第258話 従軍魔術師とその護衛
国王との話が終わったリタが廊下に出ると、そこには見知った顔が待っていた。
それは濃い茶色の髪と薄茶色の瞳が印象的な若い男で、彼女の姿を認めた途端、満面の笑みを浮かべながら足早に近づいてくる。
それに気付いたリタは、渋い表情を一変させた。
まるで花が咲いたようにパッと顔を綻ばせると、はにかんだ笑顔を見せた。
「まぁ、フレデリク様!! もしかして、
「何を言ってるんだよ、リタ。僕は君の婚約者じゃないか。それなのに、他人行儀に声もかけずに帰るわけがないだろう? ――バタバタして今朝は会えなかったからね。せめて帰りくらいは話をしようと思って待っていたんだ」
言いながら、何気に頬を赤らめるフレデリク。
それを見たリタは、愛らしい顔に満面の笑みを浮かべた。
「それはありがとうございます。 ――今朝は大変申し訳ありませんでした。急な呼び出しだったものですから、仕度にお時間がかかってしまいまして……」
「いや、いいんだ。君は女性だからね。男の僕なんかよりも身支度に時間がかかるのは仕方がないさ。 ――それにリタ……今日も君はとても綺麗だし」
「!!」
その言葉を聞いた途端、思わずリタは顔を赤らめてしまう。
そして両手を揉みしだきながら、伏し目がちに身体をくねらせた。
「あぁん、嫌ですわ、フレデリク様…… そのようなことを仰らないでくださいまし……恥ずかしいですわ……」
「だけどこれは僕の本心なんだ。君はまるで妖精のようだから」
「いやぁん……もっと言って」
「かぁーっ、ぺっ!!!! ――なんだなんだ、てめぇら!! 気色わりぃなぁ、おいっ!!
周囲に人がいないのをいいことに、突如廊下で恋人ごっこを始めたリタとフレデリク。
片や柔らかい物腰の優男と、片や小柄で華奢(しかし巨乳)な超絶美少女。
そんな二人が恥ずかしそうに向かい合っていると、初々しさを通り越した青臭さに、見ている方が恥ずかしくなる。
まさに恋愛初心者としか言いようのない
その姿を見る限り、
そんな二人に向かって、遠慮のない罵声を浴びせる者がいた。
それが誰かと思って見てみれば、次代の東部辺境侯にして次期ラングロワ家当主、そしてリタとフレデリクの義弟になる予定のラインハルトだった。
サラサラとした長めの金髪に、透き通るような青い瞳。
鼻筋が通る整った顔は絵に描いたような美丈夫で、若い
180センチはあるだろうすらりとした長身と、服の上からでもわかるほど鍛え抜かれた体躯は、まさに剣士と呼ぶに相応しい。
その彼が二人の様子にドン引きしながら近づいてくると、突如フレデリクに指を突きつける。
「いい歳こいて、なに
「ななな、なにを!! ど、ど、ど、どうて――」
「お前、数年内にはこいつと結婚するんだろ? このままだと、こいつしか女を知らないままに人生終わっちまうぞ!? それでいいのか、フレデリク!? 男として生まれたからには、数多くの女と浮名を流してこそ――」
「ラインハルト様!! 言うに事欠いて、何を仰いますの!?
『
なにか気になることでもあるのだろうか。それまでのニヤニヤ笑いを消し去ると、急に真顔になった。
「あぁーっ、うっせぇよ!! 誰も好き好んでお前らの
「うるさいですわね!!
「
「なんじゃと、こらぁ!! おまぁ、ええかげんせぇよ!! いわすぞ!!」
「おう!! いわせるもんなら、いわしてみやがれ!! このロリ巨乳がっ!!」
「ぬぉー!! 乳をネタにすんなと何度言わせんのじゃ!! このハゲがぁ!!」
「ハゲだとぉ!?」
売り言葉に買い言葉。まさに掴みかかる勢いで互いを罵倒し始めたリタとラインハルト。
しかしその間に割って入る者がいた。
「リ、リタ……もうやめなよ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃないか。 ――ラインハルト殿もリタを煽るのはやめてください。こう見えて、怒らせると怖いんですから」
それはフレデリクだった。
少々気弱で優しげに見えるこの男は、リタの剣幕にもまるで怯むことはなかった。それどころか、口汚く罵るリタを諌めようとすらしていたのだ。
その様子を見ていると、意外と彼はリタを乗りこなすのが上手いのかもしれない。そう思わざるを得ないほど、その対応は手慣れていた。
そんな婚約者に気付いたリタは、思わずバツの悪い顔をしてしまう。
「お、おほほほ……これはごめんあそばせ。あまりに彼が煽るものですから、思わず我を忘れそうになってしまいまして……大変失礼いたしました。 ――それで先程のお話ですけれど、フレデリク様にはこの
