第259話 騎士の推薦

 ここはハサール王国の首都アルガニルから東へ徒歩で半日のところにあるコルネート伯爵領。

 その領都モンシケにある壮観な屋敷の一室に、突如慌てたような声が響き渡った。


「なに!? ラインハルト様がお見えだと!? な、何をしている、さっさとお通ししないか!! ――よいか、まずは失礼のないように気をつけるのだぞ!!」


「は、はい、承知いたしました!! ただちにご案内いたします!!」



 決して大きいとは言えないが、それでもひと目で長い歴史を見て取れる豪奢で見栄えの良い屋敷。

 その中を、とある男が忙しなく走り回っていた。


 年の頃は40代後半だろうか。

 加齢によりすっかり薄くなった髪を振り乱しながら、メイドに向かって矢継ぎ早に指示を飛ばす背の低い男。

 それはハサール王国コルネート伯爵家当主、ファビオ・コルネートだった。

 

 彼が当主を務めるコルネート伯爵家はハサール王国の東部貴族郡に属しており、筆頭貴族家でもある東部辺境候――ラングロワ侯爵家の直下に位置している。

 そして地理的に首都アルガニルのすぐ隣にあることから、東部貴族家の玄関口と昔から揶揄されてきた。

  

 その歴史は古く、発祥を遡ると約300年前に辿り着く由緒正しき名家なのだが、領地の狭さ故に東部貴族の中でも中堅どころに落ち着いていた。

 それでも首都の隣という絶好の位置関係から、東部貴族家――特に筆頭であるラングロワ家からは様々な情報の収集元として重宝されており、今やその地位は揺るぎないものとなっている。


 そんな貴族家の屋敷が、今日も今日とて早朝から喧騒に包まれていた。

 それは何故なら、突然前触れもなくラングロワ家の嫡男――ラインハルトが訪ねて来たからだ。


 次代の東部辺境候にして次期ラングロワ家当主でもある彼の身分をおもんぱかれば、如何に遠慮がないとは言え、先触れもなく訪問するなどあり得ない。

 しかし全てにおいて破天荒かつフリーダムなラインハルトは、相手の事情などまるでお構いなしに訪問しては相手を困惑させていた。

 

 そのラインハルトがズカズカと応接室に入ってくるなり、勧められる前に豪奢なソファにどっかりと腰を下ろした。



「おぅ、コルネート伯爵。久方ぶりだな。 ――その節は色々と世話になった!!」


「これはこれはラインハルト様。本日はようこそおいでくださいました。先日の山賊騒ぎにおいては、大変ご迷惑をおかけしたことを改めてお詫び申し上げます」


「あの時は楽しませてもらった!! とは言え、こちらの希望も聞き入れてもらったからな。まぁ、お互い様と言ったところだろう。気にするな」


「そう仰っていただけると、胸のつかえも取れるというもの。誠にありがとうございます。 ――相変わらず御壮健のご様子、誠に喜ばしい限りですな。それで今朝は如何されましたか?」


「あぁ。いつものこととは言え、突然済まなかったな。実は事無ごとなき事情があって来たのだ。 ――事は一刻を争う故、先触れを寄越す暇もなかった。許せ」



 いやいや……そう言いながらあなた、これまでだって一度も先触れなんて寄越したことないでしょ……


 などと思わずファビオは零しそうになったのだが、すんでのところで口を閉じる。そして何食わぬ顔で客を見つめた。

 しかしそんなコルネート伯爵に構うことなく、ラインハルトは自身の要件だけを淡々と話し続けた。


「ときに伯爵、此度こたびの戦の話は聞いているか?」


「勿論ですとも!! なにせ東部貴族家の事情通を自認する私めでございますからな!! 陛下の呼び出しは受けておりませんでしたが、まぁ、色々と伝手つてはございますから」


