第276話 やっぱりひどいことになった

「な……なんだ、こいつは!! ば、化け物か!?」


 突如現れた真紅の戦乙女に、その場は騒然とし始める。

 ルカーシュを先頭とするアストゥリアの兵たちは、皆口々に「化け物だ」と叫んでいたし、リタの背後ではファルハーレンの面々が声もなく立ち竦むばかりだ。



 突然白い雲が人を形作ったかと思えば、気づけばそこに巨大な乙女が立っていた。

 その言葉に偽りなく、まさに絶世の美女と呼ぶにふさわしい容姿と、全身に纏った真紅の鎧。

 優に2メートル半ばを超える身の丈と、並みの人間では持ち上げることさえ敵わない巨大な剣を構えた姿は、まさに冥界の真紅の戦乙女――ブリュンヒルデに他ならなかった。


 遠目で見る限り、確かにその完ぺきな容姿と非の打ちどころのない美貌は、人知を超えた美と言っても過言ではない。

 しかし近くで見ると、その見上げるような巨大な体躯と何処か神々しささえ感じさせる佇まいは、決して触れてはいけないと思わせるものだった。


 まるで召喚主を守るようにリタの前に立つと、穏やかな笑みとともに振り返るブリュンヒルデ。

 その慈愛に満ちた微笑みは彼女の美しさをさらに際立たせていた。

 そんな彼女にリタが声をかける。


「ごきげんよう、ブリュンヒルデ。ご無沙汰してましたわね。貴女を呼び出すなんていったい何年ぶりかしら。 ――それで、来てもらって早々に不躾ぶしつけなのだけれど、折り入って貴女にお願いがありますの。聞いてくださる?」


 その言葉を聞いた途端、ブリュンヒルデは破顔した。

 恐らくそれが答えなのだろう。決して言葉には出さなかったが、その表情が彼女の返答を予想させた。

 まるで子猫を見つけた少女のように優しくリタを見つめながら、無言のまま話の続きを促した。


「……」


「ありがとう、ブリュンヒルデ。相変わらず貴女は優しいのね。 ――それで他でもないわたくしのお願いなのですけれど……このお下劣なクソどもを、ぶち殺していただけないかしら? なんならこの全員を、もれなくクズ肉に変えてもよろしくてよ?」


「……」




「なっ!! なにをお前……」


 その言葉を聞いた途端、思わずルカーシュは後退ってしまう。

 そして後ろに居並ぶアストゥリアの兵たちも、皆一様に顔を引きつらせた。

 

