第293話 過去との別れ

「兄さま……兄さま……」


「うぅ……」


「兄さま……ねぇ、起きてよ兄さま。一体いつまで寝てるの? もう怪我人じゃないんだから、そろそろ起きないと駄目だよ」


「ん……なんだ……俺は……」


「あぁ、やっと目が覚めた? まったく……もう、待ちくたびれちゃったよ」


「あ? あぁ……目は覚めたが……しかしお前は……」


「何を驚いてるのさ。 ――いやだなぁ、僕だよ僕。弟のアルセーヌじゃないか。もう忘れちゃったの?」


「わ、忘れるわけないだろう!! 俺がお前を忘れるわけがない!!」


「こ、怖いよ。そんなに怒らないで」


「怒ってなんかいない!! ただ……驚いただけだ」


「あぁ良かった。急にそんな顔するものだから、てっきり怒ったのかと思っちゃったよ。兄さまは昔から短気だったから。 ――でも、驚いたって……なにを?」


「何をって……そんなの決まってる、お前にだよ。俺の記憶が確かなら、お前はもう死んで――いや、ちょっと待て。ひょっとしてこれは夢なのか?」


「そうだねぇ……まぁ、夢って言えば夢なのかなぁ……僕にはよくわかんないけど」


「いや、夢なら夢でいい。おかげで、お前にまたこうして会えたのだからな。こんな夢なら何度見てもかまわない」


「大げさだなぁ……でも、そう言ってくれるととっても嬉しいよ」


「そうか、ありがとうなアルセーヌ。 ――あぁそうだ、俺はお前にどうしても謝らなければいけないことがあったんだ」


「なに?」


「今にして思えば、どうしてあんなことをしたのかわからない。あの時の俺は、愚かにもあの選択がベストだと思った。だがそれはアンペール家の断絶、いてはお前まで殺してしまう結果になってしまった」


「……」


「すまない、アルセーヌ……本当にすまなかった。このとおりだ。どんなに謝っても決して許されないことくらいわかっている。しかし俺は、どうしてもお前に謝りたかった。 ――最早もはや叶わないと諦めていたがな」


「……や、やめてよ、兄さま。そんなに頭を下げないでよ。 ――まぁね、確かに僕にだって恨み言くらいはあるよ。だって僕には何の落ち度もなかったからね。唯一あるとしたら、それは『アンペール家に生まれた』ってことくらいかな」


「違う、それは違う。全ては俺と父上のせいなんだ。断じて言うが、お前に落ち度なんてない。あの一連の出来事は、俺が始めて父上が幕を引いた。お前はその巻き添えを食らったに過ぎんのだ。そして同じアンペールなのに、俺は生き残ってお前は死んだ」


「……仕方ないよ、こればかりはね。だってその時、もう兄さまはアンペールじゃなくなっていたのだし。 ――貴族として生まれた以上、その命は家に殉ずる。これが父上の教えだったからね。その割には父上も母上も最後まで泣き喚いていたけれど」


「……」


「正直に言うけどさ、実は僕、殺される直前に兄さまを恨んだんだ。何度も助けてって叫んだのに、ちっとも助けに来てくれなかったから。 ――兄さまは僕のヒーローだったのに、なんだか最後に裏切られたような気がして」


