第270話 絶対的な力

 遠い祖国から異国の地へと勇ましく攻め込んだブルゴー軍ではあるが、今やその現場にははっきりとした絶望感が漂っていた。


 よもや愚かとしか言わざるを得ない、前国王イサンドロ。

 彼が始めたこの戦は、本人死亡という最悪の責任回避の末に、決して途中で止められないものになっていた。

 

 それもそうだろう。

 自ら仕掛けておきながら、初戦から敗北を喫したうえに国王まで殺されてしまったのだ。

 それだけでも世界に向けて大恥を晒したというのに、さらにブルゴー側から和平を申し入れるなどできるはずもない。

 もしそうしようものなら、盛大な恥の上塗りとなるのは間違いなかった。


 それらの事情を勘案しても最早もはやブルゴーには勝つか全滅するかしか残されていなかったのだが、もちろん誰だって死にたくはない。

 いくら崇高な理念を唱えていようとも、正直なところこんな異国の地で犬死になんてしたくないのだ。

 ならばあとは勝つしかないのだが、援軍も途絶えて久しいブルゴー軍に対して、今やカルデイア軍は倍以上にまでその人数を膨らませていたのだった。


 

 あとはもう玉砕覚悟で突っ込むしかない。

 死を以て本国に詫びを入れよう。


 そんな思いとともに将軍クールベを始めとする全員が悲壮な覚悟を決めたその時、突然前触れもなくブルゴー王国王配――コンテスティ公ケビンが現れた。

 そして開口一番「俺が援軍だ。あとは任せろ」と言い放ったのだ。


 皆その言葉に耳を疑った。

 確かに彼は「魔王殺しサタンキラー」の異名を持っているし、その強さは噂で聞いて知っていた。

 しかしその戦いぶりを実際に見た者はほとんどおらず、その強さは未知数だった。

 そのうえ彼一人が増えたところで、これだけの戦力差をひっくり返せるとは到底思えなかった。


 だから誰一人としてその言葉を本気にしておらず、精々国内向けのパフォーマンスのために現場を鼓舞しに来ただけなのだろうと思っていたのだ。

 それはクールベ将軍も同じだった。

 そのため彼は、その真偽を確かめるべくケビンに訊いてみることにした。



「ケビン殿下。畏れながら伺いますが、本気でこの戦局をお一人で変えようとお思いですか? 失礼ながら、さすがにそれは――」


「あぁ将軍、確かにな。さすがにこの人数を俺一人でどうにかできるなどとは思っていない。さすがの俺もそこまでは自惚れていないさ。 ――しかし、敵の将軍を狩ることならできる。俺が狙っているのはまさにそれだ」


 事も無げにそう言い放つケビンの顔には、変わらず穏やかな笑みが浮かんでいた。

 しかしクールベにはその意味が咄嗟に理解できなかったらしく、胡乱な顔で再び問いかけてしまう。


「将軍を狩る……ですか? それは……」


「ん? わからないか? その言葉のとおりなのだが。 ――この俺が単騎で敵の指揮所に乗り込んで、将軍もろとも幹部連中を皆殺しにするんだよ。あの練度を見る限り、指揮官を失った兵たちが即座に瓦解するのは間違いない。あとは逃げ惑う奴らをお前たちが順次殲滅していけばいい。 ――どうだ、簡単だろ?」


「しょ、承知いたしました。しかしそう簡単に仰いますが、そのようなことが本当にできるなどと――」


 まるで信じられないと言わんばかりに言葉を詰まらせてしまうクールベと、同様の顔をする幹部たち。

 その彼らに向かって尚もケビンが告げたのだが、その仕草は些か芝居がかっていた。


「お前達、一体俺を誰だと思っているんだ? あの・・魔国に忍び込み、魔王を討ち果たした「魔王殺しサタンキラー」なんだぞ? ――本当に魔王は強かった。なにせこの俺が死にかけたのだからな。あの苦労に比べれば、この程度のことなど造作もないことだ。なにせ相手は同じ人間なのだから。こう言っては何だが、はっきり言って楽勝だ」


