第260話 猪公の涙

「よう、お前ら。しばらく見ねぇ間に、これまた随分と男らしくなったもんだな!!」


 ジルとカンデが応接室に入った途端、ラインハルトはそう言い放った。

 久しぶりに会う友人にかけるにしてはそれは少々不躾に聞こえたが、ある意味それも仕方ないとも言えた。

 何故なら、ジルもカンデも中々に酷い姿になっていたからだ。


 目の周りを紫色に腫らして、鼻にも乾いた血がこびり付いている。

 恐らく切れているのだろう。二人揃って口の端に血を滲ませていた。

 どうやら先輩騎士から指導と言う名の暴力を受けていたらしく、二人とも盛大に顔を腫らしていたのだ。


 とは言え、さすがにそれが業務に影響が出ない程度に抑えられているのがよくわかる。

 その証拠に、騎士見習いになってから度重なる指導を受けてきたにもかかわらず、精々が顔を腫らすくらいのもので、一度も骨折などの大怪我を負ったことはなかった。

 もっともそれは、巧妙にコントロールされた嫌がらせとしてより悪質と言えなくもなかったのだが。



 そんな今やボロボロとしか言いようのない二人に向かって、ラインハルトは変わらぬニヤニヤ笑いを向けた。


「で、どうだカンデ。夢の騎士への道を歩み始めて3ヶ月経ったが、今でも決意は変わってねぇのか? 見たところ随分と可愛がられているようだが」


「その節はありがとうございました。貴方様のおかげで、やっと夢を掴む機会を得られたのです。確かに先輩方のご指導は厳しいものですが、自分一人だけではないと思えば歯を食いしばることができます」


 さすがに余裕ではなさそうだったが、それでも悲壮感を感じさせない程度には笑みを見せながらカンデが言い放つ。


「俺の隣にこいつがいる。そう思うだけで、どんなに辛くても耐えていける気がします。 ――騎士見習いの口利きにはもちろん感謝しておりますが、今ではこんな友人ができたことこそ貴方様には感謝するところです!!」

 

 その言葉と同時に思い切りジルの背中を叩くカンデ。

 するとギロリといった様子でジルはカンデを睨みつけた。


 そんな二人の様子に、ラインハルトはさらに笑みを深める。



「はははっ……だそうだ、ジル。良かったな。やっと本物の友人ができたんだな。 ――初めてなんじゃねぇのか? 身分も忖度も、損得も関係ない友人だなんてよ」


「ちっ……別に俺はこいつを友人だなんて思ってませんよ。守れと言われたから守っているだけで、そうでなければこんな弱虫になんてかまうものか」


「と言いながら、一緒に仲良く殴られているようだが?」


「くっ……どうでもいい、好きに言え」


「うははははっ!! まぁ、安心したぞ。正直に言うと、お前がこいつの面倒をちゃんと見てやるか心配だったんだ。どうやらそれも取り越し苦労だったようだな!! ははははっ!!」


 まるで女性歌劇団の男役のように整った顔を歪めながら、盛大に笑い飛ばすラインハルト。

 その様子に苛ついたのだろうか。いささか語気を強めてジルが言い放った。



「いい加減にしてくれ!! こう見えて俺たちは忙しいんだ。さっさと要件を伝えてもらえませんかね!?」


「お、おい、ジル!! ラインハルト様に向かってその物言いはないだろ!! 少しは言葉に気をつけて――」


「うるせぇぞ!! お前は黙ってろ!! ――この状況で俺とお前を名指ししてきたんだ。どうせロクな用事じゃねぇんだろう。 ――それでラインハルト様。用があるならさっさと話して下さいよ。ないならもう戻らせてもらいますが」


 まるで親の敵でも見るような、凄まじいジルの瞳。

 しかしラインハルトは、そんなものには1ミリも身動ぎすることなく口を開いた。


「威勢がいいな。やっと少し調子が戻ってきたようで安心したぞ。 ――でだ。わざわざ俺がここにきた理由なのだが……お前らを戦に連れて行こうと思ってな!!」


「はぁ!?」


「なっ!?」



 あまりと言えばあまりに単刀直入な説明に、思わずおかしな声を上げてしまうジルとカンデ。

 とは言うものの、言葉が足りなすぎて最早もはや説明にすらなっていないそれに、直後に揃って胡乱な顔をしてしまう。

 しかしラインハルトは変わらぬ薄笑いのまま話し続けた。


「つい先日、アストゥリアがファルハーレンに攻め込んだ話は聞いているな?」


「そ、それは聞き及んでおります」


「知っている」


「それでだ。そこには、我が国の第一王女――アビゲイル様が嫁いでいることももちろん知っているな? ――これで察しはつくか?」


 まるで試すような目つきでラインハルトが見つめていると、意味がわからないと言わんばかりのジルを押し退けてカンデが答えた。


「も、もしかして、アビゲイル様とユーリウス様を救出するため? それは陛下の勅命ですか!?」


「あぁ、さすがに察しが良いな。 ――しかし、お前ぇはダメだ、ジル!! これだけ手掛かりをやったのにピンとこねぇとは、テメェの薄らバカも相変わらずだな!!」


「く、くそ……俺のバカはどうでもいいだろ!! さっさと話を進めろ!!」


「ふふん……まぁいい。 ――今はまだ市井に情報は出回っていないが、ハサールはファルハーレンに西部軍を派遣する予定だ。しかしそれだとアビゲイル様の救出には間に合わねぇ。 ――そこで先遣隊を出すことにした」


