第268話 思いがけない援軍

 話は今から半月ほど前に遡る。


 場所はブルゴー王国国境からカルデイア側へ北西に150キロ入ったところの、すぐ東にファルハーレンとの国境を望む開けた平野部。

 現在時刻は午後2時過ぎ。昼食も食べ終わりそろそろ午睡が恋しくなるその時間に、簡易な野戦テントの中に怒鳴り声が響き渡った。



「本国へ援軍を要請してから既に10日も経っているというのに、未だ返答がないのは一体どういうことだ!?」


「な、なにぶん、人員の手配が間に合わないとのことですが……」

 

「ふざけたことを抜かすな!! 人員も何も、今まさにそれが必要なのは我々だろう!! それ以上に必要な事情などあるのか!?」


「し、しかし、アストゥリアがファルハーレンに攻め込んだとの情報も入っておりますゆえ、最早もはやこれ以上北方軍から人員は回せぬと、前回も――」


「だからと言って中隊規模の人数を逐次投入されても困るのだ!! そんな小手先の補給では、いずれ近いうちに破綻しかねん!!」


「し、しかし参謀――」




 その会話からもわかる通り、ブルゴー王国軍は初戦からずっと苦戦を強いられていた。

 前国王イサンドロの思いつきから始まったこの戦は、人員、物資、補給の確保から国内の調整に至るまでその全てにおいて準備不足が否めずに、自分たちから始めた戦であるにもかかわらず初戦から躓きの連続だったのだ。

 挙句の果てに、総大将であるところのイサンドロ国王があっさりと暗殺されるに至り、その行く末には暗雲が垂れ込めてしまった。


 国王暗殺など、まさに国家の一大事だ。

 そのため現場は混乱を極めたうえに、さらに機を見て襲いかかってきたカルデイアに増援部隊の殆どを壊滅させられたブルゴーは、まるで追い立てられるように後退を余儀なくされてしまう。


 逆に初戦に勝利したカルデイアは、引き続き防衛に専念すると思われた。

 しかし何をとち狂ったのか、最早もはや過剰戦力とも思えるほどの兵力を追加投入しながら、ブルゴーを追撃してきたのだ。


 まるで形振なりふり構わぬその姿は、何処か狂気を感じさせるほどで、そのあまりの鬼気迫る姿にブルゴー軍は恐怖すら覚えるほどだった。



 いや、実際にカルデイアは半ば狂っていたのかもしれない。 

 なぜなら、国家元首である大公セブリアン自身がすでに狂ってしまっていたからだ。


 最愛の女性――ジルダを失ったセブリアンは、同時に生きる希望も目的すらも失った。

 あの日以来、まるで廃人かと見紛うほど生気がなく、何を話しかけても上の空になってしまった彼は、一日中真っ暗な自室に閉じ籠もったまま声をかけても返事も返さなくなった。

 そのあまりの無反応ぶりは、今や生きているのか死んでいるかさえわからないほどだ。


 それにはさすがの宰相ヒエロニムス・ヒューブナーも気を揉んでしまう。

 まさに国家存亡の危機とも言えるこの状況で、国家元首がこれではまずい。

 しかも建国の父ランゼンハイマーの血を唯一直系で受け継ぐ彼が、このまま世継ぎも残さず廃人と化すのは絶対に避けなければならなかった。


 彼とてセブリアンの気持ちは痛いほどわかる。

 この10年、まるで自身の片割れのように互いを求め求められつつ生きてきた二人の姿は、ヒューブナーもずっと見てきたのだから。 

 しかしそれとこれとは話は別だ。

 事はすでにセブリアン一人の問題ではなく、彼の肩には国家の存亡がかかっているのだから。


 そう思ったヒューブナーは、意図的にセブリアンの意識をブルゴー王国の王配――ケビンへと誘導していく。

 


 そもそもブルゴーの侵攻さえなければ、ジルダは死なずに済んだのだ。

 そしてその原因――軍を送り込んだのも率いたのもケビンだった。


 思えば今のこの状況を作り出したのも、もとより全てケビンのせいだ。

 セブリアンの出自を暴いたのも、ブルゴーの王位継承を失わせたのも、牢獄に放り込んで拷問にかけたのも、その全てがケビンが原因だった。


 現ブルゴー王国王配、勇者ケビン。

 その男が全ての元凶なのだ。


 そして、奴がジルダを殺した。

 

 