「ら、楽勝……ですか?」


 まるで疑うようなクールベの言葉。

 言うなればそれは、自身の実力に疑問を呈されたのと同じあるにもかかわらず、決してケビンは気分を害することなく変わらず穏やかにこう告げた。


「あぁ。楽勝だ」



 とは言うものの、正直に言えば誰もケビンの言葉を額面通りに受け取っていなかった。

 何だかんだ言ってここには兵たちを鼓舞しに来ただけなのだろうし、何かと勇ましいことを言いながら、そのじつ開戦直前になれば適当な理由を付けて後方に下がってしまうに決まっている。

 殆どの者たちはそう考えていたのだが、それも致し方無しと言えよう。


 なぜなら、確かに以前は現場の剣士だったのだろうが、今や彼も現役を退いた王族だったからだ。

 それも王配などという実質的な国の支配者であるにもかかわらず、軍の先陣を切って敵に突っ込むなど古今東西聞いたことがない。


 しかし当のケビンはそんな些か胡散臭さそうな視線になどまるでかまうことなく、終始落ち着いた様子を崩さなかった。

 そして短く呟いた。


「さて、行くか」




 じわじわと取り囲んでくる敵軍を前にしても、一切恐れを見せずに自然体のままの勇者ケビン。

 味方を鼓舞するためとは言え「将軍を狩りに行く」などと大口を叩いたのだから、さぞその実力は確かなのだろう。

 そんな半ば疑うような視線の中、おもむろに剣を抜き放つ。

 

 そして目にも留まらぬ速さで剣を一閃した瞬間、その軌跡から放たれた眩い光の束が前方の敵兵たちの身体を真っ二つにしていったのだった。


 突如吹き上がる盛大な血飛沫と、弾け飛ぶ肉片。

 皆一様に腹から切断された兵たちが、血と内蔵をぶち撒けながらその場に倒れ伏していく。

 ざっと見て、その数は100を下らない。

 それだけの兵たちが、彼の一閃のみで一瞬にして肉塊と化していたのだった。


 突如巻き起こった衝撃に、思わず足が止まってしまうカルデイア兵たち。

 開戦直後にもかかわらず、中には恐怖のあまり後退る者まで出る始末で、その様子を見る限りすでにブルゴー軍が戦いの流れを引き寄せたのは間違いなかった。



 その一方、敵同様にその光景が信じられないブルゴー兵たちは、味方がやったこととは言え、そのあまりに凄惨な景色に驚愕の表情を隠せないでいる。

 そんな味方の兵たちを振り返ったケビンは、大声でこう告げた。


「よし、突破口は開いたぞ!! この戦の行く末は、俺ではなくお前たちにかかっていると知れ!! ――では将軍、あとは任せた!! 俺は敵司令を狩りに行ってくるから、打ち合わせどおりに動いてくれよ!! 頼んだぞ!!」

 

 その言葉とともに、颯爽と敵兵の中に消えていくケビン。

 そしてその直後から其処彼処そこかしこで上がり始める盛大な血飛沫と悲鳴。

 瞬間その光景を呆然と眺めてしまった将軍クールベだったが、すぐに正気に戻ると周囲に向かって叫び出した。


「よいか皆の者!! ケビン王配殿下が自ら突破口を切り開いてくれた!! 決してそれを無駄にするな!! 我らはこのまま殿下に付いて中央突破を図り、敵の裏に出る!! 行くぞ!!!!」


「おぉ!!!!」




 ――――




「ぎゃー!!」


「な、なんだこいつ!!」


「ば、化け物だ!! た、助け――」


「ぐわぁー!!!!」


 まるで精密機械のように正確に、そして無慈悲に敵を斬り裂いていく勇者ケビン。

 今やその顔からは一切の感情が抜け落ちて、まるで能面のようになっていた。


 そんなケビンの戦う様は、これまで誰も見たことのないものだった。

 遠く大陸の東端に浮かぶ島国で作られたと言われる、滅多に見ることのできない特徴的な細身の片刃刀。

 それを右手一本に持ち、左手は常に自由にしている。


 太く重い両手持ちのブロードソードが一般的なこの地域において、その構えだけでも目を引くのだが、実際の戦闘となるとそれ以上に人目を集めた。


 なぜなら彼は、一切剣で触れることなく敵を切り裂いていたのだから。

 右手に持った剣を一閃する度にそこから眩い光の束が産まれて、それに触れた者たちは例外なく真っ二つにされていったのだ。

 