上目遣いに見つめながら、少々わざとらしく自慢の胸を強調するリタ。
するとフレデリクは、その豊かな双丘に目を釘付けにしてしまう。
「あ、あなた……ごくり……」
「かぁー!! なんだよ、この茶番はよぉ!! ――よぉし、わかった!! おい、フレデリク。無事にこの作戦が終わったら、俺様とっておきの高級娼館へ連れて行ってやる!! そこで女の何たるかを教えてやろうじゃねぇか!!」
「えぇ!?」
「な、何を仰るのです、ラインハルト様!! そんな貴方様こそ、この戦が終わり次第エミリエンヌとの挙式が待っているではありませんか!! ふざけるのも大概になさいませ!!」
「おう、勘違いするな。言っておくが、俺はあいつのことを
「えっ……あっ……はい」
「なんじゃあフレデリク!! どさくさに紛れて、おまぁも『はい』って言うなや!!」
「えっ? あ、あぁ!! ご、ごめん、リタ!! つい……」
相変わらずの俺様口調で、ひたすらリタを煽りまくるラインハルト。
その様子を見る限り、わざと彼女を怒らせようとしているようにしか見えなかった。
その証拠に彼は終始顔をニヤつかせながら、何処か楽しんでいるように見えたのだ。
そんな将来の義弟に突然にじり寄ると、リタはその耳元に口を近づけた。
「えぇ加減にせんと、本気で
怒りのあまり目を三角したリタが、パリパリと音を立てて手に稲妻を光らせる。
その姿を見たラインハルトは、さすがにふざけすぎたと思ったらしく、小さく咳払いをして表情を改めた。
「ごほんっ……な、なに言ってんだリタ。冗談に決まってるだろ。戯言の通じないやつだな」
「なにが戯言じゃ、このハゲが!! うぬぅ……ま、まぁえぇわ。 ――ところでフレデリク様。貴方様も貴方様です。そのようなゲスな提案など即座にお断りくださいませ!! 何を一瞬お迷いになっているのですか!! いやらしい!!」
「えぇ……」
最愛の婚約者に「いやらしい」などと言われてしまったフレデリクは、ショックのあまり何も言えなくなってしまう。
温和で優しそうな顔に絶望を浮かべると、縋るような目つきでリタを見つめた。
すると呆れたような顔をしながら、再びラインハルトが口を開いた。
「とまぁ、
「えっ……?」
突如口調を改めたラインハルトに、思わずリタも釣られてしまう。
いつも軽口ばかり叩いている彼ではあるが、たまに真顔に戻るとかなりの迫力を醸し出すのだ。
その顔を見る限り、今や決して冗談を言えるような雰囲気ではなくなっていた。
するとリタは、直前までの怒りを消して淡々と質問に答え始めた。
「何って……先程の先遣隊のお話ですわ。 ――隊のメンバーですけれど、
「おいおい……こう言っちゃあ何だが、陛下肝いりの部隊にしては
「いいえ。先遣隊の目的は、あくまでもアビゲイル様とユーリウス様の保護ですもの。本格的に戦が始まる前に御二方の身柄を確保して、可能であればハサールまでお連れしろとのご命令ですわ。 ――いたずらに人数を増やして小回りが利かなくなるよりも、むしろこのくらいが丁度良いのかと」
「なに? 御二方を連れ帰れと?」
「えぇ、そうですわね。なにぶんファルハーレンは国土が狭いものですから、戦になれば全土が戦場になってしまいますもの。確実に安全を確保するのであれば、戦場から連れ出すのが一番かと思いますのよ」
「そうか……まぁ、そうだな。陛下の仰ることはもっともだな。 ――それはわかった。もうひとついいか?」
「はい。なんですの?」
「メンバーについてはわかった。しかしよ、お前の護衛はどうなってるんだ? 従軍魔術師には護衛の騎士なり兵士なりが付くのが普通だろう? もしも突然の遭遇戦にでも巻き込まれてしまえば、魔術師なんてイチコロだからな」
「……」
その言葉にリタは胡乱な顔をしてしまう。
確かに従軍魔術師には護衛の兵士や騎士などが付くのが普通だ。
理由はラインハルトが話したとおりなのだが、前世で何度も従軍経験のあるリタ――アニエスは一度も護衛をつけたことはなかった。
それは何故なら、魔術師が得意とする遠距離戦はもとより、剣が届くような近接戦闘においても彼女は無敵を誇っていたからだ。
無詠唱魔法を駆使した凄まじいまでの立ち回りは、中途半端な護衛が近くにいるとむしろ邪魔になるほどだったので、常にアニエスは護衛なしで従軍していた。
そんなことが常態化していたために、今回もリタは自身の護衛などはすっかり頭から抜け落ちていたのだ。
それに気付いた彼女は、それでも胡乱な顔を崩さず訊いた。
「何を仰いますの?
