第277話 さらにひどいことになった
ハサールからの先遣隊、そしてファルハーレンの騎士たちが必死に剣を振り続けているうちに、気づけば敵の姿は殆ど見えなくなっていた。
初めは150名近くいたアストゥリアの兵たちだったが、真紅の戦乙女――ブリュンヒルデにまるで虫けらのように虐殺された結果、その数を半数以下に減らしていたのだ。
さらに奮起したファルハーレン一行が暴れまくったせいで、さらにその数を減らした挙げ句に物見砦に逃げ込んでしまった。
砦などというものは、もとより防衛を前提に作られている。
そのため逃げ込んだ敵を攻略するのは容易ではなく、それには多くの時間と手間と犠牲が必要なのは目に見えていた。
結果、誰もがこのまま放置すべきだと考えた。
しかし肝心のリタだけは絶対に許さないと吠えたのだ。そして彼らを皆殺しにすると宣言した。
ここから南に下ると、そこにはアストゥリア軍の本隊がいるはずだ。
そしてルカーシュ率いる別動隊がファルハーレンの公妃と公子を捕らえてくるの待っているのだろう。
つまりは可能な限り早くこの場を去るべきで、悠長に砦を攻略している場合ではないのだ。
にもかかわらず、こんなところで砦戦を仕掛けるなど、この少女は一体何を考えているのか。
などと皆は思ったのだが、これまで見てきたリタの力を慮ると、敢えてそれを口にできるものはいなかった。
――いや、実際には二人だけいた。
今や恐怖の対象にすらなっているリタに向かって、いつもと変わらぬ平常運転をしている者が。
それは誰あろう、ロレンツォとラインハルトだった。
とは言うものの、どうやらロレンツォは何か思うところがあるらしく、敢えてリタに苦言を呈しようとはしないため、結局ラインハルトだけが声をかけることになる。
「おい、リタ。お前の気持ちはわかるが、そんなことをしている余裕なんてないんじゃねぇのか? そもそも砦の攻略なんて、そんなに簡単なもんじゃねぇし」
「うるさいですわね。そんなことわざわざ言われなくても十分わかってますわ」
「それならさっさと行こうぜ。これだけ酷い目に合わせたんだし、どうせ奴らは追いかけてこねえって」
「まぁ、そうでしょうけれどね」
「それにきっと奴らは別働隊に違いない。南には間違いなく本隊がいるはずだから、奴らが動き始める前にカルデイアに入っちまおうぜ。 ――そもそも奴らは、ここに公妃と公子がいることをわかって待ち伏せしてやがったんだからな。間違いなく追いかけてくるぞ」
「大丈夫ですわ。こんな砦なんて、私にしてみれば犬小屋同然ですもの。あっという間に瓦礫の山に変えて見せますわ」
どうやら秘策があるらしい。
ニヤリと笑うリタの顔には、明らかにそう書いてあった。
本人には全く自覚がないのだろうが、その小悪魔のような顔は何処か男をドキリとさせる。もちろんラインハルトも何か思ったのかもしれないが、一切顔には出さなかった。
「犬小屋ってお前……普通なら笑える話なんだろうが、お前が言うと全く冗談に聞こえねぇよ。 ――正直に言うと、俺はお前が恐ろしい。それだけの力があるのなら、お前一人でアストゥリアを全滅させられるんじゃねぇのか? なぜやらない? なぜ一介の魔術師であり続けようとする? なぜだ?」
「なぜって……強いて言うなら、必要がない限りこちらから喧嘩は売らない主義だから……とでも申しましょうか。 ――もっとも、降りかかる火の粉は全力で払い除けますし、二度と再燃せぬように火元は全力で叩き潰すスタイルですけれど。 ――舐められたまま引き下がるなど、そこまで
「……」
「それに
そう言うとリタは、顔に満面の笑みを浮かべた。
近い将来、ラインハルトはハサール王国東部辺境侯に、そしてリタは西部辺境候婦人になる。
そしてラインハルトにはリタの義妹にあたるエミリエンヌが嫁ぐため、最終的にこの二人の関係は義姉、義弟になることが決まっていた。
ご存知のようにリタの夫になる人物――フレデリクは武よりも文に才があるうえに、押しの弱い大人しい性格をしている。
それではお世辞にも武人として大成できるとは言い難く、そのためにリタが嫁として迎え入れられたのだ。
そして将来は「文」のフレデリクと「武」のリタとして互いに補完し合って行くことになる。
そのためラインハルトの実質的なライバルはリタに他ならないのだが、これまでの経緯を鑑みても中々にそれは難しかった。
それは何故なら、リタの強さがまさに常識外れだったからだ。
さらにアンペール家を消滅させた手腕を見る限り、相当知恵(悪知恵ともいう)も回るらしい。
純粋な剣技だけなら、確かにラインハルトに分があるだろう。
しかしそれは比較する前提自体が間違っている。
そもそもリタは剣士ではなく魔術師なのだから、単純に比べられるようなものではないのだ。
それを逆に言うなら、ラインハルトは魔法が使えないからリタよりも弱いと同義になってしまう。
その特性上、魔術師が鉄製の武器を持てないのはあまりに有名だし、魔法を使うにも時間をかけて詠唱しなければならない。
それこそが魔術師が近接戦闘を不得手としている理由なのだが、それをリタは無詠唱魔法で克服してしまったのだ。
手の触れられる至近距離から、一切予備動作を見せずに放たれる攻撃魔法。
