第288話 神の御業

「呼ばれて飛び出てジャジャジャジャーン!! チェス・ジーゲルトにごじゃりまする……って、こりゃまた随分と派手にやられちゃいましたねぇ……ここまで酷いのは久しぶりに見ましたですよ」


 人の命がかかった緊迫した場面にもかかわらず、何処か間の抜けた調子の壮年の女性。

 その言葉だけを聞いていると、あまりに場違いで間延びした台詞セリフに思わずイラッとしそうになるが、そのじつジルの身体を確認する作業は的確かつ素早かった。


 手が血に濡れるのすら厭わずにジルの身体の各所を確認していくチェス。

 その姿を見る限り、彼女がそうした作業をやり慣れているのがわかる。

 それどころか、ともすれば軽口にしか聞こえない口調に反して、短時間で怪我の状態を把握して今後の治療計画まで練り上げた手腕は、およそ只者とは思えなかった。


 これで現役を引退して10年経つ元僧侶だというのだから本当に恐れ入る。

 彼女がこれでは、未だ現役の神術僧侶の実力は如何ばかりか。

 一切の躊躇も無駄もなく、まさに最短時間でジルの様子を確認していくチェスを眺めながら、リタはそんなことを考えてしまう。

 

 この場面で声をかけるのは邪魔以外の何ものでもないのだろうが、どうしても訊かずにはいられなかったのだろう。

 その遠慮がちな口調には彼女の心の内が滲んでいた。



「あの……チェス夫人。ジルの状態は如何ですの? なんとかなりそう?」


「そうですねぇ……今はまだなんとも申し上げられませんが、とりあえずお二人が傷を塞いでいてくれたことが功を奏したようです。確かに出血は多いですが、かと言って手遅れというほどでもないかと。 ――まぁ、このくらいなら余裕余裕。なんとかなるでしょう」  


「ほ、本当ですか!? なんとかなるのですか、この状態で!? ――正直に言えば、とっくに手遅れだと思っていたんですよ!! 僕の力では失った血液まで元に戻せませんが、貴女にはそれができると?」


 リタ同様に口を閉じていられなかったルイが、無礼を承知で二人の会話に口を挟んでくる。


 王国魔術師協会に所属する魔術師でありつつも身分は平民でしかない彼に対して、リタもチェスも貴族位を持つ。

 ご存知のようにリタはハサール王国の財閥系名門伯爵家の令嬢だし、チェスもブルゴー王国の聖教会所管伯爵家の奥方だ。


 この二人と対等に口を利き、あまつさえ会話に口を挟むなど不敬の極みなのだが、今やこの場の誰も気にする者はいなかった。

 事実チェスは、その質問に事も無げに答えた。



「うひひひ……当然じゃあーりませんか。少年よ、この私を一体誰だと思ってらっしゃる? 聞いて驚きなされ。誰あろう私は、あの・・――チェス・エストリンなのですよ!! ――旧姓だけど」


 背筋を伸ばし、両手を腰に当てながら胸を反らして得意そうにするチェス。

 自らの名を自信満々に告げながら、まるで見下ろすような視線でルイを見た。


「えぇ!? チェ、チェス殿ですか……?」


「どうよ!? 驚いたか、えっへん!!」


「あ、あのぉ……どちら様ですか?」


 ずこーっ!!!!

 

 その言葉に思わずズッコケそうになってしまうチェスだったが、直後に気を取り直すと小さくため息を吐いた。


「そ、そうか……ご存知ないか……十年一昔と言うけれど本当なのねぇ……まぁ、その頃はこの少年もちびっ子だったでしょうし、仕方がないと言うか何と言うか……」


 何やら残念そうに肩を落とすチェスと、意味もわからず申し訳無さそうにするルイ。

 するとその背にリタが声をかけてくる。

 しかしその細い眉は、これ以上ないほど鋭角的に吊り上がっていた。


「いい加減になさいませ!! とにかく今はジルの治療が先ではありませんの!? その話は後にしてくださいまし!!」


「はぁーい」


「す、すいません……」




 その言葉を合図にしてやっとジルの治療が始まったのだが、まさにその光景は圧巻だった。

 口ではおちゃらけたことばかり言っているチェスではあるが、その実力は折り紙付きで、騎士や兵たち皆が見つめる中、見る見るうちにジルの傷が癒えていく。


 普通であればとっくに諦めていたであろう千切れた右腕はしっかりと繋ぎ合わされ、はみ出た内臓も丁寧に修復しながら腹の中に押し戻していく。

 それから全身の傷を細かく塞いだ後に体内で血液の増殖を促して、これが仕上げとばかりに血で汚れた身体を綺麗に拭き取った。


 一連の作業は、まさに完璧だった。

 確かに治癒魔法はリタたち魔術師も使うことができるが、ここまできめ細かく傷の修復は行えない。

 傷口を塞ぐにしても単に薄皮がはる程度のものでしかないし、折れた骨や身体の欠損を繋ぎ合わせることも、失った血液も元に戻すこともできないのだ。


 にもかかわらず、チェスはその手で奇跡を見せてくれた。

 彼ら僧侶が治癒術を「神術」と呼ぶのも、実際に目撃してしまえば誰もが認めざるを得ないものだった。


 なぜならそれは、本当に神の御業みわざにしか見えなかったからだ。

 