その言葉に思わずラインハルトは首肯しそうになったのだが、直後に首を振った。
「いや、今回はそうもいかんだろう。確かに優れた魔術師のお前に護衛は不要なのかもしれん。しかしお前は魔術師である前に、名門レンテリア伯爵家の令嬢なんだ。そんな人物が従軍するというのに、護衛の一人も付けないのはそれこそあり得ないだろう。 ――もしもお前の言葉を鵜呑みにするなら、陛下のみならず、お前の両親や伯爵夫妻の常識まで疑われてしまうぞ」
「まぁ、確かにそうですけれど……」
普段は軽口ばかり叩くくせに、この時ばかりはラインハルトは正論を吐いた。
如何に本人が不要と言えど、伯爵家令嬢に護衛の一人も付けずに従軍させるなど
ラインハルトが言うように、それこそ国王の常識すら疑われてしまう。
するとそれに乗ずるように、フレデリクが口を挟んでくる。
その顔は何処かやる気に満ちていた。
「その役目は僕が引き受けますよ!! リタを守るのは、婚約者であるこの僕の役目ですからね!!」
鼻息も荒く、自身の胸を叩くフレデリク。
しかしそんな彼に対し、ラインハルトは小さく鼻息を吐いた。
「いや、だめだ。お前は今回留守番だからな」
「えぇ!? なぜ!? どうして僕が留守番なのですか!?」
「はぁ……お前は何もわかってねぇなぁ。そんなので本当に次期西部辺境候が務まるのかよ……西と東は表裏一体、これからお前は俺のライバルになるはずなのだがなぁ……」
そう言いながら、呆れたような顔でフレデリクを見るラインハルト。
本音を言えばもっと言いたいことがありそうだったが、それでも直後に居住まいを正した。
「まぁいい。これからお前は親父殿――オスカル将軍に報告に行かねばならんのだろうが、そこで居残りを命じられるはずだ。少なくとも、俺が将軍ならそうする。 ――地理的なことを鑑みれば、今回の遠征は西部軍が中心になるだろう。つまり軍を率いるのは自ずとオスカル将軍ということになる」
「……」
「とは言え、全ての軍は連れていけない。如何に隣国を助けるためとは言え、自国の防衛のために最低限の軍は残さなければならんからな。 ――これでわかったか? オスカル将軍が遠征に出ている間、ハサール西部の安全を守る。それがお前の仕事だ。次期西部辺境侯として、親父の留守を守ってみせろ、フレデリク」
その言葉に突如ハッとしたフレデリクは、まるで観念したかのように口を開く。
明らかにその顔は意気消沈しているようにしか見えなかったが、それでも彼は無理やり平然とした
「……わかりました。それが僕の役目だと言うのであれば、粛々と引き受けるまでです。そして引き受ける以上、必ずや使命を全うしてみせましょう。 ――しかしそれと同時に、リタを守ってあげられない自分の不甲斐なさに嫌気が差しますが」
温和なフレデリクには珍しく、まるで吐き捨てるかのようにそう告げる言葉の端々は、何処か自虐めいていた。
しかしそんなことにはお構いなしに、再びラインハルトがニヤリと笑う。
「そこで俺様の出番だというわけだ。 ――安心しろ、フレデリク。リタの護衛はこの俺様が引き受けてやる。そもそも俺は、この戦では役目を仰せつかっていない。つまり俺はフリーだからな。リタに付き添ってやるよ」
「ラ、ラインハルト殿が!? いいのですか!?」
「ふんっ。 ……とかなんとか仰ってますけれど、どうせそれが目的ではないのでしょう? 正直に言いなさいよ」
任せろと言わんばかりに、鼻息も荒く己の胸を叩くラインハルトと、何気にジトッとした目で見つめるリタ。
すると彼は突如笑い声を上げた。
「ふふん、リタのくせになかなか鋭いな!! とまぁ、表向きはそういうことになっているが、俺がリタに同行する
「えぇ……」
「な、なんだよ、その嫌そうな顔は!! この俺様が直々に護衛を引き受けてやろうってのに、そんな顔することねぇだろ!?」
「えぇ……だって……この期に及んで馬鹿の面倒を見なければいけないなんて……面倒くさいし……疲れるし……」
「あぁ!? 誰が馬鹿だってんだよ!?」
「話聞いてる!? そんなの、あんたに決まってるでしょうが!!」
「なんだと、てめぇ!! やんのか、こらぁ!!」
「ぬぉー!! 受けて立つわよ!!」
「ちょ、ちょっと、二人とも、やめてよ!!!!」
売り言葉に買い言葉。
再び一触即発の状態に陥った二人を飽きることなくフレデリクが仲裁すると、鼻息も荒くラインハルトが吐き捨てる。
しかしそれに反して、リタは完全に疲れ果てていた。
「おいリタ!! お前さっき他にも数人連れて行っていいと言ってたよな?」
「はぁはぁはぁ……えぇ、確かに陛下はそう仰られたけれど。メンバーの他に、好きな者を数人連れて行けと」
「ほほう……それならあと一人……いや、二人連れてきていいか? もちろんお前の護衛だぞ。 ――俺とそいつらの3人で、お前の護衛団を組んでやる。泣いて喜べ」
「はぁ!? そんなのいらないわよ!! それに、ちっとも有り難くなんてないし!! ――はぁはぁはぁ……もう好きにすればいいのよ……知らんわ……」
さすがのリタも、底なしの体力を誇るラインハルトにはついていけないらしい。
細く華奢(しかし巨乳)な肩で大きく息をしながら、半ば諦めたように将来の義弟を見つめたのだった。
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