第275話 ひどいことになる
「何度同じことを言わせるつもりだ!! さっさと武器を捨てて投降しろと言っている!! そしてファルハーレンの公妃と公子をこちらに渡してもらおうか!!」
その言葉を聞いた途端、馬車列に緊張が満ちた。
未だ名を明かしていないのに、アストゥリアの兵たちは即座にこちらの正体を言い当てたのだ。
それは彼らが端からこの集団を知っていたことに他ならず、
彼らが隠れていた砦には、ファルハーレンの国境警備兵が詰めていたはずだ。
にもかかわらずそこにアストゥリア兵がいたのは、事前にそれらを排除していたからなのだろう。
アビゲイルたちの逃走は、初めからアストゥリアに漏れていた。
そして気づけば待ち伏せされていたのだ。
すでに5倍近くの敵兵に囲まれながら、それでも一向に武器を捨てようとしないファルハーレン一行。
たとえ勝ち目がなかろうと、決して投降しないと言わんばかりのその様は、今や悲壮感すら漂うものだった。
しかしさすがは近衛騎士と言うべきか。
これだけの絶望的な状況にもかかわらず、誰一人として恐れを見せず、それどころかそこには最後まで抵抗する強い意志が見て取れる。
そんな騎士たちに向かって、アストゥリア軍の隊長――ルカーシュ・ヴォイタが再び告げた。
「二度とは言わぬからよく聞け!! これから10数える!! その間に武器を捨てて投降しろ!! いいか、数えるぞ!! ――いち!! にぃ!! さん……」
決して武器を捨てないのがわかっていながら、敢えてルカーシュは数を数え続ける。
そして
その間も着々と数は増え続け、遂にそれが8を過ぎたところで、馬車列の間から一人の魔術師が歩み出たのだった。
華奢(しかし巨乳)な体躯をローブで覆った、まるで子供のように小柄な少女。
輝くプラチナブロンドの髪と透き通る灰色の瞳は、まさに妖精と言っても過言ではなく、何処か浮世離れしたその姿は取り囲むアストゥリア兵たちの目を釘付けにする。
もちろんそれはリタだった。
大義名分、隊長ルトガーから交渉を任されたと勝手に解釈したリタは、まるで自分が代表者だと言わんばかりに口を開いた。
「いったい何ですの? そのようなくだらぬ
「な、なんだ貴様は!! 何者だ!? そのような若い
「……随分と
まさに「ふふんっ」と言わんばかりに鼻で笑うリタ。
その姿にイラッとしたのか、ルカーシュは語気を強めた。
「そんなことはどうでもいい!! とにかく公妃と公子を差し出せと言っている!!」
「お二人を差し出したとして、アストゥリアは彼らをどうなさるおつもり?」
「そんなことは俺の知ったことか!! 俺はその二人を確保せよと上から言われただけだからな!!」
訊かれてもいないことまで、勝手にべらべらと喋りまくるルカーシュ。
その彼にリタは冷たい笑みを返した。
「聞けばアストゥリアの皇帝は、アビゲイル様の叔父でありユーリウス様の大叔父にあたるとか。にもかかわらず、こんな手荒な真似をするとは―― 一応は血の繋がった親戚でも
「貴様ぁ!! 我が皇帝陛下を侮辱するとはいい度胸だ!! ――
「その
「なんだとぉ!?」
「ふぅーん、皆殺し……それはまた豪気なことですわねぇ。とは言え、本気でできると思ってらっしゃるの? そのような辛気臭い顔をしているわりには、随分と楽観的でいらっしゃるのね」
「し、辛気臭いだとぉ!? 貴様ぁ、ふざけるのいい加減にしろ!! ――見てみろ、この戦力差を!! こちらはお前たちの数倍はいるのだ!! まともに考えて勝てるわけがないだろう!!」
「まぁ、確かに勝ち目はないかもしれませんわねぇ……
そう言ってニヤリと笑うリタ。
普通であればその顔は超が付くほど可愛らしいのだろうが、今のこの状況では、何処か背筋が寒くなるようなものだった。
そして終始一貫して相手を小馬鹿にする態度は、見ようによっては相手をわざと怒らせているようにも見える。
それに気付いたルカーシュは、眉間にしわを寄せて胡乱な顔をした。
「なんだそれは? どういう意味だ? なぜお前はそれほどまでに笑っていられる? なぜそんなに自信満々なのだ?」
