第291話 魔族たる理由

 魔王フリートヘルム。


 ブルゴー王国にとってその存在は、まさに最悪の災厄だった。

 川ひとつで隔てただけで、それまで数百年に渡り互いに不干渉を貫いてきた魔国。

 にもかかわらず、ある日突然手勢を引き連れてきたかと思えば、魔王は暴虐の限りを尽くしたのだ。


 もちろんブルゴーだって黙っていない。

 個々の強さが際立つ代わりに決して多いとは言えない魔王軍に対し、それを数の多さで補うと各地で善戦を繰り広げた。


 一進一退。

 まさにその言葉の如く膠着した状態になっていたが、機に乗じた北のアストゥリア帝国が国境侵犯を始めると、ブルゴーは戦力を二分せざるを得なくなってしまう。

 その結果、次第に押され始めたブルゴーは最終兵器を投入することにした。

 それが勇者ケビンを中心とした魔王討伐隊だった。


 魔女アニエスによる圧倒的な攻撃力により、瞬く間に魔王を追い詰めたケビン一行だったが、いざフリートヘルムを前にすると驚きの事実が発覚する。

 それは、彼には魔法が一切通用しないということだった。


 恐らく種族的な特徴なのだろう。

 特に魔法防壁を張り巡らしたわけでもないのに、その肉体は全ての魔法攻撃を寄せ付けなかった。

 幾ら強力な攻撃だろうと、まるで磁石の同極同士のように彼の肉体を避けてしまうのだ。


 当時最強と謳われた伝説の魔女アニエスの渾身の魔法を以てしても、彼には傷一つ付けられない。

 その事実はケビン一行を絶望の淵へ叩き落としてしまう。

 しかし最後には、ケビンとセシリオによる特攻と惜しむことなく垂れ流したアニエスの防御、補助魔法、そしてチェスの治癒魔法使いまくりが功を奏して粘り勝ちしたのだが、それでも本当にギリギリだった。


 度重なる治癒魔法のために遂に魔力を枯渇させたチェス。

 しかし彼女がその事実を告げたまさにその時、ケビンの放った一突きがフリートヘルムの胸を貫いたのだった。

 

 


 まるで昨日のことのように、今でもケビンはその光景を思い出す。

 今では少なくなったが、魔王を倒して祖国に帰還してからというもの、数年間は悪夢に悩まされたものだ。

 そんな過去を思い出しながら、ケビンは剣を構え直す。そして油断なく距離を取り続けた。


「そうか……お前もか。魔王と同族ということは、俺の魔法は全く役に立たないのだろうな。それはつまり……純粋な剣技での戦いになるのか」 


「ふふふ……どうした? まさか怖気づいたか? ――とは言え、お前の気持ちもわからんでもない。そのような脆弱な肉体と細い剣では、どう足掻いたところで俺とは満足に戦えまい」


「本当にそう思うか? もしもそうなら、その頭はよほどおめでたいのだろうな。 ――言っておくが、俺とてお前を逃がすつもりはない。お前は俺を殺しに来たのだろうが、俺もお前を殺す機会を伺っていたのだからな」


「ほう……」


 ケビンの言葉に思わず胡乱な顔をしてしまうゲルルフ。

 しかし当のケビンはその反応になどまるで構わず、目にまらぬ速さでゲルルフの懐に飛び込んでいく。


「問答無用!! いざ勝負!!」


 その言葉を合図にして、これまで誰も見たことのない壮絶な斬り合いが始まったのだった。




 ケビンの斬撃を咄嗟に躱したゲルルフは、その巨体からは信じられないほどの速さで剣を繰り出す。

 しかもその剣は普通の人間では持ち上げることすら敵わない、最早もはや鈍器と見紛うようなものだ。

 それを片手で振るだけでも信じられなかったが、まるで物理法則を無視したかのように軽々と振り回す様は、まさに圧巻だった。


 いっぽうケビンの剣は細身の片刃刀だ。

 まるで剃刀を彷彿とさせる切れ味と美しい波紋は自慢だったが、どう控えめに言ってもゲルルフの一閃を受け止められるとは思えない。

 事実ケビンはゲルルフの攻撃を一切受け止めずに、全てを紙一重で躱していた。


 疾風の如き速さで突き、斬り付けるケビンに対し、それを受け、弾き、流しながら同時に攻撃を繰り出すゲルルフ。

 その剣を一切受け止めることなく、髪の毛一本分の見切りで躱しながら同時に攻撃に移るケビン。


 あまりにそれは早すぎて、誰一人としてその動きを追える者はいなかった。

 それでもその凄まじさは誰にでもわかる。

 その証拠に、その場の全員が思わず感嘆の声を上げていた。


「す、すごい……すごすぎる……あんな戦いは見たことがない……」


「早すぎて、目で追えない……」

 

