第286話 謝罪と贖罪の行方

「なかなか良い太刀筋です、ユーリウス様。次はもう少し踏み込んでみましょうか」


「わかったよ、ジル!! えぇーと……こ、こうかな……えいっ!!」


「あぁ、いいですね。その調子です――」


 日も暮れなずむ夕食後のひと時、ブルゴー王国軍の野戦テントの一角に威勢の良い掛け声が響いていた。

 一つは幼い男児特有の甲高いもので、もう一つは少々聞き取りづらい低くくぐもった声。

 まるで対照的な二つの声が絡み合い、夕暮れに紅く染まった大地に溶け込んでいく。

 

 その二つの声の主を優しげな瞳で見守る若い女性。

 それはファルハーレン公国公妃、アビゲイル・ベルトラン・ファルハーレンだ。

 彼女は愛する一人息子――ユーリウスと、それに剣の稽古をつけるジルの姿を目を細めて眺めていた。

 瞳には柔らかい光が満ち溢れ、口元には自然に笑みが零れる。


 

 一国の公子ともなれば、腕の立つ専属の護衛騎士が付くのが普通だ。

 実際今の彼にはファルハーレンから腕利きの騎士が複数同行しており、交代で24時間警護に当たっている。

 しかし何故か当のユーリウスはジルに懐いてしまい、剣の稽古も彼から受けると言って聞かなかった。


 もちろんそれにはファルハーレンの騎士たちも難色を示してしまう。

 何故なら、幼少の頃からずっと護衛をしてきたにもかかわらず、ぽっと出の未だ騎士見習いでしかない男にその座を奪われてしまったのだ。

 しかもそれは異国の人間だというではないか。


 それにはさすがのジルもユーリウスの申し出を固辞した。

 公子には専属の騎士がいるのだからと頑なに断ったのだ。

 しかしユーリウスはそれを許さなかった。

 どうしてもジルから稽古をつけてほしいと、幼児特有の我儘さを発揮して頑として言うことを聞かなかったのだ。

 それは普段から素直で聞き分けの良い彼にしては珍しく、最後まで我を貫き通して周囲を困らせた。


 結局母親のアビゲイルの取り成しにより渋々ながらも護衛騎士たちを納得させると、ユーリウスの希望通りジルが剣の稽古をつけることになる。

 そして毎夕食後のひと時をその時間に充てていたのだ。


 その一件以来、まるで専属護衛のようにジルを傍に置こうとして、再びユーリウスは周囲を困惑させた。

 確かにジルはハサール王国から遣わされた救出隊の一員ではあるが、本来の任務は魔術師たちの護衛に過ぎない。

 彼の仕事は後方支援専門の魔術師たちの背後を守ることであって、決してユーリウスたちの護衛ではないのだ。


 とは言うものの、守るべき対象――リタに拒絶されてしまったジルは身の置き場に困ることも多く、ユーリウスに気に入られたのはある意味丁度良かったと言えなくもない。

 しかし相変わらずユーリウスの専属護衛達には邪魔者扱いされていたのだが。




 その日も二人がいつも通りの時間にいつも通りの稽古を始めたところだった。

 それを変わらずアビゲイルが目を細めて眺めていると、突然それは現れた。


「な、なんだ貴様ら!! 何者だ!?」


 突如上がった誰何すいかの声。

 しかしその返答を聞く前に、騎士は地に倒れてしまう。

 吹きあがる真っ赤な血潮と轟く断末魔の悲鳴。

 周囲の注意がそこへ向かうと同時に、今度は違うところから悲鳴が聞こえてきた。


「きゃー!! な、何をするのです!? その手を放しなさい!!」


 少々甲高く、何処か気品を感じさせるその声は、およ戦場いくさばには似合わない。

 しかし紛うことなきその声は、ある人物の危機を伝えていた。


 それはアビゲイルだった。

 突然前触れもなく姿を現した黒頭巾の集団に、彼女はその身を囚われていたのだ。

 そして気づいた騎士たちが取り戻そうとするも、見事に返り討ちにされていく。


 殆どの者たちが3合と斬り結べずに地に大輪の血の花を咲かせていたが、それでもおのが命よりも大切な主人を救おうと果敢に立ち向かっていく。

 そんな彼らを無言のまま切り捨てる黒ずくめの男たち。

 黒い頭巾のせいで素顔は見えないが、その顔には下卑た笑いが広がっているのは間違いなかった。


 まるで虫けらをいたぶるように兵士、騎士たちを切り捨てながら、アビゲイルを人質に取った男たちは周囲に向かって告げる。


「お前たちとてこの女を殺されたくはなかろう。なれば我らに道を空けよ。 ――少しでもおかしな真似をすれば、容赦なくこの女を傷つける。腕の一本や二本なくとも、人質の価値に変わりはないからな。くくく……」




