第285話 懐かしい仲間
勇者ケビン率いるブルゴー王国軍は、その後も順調に北上を続けていた。
懸念されていたアストゥリア軍との遭遇もなく、さりとてカルデイア軍の残党が現れることもなく、ひたすら彼らは首都ベラルカサへ向けて進み続ける。
そんな中、久しぶりに本国からの補給が届けられた。
長い馬車列からなる補給部隊の移動速度はお世辞にも早いとは言えなかったが、それでも歩兵が中心の本隊には追いつくことができたらしい。
さすがに兵の補充は叶わなかったが、その代わりに幾人かの魔術師などの後方支援要員を追加で送ってきたのだ。
するとその中に、懐かしい人物がいた。
それは今から13年前、ケビンやアニエスらとともに魔王を打ち滅ぼしたメンバーの一人だった。
補給用馬車の最後尾からヨロヨロと降りてくる人物に、待ち構えていたようにケビンが声をかける。
その顔にはここしばらく見ていなかった屈託のない笑顔が浮かんでいた。
「やぁ、チェス。こんな遠くまでご苦労様だな。道中の馬車酔いは問題なかったか?」
「こ、これはケビン王配殿下。殿下御自らのお出迎え、恐縮至極にございます。殿下におかれましては――」
口元を布で覆い隠しながら地に降り立った壮年の女性――チェスが、ケビンの姿を認めると
するとケビンはやんわりと遮った。
「挨拶など後でいい。 ――随分と顔色が悪いようだ。すぐに休んだほうがいい」
「た、大変申し訳ございません……うぷっ……だ、大丈夫です……おぅふ……このくらいのことでぅあぅぇぁ――」
必死にそこまで述べたチェスだったが、すぐに言葉を途切れさせてしまう。
そして――吐いた。
「おえぇぇぇぇぇ!!!!」
「……やっぱり休め」
「も、申し訳ありません……」
今から10年前、ブルゴー王国聖教会所属の一級女性神術僧侶チェス・エストリンは、ジーゲルト伯爵家の二男ディートフリートと結婚するために僧籍を抜けた。
とは言うものの、もとよりジーゲルト家は聖教会の所管貴族家であるため、結婚後もチェスは教会と深く繋がったままだ。
教会の監査と管理が主な仕事である夫とともに、結婚後も教会には頻繁に出入りしていたし、元の職場――神術(俗に言う治癒・補助系魔法)研究室にはオブザーバーとして招かれてもいた。
時には教会に請われて若い神術僧侶を指導することもあるほどで、その存在は教会としてなくてはならないものになっていたのだ。
とっくに引退したはずのチェスが、何故そのような形で教会に関わり続けているのかと問われれば、それは神術の実力が未だにずば抜けていたからだ。
若くして一級の免状を授与されたうえに、勇者ケビン、魔女アニエスとともに魔王討伐メンバーにまで選ばれたチェス。
彼女の治癒、補助系魔法の実力は当時から抜きん出ており、多分に政治的な思惑があったとは言え、その選抜には誰からも異論は出なかった。
引退した今でもその実力は衰えておらず、現役の神術僧侶の中にも彼女に比肩する者は未だにいない。
そんなチェスではあるが、今では二男一女の母親になっていた。
結婚した翌年には早速長男が生まれ、その二年後に長女、さらにその二年後に次男が生まれた。
今年31歳になる彼女はさすがにこれ以上子を作るつもりはなさそうだが、結婚から10年経った今でも仲睦まじい夫婦の様子を見る限り、まさかの4人目もあり得ると周囲には思われているようだ。
挨拶もそこそこにテントの中で横になってしまったチェスのもとに、再びケビンが姿を見せる。
今や自身が王配であることなどその顔には微塵も見られず、あの魔王討伐で一緒だった時と変わらぬ笑みが浮かんでいた。
「やぁ、チェス。体調はどうだ? 吐き気は治まったか?」
「あぁ、こ、これはケビン王配殿下!! こ、このような姿をお見せしまして、誠に申し訳ありません!!」
慌てて起き上がると、背筋を伸ばして礼を交わすチェス。
するとケビンは手を翳してそれを止めた。
「いや、いい。気にするな。今このテントの中には俺たちしかいないんだ。 ――確かに今の俺はブルゴーの王配ではあるが、そんなことは関係ない。俺たちしかいないところでは昔のように接してほしい」
「し、しかし……」
「頼むよ、チェス。正直に言うが、俺は今の立場が少々窮屈なんだ。何処へ行っても持ち上げられて、殿下、殿下と敬われる。 ――まぁ、仕方がないのだろうが、もっと気楽だった頃に戻りたくなることもあるんだよ。だからせめて昔の仲間とだけは率直に話したい」
「ま、まぁ……お気持ちはわかりますけれど……もともと私は殿下に対して敬語でしたから、昔のようにと仰られてもそれほど変わりませんが……よろしいですか?」
