第271話 罪の意識

 ファルハーレン公国の公妃アビゲイルと公子ユーリウス。

 この二人が城を出てからすでに5日が経っていた。


 当初の予定では、隣国カルデイアとの国境をとっくに越えているはずだった。しかし未だそこまで到達できずにいる。

 その理由は簡単だ。二人の乗る馬車が思うように進めなかったからだ。


 少し南へ下ると石畳の整備された太い主要街道があるのだが、現在そこは西へ向かうアストゥリア軍が行進中のため近寄ることはできない。

 そのため彼らは、北側を迂回するように走る細い農道を通らざるを得なかった。


 しかし、その道がまた酷すぎた。

 春先の泥濘ぬかるんだ道はお世辞にも走りやすいとは言えず、終始揺れ続ける馬車の中ではアビゲイルが酷い馬車酔いに苦しめられていた。

 そのため当然速度を出すことができずに、予定よりもかなり遅れてしまったのだ。


 このままでは国境を越える前にアストゥリア軍に見つかってしまうかもしれず、もしそうなれば戦闘は避けられない。

 とは言うものの、ハサール王国の先遣隊18名の他にはファルハーレンの護衛騎士10名しか戦闘要員はいないため、馬車4台からなる車列を守り抜くのは容易ではなかった。


 それらの事情を鑑みれば、最早もはやこれ以上速度を落とすわけにもいかない。

 しかしとうとう限界を超えて寝込んでしまったアビゲイルのために、休息を取らざるを得なくなった彼らは、その日は早めに野営の準備に入るのだった。





「あぁ、いいですね。しかしもう少し踏み込んでみても良いかもしれません」


「えぇと――こ、こうかな?」


「そうです、その調子です。あと、左手はこの位置に――」


 ファルハーレンの世話役メイドたちが夕食の準備をしていると、少し離れたところからそんな声が聞こえてくる。

 てきぱきと手際よく手を動かしながら彼女たちが何気にそちらを見てみると、声の主は公子ユーリウスだった。


 どうやら彼は夕食までの手すき時間に剣の稽古をしていたらしく、5歳児特有の甲高く、可愛らしい声を張り上げながら一生懸命剣を振っていた。

 そしてその前にはハサール王国の騎士見習い――ジルがいて、相変わらずの仏頂面でその剣を受け止めていたのだった。



 ご存じのように「猪公」とあだ名されるジルは、決して女子供に好かれるような男ではない。

 いつも変わらぬ仏頂面は目つきの悪さも相まって恐ろしい形相だし、180センチを超える長身と下半身よりも上半身のほうが大きな独特の体形は、まさに威圧感の塊だ。

 そのうえ無駄に大きな声とぞんざいな話し方は、決してお近づきになりたいとは思えないほど粗野だった。


 とは言うものの、騎士見習いとして再出発してからは敬語の使い方もかなり上達していたし、実際リタに対しても一歩引いた態度を取り続けている。

 それでもその容姿だけは如何ともし難く、相変わらず迫力満点だった。


 しかしなんとも信じがたいことなのだが、どうやら彼はユーリウスに気に入られたらしく、休息時や野営時などによく一緒にいる姿を見かけるのだ。

 無口で不愛想なジルに向かって、一生懸命話しかける無邪気な男児。

 その姿は何処か兄を慕う弟のようにも見えて、なんとも微笑ましかった。



 しかしそんな二人を、少し離れた木陰からじっと見つめる者がいた。

 昼間の疲れを癒すべく、思い思いの場所で寛ぐ仲間たち。

 どっかりと道端に座り込み、メイドたちの作る夕食を楽しみに待ち続ける彼らを尻目に、面白くなさそうな顔でじっと見つめる一人の少女。


 それは誰あろう、リタだった。

 長引く旅のせいで全体的に煤けていたが、それでもその愛らしさは健在だ。

 不機嫌そうに眉間にしわを寄せるその顔も相変わらず美しく、同行する魔術師仲間のルイ・デシャルムなど未だに見惚れるほどだった。

 

