第249話 暗殺者の首領

 狭い医務所に閉じこもったまま、いつまで経っても出てこないカルデイア大公国大公、セブリアン・ライゼンハイマー。


 すでに時間は一時間以上にも及び、部屋前の廊下には宰相ヒューブナーを始め担当医師から護衛の騎士、そしてお付きの専属メイドに至るまでその全てがジリジリとしながら待ち続けていた。

 とは言え、この状況を打開できるのはヒューブナーしかいないため、なんとかしろとばかりに皆訴えるような視線を投げてくる。


 それはヒューブナーも同じだった。

 事実この中で一番セブリアンを心配していたのは彼だったし、この場をなんとかできるのも彼しかいなかったからだ。


 さすがにジルダの後を追うほど殊勝な性格だとは思わないが、それでも理性のたがが外れたセブリアンは何を仕出かすかわからない。

 そのため、可能な限り刺激しないように事態を収拾しなければならないのだ。


 しかしたった今辿り着いたばかりの推論を、裏も取らずに伝えるわけにもいかないだろう。

 事は将来の大公妃にも及ぶ話であるため、その扱いにはどうしても慎重にならざるを得ず、少なくとも今のセブリアンに対して安易に話す内容ではないのは確かだった。



 そもそもセブリアンは、この国を守る気概など欠片も持ち合わせてはいない。

 確かに血筋だけで言えば生粋のカルデイア人ではあるが、その生まれも育ちも、そして身に着けたマナーや文化ですらも全てブルゴー流の彼には、この国にそこまでの愛着はなかった。

 もとより彼がカルデイアに来たのも故郷に居場所がなかったからだし、大人しくかくまわれていたのだって他に行き場所がなかったからだ。

 

 それでは何故この沈みつつある国を譲り受け、あまつさえ守ろうとしているのかと問われれば、それは全てジルダのためだった。

 愛する彼女とこの先も一緒にいたいがために、敢えて大公を引き受けたに過ぎなかったのだ。

 だからジルダを失ったことは彼にとって生きる目標を失ったに等しく、彼女のいないこの国を命を賭してまで守ろうなどと今さら思うはずもなかった。


 真実を知ったセブリアンは、果たしてどんな反応を返すだろうか。

 生きる意味を失って廃人同然となってしまうか、はたまた復讐の鬼と化すか。


 いずれにせよ真っ当な未来は待っていない気がする。

 そんな思いに思わず深いため息が出てしまうヒューブナーだった。




  

「陛下……失礼いたします」


 遠慮がちにヒューブナーが医務所のドアを開けると、再び耐え難い死臭が鼻を突く。

 酷い臭いにせ返りつつ、それでも必死に部屋の中へと入っていくと、そこには部屋を出た時と寸分違わぬセブリアンが佇んでいた。


 赤黒く変色したジルダの死体。

 それを眺める涙涸れ果てた姿は、横柄極まる普段のセブリアンとはまるで違っており、正面を向いているためこちらから顔は見えないが、それでも肩を落として背中を丸めたその様は、彼の心の内を代弁しているかに見えた。

 

 そんな背中にヒューブナーが近づいていくと、おもむろに声が聞こえてくる。

 それはセブリアンとは思えないほど小さく、そして弱々しかった。



「おかしいと思ったのだ……」


「はい?」


「敵陣に一人で潜入したとは言え、ジルダほどの手練がこれほど簡単に殺されるとは思えない。しかもこんな姿にされるなど、到底納得などできん」


「……」


「それにこの切り口を見てみろ。寸分の狂いもなく、まるで剃刀で斬り落としたかのように見事だろう? ――普通の兵士であれば、このようなことはまずできないはずだ」


 そう言うとセブリアンは、ジルダの横にある3体の死体を指差した。

 しかしその顔を伺うことが未だ出来ないために、彼がどんな顔をしているのかよくわからない。

 それでも指し示された死体の傷口にヒューブナーが注目していると、それを知ってか知らずか、尚もセブリアンは話し続けた。



「この首も、この腹も、そしてこの脚も、まさに見事なまでの切り口だ。目にも止まらぬ速さで、恐らく一刀のもとに斬り伏せたに違いない。 ――確かに俺はその道の素人ではあるが、それでもそのくらいのことはわかる」


「……」


「見るまでもなく、此奴こやつらは全員暗殺者だ。しかもその中でも上位に位置する手練れなのは間違いない。 ……そんな奴らを一介の兵士が一刀で斬り伏せられると思うか? ――こんな芸当ができるのは、俺が知る限りではジルダしかいない」


