第289話 師匠の教え

「とりあえず警告させていただきますが、その汚い手を公妃殿下から放してください。 ――さもなくば、僕はあなた達を皆殺しにしなければならなくなりますので」


 静寂と緊張が支配する場に突如響き渡った何処かのんびりとした声。

 それは間違いなく相手に警告を発するものではあったが、全く迫力に欠けるものだった。

 その証拠に、告げられた相手――黒頭巾の集団は一向に聞く耳を持とうとはせず、それどころかあからさまにあざけるような態度を示した。


 中でも隊長と思しき男は、アビゲイルの喉元に剣を突きつけたまま明らかに笑っていた。

 顔全体を頭巾で覆っているため素顔は見えないが、細かく動く肩とかろうじて見える目元から、その歪んだ笑みは十分想像できる。

 するとその男は、訊かれてもいないのに自ら口を開いた。



「ほほぅ……たかが魔術師風情が随分と言ってくれるものだな。ならば敢えて言ってやろうではないか。やれるものならやってみろ――とな」


「……いいのですか? そのようなことを仰って。 ――何を根拠に自信がお有りかわかりませんが、その言葉、きっと後悔しますよ?」


「ふふふ……ははははっ!! 何を言う、この間抜けが!! 確かに初めから距離をとられていたなら脅威だったと認めよう。なにせ遠距離では魔術師の方が圧倒的に有利だからな。 ――しかしこの距離ではどうかな?」


「……」


「所詮は貴様らなど呪文を唱えねば何もできぬのだ。なればその時間を与えなければいい……簡単なことだ」


「本当にそう思いますか?」


「くくく……当たり前だ。貴様が呪文を唱えるのと、我らが投擲するのとどちらが早いと思う? そんなものは決まっている。我ら――」


 ボンッ!!



 痩せて背も低く、明らかに体力もなさそうな小柄な魔術師。

 その容姿に舐めてかかったのだろうか、その男は暗殺者にしては随分と饒舌だった。

 しかし最後まで言い終わる前に、突然首から上が弾け飛んでしまう。


 びゅうびゅうとまるで噴水のように血を吹き出しながら、首のない胴体がアビゲイルにもたれ掛かる。

 すると彼女は、淡黄色のドレスに真っ赤な染みを広げながら狂ったように悲鳴を上げ始めた。


「きゃー!! いやぁー!!!!」


 紅く染まった大地に響く、まるで絹を裂くような女の悲鳴。

 それを合図にしたように、それまで固まっていた騎士や兵士たちが動き出したのだが、同時に残った黒頭巾たちも動き始める。

 恐らくリーダーだったのだろう。地面に倒れる首のない黒頭巾に一瞥をくれると、皆一斉にロレンツォに向けて何かを投げつけてきた。


 それは投擲用ナイフだった。

 刃先に色が付けられているのを見ると、その部分に毒が塗りつけられているのがわかる。

 しかしロレンツォは瞬時に土の壁を地面から引き出して、その全てを防いでしまう。


 それは端から予測していたような、流れるような自然な動きだった。

 しかしそこには僅かな違和感も存在していた。

 それは魔術師をよく知る者でなければすぐには気付かなかったが、どうやら黒頭巾たちは瞬時に理解したらしい。

 その証拠に、彼らは皆一様に瞳を大きく見開いていた。



「き、貴様……何故……何故そのようなことができる……? 呪文の詠唱は……? ま、まさか……そのようななりをしながら、よもや魔術師ではないのか?」


 驚愕のあまり訊かずにいられなかったのだろう。まるで皆の疑問を代弁するかのように中の一人が呟いた。

 するとロレンツォは、暫し考えた後に首肯する。

 そうしながらも、未だ悲鳴を上げ続けるアビゲイルに騎士たちが走り寄るのを横目に見ていた。

 そして無事に彼女が保護されたのを確認すると、おもむろに口を開いた。


「獲物を前に、舌なめずりする奴は三流」


「な、なんだと!!」


 唐突に語られた言葉に、思わず気色ばむ黒頭巾たち。

 しかしその反応を最後まで確認することなく、再度ロレンツォは口を開いた。


「――これは、とある戦士が語った言葉です。しかしどうやら貴方達はご存じないようですね。そして――」


 そう告げながら、彼は右手を前に差し出した。



 それはあまりに唐突だった。

 ロレンツォが手を翳した途端、間髪入れずにそこから光の束が放出されたのだ。そして目にも止まらず速度で男たちに到達した。

 

 最早もはや悲鳴を上げる暇さえ与えられずに、一斉に頭を吹き飛ばされていく黒頭巾の男たち。

 一体何が起こったのか。それすらも理解できないまま地に倒れ伏していく。

 中には頭の代わりに四肢を吹き飛ばされた者もいたのだが、どうやらそれは意図したもののようだった。


 目的がどうであれ、その正確な攻撃は瞬時に敵を無力化した。

 剣を抜かせる暇すら与えない一方的な攻撃。

 それは決して戦闘などと呼べるものではなく、敢えて言うなら有無を言わさぬ殺戮だった。


 盛大な血だまりを作っていく首なしの死体と、四肢を吹き飛ばされて言葉にすらならない悲鳴を上げ続ける男たち。

 その様子を何処か感情の抜けたような顔で眺めながら、ボソリとロレンツォは呟いた。

 