 そう言うとファビオは、何やら含みのある笑みを浮かべる。

 どうやら彼は自身の情報収集能力には一廉の自信があるらしく、その問いに自信満々に答えた。

 するとラインハルトもニヤリと返した。


「そうか。それなら話は早い。 ――単刀直入に言うが、コルネート家の騎士を貸してほしい。それも二名だ。今日はそれを頼みに来た」


「なるほど……それは先遣隊のメンバーということですかな?」


「……なぜ知っている?」 


「いえいえ、知っていたわけではありませんよ。あくまでこれは推測です。 ――ふふふ……ラインハルト様、貴方様がそのメンバーに入ったとすでに聞き及んでおりますからな」


 再び含みのある笑みを浮かべるファビオ。

 それを見たラインハルトも、同様にニヤリと笑った。


「ますます話が早いな。それでは腕の立つ者を二名頼む。それまで俺は茶でも飲んで待っていることにしよう」


「畏まりました。それでは少々お待ちを――」




 ファビオが部屋から出ていくと、ラインハルトはメイドが入れ直した茶をゆったりと飲み始めた。

 半ばソファにもたれるように茶を嗜む姿は、まさに優雅としかいいようがなく、まるで女性歌劇団の男役のように美しい面差しは思わず周囲の目を惹いてしまう。


 その証拠に部屋付きの若いメイドはラインハルトに見惚れてしまい、今や目は潤み、頬は赤く染まっていた。

 するとラインハルトはそのメイドに手招きをする。


「は、はい!? お、お茶のおかわりでしょうか?」


「いや。ホストが戻ってくるまで、少し話し相手にでもなってもらおうかと思ってな。 ――嫌か?」


「い、いいえ!! そ、そんな嫌だなんて、滅相もございません!! し、しかし、わたくしのような者が口をきくなどと、あまりに畏れ多い――」


「気にするな。俺が話したいと言っているんだから、構わんさ。 ――それともお前の仕事には客との会話は含まれないのか?」


「そ、そんなことはございません!! お客様が望まれるのであれば、お話相手など幾らでもいたします!! む、むしろ、喜んで!!」


「そうか、それは良かった」

 

 そう言うとラインハルトは、顔に満面の笑みを浮かべる。

 それは女性であれば誰もが見惚れてしまうほど爽やかで優しげな笑顔だった。

 事実そのメイドも頭の先まで真っ赤に染めたかと思うと、まるで熱病に浮かされたような顔をしていた。

 

 そんなメイドに向かって、ラインハルトが優しげに口を開く。



「お前、名前は?」


「は、はい!! わたくしはポレットと申します!!」


「そうか。ふむ、なかなかに可愛らしい名だな。お前によく似合っていると思うぞ。 ――それでポレット、出身は?」


「はひぃ!! コ、コーラル子爵家でございます!!」


「あぁ、コーラル子爵家か。そうか……そこなら俺も知ってるぞ。スペンサーネ湖の近くの避暑地だろう? ――あの一帯は本当に景色が素晴らしいからな。風光明媚とはまさにあれを言うのだろうな」


「は、はい、よくご存知で!! 実家の屋敷から眺める、湖水に落ちてゆく夕日。今でも夢に見るほど、それはそれは美しいのです!!」


「あぁ、そうか。それは一度見てみたいものだ」


「はい、ぜひ!! ――わたくしはそこの三女でございまして、ご縁によりこちらへお世話になっております」


「そうか、三女か。そうであれば、嫁ぎ先を見つけるのも一苦労だな。それに内陸のコルネート領など、お前には水も食い物も合わなかったのではないか? ――都会の喧騒もやかましかろうに」