「先遣隊……ですか? それは――」

 

 黙ってラインハルトの言葉を噛み締めるジルと、積極的に質問を始めるカンデ。

 その対象的な様子を見ていると、偶然とは言え、うまい具合にこの二人が噛み合っているのがわかる。

 するとその姿に満足そうな笑みを浮かべながら、尚もラインハルトは話を続けた。



「そうだ、先遣隊だ。 ――とは言え、それはファルハーレンへの援軍でも加勢でもない、純粋なる救出部隊だ。そのため人数は最低限に絞り込んでいる」


「そ、そんな重要な作戦なのに、何故俺たちが……」


 ただでさえ胡乱な顔に、さらに訝しむような表情を交えたジルがやっと言葉を発した。

 もっともそれは無理もなかった。

 話を聞く限り、これは国王自身による勅命なのは間違いない。

 にもかかわらず、こんな片田舎の、しかもしがない騎士見習いに声がかかる意味がわからない。


 そんな二人の表情を読んだラインハルトは、何処か皮肉そうな笑みを見せた。



「何故お前たちに声がかかったかって? それは時間がなかったからだ。 ――今回の目的を鑑みればそれなりに強い騎士を揃えなければならなかったのだが、どの貴族家も首都から一日以上も離れていやがる。 それがたまたまコルネート伯爵家が一番近かったというわけだな、うん」


「……それは答えになっていませんね。 そうじゃない、なぜ俺達なのかと訊いているんですよ。 ――あぁ、もしやそれは余計な忖度そんたくではないでしょうね。そんなもの、今の俺達には迷惑なだけですよ。先輩たちを差し置いて、経験も実績もない俺たちが指名されたりなんかしてしまえば、そこには何らかの意図があったと思われるのがオチだ」


「ほほう」


「貴族の嫉妬、やっかみが恐ろしいのは貴方もよく知ってるだろう? そんな厄介事を抱え込むのは御免被りたいですね」


「何を言ってる? 俺はなにひとつ忖度などしていないぞ? そもそもお前たちの名を挙げたのだって、ここの騎士ナンバー1とナンバー2自身だからな。 ――勘違いするな、俺は奴らの勧めに従っただけでこちらから指名などしていない。この人選に文句があるのなら、俺ではなくそいつらに言え。あとはコルネート伯爵にもな」


「……」



 次期辺境候にして次代のラングロワ侯爵家当主でもこの若者は、ご存知のように、その見目麗しい容姿と破天荒な性格で有名だ。

 それは貴族連中のみならず、市井の間でも知らぬ者はいないほどなのだが、その裏で非常に良く回る口と頭を持っていることはそれほど知られていない。


 確かに頻繁に女性を口説く姿は、まさに口八丁手八丁くちはっちょうてはっちょうの最たるものだが、それでもそこに彼の本性を重ねる者など殆どいなかった。


 勇猛果敢でありながら、そのじつ極端な脳筋で知られる西部辺境候オスカル・ムルシア。

 しかしその息子であるフレデリクは、それとは真逆の知恵者と言われているため、目の前のラインハルトを見る限り、次代の辺境候は西も東も頭脳派になるのは間違いない。

 そう思わざるを得ないカンデだった。




 そんな思いを知ってか知らずか、尚もラインハルトは説明を続ける。

 変わらずその顔には、ニヤニヤとした笑みが浮かんでいた。 

 

「まぁ、その辺の話はどうでもいい。お前たちが先輩騎士にどう思われようが、そもそも俺の知ったことではないからな」


「……」


「それでその先遣隊のメンバーなのだが、主戦力として陛下直属の近衛騎士団から選りすぐりを10名、斥候として諜報部から密偵スカウトを2名、その他後方支援戦力として魔術師が3名と中々に大盤振る舞いだ。 ――あぁ、あとは俺とお前らが魔術師たちの護衛につく」


「魔術師……」


 その言葉に何を思ったのか、小声でジルが囁いた。

 するとラインハルトは、何か面白そうなものを見つけたような顔をする。


「あぁ、そうだ。お前らが守るべき魔術師なんだが、一人はもう決まっている。 ――おいジル、聞いて喜べ。なんと、あの・・リタ・レンテリアだ!!」


「なっ!!!!」


 その名を聞いた途端、ジルが驚きの声を上げてしまう。

 そして直後にこれ以上ないほど狼狽えた。

 意味もなく両腕を振り回し、忙しなく目を泳がせるその様は、出会って3ヶ月のカンデはもとより、幼少からの付き合いのラインハルトでさえついぞ見たことのないものだった。

 