「ば、化け物だ……あの魔族は言うまでもないが、ケビン殿下も大概だな……」 


 次々とうなり声をあげる兵たち。

 その中に、今や自国の王配――ケビンを心配する声は見当たらなかった。

 先日の戦いで実力を目の当たりにしたばかりの兵たちは、まさか彼が負けるなどと思っていないらしく、その瞳には純粋なまでの信頼と畏敬の念が込められていたのだ。


 片や2メートルを超える筋骨隆々の暗殺者の首領と、片や剣士にしては小柄な勇者。

 この二人が目にも留まらぬ斬撃を応酬する様を、周囲の者たちはただ茫然と眺めているだけだった。

 するとその中を、一人の男の呟きがかき消されていく。



「リタといい、ロレンツォといい、王配殿下といい……こいつらみんな化け物かよ!! 魔法ならいざ知らず、純粋な斬り合いなら俺の出番もあるかと思って来てみれば……こんなもの下手に手出しできねぇじゃねぇか!!」


 吐き捨てるような、半ば諦めにも似た言葉。

 それはラインハルトだった。


 暗殺者の襲撃にいち早く気付いた彼は、アビゲイルとユーリウスのもとへ全速力で駆けつけた。しかし現場に着いた時にはすでに決着がついていたのだ。

 もちろんそれはロレンツォとリタが情け容赦なく魔法をぶっ放したせいなのだが、いずれにしてもラインハルトが活躍する場面は一つもなく、ただ彼は二人の魔法に度肝を抜かれただけだった。


 この次期ハサール王国東部辺境候になるべき男は、己の腕に絶大なる自信を持っていた。

 事実これまでどんな盗賊、夜盗、破落戸ごろつきを相手にしても余裕だったし、一度も命の危機を感じたことなどなかったのだ。


 しかしこの遠征に同行してからというもの、個人という枠の限界を見せつけられてしまう。

 軍による集団戦闘の中において、個人の武勇など然程さほど影響を与えないことを痛感させられてしまったのだ。

 そこに来て魔術師二人の圧倒的な制圧力。

 それを見たラインハルトは、最早もはや笑うしかなかった。


 そんな時、ケビンとゲルルフが一騎打ちを始めたと知らせが入る。

 それならば自分にも介入できると思って来てみれば……この有様だ。

 目で追うことすら困難なスピードとおよそ人間わざとは思えない剣技の応酬は、ラインハルトの常識を遥かに超えていた。


 それを見た瞬間、この戦いに加わることを諦めたラインハルトは、大人しく事の成り行きを見届けようと決めたのだった。




 ――――




 もうどれだけ剣を振っただろうか。

 どれだけ剣を躱しただろうか。

 数えていないのでわからないが、少なくとも肩で息をする程度にはずっと動き続けている。


 そして……強い。

 この魔族は途轍とてつもなく強い。

 ここまで本気を出したのは、あの・・魔王以来だ。


 しかし……なんだろう、この違和感は。

 強い……確かにこの男は強いのだが……ただそれだけだ。

 それ以上のものを感じない。


 感じない……? なにを? 一体何を感じない?

 魔王に感じてこの男に感じないものとは?


 あぁ……恐怖だ。


 魔王フリートヘルムにあってこの男にないもの。

 それは恐怖に他ならない。

 確かにこの男は強い。それは俺も認めよう。

 しかし全く怖くないのだ。


 では、なぜ怖くない?

 魔王に恐怖を感じた理由とは一体何だった?

 思い出せ……



 スピードで押すケビンと力で捻じ伏せようとするゲルルフ。

 この二人が斬り結び始めてから数十合。未だ決定的な場面には至っていない。

 しかしその均衡は少しずつ崩れ始め、5回に1回程度の割合でケビンの攻撃がゲルルフを掠るようになっていた。

 

 とは言え致命傷には遠く及ばず、それどころか出血さえしていなかったが、それでも次第にゲルルフの顔には焦りの色が濃くなってくる。

 恐らく余裕がなくなってきたのだろう。

 あれだけ顔を彩っていた皮肉そうな笑みは、いつの間にか消えていた。


 それどころか苛ついた顔で睨みながら、命を賭した戦いの最中であることさえ忘れて口を開いた。


「えぇい!! ちょこまかと鬱陶しい奴め!! そろそろ死んだらどうだ!!」


 ヒュン!!