圧倒的な戦力差に裏打ちされた優越感。
確かにリタの言う通り、人数だけで言えばアストゥリアの圧勝だろう。
ファルハーレンの中には相当な手練れや魔術師らしき者もいるが、このまま多勢に任せて襲い掛かれば、奴らなどひとたまりもないはずだ。
しかしその自信も、リタの妖しげな笑みの前に霞んでいく。
理由は定かでないが、その姿にルカーシュは妙な迫力を感じていたのだ。
するとそれに気付いたリタが問いに答えた。
「なぜ笑っていられるか……ですって? ――そんなの簡単ではありませんの。貴方よりもこの
「はぁ……?」
「なんですの、その不細工な顔は。本当に失礼ですわね」
あまりに捻りのない、ストレートすぎるリタの答え。
その予想外の言葉に初めこそポカンとしたルカーシュだったが、次第に笑い声を上げ始めてしまう。
「くっくっくっ……うはははっ!! ば、馬鹿なのか、この女!! 言うに事欠いて自分のほうが強いなどと……どの面下げて言えたものやら!! うはははは!!」
「あははははっ!!」
「バッカじゃねぇの!! はははは!!」
突如周囲に溢れる嘲笑。
中にはあからさまにリタを指さして、膝を叩いてゲラゲラと笑う者までいる始末だ。
この絶望的な状況にもかかわらず、妙に落ち着き払った態度と自信満々な口調から、得も言われぬ迫力を醸すリタ。
その彼女が「勝ち目がある」と言うのだから、それには相応の理由があるのだろうと予想していた。
しかしそれに反して、その答えはあまりに面白みがなく、且つバカバカしいものだった。
服装から彼女は女魔術師だとわかるが、見るからに小柄で華奢(しかし巨乳)な少女がそれほど強いとも思えない。
すると突然ルカーシュは、その
「ほう、それはまた頼もしいことだ。女だてらにそこまで自信があるのなら、この俺が直々に相手をしてやろう。 ――しかし俺に勝てると思うなよ。その身体を組み敷いて、お前が女であることを思い知らせてやる。あとで 吠え面かいても許さんからな、覚悟するがいい!!」
「隊長ぉ、俺たちにもお願いしますよ!! 一人だけ楽しむなんてずるいですよ!!」
「俺も俺も!! こんな別嬪、独り占めなんてさせませんぜ!!」
「いっそのこと、みんなで廻そうぜ!!」
「うへへへっ、そりゃあいい!!」
まるで舐めるようにリタを眺めるアストゥリア軍隊長ルカーシュとその部下たち。
アストゥリア軍と言えば厳しい規律で有名なのだが、どうやら彼のもとには、まるでゴミ溜めのように品性下劣な同類が集められているとしか思えなかった。
まるで場末の酒場のような言葉をかけられたリタは、思わずブルリとその身を震わせる。
それは自身の運命を悟ったためか、単に男たちの視線が気持ち悪かっただけなのかわからなかったが、リタの気性を鑑みれば後者なのは間違いなかった。
ゲラゲラと下卑た笑い声を上げ続けるアストゥリア兵たち。
するとリタは、特徴的な細い眉をキュッと上げた。
「お下品に過ぎますわよ、このクソッタレども。いい加減になさいまし。 ――お二人の身柄を引き渡せですって? そんなもの、謹んでお断りいたしますわ。それでもご所望されるなら、得意の力づくとやらで奪ってみたらいかがですの? もっとも全員ぶち殺して差し上げますけれど、あしからず」
「うはははっ!! どうやら威勢だけはいいようだな!! ――それでは遠慮なくそうさせてもらおうかっ!!!!」
そう言うとルカーシュは、勢いよく剣を抜く。するとそれを合図にして、他のアストゥリア兵たちも一斉に剣を抜き放った。
その様子を見る限り、どうやら彼らはこのまま襲い掛かるつもりらしい。そして対するファルハーレン一行も咄嗟に剣を構え直した。
瞬時に満ちる、戦いの空気。
しかしそんな中、リタだけは飄々と話し続ける。
未だ顔には薄笑いが浮かんだままで、態度も変わらず相手を見下していた。
「まったく聞き分けのないクソどもですわね。そこまで言うなら、この
そこまで言うと、リタはふと何かを思い出して小首を傾げた。
そしてニンマリとその口に弧を描かせる。
「あぁ、そうですわ!!