 真紅の戦乙女ブリュンヒルデ。

 リタが語った通り、その絶世の美女との呼び名に偽りはなく、確かにその容姿だけなら世界で一番美しいかもしれない。

 しかし彼女の真価はそこではなかった。


 多少神話に詳しい者なら誰でも知っているように、その美しい見た目にもかかわらず、ブリュンヒルデは「冥府の戦女神」の異名も持つほどの武闘派だ。

 その偉業はいにしえの絵巻にも描かれているように、一人で国一つを滅ぼしたとか、あの・・ヘカトンケイルと互角の勝負をするとも言われている。


 もっともその姿を実際に見た者が殆どいないため、誰もがそれを神話の世界の話だと思いこんでいた。

 しかしここに、彼女を召喚できる者がいたのだ。

 それだけでもおよそ信じられないものだったが、実際にその姿を見てみると、嫌でも信じざるを得なくなってしまう。


 そんなブリュンヒルデではあるが、召喚主――リタの言葉に決して頷くことはなかった。

 しかしその代わりに、これ以上ないほどの極上の笑みを顔に浮かべたのだった。



 まさにニコニコとした人好きするような美しい笑顔。

 そんな顔をしながらも、おもむろにブリュンヒルデは巨大な剣を振り上げる。

 そして全く無造作に、思い切り横なぎにした。


 突如弾け飛ぶ複数の身体と真っ赤な血潮。

 何ら合図もないままに、突如その場は殺戮の場と化したのだった。


 身の丈2メートル半ばにもなる巨大な体躯にもかかわらず、ブリュンヒルデは信じられないほどの素早さで戦場を駆け回る。

 そして剣一振りで3人、4人と同時に屠っていく。

 飛び散る血糊が顔面を汚しても、変わらず彼女は顔に満面の笑みを浮かべ続けた。


「ぎゃー!!」


「た、たすけ――」


「化け物だ!!!!」


「に、逃げろぉー!!」


 突如巻き起こった殺戮の嵐に、今やアストゥリア兵たちは必死に逃げ回るばかりだ。

 中にはすでに剣を捨てて一目散に走り去る者まで出る始末で、最早もはやそこには軍の規律など欠片も存在しなかった。

 まるで屠畜場の豚の如く情け容赦なくアストゥリア兵を屠り続けるブリュンヒルデ。

 その顔には変わらず恍惚の表情が浮かんでいたのだった。



 突如周囲に満ち始めた悲鳴と濃い血の匂い。

 それを信じられずにしばらく呆気に取られていたファルハーレン一行だったが、咄嗟に我に返ると大声を出した。


「てめぇら何やってやがる!! せっかく頼もしい味方が来てくれたんじゃねぇか!! あの人数を彼女一人に任せる気か!? おら、さっさと動きやがれ!!」


 低く大きく、それでいて何処か下卑た雰囲気の漂う叫び声。

 それはラインハルトだった。

 誰よりも早く状況を理解した彼は、咄嗟に正気に戻って仲間を鼓舞し始めたのだ。

 そして率先して敵兵の中に飛び込んでいく。


「うらぁー!! てめぇら、覚悟しやがれ!! 汚物は消毒だぁー!!!!」


 今や規律も失って、逃げ惑うばかりのアストゥリア兵に襲い掛かっていくラインハルト。

 それでも何人かは反撃を試みていたが、さすがは次期ハサール王国東部辺境候と言うべきか、やはり彼の強さは本物だった。

 その他大勢の一介の兵士たちなど歯牙にもかけず、ひたすら汚物を消毒していく。


 するとその姿に触発された他のファルハーレンの騎士たちも、周囲の敵に向かい始めた。

 絶望的な戦力差により直前まで死を覚悟していた彼らではあったが、今のこの状況において最大限にその役割を果たしたのだった。




 そんな中、やっと正気に戻ったジルは咄嗟にリタの姿を探し始める。

 主な敵をブリュンヒルデに丸投げにして、見れば彼女は残りの兵たちに何やら光る球をぶつけているところだった。

 決して敵に近づかず、遠く離れた場所から魔法で狙い撃ちにする。

 そんな戦闘を繰り返しているリタに近づいたジルは、その背後で周囲に注意を払い始める。

 するとリタに一喝されてしまった。


「ジル!! 何度も言ってますけれど、自分の身は自分で守れますわ!! それに貴方が近くにいると魔法の邪魔になりますの!! 少し離れてくださいまし!!」


「し、しかし俺は――」


わたくしはいいですから、貴方はユーリウス様をお守りなさいませ!! これはお願いではなく命令です。 ――さぁ、さっさと行きなさい!!」


「だ、だが――」


「ジル。同じことを何度も言わせないで。 ――わかっていると思うけど、私は貴方の何倍も強いのよ。それこそ貴方を瞬殺できるほどにね。だから近くにいられると逆に足手まといになってしまうの。 ――それに自由に魔法が放てなくなるから、お願いだから離れてちょうだい」


 まるで優しく諭すような口調。

 恐らくそれがリタの素なのだろう。

 それは聞きなれた何処か冷たい慇懃なものではなく、まるで親しい友人に向けられるもののようだった。

 

 思わずリタの顔を凝視するジル。

 しかしそれも一瞬で、即座に彼はこう答えた。

 

「わ、わかりました……」



 本来守るべきリタに拒絶されてしまったジルは、結局アビゲイルとユーリウスの護衛につくことにした。

 そのため周囲の戦闘を避けながら馬車列の先頭に走っていったのだが、そこで衝撃の光景に出くわしてしまう。


 それは巨人だった。

 まるで武神のように鍛え抜かれた身体に禍々しい装飾が施された黒色の鎧を纏った、身の丈4メートルはあろうかという巨大な剣士。

 鍛え抜かれた分厚い胸板の横から左右5本ずつ合計10本もの太い腕が生えており、そのそれぞれに様々な得物が握られていた。


 それは鈍器と見紛うような太い諸刃の剣だったり、凄まじい大きさの戦斧だったり、はたまた五メートルはあろうかというような長い槍だったりする。

 そんな見るからに異常な姿の巨人が、アビゲイルたちの乗る馬車の前に立ち尽くしていたのだ。


 その姿を見た途端、意図せずジルの足が止まってしまう。

 そしてその絶対的な存在に恐怖を覚え、脚が震え始めた直後に馬車の中からユーリウスが顔を出した。


「ジル!! 大丈夫、これは味方なんだ!! 僕たちの護衛のためにリタ嬢が呼び出してくれたんだよ!!」


「えっ!?」


「名前は確か……『ヘカトンケイル』とか言ってた!! 確かにとても大きいし、見た目も怖いけれど、とにかく彼は僕たちの味方だから安心して!!」 

 