ケビンの懇願に対して些か釈然としない表情を見せるチェス。
しかし視線はケビンの背後に佇む一人の少女に向けられたままだった。
「それはいいのですけれど、そのお方は? 殿下は仲間と仰いましたが、私はその方と初めてお会いすると思いますが……」
「あ? あぁ……えぇと、こちらは――」
まるで今思い出したと言わんばかりに、ケビンが背後を振り向く。
そして紹介するために手招きしようとしていると、それを遮って少女が前に進み出た。
その態度は一国の王配に対しては不敬極まりなかったが、当のケビンもその少女もまるで気にする様子を見せずに口を開いた。
「ごきげんよう、チェス。
「えっ……?」
「貴女が結婚されたと風の便りに聞いておりましたが、祝辞すら送らずに大変失礼いたしました。決して不義理するつもりはありませんでしたけれど、立場上許されなかったものですから。どうかご容赦を」
そう述べながらニッコリと笑う小柄な少女。
少々古風な縦ロールのプラチナブロンドと異様に整った顔立ち。
恐らく成人しているのだろうが、幼気な童顔に小柄で華奢な体型が相まって未だ10代前半にすら見える容姿は、まるで妖精のようだ。
話しぶりから察するに、どうやら彼女は自分をよく知っているようだが、自分には全く見覚えがない。
そもそも13年ぶりなどと言っているのだ。
それほど昔なら彼女は幼女だったはずだし、そんな幼女に知り合いはいないはずだが――
変わらず胡乱な顔のままのチェスに向かって、その少女は再びニンマリと微笑んだ。
特徴的な細い眉を吊り上げて片方の口角だけを上げたその顔は、何処か悪戯っぽく見えた。
「あぁ……これは名も名乗らずに大変失礼いたしました。あまりにも懐かしかったものですから、つい気が急いてしまいましたの。ごめんあそばせ」
「は、はぁ……」
「それでは、改めまして。 ――
「こ、こちらこそ……よろしくお願いします……」
丁寧と言うには些か慇懃に過ぎるリタの挨拶に対して、変わらず胡乱な顔のままのチェス。
すると再びリタはニンマリと破顔した。
「なんですのチェス、その顔は。ここまで言ってもまだ
「えっ……困難? 一緒に……?」
まるで意味がわからないと言いたげなチェス。
変わらず怪訝な表情のまま目を細めてリタを観察する様は、なにか胡散臭いものを眺めているようにしか見えない。
しかし次の瞬間、遂に思考の先に辿り着いた彼女は突如素っ頓狂は声を上げた。
「も、もしかして……もしかして……アニエス!? 魔女アニエスなのぉ!?」
「ふふふ……やっとわかったか。そうじゃよ、わしじゃ。アニエスじゃよ」
「ふええぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!!」
あまりの衝撃に
思い切り目を見開き、大きく口を開けた顔はまるでアホにしか見えなかったが、この状況を鑑みれば、それも致し方無いと言えた。
確かにチェスもアニエスが転生魔法を成功させたと聞いてはいたが、極秘事項ゆえにそれが何処の誰になったのかは知らされてはいなかった。
ただアニエスが小さな子どもになって、両親と幸せに暮らしていると聞かされていただけだったのだ。
そもそもそれを知っているのはケビンと先々代国王とその側近数名だけであって、広く国民に真実は知らされていなかった。
もちろんそれはアニエス――リタの希望によるものだ。
自身が
あまりといえばあまりの真実を知らされたチェスは、思わず身動きができないほどの衝撃を受けてしまう。
リタを指差したままパクパクと口を動かすその様は、滑稽以外に表現のしようがなかったが、ケビンから見てもそれは理解できるものだった。
そんな彼女に対して、やっとリタが口を開いた。
「まぁの。お前が驚くのも無理はないわな。なにせ以前に一度会っているケビンでさえ、この姿には驚きを隠せなかったからのぉ」
「ば、ばば様……やめてくださいよ」
「お前は黙っとれ。 ――のぉチェスや、聞いてくれるか? こいつなんぞ、懐かしさのあまり突然抱きついてきおったんじゃぞ。そんでもって思い切り胸に顔を埋めてきたものじゃから、思わず張り倒してしもうたわい」
その言葉とともに、思わずケビンの左頬を見てしまうチェス。
すでに腫れは引いていいるものの、そこにはまるで
いや、むしろ頬の赤みが取れた分、余計に手形が目立っていた。
それを見たチェスの顔が破顔する。
それまで浮かべていた表情を一変させると、思わず吹き出した。
「ぷっ……ふふふ……ははは……あははは!! そうですか、ばば様だったのですか、この手形は!! さっきからずっと気になっていたんですけれど、聞くに聞けなくて。 ――それなら納得です!!