「す、すまない……俺は――」


「でもいいよ、もう許してあげる。確かに僕は助からなかったけれど、その代わりにあの子を助けてくれたからね」


「あの子……?」


「そうだよ、あの子だよ。こんな僕なんかより、もっとずっと――あぁ、ごめんね兄さま。もう行かなくちゃ。お迎えが来たみたい」


「えっ? 迎えって……もう行くって……誰が? どこへ?」


「えへへ。それは……秘密だよ。まぁ、兄さまにもそのうちわかるよ」


「お、おい、ちょっと待てよアルセーヌ!! つ、次はいつ会える!?」


「次は……ごめんね、無理みたい。もう二度と帰ってこられないんだ」


「で、でも、これは夢なんだろう!? そ、それならまたお前の夢を見れば――」


「ううん……ごめんね、きっとこれは夢じゃないんだよ。実は僕、兄さまに最後のお別れを言いに来たんだ」


「お別れって……な、なぁアルセーヌ!! ま、待て!! ちょっと待て!!」


「どうか兄さま、お達者で。 ――それじゃあ僕は先に行って待ってるから。遠い未来、また会える日を願って」


「ま、待て!! アルセーヌ!! お願いだ、待ってくれ!! 俺は、俺は――」




 ――――




「うぅ……アルセーヌ……行くな……」


「あぁ!! ジ、ジルが動いたよ!! それに喋った!! 母上、ジルが!!」


「まぁ、ジルが気付いたのですか!? 良かった!! ――さぁ、ユーリウス、もっとたくさん名前を呼んであげなさい」


「はい、母上!! ジル!! ジル!! しっかりしてよ、ジル!!」


「うあぁ……」

 

 狭い野戦テントの中に、複数の声が響いていた。

 一つは幼い男児の声で、一つは若い女。そしてもう一つは若い男の呻き声。


 暗殺者集団「漆黒の腕」に拉致されかけたアビゲイルは、駆けつけたロレンツォにより難を逃れた。

 その際殆どの暗殺者は頭を吹き飛ばされていたが、敢えて生かされた数人も両手足を粉砕されて芋虫のように地に転がった。

 それから最低限の治療とともに拘束されて、今頃は事情聴取という名の拷問により情報を吐かされているところだ。


 そんな中、公子ユーリウスの保護では一悶着あった。

 さすがはプロの暗殺者というべきか。純粋な斬り合いにかけては護衛騎士も含めて誰も敵わず、危なくユーリウスは連れ去られそうになったのだ。

 しかしそれを救ったのがジルだった。


 文字通り、身を挺してユーリウスを庇ったジルは、その代償を支払わされてしまう。

 半ば八つ当たりのように滅多切りにされた彼は、リタにして手遅れだと告げざるを得ないほどの深手を負ったのだ。

 しかし最後は元天才神術僧侶にして美熟女(自称)のチェスのおかげで一命を取り留められたのだが、それでも意識を取り戻すまで丸一日以上眠り続けた。



 そんなジルが身動ぎをして、呻き声を上げる。

 すると即座に周囲の者たちが動き出した。


「うぅ……」


「ジル!! ジル!! しっかりして、目を覚まして!! ねぇ、ジルってば!!」


「うあぁ……アルセーヌ……行くな……行かないでくれ……」

 

 小山のような巨体にもかかわらず、その声は聞き取れないほど小さい。

 何かを捉まえようと差し出された腕は力なく宙を切り、まるで夢遊病者のように腕を振る様は、緩慢かつ弱々しかった。

 その胸にそっとユーリウスが抱き着くと、無意識のうちにジルの目が開いた。


「あぁ……アルセーヌ……アルセーヌじゃないか……戻ってきてくれたのか……」


「ジ、ジル? 大丈夫?」

 

「すまなかった……兄さまは……兄さまは……」

 