 そんなジルに何か思うところがあるらしく、彼が落ち着くのを声もかけずにラインハルトは待ち続ける。

 そして待つこと1分。やっとジルは口を開いた。



「リ、リタ……レンテリアだと……な、なぜだ? なぜ奴が先遣隊に……?」


「そんなの簡単だ。あの事件で奴がお前をぶっ飛ばすのを見たからだ。あの一件以来、陛下はこれ以上ないほどリタに惚れ込んでいる。 ――この作戦に失敗は許されん。故にそのリスクを最小限に抑えるための人選なのだろう。 ――あいつならなんとかしてくれる。陛下はそう思ったのだろうな」


「そ、そんな……お、俺はあいつに一体どんな顔を……」


 やっと少し落ち着いてきたとは言え、未だ呆然としたままのジル。

 どうやら彼にはラインハルトの言葉が聞こえていないらしく、ただひたすら己の事情を慮っていた。

 そんなジルの肩を些か乱暴に叩くと、ハッとした顔とともに再びジルの意識が戻ってくる。

 すると再びラインハルトが口を開いた。



「どんな顔で会えばいいか、だと? そんなの自分で考えろ、ガキじゃあるまいし」


「……くそ」


「ふんっ。何だその顔は? 大方おおかた『他人事だと思いやがって』とでも思っているのかもしれねぇが、まさにそのとおりだ。 そんなこと俺の知ったこっちゃねぇからな。 ――わかっていると思うが、奴は今でもお前のことを憎んでいるはずだ。それこそ殺したいほどにな」


「……」


「もっともそれも無理からぬことだ。なにせ、まかり間違っていれば愛する婚約者が殺されていたんだからな。どんなに奴がお人好しであったとしても、そう簡単に許すとも思えん。 ――それをどう攻略するかが、言わば今のお前に課された第一の試練だ。まぁ、腕の見せどころだと思って楽しみにしておこう」


 何処か皮肉そうな顔で話し続けるラインハルトを、これ以上ないほどの凄まじい目つきで睨みつけるジル。

 するとポツリと呟いた。


「くそ……嫌がらせか……? 嫌がらせなのか?」


「あぁ? もっと大きな声で言え。聞こえねぇよ」


「嫌がらせなのかと訊いてるんだ!! あんたにだって俺とあいつの関係くらいわかっているだろう!? それなのに、どうしてこんなことをする!?」



 まるで叫ぶようジルの言葉に、しかしラインハルトは一向に怯む様子は見せない。

 それどころか、急に真顔になると、まるで諭すように言った。


「何が嫌がらせだ、この野郎!! この俺様がそんなチンケなことをするわけねぇだろうが!! もしも本気でそう思っているのなら、お前は本当に救いようのない馬鹿だな!!」


「なに……!?」


「お前がリタ、そしてムルシア家に仕出かしたことは国中が知ってる!! そしてお前らの関係もな!! ――いいか、そんなヤツに背中を任されることがどういう意味を持つのか考えてみろ!! その薄らぼんやりした頭でな!!」


「背中を任される……?」


 その言葉にそれまでの怒りを消したジルは、決して賢いとは言えない頭で必死になって考える。

 そしてひとつの結論に達すると、恐る恐る口にした。



「信頼……か? そうか……信頼なんだな……」


「ふんっ、よくわかったな。そうだ、『信頼』だ。そしてあとひとつは『許し』だな。 ――お前も良くわかっているだろうが、戦場で背中を任せられるのは余程信頼しているヤツだけだ。逆に言えば、信頼できない奴になんかは絶対に背中を預けることもない」


「……」


「つまりリタに護衛を任されるということは、お前はあいつに許された、信頼された証なんだよ。世間的に言えばな。 ――これからお前は騎士になり、貴族家へ養子に入り、そしてアーデルハイトを迎えに行くんだろうが!! その時にリタに、レンテリア家に、そしてムルシア家に許されていなければ、今の貴族界をかんがみた場合それすらもままならんのだぞ!! わかっているのか!! あぁ!?」


「アーデルハイト……」


「そうだ!! お前はハイジを迎えに行くんだろう!? ――言っておくが、そう時間の猶予はないぞ。こうしている間にも、あいつには続々と縁談が持ち込まれているのだからな。キルヒマン家の事情を考えれば、時間の猶予は今年いっぱいだ。 ――さっさと実績を挙げて、リタに許されて、貴族界に許されて、そして大手を振ってハイジを迎えに行ってやれ!! この猪野郎!!」



 まさにその言葉は、ジルの頭を横殴りにした。

 そのあまりの衝撃の大きさに、思わず彼は言葉も出なくなってしまう。


 それでもジルは必死に口を開いた。

 しかしその口から出る言葉は、何処か辿々たどたどしかった。


「か、畏まりました。そのお申し出、つ、謹んでお受けいたします。 ――必ずやアビゲイル様を救出し、戦から生還し、そして――」



 最後の言葉は、その場の誰にも聞こえなかった。

 何故ならジルは、その細い瞳から涙を溢れさせて男泣きに泣いていたからだ。


 その涙が何を意味しているのか、それは彼にしかわからない。

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