「お、おいチェス……そんなに笑わなくても……」
「だって、あの勇者がこんな小さな女の子に張り倒されたんですよ? こんな痛快なことはないでしょ!? いひひひひっ――」
「……」
まるで笑い袋のようにゲラゲラと笑い続けるチェス。
恐らく知らずに言ったのだろうが、実際それは軍の中で話題になっていた。
それは旧知の仲だった少女――リタに懐かしさのあまり抱きついたケビンが、無残にも返り討ちにされたとして、兵たちの間で格好のネタにされていたのだ。
そして救国の英雄にして「
この話は今後ハサール王国にも伝わるはずだ。
その結果、
「うひひひひ……そ、それにしても……いやぁ、本当に美少女ですねぇ、ばば様。これまで見てきた中でも、5本の指に入るほどの美しさですよ。それにこの絶妙なロリ感。 ――これなら殿下も思わず抱きつきたくなる気持ちもわかりますねぇ」
「お、おい、やめろ。俺はべつにロリに興味なんか――」
などと言うケビンの反論など完全に無視しながら、上から下までまるで無遠慮にリタを眺めるチェス。
その顔には本気で感心するような表情が浮かんでいた。
「な、なんじゃ、気持ち悪いのぉ。そんなに見つめんでもよかろうが」
「いやぁ、少し小柄なのが惜しいですけれど、それにしてもこの可憐さ、透明感は同じ女として思わず嫉妬したくなるほどですねぇ。それにこの胸の破壊力と来たら、世の殿方はイチコロでしょう。 ――聞きましたけれど、もう婚約者もいるとか?」
「ま、まぁの。相手はムルシア侯爵家の嫡男じゃよ」
「ムルシア家……? ってことは、もしかして、ばば様は次期辺境候夫人じゃないですか!?」
「ま、まぁ……」
「こりゃあ、凄い玉の輿ですねぇ!!」
などと言いながら、心の底から嬉しそうにするチェスにはまるで遠慮など見られない。
その姿を見る限り、どうやら彼女はケビンの言う通りこの場では自然体でいるつもりのようだった。
それから暫く彼らは互いに懐かしがって昔話に花を咲かせたのだが、すぐに現状の確認を始めた。
それはチェスがここに来た理由だった。
僧侶を引退して今や貴族家の嫁になっているはずの彼女が、なぜこなところに送られてきたのか。
それはケビンもリタも知りたがったのだが、その質問にチェスは事も無げに答えた。
「それは殿下の身を案じた女王陛下に命じられたからです。これ以上兵を送ることはできませんが、魔術師を中心とした後方支援であればまだ人員に余裕があったものですから」
「しかしチェス……君はもう僧侶を引退しているじゃないか。なにより家庭も持っているし子供たちだってまだ小さいだろう。それなのに何故こんなところに……」
「まぁ……こればかりは仕方がありません。自慢するわけではありませんが、現役の神術僧侶も含めて私よりも優れた治癒魔術師がいなかったのです。 ――他は皆戦死してしまいましたから……」
「そ、そうか……」
「そもそも私の起用は女王陛下の勅命だったんですよ? ご存知ありませんでした?」
「えっ? エルミーが……? 彼女が君を? ――そ、そうか、すまないチェス。君には幼い子供たちがいるというのに、こんな
「いや、いや、いや!! やめてください!! 確かに子どもたちと離れるのは辛いですが、それは他の兵たちも同じこと。続々と僧侶たちが戦死していく中で、自分だけが安全なところでのうのうとしているわけにはいきませんから」
「そうか……すまないな、チェス。くだらない理由で始まったこんな戦など、俺がすぐに終わらせてやるからな。もう少しだけ辛抱してくれないか。決着が付いたらさっさと帰ろう」
「そうですね。先王の悪口を言うわけではありませんが、こんな大義のない戦なんて本当にくだらない……これでどれだけの命が散ったのかと思うと、本当にやりきれませんね……」
「あぁ、本当にな……」
「ほんまじゃのぉ……」
何気にしんみりとした雰囲気がテントの中に漂い始める。
そして誰からともなく再び口を開こうとしていると、突如その声は聞こえてきた。
「て、敵襲!! 野営地に侵入者あり!! ファルハーレンの公妃と公子を人質に取り、逃亡を図っているもよう!! 全員速やかに対応に当たれ!!!!」
その声とともに一斉に立ち上がったリタたちは、同時にテントから飛び出していったのだった。
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