第290話 驚きと焦り

「あぁ。魔王フリートヘルムだろう? よく知っているぞ。 ――なにせ俺と奴とは同郷だからな」


 まるで田舎の幼馴染を指すかのように簡単に告げるゲルルフ。

 しかしその内容はあまりに衝撃的だった。


 一見したところ、彼の容姿は人間――人族とそう変わらない。

 頭が一つに腕が二本、脚も二本で目も二つ。頭から角も生えていなければ、口から牙が生えているわけでもない。

 多くの魔族がそうであるように、明らかに違う肌の色もしてないし、瞳の色も一般的な茶色だ。


 確かに2メートルを超える身長や丸太のように太い腕はいささか人間離れしていると言えなくもないが、探せば人族にだっていないことはない。

 事実、北へ行けば国民の平均身長が180センチを超える国だってあるのだから、ゲルルフの大きさはそれほど珍しいとも言えなかった。


 しかしその身から醸す得も言われぬ迫力と、最早もはや殺気としか言いようのない圧迫感は、完全に人のそれとは異なる。

 そのうえ肉食獣のような眼差しと見る者全てが恐怖を覚える人相の悪さは、およそ普通の人間とは思えなかった。


 それ故彼の言葉はある意味納得できるものではあったが、それでも周りの者たちの驚きは計り知れない。

 中にはその名を思い出して、思わず震え始める者まで出る始末だった。


 

 魔王フリートヘル厶。


 ブルゴー王国民にとってその名は決して忘れることができない、言わば禁句のようなものだ。

 彼が率いる魔族によってどれだけの民が殺されて国土を蹂躙されたかは、今や幼い子どもですら知っている。


 大きな川を挟んで南に広がる魔族の生息域――所謂いわゆる「魔国」とは数百年に渡って不干渉を貫いてきたブルゴーではあるが、突然それを破ったのがフリートヘル厶だった。

 人に非ぬ恐ろしい手勢を引き連れてある日突然ブルゴー王国南部に現れた彼は、宣戦布告すらないまま暴虐の限りを尽くし始めたのだ。


 まるで虫を駆除するかの如く無慈悲に民を殺し、畑を焼き、街を破壊する様は、まるで悪魔の襲来かと見紛うほどだった。

 異様に身体が大きかったり頭に角が生えていたり、はたまた肌が緑色だったりと、およそ人とは似つかない魔族の姿は人々にとって恐怖の対象でしかなかったが、その先頭を行くフリートヘル厶だけは違っていたのだ。



 簡単にひと括りにされているが、魔族と言っても様々な種族がいる。

 獣のような外見の獣人族から5メートルにも及ぶ身長の巨人族、果てはトロルといった鬼人族までその見た目や生態は様々だ。

 そんな彼らは長らく主導権を奪い合って争い続けてきたのだが、初めてそれらを纏め上げ、国のような体裁を整えたのが後に魔王と呼ばれる存在だった。


 魔王とは、その名の通り魔族の王だ。

 そして代々の魔王は明らかに人間とは異なる外見の者ばかりだったのだが、最後にその座に就いたフリートヘル厶は人族とそう変わらない見た目だった。

 その事実は、彼と同郷だというゲルルフの言葉を図らずも証明する結果となっていた。

 



 そんなゲルルフに向かって再びケビンが口を開く。しかしその顔からはすっかり表情が抜け落ちていた。


「そうか……お前は魔族だったのか。しかもあの・・魔王と同族だったとはな。どうりで似た匂いがすると思った」


「ふふふ……如何にもそうだ。俺とフリートヘルムは同じ村の出だからな。子供の頃はよく一緒に遊んだものだ」


 何が可笑しいのかさっぱりわからないが、不遜な顔に歪んだ笑みを浮かべるゲルルフ。

 それでもケビンは変わらず無表情のまま口を開く。


「お前が魔族だろうが何だろうが、そんなことはどうでもいい……しかし訊いてやろう。 ――いったい何故こんなところにいる? なぜ魔国から出てきた? なぜ人族の中に紛れている? なぜ『漆黒の腕』の首領などやっている? ――お前たちにとって、人間は駆逐すべき存在ではなかったのか?」


 気になって仕方がないと言わんばかりに、矢継ぎ早に質問をするケビン。

 何か胡散臭いものを見るかのように眉間にしわを寄せながら、窺うようにゲルルフを見つめていた。


 もっともそれは無理もなかった。

 精鋭5人がかりでやっと倒した魔王フリートヘル厶は、ケビンの生涯でも一番の難敵だったと言っても過言ではない。

 目の前の男がその同族だというのだから、その強さは察するに余り有るものだった。


 もしもこの男が、魔王と同程度の強さだったとしたら……


 そう思えば思うほど、ケビンの顔から再び表情が消えていく。

 そんな心の内を知ってか知らずか、小さく鼻息を吐きながら再びゲルルフが答えた。



「ふんっ。そんなことはお前に関係なかろう……などと言いたいところだが、冥途の土産に教えてやってもかまわんぞ。 ――これまで種族ごとに好き勝手に生きてきたが故に個体数を減らし続けてきた我らであるが、魔王のおかげで生き永らえたのだ。しかしお前のせいで全てが台無しになってしまったがな」


「……」


「我ら魔族は、言わば少数民族の集まりのようなものだ。容姿だけに留まらず、文化や生活習慣すら異なるうえに、互いに捕食し合う者までいる始末。そんなもの、互いに相容れないのは当たり前だろう。しかし奴が……フリートヘル厶が一つに纏め上げたのだ。 ――もっともそこには計り知れない恐怖と抑圧、そして種族間の打算もあったのだろうがな」