 突如現れたブリュンヒルデにばかり注目していたが、こっそりリタはヘカトンケイルも呼び出していた。

 そして手薄になりがちだったアビゲイルとユーリウスの護衛を命じていたのだ。

 一言も喋らず、顔も見えず、そして異常なほどの威圧感を湛えながらのっそりと佇む冥界の黒騎士は、すっかりユーリウスのお気に入りとなっていたのだった。




「くそぉ!! く、来るな、来るな、来るなぁー!!」


 まさに絶世の美女と言われる顔に満面の笑みを湛えたまま、ひたすら無慈悲にアストゥリア兵を狩り続けるブリュンヒルデ。

 もとより真紅の鎧ではあるものの、今では返り血でより真っ赤に染まり、その顔にも盛大に血飛沫ちしぶきを浴びていた。


 そんな鬼気迫る姿に心底恐怖を覚えたルカーシュは、残った手勢を集めて物見砦に逃げ込んでしまう。

 そして分厚い金属製の扉を閉ざして、閉じ籠ってしまったのだった。



 ほとんどの者はブリュンヒルデの大剣で真っ二つにされていたが、中にはファルハーレン一行に倒された者もいた。

 そんな彼らは死にきれず、地面をのたうち回っていたのだ。


 死にきれず、うめき声を上げ続けるアストゥリア兵たち。

 しかしそんな味方を無視したまま、一向にルカーシュたちは外に出てくる気配すらない。

 するとリタは砦に向かって叫んだ。


「いまさらそんなところに逃げ込んでも無駄ですわよ!! 決してわたくしは許してなんて差し上げませんもの!!」


「う、うるさい!! もう行け、行ってしまえ!! ――お前たちは西へ向かいたいのだろう!? 我々はもう手出ししないから、もう何処へなりとも行くがいい!!」


 突如砦から聞こえてくるルカーシュの声。

 その声は盛大に裏返り、明らかに震えが混じっていた。


 彼によると、最早もはや手出しはしないから、このまま自分たちを無視して西へ向かえということらしい。

 とは言うものの、彼らがファルハーレンの馬車列を襲ったのは軍の命令なのは間違いない。

 つまりその発言は命令違反なのは確実で、そこに軍人の矜恃など欠片もなかった。



 アストゥリア兵が逃げ込んだのは、岩造りの頑強な砦だ。

 如何に巨大なブリュンヒルデやヘカトンケイルと言えど、それを破壊するのは些か厄介だろう。

 実際リタが目くばせしても、ニッコリと微笑んではいるものの、ブリュンヒルデは歩みを止めてしまっていたし、ヘカトンケイルからもあまりやる気が感じられなかった。


 籠城する砦への攻撃など、その手間と時間を鑑みれば確かにやるだけ無駄だろう。

 そしてルカーシュの言う通り、このまま無視して西へ向かうのが恐らく正しい。

 とは言え、リタたちが西へ向かい始めた直後にその背後を襲われる危険もないとは言い切れないが、これだけの恐怖を植え付けた直後である以上、その可能性も低いだろう。


 などとその場の全員が思っていると、リタはその顔の笑みをさらに深めた。


「ふふふ……このわたくしに剣を向けておきながら、このまま見逃してもらえると本気で思ってらっしゃいますの? もしそうならば、その御頭おつむは相当おめでたいとお見受けいたしますわね」


「な、なんだそれは!? どういう意味だ!?」


 未だ震え声のまま、尚もルカーシュが問う。

 するとリタは鼻息も荒く答えた。



「まだおわかりになりませんの? このわたくしにかかれば、そんな砦など犬小屋と相違ないと申し上げているのです。 ――さぁ、ウジ虫ども!! そのそびえ立つクソもろとも、この世から消し去って差し上げますわ!! 精々いい声で鳴いてくださいまし!!」


 ニヤリとした悪魔のような笑みを浮かべるリタと、女神のようなニコニコ顔のブリュンヒルデ。

 まるで対照的なこの二人は、砦の中のアストゥリア兵には本当の姉妹のように見えた。

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