第261話 誉め言葉
時間もなく、このままラインハルトと一緒に出立することになったジルとカンデは、準備と先輩たちへの挨拶のために一度宿舎へと戻っていく。
その間応接室に残されたラインハルトと屋敷の主人――ファビオ・コルネート伯爵は、互いの顔をチラチラと伺いながら、どちらからともなく口を開いた。
「ラインハルト様。本当にあの二人でよろしいのでしょうか? 腕の立つ騎士であれば、他にも多数おりますが」
「いや、いいんだ。さっきも言ったが、この作戦は生きて帰れる保証などない。言わば自ら死地に向かうようなものだから、あの二人で全くかまわんのだ。 ――正直に言うが、今回ばかりはさすがの俺もどうなるか全くわからん」
普段の彼からは考えられない、思いつめたような表情を浮かべるラインハルト。
その彼にファビオは神妙な顔を返した。
「ラインハルト様。ひとつよろしいですか?」
「ん? なんだ?」
「そのお言葉、まるで貴方様には似つかわしくありませんな。ゆえに、それが本心だとは私には思えません。 ――そろそろ本音をお話しいただけますかな」
「……なぜそう思う? なぜ俺が本音を話していないと?」
「それは見ればわかりますよ。なにせ私は、貴方様を幼少の頃から見てきたのですから。それに恥ずかしながら東部貴族家の事情通とも言われておりますので、貴方様についてはそれなりに理解していると自負しております」
「……」
その言葉に思わずラインハルトは黙り込んでしまう。
肩を
しかし次の瞬間、部屋の中に大きな笑い声が響き渡った。
「うはははははっ!! そうか!! さすがはコルネート伯爵だな。やはりお前には全てお見通しだったか!!」
「ラ、ラインハルト様……?」
「そうだ。お前の推測通り、
「……僭越ながら、仰る通りです。貴方様が何故そのようなことをしたのか、途中から理由も察しておりました」
「ふふふ……まぁ、そういうわけだ。とりあえず今回は俺の思惑通りに事が運んだということだな。 ――今だから言うが、あの騎士たちが騎士の矜持とやらを語り出したら、いったいどうしたものかとヒヤヒヤしたんだ」
言葉とは裏腹にニヤニヤとしたラインハルトを見たファビオは、何処か呆れたような顔をする。
そして小さく鼻息を吐いた。
「何を仰いますか。彼らの
「うはははっ。まぁ許せ!! 行きがかりとは言え、お前まで
詫びと言うには些か尊大な仕草で、ラインハルトが金色の頭を軽く下げる。
するとファビオは、慌てて押し留めた。
「ラ、ラインハルト様!! なにもそのようなことをされずとも!! お願いでございますから、頭をお上げください!!」
それからしばらく雑談をしていた二人は、いつの間にかジルとリタの話題になっていた。
彼らが引き起こした事件とその顛末、そして両者の因縁はあまりにも有名だったので、今さら何を話すというものでもなかったが、それでもファビオはリタに興味を持ったらしく詳しく話を聞きたがった。
ご存知のようにハサール王国の貴族家は、首都アルガニルを挟んだ東西で大きく二つの派閥に分かれている。
西はムルシア侯爵家を筆頭とする西部貴族家群、そして東はラングロワ侯爵家を中心とする東部貴族群なのだが、実のところこれまで両者に
理由を説明すると長くなるので割愛するが、全ては西との交流を疎んだ前東部貴族家筆頭のアンペール侯爵家が原因だ。
そのためコルネート伯爵は、首都のすぐ隣という絶好の場所であるにもかかわらず、これまでリタに会ったことがなかった。
しかし東部貴族家の筆頭がラングロワ家に変わった今では、そんな
とは言え、これまで全く交流のなかったレンテリア家に訪問し、リタに会う上手い口実も見つからないまま、なんとなくこれまで会わずじまいになっていた。
そんなファビオが、ラインハルトに質問を始めた。
「これはあくまで個人の興味としてお訊きするのですが、実際リタ嬢とはどのような人物なのでしょうか? あのジルが謝罪をしたとして、すんなり受け入れてくれそうですか?」
「ふむ……ならば訊くが、お前はリタをどんな奴だと思っている?」
質問に対して質問で返されてしまったファビオは、誠実にその問いに答えようとした。
「そうですね……私個人としましては、類稀なる美貌と魔法の才に恵まれた、まさに才色兼備を体現したかのような令嬢と理解しております。その他には、礼儀作法から言葉遣い、細かい所作に至るまで、淑女として完璧であるとも」
「ほほぅ」
「それと同時に、先を読み、策を弄し、戦わずして敵に勝つ深遠な思慮と、いざという時には実力行使すら厭わない容赦のなさをも併せ持つ。 ――そんな人物だとも承知しております」
「……おいおい、そりゃあまた随分と誉めちぎるもんだな。 ――まぁ、確かにその認識はそこまで大きく違ってねぇが……言うほど大層なもんかねぇ」
顎を撫で、天井を見つめながら、ラインハルトはファビオの言葉を噛みしめる。
そうしながらも、リタという少女を端的に言い表そうと言葉を選んでいると、先にファビオが口を開いた。
「もっともこれは、
「くそ……また
ぶつぶつと呟きながら、苦虫を噛み潰したような顔をするラインハルト。
眉間にしわを寄せ、口角を下げた顔はどこから見ても不機嫌そうに見えて、なんとなく理由を察したファビオは敢えて見ないふりをする。
そしてそんな顔をしながらも、ラインハルトはファビオの質問に答えようとした。
「ちっ……リタか。あんな奴のことを知ったところで、なんの得にもならねぇと思うがな。 ――しかしまぁ、あれか。あいつもあれで将来の西部辺境候夫人だからな。多少は知っておいてもいいか」
「……」