「ね、ねぇ、ジル!! 僕だよ、ユーリウスだよ!! ねぇ、わかる!?」


「あ……あぁ……」


 ぼんやりと滲んだ、まるで焦点の合わないジルの瞳。

 それを必死に覗き込むユーリウス。

 己を抱きしめる太い腕の中からユーリウスが身を捩らせていると、やっと気づいたジルが驚いた顔をした。


「ユーリウス……様?」


 未だ意識がはっきりしないのか、しきりに頭を振りながら腕の中のユーリウスを抱きしめる。

 そして変わらず小声で囁いた。


「あぁ、ユーリウス様……よくぞご無事で……」


「ジル!! 目が覚めて本当に良かった!! ジルのおかげで僕は助かったんだよ!! 見て見てほら、どこにも怪我はないよ!!」


「それはよかった……しかし途中から記憶がないのですが……あの暗殺者どもは?」


「あいつらは、全員リタ嬢が倒してくれたよ!! 母上もロレンツォ殿が助けてくれたし、一番大きい悪い奴もケビン殿下が成敗せいばいしたんだ!!」


 キラキラと瞳を輝かせながら、興奮気味に語るユーリウス。

 身分としては一国の公子ではあるが、こうして見ると普通の5歳児とそう変わらなかった。

 そんな公子を抱き締めながら尚もジルが何か告げようとしていると、その横からアビゲイルが声をかけてくる。



「やっと目が覚めたのですね、ジル。身体の具合は如何ですか?」


「アビゲイル様……」


 どこかぼんやりとした様子でアビゲイルを眺めていると、腕の中から咎めるような声が聞こえてきた。

 それは少々苦しそうに聞こえた。


「い、痛いよジル!! ちょっと放してよ、ねぇジルってば!!」


「あぁ……すまない……」


「ジル。如何ですか? どこか痛いとか、苦しいとかはありませんか?」


「だ、大丈夫です。少し身体はだるいですが、どこも痛くも苦しくもありません」


 安堵したアビゲイルは、目に見えてその表情を和らげた。


「良かった……貴方が助かって本当に良かった。貴方は我が息子――ユーリウスの命の恩人なのです。しかし酷い怪我でずっと意識もなく……長らく回復をお待ちしておりましたが、やっとここに礼を告げることができます。 ――この通りです。わたくしとこの子の感謝をお受け取りください」


 そう告げながら、深々と頭を下げるアビゲイル。

 その背に向かってお付きの執事が何かを言いかけたが、すんでの所で口を閉ざした。

 どうやら彼は一介の騎士見習い、しかも異国の者に公妃が頭を下げるのが気に入らなかったらしい。

 しかし同時に公子を救われたのも事実なので、止む無くその口を閉じたのだった。




 一国の公妃などという高貴な女性にいきなり頭を下げられてしまい、さすがのジルも慌ててしまう。

 まさか寝転がったまま相手をするわけにもいかず、必死にその身を起そうとしたのだが、全く力が入らずに結局そのままへなへなと力なく倒れこんだ。

 すると逆にアビゲイルが恐縮した。


「あぁ、ジル。そのままで結構です。どうか楽になさって。治癒魔法のおかげで見た目は元通りになっていますが、その身体は相当な痛手を受けているはず。決して無理をしてはいけません」


「し、しかし公妃殿下……」


「いいですか、ジル。これはお願いではありません、命令です。あなたはこのまま横になっていなければなりません。わかりましたね?」


「は……はい……」


 決して厳しくはなかったが、そのじつ有無を言わさぬ迫力を醸すアビゲイルの口調。

 それを聞いてしまうと、最早もはや言うことを聞かざるを得ないジルだった。



 何処か釈然としないながらも仕方なくジルが横になっていると、アビゲイルの専属メイドが甲斐甲斐しく世話を焼き始めた。

 優しく背中にクッションを敷いたり、楽な姿勢を取らせたりと、主人の恩人に精一杯の持て成しをしようとする。


 そんな時、突然目の前に料理を差し出された。

 それは何かの肉を串に刺して焼いたものらしく、香ばしい香りが漂って来る。

 目を覚ましたばかりのジルには当然食欲などなかったが、その匂いには妙に食欲を刺激された。

 するとメイドの一人が話しかけてくる。


「丸一日以上眠ったままだったのです。もしやお腹が空いてらっしゃるかと思いまして。 ――無理はしなくても結構ですが、できれば召し上がっていただければと存じます」 


「……これは?」


「はい。鳥の肝臓レバーの串焼きです。なんでも血の不足を補ってくれるとか。 ――ぜひ召し上がっていただきたいと、リタ様自らが狩りに出向かれまして」


「リタ様が……?」


 思わず怪訝な顔をしてしまうジル。

 するとその顔を見たアビゲイルが再び口を開いた。



「貴方は存じないでしょうけれど、あれからリタ嬢は何度もここを訪れていました。身体の具合を確かめたり、怪我の状態を確認したり、意識が戻っていないか見に来たりと、それはもう足繁く何度も。そして体にいいからと、彼女自らが鳥を仕留めてきたのです」


「……」


「おや? などとそんな話をしていれば、どうやらご本人がいらしたようですわよ。 ――さぁ、ジル。良い機会ですからリタ嬢とお話をなさって。もしも邪魔であれば、わたくしどもは席を外させていただきますわ」



 そんなことを言いながらアビゲイルが一歩下がると、その背後にテントの入り口が見えた。

 するとそこから、すでに見慣れたプラチナブロンドの縦ロールドリル髪が覗いたのだった。

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