「そ、それは……」


「それはジルダも同じだ。 ――見ろ、これを。この鋭い傷口を。こんなもの、暗殺者専用の湾曲刀以外には考えられん。しかもこれほどまでの酷い姿にされるなど、同時に複数の相手に襲われた以外に考えられん」


「い、いえ……あの……」


「なぁ、ヒューブナーよ……誰が殺ったと思う? 誰がジルダを殺したと思う?」



 そこまで言うと、セブリアンは静かに振り向いた。

 そして見慣れた宰相の顔を見ているような、見ていないような、なんとも焦点の合わない瞳でジッと見つめてくる。

 そして3体の死体に指を突きつけたかと思えば、突如吠えた。


此奴こやつらだ!! 此奴こやつら『漆黒の腕』に違いないのだ!! ――おのれぇ……許さぬ……絶対に許さぬ……よりによって、俺の……俺のジルダを……!!」


「へ、陛下……」


 何を思ったのか、セブリアンは突如手近にあった椅子を掴むと力いっぱい投げつけた。

 激しい音を響かせて砕け散る木製の椅子。

 その残骸を見つめながら、尚も吠え続ける。


「たかが子飼いの分際で!! ――何故ジルダを殺した!? 何故だ!? 此奴こやつはただ俺のためにイサンドロを殺しに行っただけだろう!? 何故だ!? 何故殺した!?」



「――簡単なことですな。組織の掟を破ったからですよ」



 突如響いた、聞き慣れない低い声。

 まるで腹の底まで響くようなそれは、二人しかいないはずの狭い部屋の中から聞こえてきた。

 さすがのヒューブナーもそれには不意を突かれたらしく、彼にしては珍しく動揺を現わしてしまう。


 もっともそれはセブリアンも同じだ。

 怒りと絶望に彩られていたその顔に、今度は胡乱なそれを浮かべると咄嗟に背後を振り向いた。




 一人の男が立っていた。

 ボサボサの髪から伸びる長いもみあげ・・・・は顎まで続き、角張った顎は異常にがっしりしている。

 見る者全てがたじろぐような細く鋭い眼差しは、まるで肉食獣のそれで、絶えず周囲に睨みを利かせる様はさらに異様さに拍車をかけていた。


 特筆すべきはその巨体だろう。

 2メートルに届くであろう身長と筋肉の塊にしか見えないその身体は、狭い部屋の中では異様な威圧感を放っている。そして若い女の腰ほどもある太い腕は、まるで丸太のようにしか見えない。


 しかしそんな巨体にもかかわらず、足音ひとつ立てずに現れていた。

 その静かさは、二人共が声をかけられるまでその存在に全く気付いていなかったほどだ。


 そんな見る者全てを圧倒する巨躯を、何処かで見たことのある衣装に包んでいた。そしてそれは、セブリアンもヒューブナーも見覚えのあるものだった。

 上から下まで真っ黒く染められた、動きやすさを最重要視されたその衣装――



 そう、それは間違いなく暗殺者集団「漆黒の腕」のものに違いなく、いま目の前に横たわる死体と同じだったのだ。

 とは言え、その何処かが死体のそれとは違って見える。

 それが何かと観察してみると、衣装に施されたさりげない装飾であることがわかった。


 そんな普通とは明らかに違う上位の暗殺者らしき男が、驚きと胡乱の混じった複雑な表情の二人に向かって口を開いた。



「これは大変失礼した。 ――お初にお目にかかる。私は『漆黒の腕』にて首領を務めさせていただいている、ゲルルフ・シュトルツェと申す。以後お見知りおきを」


 そう言うとその男は、見上げるような巨躯を折り曲げて慇懃に会釈を交わした。 

 