 まるで気遣うようなラインハルトの言葉。

 鋭く切れ長ではあるものの、その奥に温かさが垣間見える青い瞳で見つめられたポレットは、何処かぽーっとした夢見がちな表情になる。

 そして今や焦点の合わない瞳を潤ませた。


「……お気遣い、ありがとうございます。そのようなお優しいお言葉、とても心に染み渡ります……」


「うむ、そうか。お前も色々と大変だろうな。実家から離れて一人他家で励んでいるのだから。 ――夢を見ると言ったが、郷愁の思いを察すると思わず胸が痛むな」


「あぁ……ありがとう……ございます……そのような言葉をかけて下さる御方なんて……私……初めてで……うぅぅぅ……」


 遂に感極まって涙を零し始めたポレットは、侯爵家嫡男の前であるにもかかわらず、細く華奢な肩を震わせて泣き出してしまう。

 するとソファから立ち上がったラインハルトは、彼女の肩を優しく抱いた。


「よしよし……泣くならこの胸を貸してやろう。思う存分使うがいい」


「も、申し訳ありません……お客様に対して……このような……醜態をお見せするなんて……」


「どうだ? 今度の安息日にでも相談に乗ってやろうか? こんな俺ではあるが、お前の愚痴くらいは聞いてやれるぞ?」


「は、はい……ありがとうございます」


「うむ。それでは――」





「ラインハルト様……当家のメイドを口説くのはご勘弁いただけますかな?」


 獲物を狙う猛禽類よろしく、遂にラインハルトがお人好しのメイドを手玉に取ろうとしたその瞬間、何処か呆れたような声をかけられてしまう。

 その声に二人揃って視線を向けると、この屋敷の主人――ファビオ・コルネート伯爵が男二人を伴って部屋に入ってきたところだった。


 呆れた表情を顔に浮かべながら、わざとらしくため息を吐くファビオ。

 それはラインハルトという人物をよく知る者の反応そのものだったが、当の本人はまるで悪びれた様子を見せずにうそぶいた。


「俺は別に口説いてなんかいないぞ。ポレットがコーラル子爵家出身だと言うものだから、懐かしくなって少し話をしていただけだ。やましいことはなにもないぞ。 ――なぁ、ポレット」 


「え、あ、は……はい」

 

「そうですか。 ……それではなぜメイドを胸にお抱きになっていらっしゃるのでしょう?」


「あ゛? ……あぁ、これは……スキンシップだな。うん、そうだ」


 そう指摘されながらも、肩を抱くのをやめようともしないラインハルト。

 しかし当のポレットは、自身の主人と上位貴族の間に挟まれて少々気の毒なほど身を震わせていた。

 そんなラインハルトを、ファビオは容赦なく追求する。


「それに私の記憶が確かであれば、貴方様はコーラル子爵領になど行ったことも見たこともないはずでは? それのどこが懐かしいので?」


「あ……あぁ―― そ、それはだな……」


「えぇっ!? そ、そうなんですか……?」


 驚きのあまりその身を引き剥がしたポレットと、遂に目を泳がせ始めたラインハルト。

 その二人を前にして、ファビオは告げた。



「ポレット。これでわかっただろう? こちらのラインハルト様は確かに見目麗しい御方ではあるが、こと女性に関しては様々な浮名を流していらっしゃるのだ。 ――危なくお前もその毒牙にかかるところだったのだぞ。気をつけなさい」


「は、はい!! 大変申し訳ありません!! 以後気をつけます!!」


 そう言うとポレットは、まるで逃げるように部屋の隅まで下がってしまう。

 そして二度とラインハルトの顔を見ようとはしなかった。

 そんな少女にラインハルトが名残惜しそうな視線を向けていると、その横顔にファビオが語りかけてくる。


「ふぅ……いいですか、ラインハルト様。あの子はコーラル子爵から預かっている大切な娘なのです。今は行儀見習いとして下働きをしておりますが、いずれは何処かの貴族家へ嫁ぐ身。 ――お願いでございますから、無駄に波風を立てるようなことはおやめください」


「……わ、わかった。配慮しよう」


「ありがとうございます」


 