 そんなリタにラインハルトが近寄ってくる。

 変わらずその様子は無遠慮だった。



「おう、リタ。これまた随分とシケたツラしてやがるが、いったいどうした? もしかして腹でも痛ぇのか? それなら見張っててやるから、そこらでズバッと出して――」


「あのねぇ……一応これでもわたくしも淑女なのですけれど。それに向かって、よくもまぁそんな下品なことが言えたものですわね。 ――ねぇ、ユニ夫?」


「ブヒン、ブルン、ブヒヒン!!」


 リタの問いかけに対し、全力で肯定するユニコーンのユニ夫。

 まるで「そうだ、そうだ、そのとおり」と言わんばかりに激しく頭を上下させるその様は、全力でラインハルトをディスっているようにしか見えなかった。


 いや、実際そうなのだろう。

 穢れなき乙女が大好きなユニコーンにとって、次々と女性を毒牙にかけるラインハルトは敵そのものだった。

 しかも美しい娘にばかり狙いを定めるラインハルトは、完全にユニ夫の怒りを買っていたのだ。

 しかしそんなことなど露ほども知らずに、ラインハルトは大きく鼻息を吐く。


「ふんっ!! なんだよこいつは、馬のくせに!! しっかし気に入らねぇな。この野郎!!」


「ブヒヒン!! ブフフン!! ブハン!!」


「おっ? なんだこいつ!! やんのか、あぁ!?」


「ブヒン!! ブヒヒヒッ!! ブフンブフン!!」


「おぅ!! いい度胸してんじゃねぇか、このバカ馬よぉ!!」


「ブヒーーーーーッ!!」



 次第にエスカレートし始めた1人と1頭は、今にも掴みかからん勢いで間合いを詰めていく。

 しかし残念ながら男に触れられないユニ夫は、一方的に不利な状況に耐えきれずに途中からリタの背に隠れてしまう。


「ブフン……ブヒン……」


 リタよりも何倍も大きな体を丸めながら、今や覇気もなく項垂うなだれるユニ夫。

 彼がそんな姿をしていると、額から伸びる立派な角も何処かひしゃげて見えた。

 その様子に己の勝ちを確信したラインハルトは、ドヤ顔で勝利宣言する。


「ふはははっ、なんだそのざまは!? そんなでかい図体で女の背に隠れるなんざ、まったく情けねぇ野郎だな!! うはははは!!」


 まず滅多に見られない、存在自体が奇跡と言われる幻獣ユニコーン。

 それに向かって「バカ馬」などと罵りながら、本気でマウントを取りに行く男などそうはいない。

 その意味でもラインハルトは相変わらずの破天荒ぶりを見せつけていたのだが、それに反して周囲の者たちは、何処か香ばしいものを見るような目で眺めていたのだった。



 黒真珠を思わせる美しい瞳を潤ませながら、今や泣きそうになっている可哀想なユニ夫。

 背を丸め、まるで母親に助けを求めるようにリタに擦り寄るその様は哀れとしか言いようがなかった。

 そんな打ちひしがれた友人の顔を優しく撫でながら、リタがラインハルトを睨みつける。


「ちょっと、ラインハルト様!! いったい何のおつもりですの!? ユニ夫は私の大切な友人なのですから、虐めないでくださいまし!! そもそも貴方様は普段から――」


「なんだお前!? 俺に向かって説教する気か!? そういうお前だって――」


「あ゛ぁ!? なんですの!?」


 リタの説教を途中で遮りながら、尚もラインハルトは何かを言おうとする。

 しかし突然リタが右手にパリパリと音を立てて稲妻を走らせ始めると、慌てて口をつぐんでしまうのだった。


 