 ゲルルフ・シュトルツェ――その名前にはセブリアンもヒューブナーも確かに聞き覚えがあった。それもここ数ヶ月以内という比較的最近の話だ。

 とは言え、本人が言う通り、二人に会うのはこれが初めてなのは間違いないのだろう。


 そんなどうにもモヤモヤとした思いを抱きながら必死に思い出そうとしていると、ヒューブナーはあるひとつの出来事に思い至った。



 今から約3ヶ月前、暗殺者集団『漆黒の腕』にて、組織の長――首領の交代が行われた。

 代々その組織では実力を以てその長を選ぶ慣例があるのだが、今回も新しい首領の選定には剣闘試合が用いられたのだ。


 試合と言えば聞こえはいいが、その正体は真剣を用いた殺し合いでしかなく、命のやり取りを以て次期首領の座を奪い合う。

 そして今回その座を巡っては、4人強者つわものが争ったと聞いていた。


 結局その試合ではゲルルフが圧倒的な力を見せつけたのだが、残りの3人に至っては全員が斬り殺されたと聞く。

 まるでもてあそぶかのように執拗に両手脚を斬り飛ばされた3人に対して、当のゲルルフは全くの無傷だったという。 



 少し前にそんな報告を受けていたのを突然思い出したヒューブナーは、その話に思わず納得してしまう。

 現に目の前のゲルルフを見ていると、およそ普通の人間が相手をできるとも思えなかった。

 あまりに大きすぎる見上げるような巨躯は、実は彼は人族ではなくオーガかトロル族ではないのかと本気で疑ってしまうほどだったのだ。


 しかしそんな感慨など露ほども知らないセブリアンは、突如現れた暗殺者集団の首領にまるで恐れることなく詰め寄った。


「掟を破ったからだと!? それはなんだ、どういう意味だ!? 答えろ!!」


「失礼ながら申し上げますが、それは言葉通りの意味ですな。ジルダは我々の掟を破った。だから始末した。それだけのことです」


「な、なにぃ!! 貴様ぁ……!!」


 言葉遣いは丁寧だが、見下ろすようなゲルルフの顔には半笑いが浮かんでいた。

 その様子を見る限り、彼はカルデイア大公というものに一切の畏れを抱いていないらしく、そんなゲルルフに向かって慌てたようにヒューブナーが声をかけた。



「『漆黒の腕』首領、ゲルルフ・シュトルツェ殿。大変申し訳無いのだが、我々にもわかるように説明してくれぬか」


「これはこれは、宰相殿。ご機嫌麗しく。それは大変失礼しました。 ――それでは順を追って説明させていただきましょうか」


「えぇい、勿体ぶらずに、さっさと説明しろ!!」


「陛下、そう慌てずに。 ――まず申し上げておきますが、此処ここなジルダは、我々組織にしてみれば掟に従わぬ不埒者ふらちものという位置づけです。まずはそこを勘違いなさらぬようお願いしたい」


「不埒者……? それは……なんだ?」


「はい。この戦においてブルゴー国王が暗殺されましたが、それはご存知でしょう? そしてそれをやったのはこのジルダに間違いありません。それは断言できます」


「……やはり、そうだったのか。 それで……それがどう関係するのだ、不埒者と!!」


「陛下。まずは落ち着いてお聞きください。 ――ご存知のように我々『漆黒の腕』は、非合法な仕事もこなす裏の諜報、暗殺組織ではありますが、あくまでも国の組織であって私集団ではないと自負しております。つまり、我々が動くからにはそれ相応の理由――然るべく立場からの命令、もしくは依頼があるのが常です」


「……だからなんだというのだ?」


「まだおわかりになりませんか。 ――では逆にお訊きしますが、あなた様方の中にジルダにブルゴー国王の暗殺を依頼した者がいらっしゃいますか?」



 相変わらず見下ろすような高さからセブリアンとヒューブナーを眺めるゲルルフ。

 慇懃な言葉遣いは相変わらずだが、次第にその口元に皮肉そうな笑みが広がり始める。

 その顔を見たセブリアンは、思わず不快な表情を浮かべた。


「いや……おらんな。恐らくジルダは己の判断で動いたのだろうと思う。少なくとも俺もヒューブナーもそのような報告は受けておらん」


「まぁ、そうでしょうな。 ――はっきり申し上げますが、此度こたびの件はジルダの独断です。誰からの命令でも依頼でもなく、彼女が勝手に動いたのです。そしてそれは我々の掟として厳に禁じられているところでもある」


「なに……?」


「知っての通り我々は、まさに人間凶器とも言える力を持っている。それゆえその力を個人の独断で使うことは厳しく禁じられているのですよ。 ――そしてその掟を破った者には、制裁が加えられるのです」


「制裁だと……それは……?」


「言葉通りの意味かと。 ――ちなみにジルダは、此度こたびの一件では人の命を奪いました。誰の依頼でもめいでもなく、個人の意思で人を殺したのです。そうであるなら、その制裁もまた死あるのみ。死を以て掟破りを償うまでのこと。 ――だから我々は殺したのですよ、ジルダをね」



 見上げるような高みからそう告げたゲルルフの顔には、何処か皮肉そうな笑みが垣間見えた。

 その表情に何か嫌な予感を覚えたセブリアンとヒューブナーだったが、今はただ彼の話を聞くのに精一杯だった。

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