「そうだな……まず、乳はでかいな。これは間違いない。 ……いや、実際にはそれほどでもないのかもしれねぇが、細く華奢なせいで実際以上にでかく見えるのかもしれん。もっとも、あれがフェイクの可能性も否定し切れんがな」
「フェイクって……まさか盛り乳……じゃなくて、あ、いや、ラインハルト様……私はべつにそのようなことを知りたいわけでは……」
「おまけに顔もスタイルも中々のものだが、
「ロ、ロリ巨乳って……あの……ラインハルト様?」
「ん? なんだ? お前がリタについて知りたいというから話してやっているというのに……気に入らんのか?」
「いや、その……私はリタ嬢の容姿ではなく、お人柄などをお訊きできればと……」
その言葉にラインハルトは、思い切りファビオを睨みつける。
それから小さく舌打ちをした。
「ちっ……そうならそうと初めから言え。お前のせいで無駄な話をしちまったじゃねぇか」
「いや、私は初めから――」
「あ゛!?」
「な、なんでもございません……ど、どうぞ、続きを……」
背筋を伸ばし、何気に畏まったファビオに対し、ラインハルトは面白くなさそうな顔をした。しかし直後に真顔に戻ると何かを考え始めた。
「ふんっ。 ――リタの人柄……性格か? 中々に複雑すぎて、それは一口に説明できねぇが……そうだな、まずは異常に気が強い。そのうえ凄まじいほどの負けず嫌いなうえに蛇のように執念深いときたもんだ。 ――あの風体に騙されて舐めてかかると、痛い目にあうぞ」
「そんなに……ですか?」
「あぁ。
「た、確かに……あの事件ではリタ嬢も色々とやらかしましたが、何ひとつ咎めを受けることはありませんでしたな。最終的に全てアンペールの罪として裁かれましたし」
「あぁ。それも全てあいつの計算だろうな。外堀を埋め、相手を追い詰め、己の思い通りに動かす。 ――全く自覚はなかったろうが、実のところアンペールはリタの掌の上だったというわけだ」
「……げに恐ろしきはその機智と言ったところでしょうか。聞けば、とても成人を迎えているとは思えないほどに幼くも見えるとか。そのようななりでそれほどの策略を巡らせるとは、将来が楽しみと言いますか、末恐ろしいと言いますか……」
言いながら何気にアンペール家の末路を思い出したファビオは、思わず短い首を竦めてしまう。そしてこれまでの東部貴族家の過去を思い出していた。
これまで数百年に渡って続いてきたアンペール侯爵家による東部貴族家の支配ではあるが、その全てが順調だったわけではない。
強権的かつ専制的な支配体制に不満を持つ地方貴族たちも実際には多く、過去に何度も謀反や反乱を起こしたこともあったのだ。
しかしそれらは
とは言え、過去最悪と言われるほどに暗愚な当主――ベネデット・アンペールに代替わりしてからは、さすがに配下の貴族たちの不満も抑えきれなくなっていた。
しかしその軍事力を鑑みれば今さら反乱が成功するとは思えず、誰もが諦めていたのだ。
そこに来てあっさりとリタがアンペールを葬り去ってしまった。
しかも国王の権威などという、言わば伝家の宝刀を抜き放っただけで、ひとつとして軍事力に頼ることなく合法的に潰してしまったのだ。
その事実に東部貴族家たちは驚愕した。
なぜなら、これまで長らく望みながら誰も成し得なかったアンペール家の転覆を、成人したばかりの15歳の少女がたった一人で成し遂げたのだから。
もっともそれが東部貴族家ではなく西部貴族家だった事実については、彼らの中に今でもモヤモヤとしたものが燻ってはいたのだが。
そんなことをファビオが思い出していると、再びラインハルトが口を開いた。
その顔にはいつも通りの皮肉そうな笑みが戻っていた。
「あぁ。全くお前の言う通りだ。確かにあいつは恐ろしい。あれほど可憐な姿をしていながらも、しれっとした顔で相手を
「……」
「しかも凄まじく気が強くて生意気で頑固で、まるで人の話なんぞ聞きゃあしねぇからな。この俺様とあろう者が、あいつの前だと何故かムキになっちまうんだ」
「……」
「だがな、敵にすれば厄介だが、味方に付ければあれほど頼もしい奴はいねぇ。一番苦しい時に敢えてニヤリと笑うあの顔を見ていると、どんな困難だろうと何とかできそうな気がしてくる。 ――
何処か楽し気で、そして嬉しそうに語り続けるラインハルト。
その様子からは、リタに対する彼の信頼が透けて見えて、思わずファビオは驚いてしまう。
己の立場を顧みぬ破天荒な言動から「ラングロワの放蕩息子」と揶揄されるラインハルトではあるが、実のところ将来の東部辺境候を任されるだけの能力はしっかりと受け継いでいた。
いや実際には、父親よりもかなり優れた才能を持っていると言っていいかもしれない。
さらに広く誤解されてはいるが、その
だからこそ、彼の父親――ラングロワ侯爵はこれまで煩いことも言わずにラインハルトの好きにさせてきたのだ。
そしてそんな両親や周辺貴族家の理解があったからこそ、彼もまたしたい放題できていたことも十分に理解していた。
そんな次期ラングロワ侯爵家当主にして、次代の東部辺境候でもあるラインハルトは、滅多に
それは彼が少しひねた性格をしているというのもあるが、彼自身が人よりかなり優れているために、その尺度で
その彼が、手放しでリタを褒めている。
それは彼との付き合いの長いファビオにとっても、初めて見るものだった。
その話を聞く限り、リタ・レンテリアであれば今回の戦も何とかしてくれるかもしれない。
一度も会ったことはなかったが、そう思わざるを得ないファビオだった。
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