなかったはず。 ――さぁ、我を褒めよ!! 称えよ!! 供物をもて!!」


 まるで照れ隠しのように突飛な言葉を吐くチェス。

 その彼女に一頻ひとしきり感謝を述べたジルに、再びチェスが述べた。



「いやいや。君の想いはもう十分受け取ったよ。それ以上頭を下げるのはやめなさい。 ――それよりも、このリタ嬢にも感謝すべきね。なにせ彼女の慌てようったら、そりゃあ凄かったんだから」


「えっ……?」


「ちょ、ちょっとチェス!! あなたなにを――」


「『お願いチェス夫人!! なんとかジルを助けてあげて!! もしも彼が助かるなら、わたくしにできることならなんでもいたしますわっ!!』 ――なんて盛大に取り乱しちゃって、本当に大変だったんだから」


「う、嘘をつかないで!! わ、私がいつそんなことを――」


「うひひひ、またまたぁ。そんなに慌ててもだめだめ!! みんな見てたんだからね!! ――まぁそういうわけで、ジル君。彼女には深く感謝するのね。そもそも私が現場に着くまで応急処置を施したのは、誰あろう、このリタ嬢なのだから。もしも彼女がいなければ、今頃君はこうしていなかったのよ」


「……」


「それから、これ。これは君のためにと、リタ嬢自らが狩ってきた鳥のレバー。まだまだたくさんあるから、いっぱい食べて血を増やしなさい。わかったわね?」


「は、はい……」


「それじゃあ私はもう行くから。積もる話もあるだろうから、特別に二人きりにしてあげる。 ――さぁ、カンデ君。君も一緒に来たまえ」


「は、はい!!」


 などと言いながら半ば押し付けるようにジルにレバーの串焼きを手渡すと、高らかに笑いながらチェスが歩き出す。

 するとその後を慌ててカンデも追いかけていった。


 二人きりにすると言いながら、そもそも途中で乱入してきたのはお前ではないか。

 しかも言ってもいないことまで言ったなどと……

 今度会ったら、思い切り問い詰めてくれるわ!!


 などと咄嗟に思ったリタだったが、結局なにも言えずに二人の背中を見送ったのだった。



 音もなくテントの入口が閉まるのを呆然とリタが眺める。

 するとその背にジルが声をかけてきたのだが、その声は以前にも増して神妙だった。


「リタ様……貴女は俺の命の恩人です。先程も礼を述べましたが、もう一度改めて述べさせてください」


「ふん……お好きになさったら」


「しかしその前に、俺は貴女に謝らなければなりません。 ――これまでも機会があるごとに謝罪してきましたが、もうこれで最後にします。この遠征が終わり次第、俺は貴女の前から姿を消します。そして国を出て二度と戻らないと誓いましょう」


「ちょっとお待ちになって。貴方が礼を述べると仰るから、わたくしは聞く気になったのです。それなのに……また謝罪ですの? それはいささか卑怯ではありませんこと? ――貴方の謝罪は受け入れないと、あれほど申し上げたはずでは?」


「申し訳ありません。それは重々わかっています。しかしこんな機会でもなければ、聞いていただけないかと――」


「なれば謝罪などおやめください。聞きたくもありません」


「お、お願いです!! 本当に……本当にこれで最後にしますから……どうか最後までお聞きいただけませんか!?」


 これまで見たことがないほど必死なジル。

 その顔を見る限り、もしも立ち上がることができたなら間違いなくリタに縋り付いていただろう。

 そう思ってしまうほど、その様は切羽詰まっていた。



 そんなジルに対してリタは半目の顔を返す。

 すっかり顔から表情は消え、もとより色白の肌も相まってまるで能面のようになっていた。

 それでもジルは必死に口を開き続ける。


「誤解なきよう申し上げますが、決して俺は赦してほしいわけではありません。そもそも自分の仕出かしたことを思えば、そんなことを言えないのはわかっていますから」


「それならもうおやめになったら? 全くの無駄ですから」


「無駄……確かにそうかもしれません。それでもこの身を消す前に、どうしても申し上げたかったのです。 ――俺は貴女に取り返しのつかないことをしてしまった。今思えば、何故あんなことをしたのかわかりません。ただ一つ言えることは、あの時の俺はどうかしていたのです」


「なにをいまさら……」


「仰る通り、いまさらなにを言っても言い訳でしかない。そしてその結果、貴女の大切な婚約者を殺そうとしてしまった事実も変わらない。 ――いまさら悔やんでも悔やみきれませんが、自分の仕出かしたことは粛々と受け入れるしかないのです」