 その事実に頭が一杯になったセブリアンは、突如様子を一変させる。

 まるで廃人同然だった姿を豹変させると、突然ブルゴー軍の皆殺しを命じたのだ。

 その鬼気迫る姿はまさに狂人そのもので、そのためだけに国中の兵力を投入することも辞さないほどだった。


 しかしそれはブルゴーも同じだ。

 もとより自分たちから始めたこの戦。しかも自国の王が殺されるに至り、そこに撤退など絶対にあり得ない。

 もしもそんなことにでもなろうものなら、ブルゴーは世界中の笑いものになってしまう。


 不幸にもそんな国家の矜持とプライドを押し付けられてしまったブルゴー王国西部軍将軍コランタン・クールベ伯爵。

 しかし彼は、続々と本国から送られてくる増援を武器に徐々にカルデイア軍を押し返していく。

 そして両国が互いに膨大な犠牲を出しつつも、それでも一進一退の様相で戦い続けているうちに、気づけばカルデイア国内へ150キロ進んでいたのだった。


 とは言うものの、両陣営ともにそろそろ限界が近かった。

 いや、正確に言うなら、自国内で戦っているカルデイアの方がまだ少しの余力はあるのだろう。

 その証拠に、ある時を堺に援軍がほぼ途絶えたブルゴーに対して、未だカルデイアは続々と兵力を増やし続けており、そのせいで徐々にブルゴーが押され始めていたのだ。


 そんなある日の午後。

 ブルゴー王国軍の野戦テント内に、前述のような会話が繰り広げられたのだった。





 今や不機嫌さを隠そうともせず、ひたすら部下に当たり散らすブルゴー西部軍参謀シモン・ルッカ。

 眉間のしわは深く、両目の下を彩る濃いくまはこれまでの激務と疲労を物語っていた。

 

 するとその背後から突如声をかけてくる者がいた。

 しかし振り向かなくても、それが誰なのかルッカにはすぐにわかった。


「ルッカ参謀よ。お主の気持ちはわからんでもないが、与えられた環境で最善を尽くす――これが我々の仕事なのだ。それを忘れてはならん」  


「はっ!! こ、これは将軍閣下!! 大変失礼いたしました!!」


 今や聞き慣れた、少々低くくぐもった声。

 何処か朴訥とした口調と丁寧な言葉遣いにもかかわらず、その端々には有無を言わさぬ迫力が滲む。

 そう、それはブルゴー王国西部辺境伯にして西部軍最高司令官でもある、コランタン・クールベ伯爵その人だった。

 その彼が怒鳴り散らす参謀の肩に手を置くと、落ち着くようにと促した。


「まぁ。もっともお主のげんももっともではあるがな。敵地の奥深くまで入り込んでいながら本国からの増援もないとなると、愚痴の一つも言いたくなるのもわかる」


「しょ、将軍……」


「しかし、それを部下にぶつけてはならん。 ――愚痴などというものは下から上に言うものであって、下に向かって言うものではないのだからな」

 

「も、申し訳ありません……」


「ふむ、まぁよい。 ――それで援軍要請の話だったな、ルッカ参謀よ」


「は、はい……徐々に援軍も少なくなり、最近では中隊規模の人数が逐次投入されるだけなのです。それに比べて敵軍は、未だに続々と増えており……」


 バツが悪いためなのか、決して視線を合わさないままそう訴える参謀に、変わらずやんわりとコランタンが声をかける。



「それも仕方あるまい。何をトチ狂ったのか、カルデイアは我々を倒すために全ての防衛部隊を向かわせていると聞く。話によれば北方軍はもぬけの殻のうえ、首都の防衛部隊まで駆り出したらしいぞ」


「そ、そんな極端な……そんなことでよろしいのでしょうか?」


「良いわけがないだろう。如何に防衛戦とは言え、たった一箇所の戦闘に局地の防衛部隊を含めた国中の戦力を集中させるなどおよそ聞いたことがない。 ――どうやら大公セブリアンは、我々を倒せればあとはもうどうなってもかまわないと見受けられる」