 思い切り呆れ顔のリタ。

 その前でしばらく神妙な顔をしていたラインハルトだが、突然表情を変えて再び口を開いた。

 その顔からは、直前までの不真面目な表情は消え去っていた。


「それでリタ。お前あの二人が気になるのか? さっきからずっと彼奴あいつらばかり見ているようだが」


「……一体なんですの? 急に話題を変えないでくださいまし。 ――とは言え、まぁ正直に言えば気になりますわね、あの二人」


「確かに気になるよな。あんな猪みてぇな大男と、可愛い盛りの5歳の男の子。どう考えても接点がなさそうに見える。 ――しかしな、それがそうでもねぇんだな、これが」


「……それはどういう意味ですの? 何やら奥歯にものがはさまったようなその物言い、気に入りませんわね」


 ラインハルトの言葉に、不機嫌そうな顔を返すリタ。

 それを見たラインハルトは一瞬言い淀む素振りを見せたのだが、それでも思い切ったように口を開いた。



「いまさら訊くけどよ、お前、ジルに兄弟がいた・・のは知っているか?」


 その問いに一瞬小首を傾げてしまうリタ。

 しかしすぐに答えを口にした。


「兄弟……? あぁ、確か弟がいたはずですわね……それが何ですの?」


「ちなみにその弟なんだが、名前と歳を知ってるか?」


「……」


 思わずラインハルトの顔を見つめてしまうリタ。

 その様子を見る限り、どうやら彼女はその答えを持っていないらしい。

 するとラインハルト小さく鼻息を吐いた。


「知らなければ教えてやるよ。ジルの弟――名はアルセーヌってんだが、確かあいつの8歳下だから……いま7歳だな。 ――まぁ、生きていればの話だが」


「生きていれば……?」


 いつも自信満々のラインハルトにしては珍しく、それは少々覇気のない声だった。

 そしてその言葉を聞いた途端、リタの肩がピクリと動いた。

 



 平民落ちしているとは言え、元々ジルはハサール王国の名門貴族家、アンペール侯爵家の嫡男だった男だ。

 このまま何事もなければ、次代のアンペール家当主となり、同時に東部辺境候となるべき人物だったのだ。

 しかし例の事件により廃嫡された結果、家名を失い野に下っていた。


 ジルの現状については全く同情する余地はない。

 そもそも彼自身があのような馬鹿げたことを仕出かさなければ、全ては起こらなかったのだから。

 如何に一目惚れしたからと言っても、それを以て人の婚約者を横取りする理由にはならないし、失敗した場合には廃嫡される覚悟も当然していた。

 だからその結果は完全に彼の自業自得と言えたのだ。

 

 しかし実際には、ジル本人は平民落ちで済んでいたが、その家族は全員死罪になっている。

 それは彼の父親が国王の言いつけをないがしろにした結果だった。



 確かのあの事件は、ジルの馬鹿げたやらかしから始まってはいた。

 しかしその後の暴走は全て愚かな父親のせいだし、その結果母親と弟まで死罪となったのもそうだ。

 最終的にお家断絶という最悪の結果を迎えてしまったアンペール家は、詰め寄る見物人たちに石を投げつけられながら3人とも首をねられた。


 その時、弟のアルセーヌは僅か7歳だったという。

 そしてその直前まで自身が殺されるとは全く思っていなかったらしい。

 そもそもジルが廃嫡されたのも、アンペール家が断絶されたのも、アルセーヌが斬首されたのも彼自身に全く罪はない。

 ただ彼は廃嫡された兄――ジルの代わりに嫡男になっただけだったし、その後の父親のやらかしにも全く関係がなかったのだ。


 それなのに突然衆人環視のなかで首をねられてしまったアルセーヌの恐怖と無念は如何ばかりか。

 それを思うと、思わず同情してしまいそうになるリタだった。



 しかし――とリタは思ってしまう。

 確かにジルの父親――ベネデットは愚かでどうしようもない人物だったのは間違いない。

 最早もはや逆恨みとしか言いようのないことを仕出かしたうえに、あまつさえ国王までもないがしろにしたのだ。

 

 その事実は決して擁護できなければ、極刑を以て裁かれてももちろん文句は一切言えない。

 しかし何の罪もない7歳のアルセーヌまで巻き込まれてしまったのは、少々――いや、かなり不憫に思えてしまう。

 そして思えば、その引導を渡したのは誰あろうリタ自身だったのだ。


 そこに思い至った彼女は、思わず愕然としてしまう。

 7歳の男の子といえば、リタの弟――フランシスとそう変わらない年齢だ。

 そんな彼がもしも斬首になったことを想像すると、それだけで気が狂いそうになる。

  

 ここにやってくる直前に、リタは大好きなフランシスを思い切り抱きしめてきた。

 その温もりと柔らかな感触は今でもはっきりその手に残っているほどで、そんな自身の両手を見つめながら何気にリタが呆然としていると、ラインハルトが再び口を開いた。



「昔からの付き合いだから俺もよく知っているんだが、ジルは弟の面倒を良く見ていたな。 ――あの顔でこう言うと笑っちまうが、それでも奴は本当にアルセーヌのことを愛していたんだ。両親からは疎まれていたジルだが、弟にだけは愛情を持って接していた。これだけは間違いない」


「……」


「だからユーリウス様を見ていると、ジルは弟を思い出すんじゃねぇのかな。そしてそんな思いが伝わるが故に、ユーリウス様もジルに懐いているんだと思うぞ」


「そう……なんだ……」



 全く何の罪もなかった7歳のアルセーヌ・アンペール。

 その彼が殺されてしまったことについて、今更ながらに罪の意識に苛まれてしまうリタだった。

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