 ジルの身体の修復は相当魔力と体力を使う重労働以外の何ものでもなかったが、最後まで丁寧にチェスはやり遂げた。

 もちろんその一連の作業はチェス一人だけではなく、できる範囲でリタもルイも手伝った。

 そして気づけばすっかり傷の塞がったジルは、終始付きっ切りだったカンデと兵士たちに担がれて野戦テントの中へと運び込まれていったのだった。



 その時、あとに残された一人の男児――公子ユーリウスが思い出したように叫び出す。

 オロオロと周囲に目を走らせながら、焦ったようにリタに問いかけた。


「そ、そうだ母上は!? 母上はどこに!?」


「ご安心ください、ユーリウス様。御母上はわたくしの弟子……ではなくて師匠が助けに向かっておりますから。 ――彼もわたくしのようにとても強い方ですから、悪人なんて一捻ひとひねりにしてしまうでしょう」


「そ、それじゃあ、母上は大丈夫なの!?」


「えぇ、大丈夫ですよ。何の心配もいりません。御母上はすぐに戻ってきますから、それまで貴方様はジルの容態を診ていただけませんか? できれば時々名前を呼びかけていただければ幸いです。 ――さすればきっとすぐに目を覚ますでしょう」


「わ、わかったよリタ嬢。母上が戻るまで、僕はジルの看病をしているね」


「はい。それがよろしいかと存じますわ。それでは、よろしくお願いいたします」


 さも何でもないと言いたげな、自信満々のリタ。

 その笑顔に安心したのだろう。何度も後ろを振り返りながら、それでもユーリウスはジルが運び込まれたテントに入っていったのだった。



 ひと仕事終えた達成感と心地よい疲労感、そして満足感の混じり合った顔でその背中を見送ったチェスは、柔らかい笑みとともに小さくポツリと呟いた。


「ふぅ……私にできることはこれが全てね。あとはジル君の体力と生への執着次第といったところかしらねぇ」


「チェス夫人……この度のお力添え、本当に心から感謝いたしますわ。もしも貴女がいらっしゃらなければ、今頃ジルは……」


「いやいや、本当にお安い御用ですよリタ嬢。もとより貴女と私の仲なのですから、そんな他人行儀な――」


 初対面のはずなのに、妙に親しげな様子のリタとチェス。

 二人の様子に怪訝な顔をしながら、再びルイが口を挟んでくる。


「あの……もしや二人は以前からのお知り合いだったのですか? そのようなお話は聞いてはおりませんでしたが……」


「な、何を言う少年……私とリタ嬢は初対面に決まっているでしょ」


「そ、そうですか……それにしては随分と親しげでしたが……」


「い、いや、それはチェス夫人が親しみやすいお人柄のせいもあって――」


 などとリタが適当なことを言っていると、ルイはそれ以上詮索するのをやめた。

 その代わり、今度は妙にキラキラと瞳を輝かせてチェスに詰め寄っていったのだった。



「それはそうと、チェス夫人!! まるで奇跡のような治癒魔法、心の底から感服いたしました!! ――治癒術など所詮は補助的なものだとばかり思っていましたが、突き詰めればあそこまでのことができるのですね!! それを思うと、この先の訓練が楽しみになってきましたよ!!」


「おぉ少年よ!! その若さみなぎ溌剌はつらつとした顔。お姉さんは決して嫌いじゃないぞ!! よしっ、きっと君なら治癒魔術道を極められると断言しよう!!」


 希望に燃えるルイに向かってパッと喜色を浮かべながら、嬉しそうにするチェス。

 するとリタは半眼になって小さく呟いた。


「お姉さんって……アラサーの経産婦のくせして、よく言うわ――」


「リタ嬢?」


「ご、ごほんっ!! そ、それでルイ。このチェス夫人なんですけれど、本当にこの名前に覚えはないのかしら? ――もしもそうなら、もう一度歴史の勉強をやり直したほうがよろしいかと思いますけれど」


「えっ……?」


 何気にジトッとしたリタの視線。

 それに気圧されるように再びルイがチェスの名前を反芻はんすうすると、突如そこに正解が降臨した。


「あっ!! も、もしかして……チェ、チェス・エストリンと言えば、あの――」


「ふむふむ!!」


「勇者ケビンとともに魔王を討伐したメンバーの一人で――」


「ほぉほぉ、それで!?」


「ブルゴー聖教会から遣わされた、神術を極めし――」


「おぉ!!」


「喪女――」


「なにをー!!!!」




 ――――




 時間は少し遡り、ファルハーレン公妃アビゲイルが賊に囚われた直後。

 情け容赦なく公妃の白い首筋に剣を突きつけながら、道を空けろと周囲を威嚇する黒頭巾の男。

 恐らく切り傷ができたのだろう。一歩、また一歩と前進する度にアビゲイルの首からは微量の血が流れ出す。

 それがドレスの胸元を汚していくのを皆が為す術もなく眺めていると、突如そこに一人の男が現れた。


 それはひと目で魔術師とわかる者だった。

 毛玉がたくさんできた見るからに安物とわかる灰色のローブを身に纏い、手には短い杖――ステッキのようなものを握りしめる。


 それはロレンツォ・フィオレッティだ。

 ハサール王国魔術師協会副会長にしてあの・・リタ・レンテリアの師匠と謳われる人物は、突如賊の集団の前に立ちはだかるとこう告げた。



「はぁはぁはぁ……少し走っただけでこんなに息切れするだなんて、運動不足を痛感しますよ……ふぅ……さて、とりあえず警告させていただきますが、その汚い手を公妃殿下から放してください。 ――さもなくば、僕はあなた達を皆殺しにしなければならなくなりますので」


 これ以上ないほどに緊迫した場面にもかかわらず、何処か間延びしたのんびりとした口調。

 良くも悪くも、相変わらずそれは変わっていなかった。

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