第248話 辿り着いた事実

「は、はい。実は亡くなる直前に判明したのですが……ジルダ殿は懐妊していたのです。 一応は宰相様のお耳に入れておこうと思いまして」


 宰相ヒエロニムス・ヒューブナーにとって、その言葉はあまりに衝撃的だった。

 それもそうだろう。

 何故なら彼は、ジルダが子を産めない身体なのを知っていたからだ。



 幼少より諜報員兼暗殺者として育てられた彼女は、その訓練の過程で女性としての機能を失っていた。

 諜報対象の男に所謂いわゆる「ハニートラップ」を仕掛ける必要があるため、女諜報員の常としてあらかじめ妊娠できない身体にされていたのだ。


 女として生まれていながら、子を産むことができない。

 普通であればその現実に悲観したりもするのだろうが、ジルダは何も言わずに淡々と受け入れているように見えた。


 暗殺者の命は短い。

 殆どの者が任務の途中で命を落としていく中で、いずれジルダも若くして死んでいくのだろうと思っていた。

 だから自分が子を産めようが産めなかろうが、彼女にとっては大した問題ではなかったのだ。

 

 そもそも彼ら「漆黒の腕」には、家庭を持つなどという殊勝な考えはない。

 ほぼ全ての構成員が捨て子かさらい子である彼らには、仲間意識こそあれ家族の情などというものは存在せず、むしろそれは仕事の邪魔になるとして忌避されるほどだ。


 そんな世界で生きてきたジルダは、厳しい掟を守り、過酷な任務に従事しながらひたすら刹那的な人生を生きてきた。

 そこには女の幸せどころか、真っ当な人間としての喜びすら存在しなかったのだが、彼女が25歳の時大きく運命が動き始める。



 セブリアンと出会ったジルダは、生まれて初めて愛を知った。

 それは人としてはもとより、女として、そして家族としての愛だったが、それが深まるにつれて悩みも深くなっていく。


 まさに鴛鴦おしどり夫婦としか言いようのないジルダとセブリアンではあるが、どんなに望んでも二人の間に子は出来なかった。

 もちろんその原因ははっきりしていたが、一度もセブリアンはそれに言及しようとはしなかったのだ。


 それが余計にジルダを悩ませた。

 生まれて初めて愛した男。その彼の子を幾ら産もうと思っても、それは絶対に不可能だったからだ。

 ジルダはこの時ほど自身の出自を恨んだことはなかった。


 自分がこんな身体でなければ、愛する彼の子を産んであげられるのに。

 そう思わない日は一日たりともなかったのだ。


 


 その事実を誰よりも知っているヒューブナーは、医師の言葉を咄嗟に信じられなかった。

 苦み走ったその顔に、驚愕と胡乱を混ぜたような複雑な表情を浮かべながら、やっとのことで言葉を絞り出す。


「そ、それはまことか……いや、しかし……」


 思わず「相手は?」などと野暮なことを訊きそうになった彼だが、寸でのところで飲み込んだ。

 そして何気に居住まいを正しながら、周囲に佇む騎士やメイド達を見渡した。


「なにかの間違いではないのか? ジルダ殿が子を産めないのは、お前も知っておろう?」


「もちろん存じ上げております。ですが彼女が子を宿していたのは間違いありません。問診や様々な検査の結果からもそれは断言できます」


 自身の言葉を否定されたことに、医師として少々思うことがあるのだろうか。やや怫然とした様子で彼は答えた。

 しかし医師の顔色などまるで関係なく、ヒューブナーは自身の考えだけを口にする。


「そんなはずはなかろう。陛下とジルダ殿が一緒になられて10年。一度もそのような兆候はなかったではないか。それなのに――」


「恐れながら申し上げますが、結婚10年目でやっと子を授かる夫婦もおります。確かに例は少ないのでしょうが、実例もありますので無下に否定はできないかと」


「しかし……そもそもジルダ殿は――」


「それだってわかりませんよ。彼女に問診をした時、月のものは定期的に来ていると答えておりましたし。 ――医師としての私見を申し上げても?」


「あ、あぁ……かまわん、」


「私の見立てでは、確かに人に比べて極端に子を宿しにくい身体ではありましたが、全く不可能なほどではなかったのではないかと思っております。 ――失礼ながら、ご本人も陛下も決して若いとは言えないことを考慮いたしますと、今回は良い意味で様々な条件が重なったのでしょうね。 ――もっとも今さら申し上げても意味のないことですが……」