「……まさに死にもの狂いと言ったところなのでしょう」


「死にもの狂い……いや、違うな。単に狂っている、と言ったほうがより正しいのかもしれぬ。そんな者を相手に我々は――」




「し、失礼いたします!! 伝令、入室いたします!!」


 そこまで言いかけたところで、突如コランタンは背後から声をかけられてしまう。

 そして思わず全員が振り向くと、そこに一人の伝令係が立っていた。

 相当急いで来たのだろう、その肩は大きく上下に動いており、呼吸も激しく乱れていた。

 その彼に向かって、ルッカ参謀が大声を上げる。


「見てわからんのか!? 現在我々は軍議中なのだ!! よもやそれほどの要件なのだろうな!?」


 ルッカの一括に思わず後退りそうになった伝令係ではあったが、必死の形相で体勢を立て直すと再び大声を上げた。


「はっ!! そ、それが……た、たった今、ケビン王配殿下が到着なさいました!! 皆様方におかれましては、お、お出迎えをお願いいたしたく――」


「なにぃ!! 王配殿下だとぉ!?」


「えぇ!?」


「……そうか。それでは全員で外へ出よう。 ――くれぐれも粗相の無いようにな」




 将軍コランタンを先頭に軍の幹部たちが外へ出ると、少し先の開けた場所に大きな人だかりができていた。

 言われずとも彼らがまっすぐそこへ向かうと、その中心に複数の騎士に守られた男が立っており、周囲に向かって熱心に話しかけているのが見える。


 ブルゴー王国には珍しい、黒い髪と浅黒い肌。

 見るからに意思の強そうな力強い眉と細く鋭い黒い瞳。

 まさに中肉中背の言葉通り決して長身でも筋骨隆々でもないが、豪奢な鎧を纏うその立ち姿からは、その下の鍛え抜かれた体躯が容易に想像できた。


 そんな見るからに只者ではない若い男が、特徴的な細身の湾曲刀を腰に吊るして佇んでいた。

 するとコランタンが咄嗟に声を上げる。

 その顔には変わらぬ柔らかい笑みが浮かんでいた。


「これはこれは、コンテスティ公ケビン王配殿下ではありませぬか。このような場所までご足労いただき、大変痛み入ります。 ――して、此度こたびは突然のご訪問、如何いかがされましたか?」


「やぁ、コランタン将軍!! 激戦続きであるにもかかわらず、変わらず健勝そうでなによりだ。 ――それはそうと、早馬も飛ばさずに突然の訪問を大変失礼した」


「いえいえ、滅相もございません。 ――このまま立ち話もなんですので、とにかくどうぞこちらへ」


「いや、このままでいい。これから話すことは、皆への周知も兼ねている。だからこのままここで話をさせてもらいたいのだが……かまわないか?」


 そう問いかけるケビンの顔には、コランタンと同種の表情が浮かんでいた。

 それはまるで本心を包み隠すような薄い笑みで、気をつけて見なければただの人好きのする笑顔にしか見えなかった。

 

 そんなケビンに、コランタンが笑いかける。

 その顔もやはり、ケビンと同種のものだった。



「どうぞ。殿下のなさりたいようにしていただいて結構でございます」


「そうか、それはすまない。 ――ところで先日のことなのだが、将軍の名で援軍の要請を出していたな?」


「はい。恥ずかしながら要請いたしました。ここ最近のカルデイアの人海戦術には、こちらも少々手を焼いておりまして。 ――突破口を開くために、こちらも今以上の兵力を揃えなければならなくなったのです」


「そうか。まさしくそれなんだが、実はその返答を届けにきた」


「返答……ですか? たったそれだけのために殿下自らいらっしゃるとは、なんと畏れ多いことかと――」


「ははは、まぁ聞け。ここ最近のアストゥリアの動きを見ていると、これ以上の兵力を割けなくなってしまってな。それに南の魔国もなにやらきな臭くなっているものだから……」


 その言葉を聞いた途端、目に見えて周囲に失望の色が広がった。

 そもそも王配殿下がここまでやって来たのは、現場の視察と援軍の却下を伝えるためなのだろう。

 確かに紙切れ一枚で知らされるのに比べれば雲泥の差なのだろうが、いずれにしても援軍が来ないのには変わりがない。

 

 決して負けられない戦であるにもかかわらず、こんな兵力不足の状態で、本国は一体何を考えているのか――



 ケビンの言葉とともに、何気にどんよりした空気がその場に漂い始める。

 そして誰もが失望に顔を染めていると、突如ケビンが言い放った。


「どうした? なぜそんなに暗い顔をしている? 申し訳ないが、今すぐ援軍は来ない。しかしこの負けられない戦のことは、誰よりも俺は理解しているつもりだ。だから代わりに俺が来た。 ――さぁ、みんな。なぜ俺が『魔王殺しサタンキラー』と呼ばれているか知りたくないか?」



 直前までと打って変わって、ニヤリとした笑みを浮かべる勇者ケビン。

 その場の誰も、彼の言葉を咄嗟に理解することができなかった。

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