「殺れる時に殺れ。力を誇示するなど阿呆の所業――これが我が師匠の教えです」




 ――――




「ほぅ……貴様があの・・魔王殺しサタンキラー」か。随分と探したぞ」


 リタとロレンツォ。

 この二人の師弟コンビが黒頭巾たちを相手にしていた頃、少し離れたところではケビンがまた別の者の相手をしていた。


 周囲を敵の集団に囲まれていることすら頓着せずに、余裕の笑みを浮かべる一人の男。

 2メートルに届くであろう身長と筋肉の塊にしか見えない体躯は、まさに山のように巨大で、ただ立っているだけでも異様な威圧感を感じさせる。

 若い女の腰ほどもある腕はまるで丸太のように太く、腰に吊るした巨大な剣はまるで鈍器かと見紛うほどの大きさだ。

 

 他の者たちが顔を頭巾で隠している中、その男だけは素顔を晒していた。

 ボサボサの髪から伸びる長いもみあげは顎まで続き、角張った顎は異常にがっしりしている。

 見る者全てをたじろがせるような細く鋭い眼差しは肉食獣のそれで、絶えず周囲に睨みを利かせる様はさらにその異様さに拍車をかけていた。


 

 そんな誰もが避けて通るような奇怪な男が現れたかと思うと、唐突に口を開いた。

 まるで値踏みするかのように顎を手で撫でながら、上から下までジロジロと無遠慮にケビンをめつける。

 しかしケビンは、全く恐れを見せることなくその男を誰何すいかした。


「如何にも、俺はケビンだ。 ――そういうお前は何者だ?」


「ふふふ……俺か? 俺の名はゲルルフ・シュトルツェ。貴様もよく知っている、『漆黒の腕』の首領に他ならぬ。以後お見知りおきいただきたい」 


「なにぃ……? 『漆黒の腕』だと……」


 その名を聞いた途端、ケビンの表情が険しくなる。

 そして同時にギリギリと音が聞こえるほど奥歯を噛みしめて、両手はブルブルと震え始めた。

 それは決して恐怖のためではない。

 ケビンは心の底から湧き上がってくる激しい怒りに、その身を震わせながら必死に耐えていたのだ。



 『漆黒の腕』


 それはカルデイアが誇る非合法組織に他ならず、諜報から暗殺に至るまでおよそ表に出せない所謂いわゆる汚れ仕事が専門だ。

 一応は公式な諜報機関の下部組織なのだが、決して表沙汰にできない任務と特殊性から、その存在をカルデイアとしては公式に認めていない。


 とは言うものの、その名は世界中の国から認知されており、今や彼らは「公然の秘密」となっていた。

 その隠密性ゆえに小回りの利く使い勝手の良さを買われて、ブルゴー王国にいる実子――セブリアンに前カルデイア大公オイゲンが秘密裏に貸し与えていたのはあまりにも有名だ。


 そんな組織の規模も全容も、そして首領の名さえ不明の『漆黒の腕』は、ケビンの人生に深く関わっていた。

 妻の実母――ジャクリーヌに毒を盛ったのは彼らだろうし、ハサールのバルタサール将軍を暗殺したのも、息子をさらったのも、ブルゴーの先代国王イサンドロを殺したのも、その全てが漆黒の腕の仕業だったのだ。


 狂ったセブリアンの指示だったとは言え、そもそも彼らが裏で暗躍さえしなければ全ては起こらなかった。

 

 

 その事実を思い出したケビンは、不敵な顔で佇むゲルルフを睨みつけてしまう。

 これまでどのような苦境に喘いでも無表情で淡々としていた彼にしては珍しく、その視線には激しい心の内が滲み出ていた。

 そんなケビンにゲルルフが鼻息を吐く。


「ふん……勇者だとか「魔王殺しサタンキラー」などと大層な名で呼ばれているのだから、どれほどの奴かと思っていれば……とんだチビではないか。よくぞその貧相な身体であの・・魔王を討てたものだな。 ――心の底から感心するぞ」


「なに……? あの・・……だと? なんだお前、知っているのか? 魔王を……?」


 驚きを隠せなくなったケビンは、直前までの怒りさえ忘れて問い質そうとする。

 するとゲルルフは、ともすれば凶悪とさえ表現できる顔にさらに醜い笑みを浮かべたのだが、そのじつ瞳は笑っていなかった。

 そして何処か愉快そうにしながら、事も無げに告げた。 

 


「あぁ。魔王フリートヘルムだろう? よく知っているぞ。 ――なにせ俺と奴とは同郷だからな」


 その言葉を聞いた途端、場の空気が固まってしまう。

 そしてその場の全員が、驚愕のあまり動くことができなくなってしまうのだった。

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