 とは言うものの、触れずに斬るなど常識的にあり得ない。

 それが魔術師であれば別なのだろうが、広く剣士として認識されている勇者ケビンが魔法を行使するなど、誰も知らなければ聞いたことすらなかった。


 しかし――とその時誰かが思い出してしまう。

 すっかり忘れていたが、勇者ケビンを育て上げたのはあの・・史上最強と謳われた武闘派魔女、アニエス・シュタウヘンベルクだったということを。



 実のところケビンの剣技の最大の特徴――それは魔法だった。

 過去に師事していた魔女アニエス。

 その彼女に幼い頃から叩き込まれた無詠唱魔法を、彼は剣の先から発していたのだ。

 あくまで剣は己の腕の延長と捉え、その先から閃光刃フラッシング・ブレイドにも似た魔法を放つ。

 それがあるからこそケビンの剣の間合いは半径10メートルにも及び、飛び道具を持たない限り誰も敵わなかった。


 もっとも相手が魔術師であったとしても、それが無詠唱魔術師でもない限り彼の敵ではない。

 常に自由にしている左手からは無詠唱で魔力弾マジック・ミサイルを放つことができたし、アニエス直伝の魔法防壁マジック・ウォールを張り巡らすこともできるからだ。


 そしてその身体能力に裏打ちされた強烈なダッシュ力によって、またたく間に相手を射程に捉える。

 それがケビンの戦い方だった。


 もちろん魔法を抜きにした純粋な剣技だけでも達人級だったし、無手でもアニエス直伝の無詠唱魔法を駆使できる。

 過去にはハサール王国でリタに殺されかけたことはあったが、あれとて相手がリタ――アニエスだったからこそ成し得たものだった。


 要するに、広く一般に「剣士」として知られている勇者ケビンではあるが、彼の正体は「魔法剣士」と呼ぶのが正しかった。

 もっとも彼の称号が「勇者」となっている時点で、誰もが簡単に察せられたのだろうが。



 相手が誰であろうと雑兵のごとくなぎ倒しながら、瞬く間に敵の指揮所に肉薄していくケビンと、その少し後から続いていく将軍クールベ率いる精鋭たち。

 その周囲では逃げ惑うカルデイア兵たちを狩る者たちと、それを援護する魔術師と弓兵の集団。


 先程までの暗く沈んだ絶望感など何処へやら、今やブルゴー軍全員が希望に燃えていた。

 その全ては先陣を切ったケビンの影響であるのは間違いなく、直接彼が手を下した以上に、味方の兵たちは敵を屠っていたのだ。

 

 そして遂に敵指揮所へ単身乱入することに成功したケビンは、襲いかかる幹部3名を一瞬で斬り伏せたのだった。 




 ――――




「ケ、ケビン……? ゆ、勇者ケビン……だと? お、お前が、あの……魔王殺しサタンキラー……?」


 ケビンが自身の名を告げた途端、その場の全員が後退ってしまう。

 皆一様に顔面を蒼白にしたまま、襲いかかることさえ忘れてただひたすらに驚愕していた。

 たとえ他国のこととは言え、あの魔王を討ち、今や一国の王配にまで上り詰めた勇者ケビンについては彼らとて承知していたからだ。


 実際に見た者はほとんどいなくとも、それでもその人間離れした戦闘力は有名だった。

 事実、今でも他国から手合わせの申込みが定期的に舞い込むほど、ケビンの剣技は語り草になっていたのだ。

 もっとも今の今まで一人たりとも相手にしたことがなかったので、その実力を確かめた者は誰もいなかったのだが。



 そんな相手が突然目の前に現れたかと思えば、手練れの幹部3名を瞬殺したのだ。

 確かに将軍ダーヴィトを始めとする軍の幹部たちも腕に覚えはあるのだが、どう控えめに言っても全く敵う相手だとは思えなかった。


 それでもダーヴィトは腰の剣を抜かざるを得ない。

 決して敵わない相手だとしても、剣も抜かずに助命を乞うなど彼の矜持には存在しなかったのだから。


「そうか……貴様があの有名な『魔王殺し』サタンキラーか……ふふふっ、相手にとって不足はない。 ――剣の錆にしてくれる!!いざ尋常に勝負しろ!!」

 