 少々バツの悪い顔をしながら、それでも悪びれずソファに座り直したラインハルト。

 彼が二名の騎士に視線を移すと、自信満々にファビオが告げた。


「お待たせいたしました。これが我が家が抱える最高の騎士たちです。 ――腕のほどは保証いたしますので、ぜひお連れください」


 その言葉を証明する通り、それは見るからに屈強そうな二十代中頃の若者たちで、その不遜な面構えも鍛え抜かれた体躯も、まさに完成された騎士そのものだった。


 昔からの慣例で、コルネート伯爵家は平民からも騎士見習いを募っている。

 とは言うものの、貴族の子弟が大半を占める騎士の世界に平民が生き残っていくことは難しく、例に漏れずこの二人も貴族家出身の者たちだった。


 腕に相当自信があるのだろう。

 自信満々というには少々不遜すぎる表情を湛えながら、彼らはラインハルトの前に直立する。

 そして告げた。


「オリンドと申します!! 先遣隊には、ぜひ私をお連れください!! 必ずやお役に立って見せます!!」


「クリスピーノです!! 腕には自信がございます!! その辺の兵士には負けません!! ぜひ私を!!」


 体躯のみならず、その声まで自信に満ち溢れた彼らではあるが、ラインハルトはその顔に渋い表情を浮かべる。


「いや、お前たちなにか勘違いしてないか? 俺が探しているのは主戦力ではない」


「では……なにを?」

 

「護衛だよ。先遣隊に随行する女魔術師の御守おもりが主な仕事だ。だから先頭に立って活躍することはまずないだろう」


「は、はぁ……」


「まぁ、それはいい。それよりも大事なのは、此度こたびの作戦は、生きて帰れる保証がないということだ。 ――いや、むしろ死ぬ確率のほうが高いだろうな。なにせ敵陣のど真ん中に突入するのだから、まず生きて帰れないと思ったほうがいいだろう。 ――それでもかまわんか?」



 その言葉を聞いた途端、二人の顔に動揺が走る。

 家督を継げないとは言え、彼らとて貴族家の次男、三男なのだから、いい話があれば何処ぞの貴族家へ婿入りする話もあるだろう。

 そもそも騎士の道を志したのだって良家へ婿入りするまでの繋ぎのつもりだったし、それを蹴ってまで生還できる見込みの低い作戦に敢えて志願する意義があるのかと問われれば、はなはだ疑問だ。


 確かに名声、名誉は誇らしいものだし、騎士の本懐と言えなくもない。しかし、それとて生きているからこそ意味のあるものなのだ。

 にもかかわらず、自ら死地に向かうほど彼らの心は純粋でもなければ自己犠牲に溢れてもいなかった。


 しかも主な仕事は脆弱な女魔術師の護衛だという。

 他の騎士たちが主戦力として先頭に立つを尻目に、自分たちは女のお守りをするのかと思うと、急速にやる気が萎んでしまう。


 その思いに逡巡する彼らに、尚もラインハルトは告げた。



「無理はしなくていい。誰だって死にたくないのは俺にもわかる。 ――それに次男、三男とは言え、お前たちも貴族の子息なのだからな。生きているだけで実家の役に立つことがあるかもしれん。そんな者たちをむざむざ死なせるのも気が引けるというものだ」


「……」


「であれば、ここはお前たちの代わりに死んでも構わないような者を紹介してもらえんか? もちろん護衛として最低限役に立ってもらわなければ困るのだが、他に屈強な近衛騎士も随行するので、そこはそれほど気にしなくていい」

 

 その言葉に、二人の騎士は考える素振りをみせる。

 そして暫く後に同時に口を開いた。


「それなら丁度良い者たちがおります。ただし彼らは未だ騎士見習いですが、それでもかまいませんか?」


「腕が立つのであれば正騎士でも見習いでもかまわない。それで?」


「ありがとうございます!! それでは平民出身の騎士見習いを紹介します!! 彼らであれば、たとえ死してもそれほど影響があるとは思えません。一人はアレですが、もう一人は相当腕が立つのを保証します!!」


「わかった。 ――それで、それらの名は?」


「はい。ジルとカンデです。我らの名を以て、その2名を推薦いたします!!」



 その言葉にラインハルトが満足そうに頷くと、ファビオも何処か含みのある笑みを浮かべた。

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