それはあまりに脅威的過ぎて、
本来の遠距離ではリタの圧勝であるにもかかわらず、近距離でも無詠唱魔法の雨あられ。
そのうえこの世のものではない者まで呼び出して、自由に使役するのだ。
もしかすると、冗談抜きでリタ一人でアストゥリア軍を全滅させられるかもしれない。
どうやら今のところ彼女にその気はないようだが、必要に迫られればそれすらも辞さないだろう。
本当に彼女が自国の人間、そして身内になる人物で良かったと心の底から思うラインハルトだった。
そんな将来の義弟の思いなど露知らず、変わらずリタは薄ら笑いを浮かべている。
そして再び両手を頭上に掲げると、先ほどとは少し違った言葉を唱え始めた。
「θγζЗ~щЖд~ʅ( ՞ਊ՞)ʃ~∮∃Йг~――€∵Δ~――」
少々甲高く、それでいて何処か耳に優しい柔らかい音色。
決して歌ではないのだが、それでも歌うような声を上げながら、リタは宙の一点を見つめ続ける。
すると再び周囲に雲のようなものが集まり出したかと思うと、次第にそれは何かを形作っていく。
何か予感するものがあったのだろうか。
その光景を見た仲間たちが一歩、また一歩と後ろへ下がり始めると、その場所へ突如巨大な人が現れたのだった。
いや、それは「人」と呼ぶには大きすぎた。
確かにブリュンヒルデもヘカトンケイルも人と呼ぶにはあまりに巨大だが、それはあくまで「人間」と比べた場合だ。
しかし
大きな頭に腕が二本、脚が二本。
確かにその姿は人間のように見えなくもないが、似ているのはそこだけでしかない。
全体が岩のようなものでできている体躯は、何処から見ても非常に硬そうだ。
軋むようなぎこちない動きを見る限り、それは間違いなく「岩の巨人」だった。
大きさは軽く5メートルを超えており、
そんな岩の巨人――ストーンゴーレムが地響きを立てて地に降り立ったのだった。
ズシン……ズシン……
「うわぁ……」
「すげぇ……」
「でけぇ……」
ファルハーレンの騎士たちは、まるで語彙を失ったかのように一言しか発せられず、皆一様に頭上を見上げてしまう。
しかしその中でも一人だけはしゃいでいる者がいた。
もちろんそれは公子ユーリウスだ。
まるで外国の唄のような美しいリタの音色とともに、突如現れた岩の巨人。
母親に昔読んでもらった絵本さながらに、それは巨大だった。
その姿を馬車の窓から眺めながら、ひたすらユーリウスは歓声を上げ続ける。
「見て見て、母上!! 凄い、凄いよ!! あれが本物のストーンゴーレムなんだね!! 昔母上に読んでもらった絵本に描かれていたけど、さすがは本物!! 凄い迫力だ!! 本当に凄いよ!!!!」
騎士たちと同じように、まるで語彙を失ったかのように「凄い」を連発し続ける公子ユーリウス。
しかし母親のアビゲイルは、そんな息子に引きつった笑みを返すことしかできなかった。
「え、えぇ……ユーリウス……本当に凄いですわね……けれど母上は……母上は……少し疲れました……」
まさに息絶え絶えに辛うじてそう告げると、公妃アビゲイルは馬車の中でぐったりとしてしまうのだった。
ストーンゴーレムの登場にファルハーレン側は沸いていたが、それに反して砦の中のアストゥリア兵たちは顔面を蒼白にしていた。
あんな巨大な岩の塊を呼び出して、一体彼女は何をするつもりなのだろうか。
実のところその答えは誰もが薄々察していたが、敢えてそれを口に出す者はおらず、ただひたすらに恐怖と絶望に
中には全く根拠のない淡い期待に縋ろうとする者もいたが、目の前で繰り広げられる会話を聞いた途端、それすらも絶望に変わってしまった。
「ごきげんよう、ストーンゴーレムさん。先日はクソどもの駆除をお手伝いいただき、誠にありがとうございました。 ――変わらずお元気そうでなによりですわ」
「……」
まるで親しい友人に接するように、ニコニコと笑いかけるリタ。
それに対してストーンゴーレムは僅かに頭を動かした。
「
「……」
まるでどこかの店の女主人のように、何気に
そして妙に艶のある上目遣いで見つめていると、遥か頭上で彼(?)は再び小さく頭を動かした。
するとリタは、パッと顔に喜色を浮かべる。
「あぁーん、さすがはストーンゴーレムさんね。頼りになりますわぁ!! 貴方なら、きっとそう言ってくれると思ってましたのよ。 ――リタ、とっても嬉しいわ!!」
「……」
茶番。
まさにそれ以外に表現しようがないほど、そのやり取りは香ばしかった。
事実ファルハーレンの騎士たちは半ば白目だったし、ハサールの面々も半目で眺めるばかりだ。
その悪ふざけにロレンツォは頭を抱え、ラインハルトは「かぁー!!」などと謎の叫びを上げて、そして未だ14歳の補助魔法専門魔術師――ルイ・デシャルムなどは、年上の女性に憧れるショタさながらに頬を真っ赤に染めていた。
しかし当のリタとストーンゴーレムは、そんなことなどお構いなしに会話を続ける。
「それでは申し訳ないですけれど、早速お言葉に甘えますわ。今度来てくれた時にはいっぱいサービスしちゃうから。約束よ。 ――それじゃあストーンゴーレムさん、お願いね!!」
最後に小首を傾げて目いっぱい可愛らしい顔を作ったリタは、そのままストーンゴーレムを送り出したのだった。
どかーん!!