「その言葉、そっくりお前に返してやる!! 俺とてお前を殺したくて仕方がないことを忘れるな!!」


 ブンッ!!

 ギキンッ!!!!


「俺がお前に何をした!?」


 ガギンッ!!

 キンキンッ!!!!


「お前じゃない!! お前の手下が俺の息子と妻を攫ったのだ!! あまつさえ俺の目の前で殺そうとまでしただろう!! なんてヤツだ!!」


 ヒュンヒュン!!

 ギン、カンッ!!


「そんなもの、俺が知るか!!」


「うるさい!! しかもエルミーの母親を殺したのもお前たちだろう!! 愛する妻を悲しみの底に突き落としやがって!! 許さんぞ、この野郎!!」


 ガンガンッ!!

 ギンッ!!!!


「何の話だ!? お前は何を言っている!? ――俺は知らんぞ!!」


「しかもなんだ!! あんなセブリアンなんて庇いやがって!! お前らが逃したせいで、どれだけの人間が迷惑したと思ってんだ!! ふざけんな!!」


 ガンガンガンッ!!!!


「なんだとぉ!!」



 フリートヘルムにあって、ゲルルフにないもの――それは恐怖。

 そこまではわかった。

 それでは何故彼からそれを感じないのか――


 そこに状況を打開する秘密があるような気がしたケビンは、命を賭けた戦いの最中であるにもかかわらず必死に考えようとする。

 しかしその脳裏には何故か過去の事件が思い出されて、余計に苛立ってしまう。

 そのうえ幾ら剣を振れども一向に当たらない状況にさらに苛ついたケビンは、次第に勇者らしからぬ口調へと変わっていったのだ。


 そんな時、突如背後から声をかけられた。


「ケビン殿下!! なにをチンタラなさっておいでなのです!! まだわかりませんの!? そんな魔族崩れなど、さっさと倒しておしまいなさいませ!!」



 少々甲高く、ともすれば可愛らしいとも表現できる叫び声。

 それはこの殺伐とした場に全く似つかわしくないものだった。

 それが唐突にケビンの背中に叩きつけられる。


 反応したケビンが一瞬の隙を見て振り返る。するとそこには、彼がよく知る姿があった。

 ろくに風呂にも入れない環境にもかかわらず、変わらずトレードマークの縦ロールドリル髪が映える少女。


 それはリタだった。

 瀕死のジルが運ばれていったのを見送った彼女は、チェスを連れてケビンの手助けに向かっていたのだ。

 そしてすでに斬り結んでいた二人を暫く観察していた。


 しかし自分がすぐに気づいたことにいつまで経っても気づかない弟子に、緊迫した場面にもかかわらず思わず彼女は叫んでしまう。

 するとケビンが即座に反応した。


「なに……? 魔族崩れ……だと?」


「そうですわ、魔族崩れですわ!! そんな魔族であって魔族ではない者を、いつまで恐れておいでなのです!?」


「魔族であって魔族でない……」


 その言葉とともに、ゲルルフから距離をとったケビン。

 まるで謎掛けのような言葉を繰り返しながら自身の疑問と照らし合わせをしていると、今度はゲルルフが大声を上げた。



「やかましいぞ女!! 言っておくが、俺はあの・・魔王フリートヘルムと同族なのだ!! ――故に俺が魔族でないとは一体どういう了見だ!!」


 何処か焦りのようなものを感じさせるゲルルフの怒鳴り声。

 しかしその声を恐れもせずに仁王立ちになると、リタは「ビシィ!!」と音が聞こえそうなほど大仰に指を突きつけた。


「まさか貴方自身がそれをお訊きになるだなんてね!! いいですの? こんなところでバラしてしまって!! ――ここにはお耳もお口もたくさんありましてよ!!」


「な、なんだ!? お前は何を言っている!?」


「ふふんっ!! いいですこと? そのクソの詰まった耳をかっぽじってよくお聞きなさいませ!! ――魔族が魔族と呼ばれる唯一にして最大の理由、それは――」



 周囲をブルゴー兵に囲まれた、街道沿いの小さな広場。

 今やすっかり静まり返ったその一角に、愛らしくも甲高い声が響き渡った。

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