「……」


 なんと言えばいいのかわからないほど、リタの顔には複雑な表情が浮かんでいた。

 それは決して怒りではなく、かと言って喜びでもない。敢えて名前をつけるなら、それは「迷い」だろうか。

 いずれにしてもリタは、ジルの話を一方的に拒絶する気はなさそうだ。

 その証拠に、腰に手を当てて明後日の方向を見つめながらも、耳だけはジルに向いていた。


 そんなリタに、尚もジルが言い募る。


 

「す、すいません。一方的にベラベラと……さ、先程も申したとおり、とにかく俺はこの遠征が終わったら国を出ます。そしてこの身を二度と貴女の前に晒さないと誓いましょう。 ――それまではどんなことがあってもユーリウス様とアビゲイル様をお守りし、必ずやハサール王国までお連れすることを約束します」


 決して良いとは言えない人相のジル。

 猪のように厳つい顔に細く鋭い瞳も相まって、初見の者は皆身構えてしまうほどの悪人面だ。

 しかし必死にリタを見つめる顔に一切の嘘はなく、その顔を見る限り、どうやら彼は本気で姿を消すつもりらしい。


 すると突然リタの顔が変わる。

 直前までの無表情をかなぐり捨てて、今やその顔には盛大な怒りが浮かんでいた。


「ジル。いま貴方は姿を消すと仰いましたわよね。一応お訊きいたしますが、それは本気ですの?」


「は、はい。もちろん本気です。俺は貴方の――」


「なれば問いますが、貴方はアーデルハイト嬢をどうなさるおつもり? 彼女は貴方をずっと待っているのではなくって?」


「アーデルハイト……しかし彼女の話は関係ない――」


「何を仰るのです!? 関係なくなどありませんわ!! このままいけば貴方はユーリウス殿下――ベルトラン国王陛下のお孫様の命の恩人となるのです。そしてアビゲイル様も含めたご家族の救出を成功させたとして、先遣隊の皆とともに国の英雄にもなりましょう。 ――そうなれば、貴方が正騎士に叙任されるのは間違いありません」

 

「……」


「ジル。確かに貴方には汚れた過去がある。それは決して忘れられないし、無視もできない。多くの貴族たちには後ろ指を指されるでしょうし、あからさまに罵られることもあるでしょう。けれど国王陛下のお赦しが出たのであれば、最早もはやそれは過去のものとなるのです。 ――それについて誰も物申せなくなる」


「……」


「さすれば、必ずや何処かの貴族が養子の話を持ってくる。そして大手を振ってアーデルハイト嬢と結婚できるのです。 ――それがわかっていながら、それでも貴方は国を出ると?」



 それまでの態度とは打って変わって、突如感情をほとばしらせるリタ。

 特徴的な細い眉を吊り上げて鋭い瞳で睨む様は、普段の美少女然とした佇まいからはおよそ想像できない。

 するとジルもその迫力に引き摺られるように自然と声が大きくなっていく。


「今そんな話はしていません!! 俺はただ、貴女に謝ろうと――」


「だから、それがなんだと言うのです!? すでにここまでのことを成したのですから、いまさらわたくしの赦しなど不要でしょう!? それなのに、まるで免罪符のように赦しなどと申されるから余計にわたくしは腹が立つのです!! ――なればお訊きしますが、私が一言『赦す』と申し上げればそれで満足ですの!? それで万事解決されるのですか!?」


「そ、それは……」


「この際ですからハッキリ申し上げますわ!! その耳かっぽじって、よくお聞きなさいませ!! わたくしは貴方を赦すつもりなど毛頭ございません!! なにせ最愛の婚約者を殺されかけたのですもの。一歩間違っていれば本当に死んでいましたのよ!! ――それを『はい、そうですか』なんて申せるはずがございませんでしょう!?」


「リ、リタ様……」


わたくしは一生貴方を赦さない!! これだけは絶対に曲げることができないわたくしの矜持!! これは貴方の業だと思って、死ぬまで背負い続けることね!!」



 ずっと前からわかっていたことではあるが、実際にその言葉を聞いたのは始めてだった。

 最早もはや頑ななまでに凝り固まったリタの心は、氷のように冷え切って鉄のように硬かった。


 図らずもその事実を突きつけられてしまったジルは、言うべき言葉も見つからないまま、ただひたすらに呆然とするだけだった。

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