 愛剣を抜き放ちつつダーヴィトがそう叫んでいると、その横からジークムントが突っ込んでくる。

 半ば体当りするような勢いで幼馴染とケビンの間にその身を割り込ませると、剣を突きつけた。


「ダーヴィト!! お前何を馬鹿なことを言っている!! こいつをよく見てみろ!! こんな化け物に勝てるわけないだろう!! ここは俺がなんとかするから、お前は逃げろ!!」


「俺は将軍だ!! 兵たちが必死に戦っているというのに、俺だけ逃げられるわけがなかろう!!」


「いいから、行け!! お前は逃げて、軍を再編するんだ!! お前にはお前の仕事がある!! それを果たせ!!」


「ジークムント!! そんな――」


「早く行けっ!! ――勇者ケビンよ、俺が相手だ!! うおりゃぁ!!!!」



 まさに殴りつける勢いでダーヴィトを押しやると、そのままケビンに斬りかかっていくジークムント。

 自らを叱咤するような叫び声は、普段から冷静で決して声を荒げたりしない彼にしては珍しかった。


 しかしケビンにとってこの二人の友情など知ったことではなかった。

 その証拠に、ミリほどの感傷も抱かずに瞬時にジークムントを斬って捨てたのだ。


 こうしてカルデイア大公国東部軍参謀ジークムント・ツァイラーは、悲鳴を上げることすら許されないまま、その身を真っ二つにされたのだった。




「ジークムント!!!!」


 同じ年に産まれ、幼馴染として育ち、一緒に軍に入り、長年参謀として支え続けてくれた無二の親友であるジークムント。

 その彼が突如目の前で二つに裂かれてしまったのだ。

 その事実に、まるで狂ったかのようにダーヴィトは叫んだ。


「おのれぇ!! よくも、よくも、よくもー!!!! この悪魔めぇ!! 死ねぇー!!!!」


 己の立場のみならず、周囲の状況すら忘れ去ったダーヴィトは、ひたすら感情的に叫びだす。

 そして親友がその身を挺してくれたことさえ忘れ去り、憤怒の表情のままケビンへと突っ込んでいく。


 そして――瞬時に斬り捨てられた。





 こうして瞬く間に将軍を始め幹部を皆殺しにされてしまったカルデイア軍は、組織の維持すら儘ならずに瓦解してしまう。

 指揮官もおらず、今やただの烏合の衆に成り下がった彼らは、人数にして倍はいたにもかかわらず格好の各個撃破の的になってしまい次第にその数を減らしていったのだった。


 生き残った者たちが散り散りに逃げ去っていくと、その場にはとても正視できない光景が広がっていた。

 最早もはや虐殺としか表現できないその様は、決して戦と呼べるものではなかったのだ。


 しかし勝ちは勝ちだ。

 あまりの戦力差に一時は諦めかけたが、蓋を開けてみればその人数差をものともせずに圧倒的な勝利を飾ることができたのだ。


 それも全ては勇者ケビンのおかげだった。

 これまで一度も実力を晒したことがなかったために、その実力を疑問視する者も多かった。

 しかし彼は兵たちの想像の遥か上をいく、まさに圧倒的な実力を見せつけた挙げ句に単騎で敵将を討ち取ったのだ。


 いや、その表現は正しくないだろう。

 討ち取ったのではなく、皆殺しにした――それが正しい。



 伝説の「魔王殺しサタンキラー」にして、実質的な国の支配者でもある勇者ケビン。

 その勇名と他にないカリスマ性は、国内のみならず、近隣諸国にも強い影響力を発揮する。

 そのうえに妻である女王との間には既に8人もの子を儲け、次代の世継ぎ問題も解決していた。


 それだけでも十二分にその役目を果たしているとも言えたのだが、さらに今回見せつけた圧倒的とも言える力は、絶対的な安心感として兵士たちに植え付けられたのだ。


 そして彼らは、嘘偽りのない無二の忠誠を勇者ケビンに捧げるのだった。

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