 ブルゴー軍に合流して以来、ファルハーレン一行は周囲をぐるりと守られていた。

 言わばそれはブルゴー軍による護衛のようなものであり、彼らにとってはこれ以上ないほどの安全と言えた。

 そのおかげで夜番から解放されたリタたちは、夜はぐっすりと眠れるようになり、それまで濃かった疲労の色もかなり薄くなっていた。

 

 そんな些か緊張感が途切れつつあった日の夕暮れ時、突如それは起こった。

 突然現れた黒ずくめの集団と、公妃アビゲイルの拉致。

 周囲を取り囲む兵たちに向かって不敵な態度で道を空けろと告げながら、公妃に剣を突き付ける。

 その言葉に逆らうことができずに誰もが歯噛みをしていると、少し離れたところではすでに戦闘が始まっていた。


 ファルハーレンの公妃を人質に取りに来たということは、同時にその子――公子ユーリウスを狙うのも当然だ。

 その狙いが何処にあるかは不明だが、いずれにしても人質は一人でも多い方がいいだろうし、二か所を同時に狙う方が成功の確率も上がる。

 そしてそれを証明するかのように、やはりユーリウスも襲われていたのだった。



 とは言え、彼の横にはジルもいるし、周囲には腕利きの専属騎士たちもいたので、賊の襲撃にはいち早く対応していた。

 そんな騎士たちが黒ずくめの集団を誰何すいかする。


「な、なんだお前たち!! やめろ、下がれ!! 殿下に近づくな!!」


「……」


 「誰か」と問われて素直に答える馬鹿がいるはずもなく、ひたすら無言のまま剣を抜き放つ謎の集団。

 それを返答と受け取った騎士たちが同時に剣を抜くと、次の瞬間斬り合いが始まった。

 そんな景色を横目に見ながら、ユーリウスに向かってジルが大声を上げた。


「いいですか、殿下!! 私の手を放さずに走り続けるのです!! 決して振り返ってはいけません!!」


「わ、わかったよ、ジル!!」


 恐怖に顔を引き攣らせながら、縋るような目つきで見上げてくるユーリウス。

 その返事を聞き終わる前に、すでにジルは手を引いて走り出していたのだった。




 「決して後ろを振り向くな」

 自らそう告げておきながら、ユーリウスを連れたまま思わず背後を振り返ってしまうジル。

 するとその視界に信じられない光景が映り込んでしまう。

 

 如何に小国のファルハーレンとは言え、公子の護衛に選ばれた騎士たちの戦闘力は並みではない。

 数多の腕利きの中からさらに選抜された彼らの実力は、まさに折り紙付きと言っても過言ではなく、並みの者であれば瞬殺できるほどの力を誇る。


 しかしジルの視界に入ってきたのは、信じられない光景だった。

 自分も含めておよそ普通の者では歯が立たないと思っていた強豪騎士たちが、あろうことか次々と屠られていたのだ。

 そして一番腕の立つ者でさえ5合と斬り結べずに倒れていた。

 気付けば今や黒い装束を赤黒く染めた集団が、自身に向かって走り寄ってくるのが見えた。


 その間もブルゴー兵たちが襲い掛かっていたのだが、誰一人その足を止められる者はおらず、文字通りあっという間にジルは追いつかれてしまう。


「く、くそ……」

 

 その光景に思わず悪態をいてしまうジルではあったが、さすがに現実を無視できずに走るのをやめた。



「き、貴様ら何者だ!? 誰と知っての狼藉か、覚悟はあるのか!?」 

 