「……」


「とは言え、我らが安寧を享受するにはあの森は狭すぎた。もとよりその狭さ故に諍いが絶えなかったのだからな。そんな時、お前たちの地が目に入ったのだ。外敵から身を守りにくい平坦な土地ではあるが、しかしその広さは理想的だった。だから手に入れようとした」


 皮肉そうな笑みを浮かべながら、それでもケビンの問いに答えるゲルルフ。

 見るからに粗野で野蛮な「漆黒の腕」の首領であるにもかかわらず、その言葉は至極真っ当だった。

 しかし同時に、到底それはケビンに理解できるものではなかったために、素直にその疑問を口にする。



「だからと言って、もとから住んでいる人族を殺していいという理屈にはならんだろう。今さら言っても全く意味はないが……端から敵対するのではなく、互いに共存する道もあったのではないか?」


「ふははははっ、馬鹿か貴様は!? どこからどう見ても我らの方が優れているではないか。 ――なぜ優れた者が劣った者に迎合せねばならぬのだ!? それこそ意味が分からぬ」


「……確かにお前たちに比べれば、人間など脆弱だろう。身体は小さく力も弱く、一人でできることなどたかが知れている。さらに言えば魔力を持つ者も少ない。 ――しかしそれを補って余りある数の力がある。事実、さすがの魔王も結局は我らの数に勝てなかったではないか」 


 まるで咎めるようなケビンの視線。

 するとゲルルフは、面白くなさそうに言い返した。


「ふんっ、やかましい。貴様らが優れているのは繁殖力だけだ。まるでネズミのように寿命が短いくせに、年中発情しては際限なく増え続けているだけだろう」


「……年中発情か。まぁ……確かにな」


 何か思い当たる節でもあるのだろうか。何故かケビンは自嘲気味に笑った。

 しかしすぐに真顔に戻る。


「だがお前たちは、そんな人族に負けたのだ。 ――我々に喧嘩を売る暇があるのなら、平和に暮らし、もっと子孫を増やしていくべきではなかったのか? どんなに個々の力が優れていても、寿命が長くても、繁殖力が弱ければ徐々に滅んでいくのは仕方のないことだろう」


「だから我らは貴様らの地を手に入れようと――もういい、こんなくだらん話など終わりにしろ」



 まるで痺れを切らしたと言わんばかりのゲルルフに対し、変わらずケビンは無表情かつ冷静なままだ。

 一瞬の隙も見せぬとばかりに鋭い視線でめ付ける様は、まるで猛禽類のように凛々しく鋭い。

 そんな自国の王配を周囲の兵たちが遠巻きに眺めていると、再びケビンが口を開いた。


「……そもそもこの話は、お前が始めたのだろう。その割には全く俺の疑問には答えていなかったがな」


「ふんっ、そんなものは俺の勝手だ。貴様の疑問になど答える義理はない。 ――とは言え、一つだけ教えてやる。これからお前は俺の手土産になるのだ。大人しく死ね」


 その言葉に瞬間ケビンの眉が動く。


「ほぅ、なるほどな……身売りか。俺の首を手土産にして、アストゥリアにでも走るつもりか。 ――ということは、なにか? お前はカルデイアを見限ったのか?」


「……」


 「『漆黒の腕』といえばカルデイアの子飼いだろう。それが見限るなど、随分と面白い話になってきたな。大公セブリアンも随分とヤキが回ったと見える」


「……やかましい。無駄話もここまでだ。さっさと首を差し出せ」


 自分の命を奪いに来た相手に対して、何を思ったのか尚も話を続けようとする勇者ケビン。

 その彼との会話を突如打ち切ると、ゲルルフはおもむろに背負った剣を引き抜いた。



 あまりにそれは巨大だった。

 普通の人間には持ち上げることさえ敵わない、全長二メートルの幅広のブロードソード。

 厚みがありすぎるが故に最早もはや鈍器としか言いようのないそれに対し、ケビンの剣は細すぎた。


 遠い東方の島国で作られたと言われる自慢の湾曲刀は、まるで剃刀のように切れ味が鋭い。

 しかしゲルルフの剣を受け止めるにはあまりに心許なく、まともに打ち合えば一合と持たずに折れてしまうだろう。


 それをわかっていながら、まるで獲物を追い詰めるが如くジリジリとにじり寄るゲルルフと、一歩、また一歩と下がり始めてしまうケビン。

 すると全く予備動作もないまま、突如ゲルルフが斬り掛かってくる。


 それを最低限の動きとともに髪の毛一本分の見切りで躱したケビンは、咄嗟に左手をゲルルフに翳した。

 そして得意の魔力弾マジック・ミサイルを至近距離から撃ち放ったのだが、次の瞬間、その顔に驚きが広がってしまう。


 手で触れられるほどの至近距離から無詠唱で放たれた魔力弾マジック・ミサイル

 それを避けることなど、普通であればあり得ない。

 ケビンが放った弾はことごとく命中したはずだったが、しかし気づけばそこに平然とゲルルフが立っていたのだ。


 その事実に驚きを隠せないケビンに向かって、事も無げにゲルルフが言い放つ。

 変わらず顔には皮肉そうな笑みが浮かんでいた。



「なんだその顔は? よもや予想していなかったとは言わせんぞ。俺はあの・・フリートヘルムと同郷だと言ったはずだ。その意味がわからなかったか?」

 

「……」


「俺に魔法は通用せぬ。ゆえに俺を殺したければ、その剣で斬り掛かってくるほかないのだ。 ――どうした勇者よ。直接この身を斬り裂いてみろ。なにせ、それしか勝つ方法はないのだからな。ふふふふ……」 


 決して悟られないようにしながらも、そのじつ驚きを隠せない勇者ケビン。

 今やその顔には、焦りという名の別の感情が浮かび始めていた。

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