ぼかーん!!
どごーん!!
「うわぁー!!」
「ぎゃー!! 助けてくれー!!」
「に、逃げろぉー!!!!」
身の丈5メートルを超える岩の巨人が、これまた岩でできた太い腕で砦を破壊し始める。
数キロ先まで轟くような盛大な地響きを立てながら、ひたすらその太い腕を砦に叩きつけた。
腕の一振りごとに外壁にひびが入り、割れて崩れる。
その間も幾人ものアストゥリア兵たちが瓦礫の下敷きになり、隙間を縫って逃げようとする者は
「はいっ、どーん!!」
「こっちも、どーん!!」
「おまけに、どーん!!」
次々と岩の巨人に吹き飛ばされ、潰されていく敵兵たちと、無詠唱のはずなのに何故か謎の掛け声をかけながら光の矢を連発するリタ。
そんな光景がしばらく続いていると、最後に瓦礫の中からアストゥリア軍別動隊隊長ルカーシュ・ヴォイタがよろよろと
その姿はまさにぼろぼろだった。
恐らく折れているのだろう、おかしな方向に曲がった右腕を押さえながら、必死にリタに近づいてくる。
その姿を見たリタは、ストーンゴーレムに待ったをかけた。
「あら、隊長さんではありませんの。そんなにボロボロになられて、いったいどうされましたの? 訊くだけ野暮かもしれませんけれど、もしかして岩の巨人にでも殴られたのではなくって?」
まるで見下すように、ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるリタ。
高い位置から彼女がそんな顔をしていると不思議とその足を舐めたい衝動に駆られてしまうが、ルカーシュは必死に耐えた。
そしてひたすら許しを乞う。
「お、お願いだ、助けてくれ!! お、俺は上から命令されただけなんだ!! ファルハーレンの公妃たちを捕まえてこいと言われただけなんだ!! ――お前にもわかるだろう? 所詮軍隊なんてものは、上からの命令には逆らえんのだ!!」
「さぁ……
「あぁ、も、申し訳ありません!! でも……でも……お願いです、どうか命だけは!!」
己の現状認識と采配の不味さから多数の部下を死なせてしまったルカーシュではあるが、そんなことなどお構いなしにひたすら命乞いをする。
その姿には軍人としての矜恃どころか、人間としての最低限の良識さえ欠けているとしか思えなかった。
こんなちっぽけな無能であるにもかかわらず、別動隊の隊長を任されているのだ。
恐らく彼も、何処ぞの有力貴族の子息に違いない。
たとえ能力がなくても、金と権力で地位を買えるのはどの国も同じらしい。
その事実に虫唾が走ったリタは、口を塞ぐためにルカーシュの頭にゆっくり手を翳す。
そしてまさに光の矢を発しようとしたその瞬間、何処からか大きな声が響き渡った。
「お、お前たちは包囲されている!! おとなしく武器を捨てて投降せよ!! も、もしも従わない場合は、有無を言わさず、み、皆殺しにする!!!!」
その叫びにハッとしたルカーシュは、思わず顔に喜色を浮かべた。
しかしその直後、再び顔に絶望を宿してしまう。
それは何故なら、その声を上げたのがアストゥリア軍ではなかったからだ。
気付かぬうちに、いつの間にか周りを包囲していた集団。
それは今や見慣れたアストゥリアの灰色の軍服ではなく、濃い緑色に白のラインの入った特徴的なものだった。
そしてそれを見た途端、今度はリタが喜色を浮かべる番だった。
この状況にもかかわらず何故か顔に笑みを浮かべたリタは、背後に佇む仲間たちを振り返るとこう告げた。
「とても残念ですけれど、これで終わりですわ。これ以上抵抗しても怪我人が増えるだけ。なればここは大人しく投降すべきでしょう。 ――さぁ皆さん、剣をお捨てになって。そして降伏するのです」
ここに至るまであれだけの暴力を見せつけてきたリタなのに、今度は簡単に剣を捨てろと言う。
そのあまりの豹変ぶりに、ファルハーレンの一行は皆一様に怪訝な顔をしたのだった。
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