「……」


 変わらず無言のまま容赦なく剣を振りかぶる謎の男たちと、目を瞑ったまま恐怖に震えるユーリウス。

 その両者に素早く視線を移したジルは、おもむろに剣を抜き放った。


 身長180センチ、体重110キロのまるで猪のような体格に、決して人相が良いとは言えない鋭く細められた瞳。

 そして異様に太い腕と首とがっしりした大きな顎。


 その風貌で重量級のブロードソードを構える様は、見る者全てに恐怖を与えるものだが、目の前の集団は何も感じていないらしく、ともすれば頭巾の下には下卑た笑みが広がっているようにすら見えた。

 そんな彼らに向かって、ジルが啖呵を切る。


「どうしても此奴こいつを連れていくのなら、この俺を殺して奪っていけ!! 俺が相手だ。さぁ、かかってこい!!」


 そう告げたジルの額には、しかし冷たい汗が流れていた。



「ふんっ、雑魚が……死ね!!」


 ジルの煽り文句に初めて声を上げた黒頭巾の男は、予備動作もなく突然斬りかかってくる。

 その動きはまさに一瞬だった。

 騎士見習いとは言え、決して正騎士にも劣らないはずのジルでさえ反応が遅れてしまう。

 次の瞬間、ジルの右腕が宙を舞った。


「ぐわぁぁ!!!!」


 意図せず上がってしまう野太い叫び声。

 同時に甲高い音を立てて地を転がる幅広のブロードソードと、重い音とともに「どさり」と地に落ちる血塗れの太い右腕。

 

 肩口からはなく血が流れ、口からは苦痛に耐える呻き声が漏れ出てとどまらない。

 利き手は剣もろとも肩口から斬り飛ばされ、残る左手に武器はない。

 これでは最早もはや戦うどころではなく、次の一撃で殺されるのは目に見えていた。

 ならばこの5歳児が連れて行かれるのは時間の問題だろう。しかし同時に、彼を守れるのも自分しかいないのを思い出す。


 そこに考えが至ったジルは、何を思ったのか突如ユーリウスを地面に引き倒すと、その上に覆い被さってしまう。

 そして公子の姿が完全に見えないように、まるで亀の如く丸くなってしまったのだった。



「ちっ!!」


 聞こえるほどの大きさで、黒ずくめの男が舌打ちをする。

 決して見ることはできないが、頭巾の下の顔が不機嫌に歪んでいるのは間違いなかった。


「くそっ、面倒な奴だ。 ――そんなに殺されたいなら、望み通りにしてやろうではないか。遅かれ早かれ、どのみちそのガキは貰い受ける――やれ」


 男の合図とともに、次々と抜き身の剣がジルの背に突き刺さっていく。

 その度に堪え切れない呻き声を上げながら、それでもジルは決してユーリウスの上から退けようとはしなかった。

 このままではジルの身体が邪魔で、公子を引き出すことができない。

 そう言わんばかりに容赦なくジルの身体に剣が襲い掛かる。


 耐え難い激痛と薄れ行く意識の中で、必死にジルは心の中で叫び続けた。



 少しでいい、少しでいいから時間を稼ぐんだ……

 そうすればリタか勇者かラインハルトか……必ず誰かが助けに来てくれる……

 それまでの間、一秒でも長くこの身体を盾にするんだ……


 あぁ、アルセーヌ……俺はお前を殺してしまった……こんなバカな兄ではあるが、ずっと謝り続けてきたんだ……どうか最期に許してくれないだろうか。

 そしてお前の待つ場所に導いてほしい。


 ……いや、お前はきっと今でも怒っているのだろうな。

 こんな俺など許してくれないに決まってる。

 そもそも俺は地獄行きだから、端からお前のところには行けないだろうしな。


 だから、せめて……せめてユーリウス様を守り抜くことができれば……神の慈悲を受けられるだろうか。

 そうすれば……そうすれば、俺はまたお前に会えるかもしれない……



 如何いかに斬ろうが刺そうが蹴飛ばそうが、一向に動じないジルの巨体。

 今やそれは巨大な肉の塊のように、ずっしりとユーリウスの上にし掛かる。

 そんなジルの抵抗に再び不機嫌になると、吐き捨てるように男が告げた。


「ちっ!! なんて奴だ……これだけ斬られても死なぬとは。 ――なればその素っ首をねてやろう……死ね」



 あまりのジルのしぶとさに痺れを切らした男は、そう告げるな否や、特徴的な片刃の湾曲刀を大きく振り上げる。

 そして次の瞬間、一気に振り下ろしたのだった。

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