「絶世の美女……だと?」
「えぇそうですわ。こんな
何気に演技を交えつつ、リタは自身の身体を抱きしめる。
そして幼くも妖艶な表情をしていると、ルカーシュが胡乱な顔をした。
「なんだ……? 絶世の美女だと……? ふふん、それなら見せてみろ。この近くにでも隠れているのか?」
「ふふふ……せっかちな殿方は嫌われましてよ。 ――これからお呼びいたしますから、少々お待ちくださいませ」
「Σφл∽μФ∈πёΧ〜τκЭΔαЁωψζ~~」
これまで誰も聞いたことのない、それでいて聞いたことがあるような不思議な言葉。
そんな奇妙な言葉を
そんなことを続けること約30秒。
突然周囲に真っ白な雲のようなものが漂い始める。
その光景に誰もが戸惑っていると、雲は次第に何かの形になっていき、そして気づけば、そこには一人の人間――のようなものが立っていた。
一言で言い表すなら、それは「真紅の戦乙女」だった。
リタに負けじと劣らない、八頭身かと見紛うような均整の取れた体躯。
それを美しい紅色の鎧で覆い隠した、
まさに神の造形と言っても過言ではないその顔は、切れ長の瞳も、筋の通った鼻も、形の良い口も、その全てが完ぺきだった。
ヘルムのせいで全容は不明だが、頬にかかる透き通る金色の髪は、まるで金糸かと見紛うほどに光り輝く。
鎧を纏っているとは言え、大きく張り出した胸と細く
そして白く長い腕と少々肉付きの良い脚には、健康的な魅力が満ち溢れる。
まさに絶世の美女と言っても言い過ぎではないその姿は、決してリタの言葉を裏切るものではなかった。
確かにリタ自身も十分――いや、それ以上に美しいのだが、彼女の横に並んでいると些か霞んで見えるほどだ。
そんなこの世のものとは思えないほど美しい女性なのだが、実際その大きさもこの世のものではなかった。
なぜなら、その身長は軽く2メートル半ばを超えていたからだ。
「スラリ」と表現するには
まるで嘘偽りのない、誰もが認めざるを得ない絶世の美女。
その姿を見た途端、思わずロレンツォが呟いてしまう。
「も、もしかしてあれは……ブリュンヒルデ……? いや、そうだ間違いない……あれはブリュンヒルデだ……ほ、本物だ……」
「ブリュンヒルデ……? なんだそりゃ? それがあいつの名前なのか?」
ロレンツォ同様、ラインハルトまで呆けた顔をしていた。
そして隣に胡乱な顔を向けると、その問いに嬉々としてロレンツォが答える。
「えぇ、あれは『真紅の戦乙女』ブリュンヒルデに間違いありません!! 以前リタ様が彼女を召喚できると仰っていましたが……まさか本当にこの目で見られるなんて……凄い!! 凄すぎる!!!!」
小さな呟きから始まったその声は、今や叫びへと変わっていた。
そして変わらず胡乱な視線を向け続けるラインハルトに構うことなく、ひたすらロレンツォは己の知的興奮に身を委ねるのだった。
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