 固く閉じられた医務所の扉を見つめながら、思わず医師は言い淀んでしまう。

 積年の願いがやっと叶ったというのに、直後に死なねばならなかったジルダの想いは如何ばかりか。

 それを思うと、さすがの医師も同情を禁じ得なかった。


 その様子を眺めていたヒューブナーは、ふとあることに気付いてしまう。

 そして即座に顔色を変えながら再び口を開いた。


「いや待て、少し待て!! お前はなぜそれを知っている? ジルダ殿の懐妊など、私は報告を受けておらんぞ!?」


「あっ……そ、それは……」


「なぜ黙っていた? これほどの大事であるのに、お前一人の胸に収めていたのは何故なのだ!? 言えっ!!」


「ひぃ!!」


 今にも掴みかからんばかりの勢いでにじり寄るヒューブナーと、突如しどろもどろになってしまう医師。

 その姿を見る限り、医師とてもジルダの懐妊を黙っていたことについて、何か思うところがありそうだった。


 しかしそんな事情に忖度する必要のないヒューブナーは、思い切り医師の胸ぐらを掴み上げてしまう。

 その姿は決して一国の宰相を任されるような人物には見えなかったのだが、それはそれだけ彼が激昂している証拠だった。


 慌ただしく動き出した騎士たちと激昂するヒューブナー。

 それらに向かって忙しなく視線を泳がせながら、息も絶え絶えに医師が答えた。



「そ、それは……フ、フーリエ公爵家令嬢の……ペネロぺ様が……」


「なに!? ペネロペ様だと!?」


「は、はひっ!! ペ、ペネロペ様が黙っていろと……他言は無用だときつく仰られたものでして……」


「はぁ!?」


 瞬間ヒューブナーは胡乱な顔をしてしまう。


 何故ここでその名が出てくるのだろうか。

 それが理解できない彼は、答えを聞き出すために胸ぐらを掴んでいた手を放してしまう。

 そして何か嫌な予感を憶えながら、再び口を開いた。


「わかった。初めから順を追って話してもらおうか――全てをつまびらかにせねば容赦せんぞ!!」




 ――――




 訥々とつとつと事の経緯を語り続ける医師と、背筋を伸ばして訊き続ける宰相のヒューブナー。

 一人は項垂うなだれ、一人は責めるようなその様は、まるで犯罪人を取り調べる警邏のようにも見えた。

 

 決して大きいとは言えないその声に、周囲の騎士やメイドたちも興味津々に聞き耳を立てている。

 そんな様子に視線を流しながら、ヒューブナーは腕を組んだ。


「……なるほど、そうか。それではペネロペ様は全てを知っておいでなのだな。しかし何故それを陛下に言うなと言ったのだ!?」


「は、はい。もしも陛下が懐妊を知ってしまえば、間違いなくジルダ殿を止めるだろうと……本気でお役に立ちたいのであれば、事実を告げずに出立すべきだとも仰っていました」 


「それでか……それでジルダ殿は事実を伏せて出ていったのか…… しかし、よもや本当にブルゴー国王を暗殺してしまうとは…… お前の言葉が正しければ、ジルダ殿はペネロペ様にいいように言いくるめられてしまったということなのだろうな」


「いえ、私が聞いていた限りでは、命じている感じではありませんでした。あくまでもジルダ殿の自主的な判断に任せているように見えましたが……」


「自主的な判断……か。それはわからんぞ。そうせざるを得ない状況に、言葉巧みに追い込んだのかもしれん。 ――それにしても、あの冷静なジルダ殿がな……全ては愛する男のためということか……」


「……」


 最後は個人的な述懐なのだろう。

 まるでささやくように小さな言葉は、周囲には全く聞こえていなかった。



 

 

「それで、だ。いつまでもこのままというわけにもいかん。そろそろ陛下に声をかけねばならんのだが……果たしてどうしたものか」


 ブツブツと独り言を呟きながら、まさに「うーむ」といった趣で腕を組むヒューブナー。

 その顔には一国の宰相らしい表情が再び戻ってきていたが、眉間には未だ深いシワが刻まれたままだ。


 医師の釈明によりジルダが飛び出していった経緯と理由、そして死んだ状況などがわかってきた。

 それでも課題は山積しており、今後の対応を考えただけでも思わず彼は気が滅入ってしまいそうになる。



 まずはジルダが懐妊していた事実だが、もちろんそれはセブリアンに伝えなければならない。

 真実を知らせない優しさも確かにあるのだろうが、バレた時にとんでもないことになるだろうし、そもそもどう考えても隠しおおせられるとも思えなかった。

 

 ただでさえジルダの死に気が狂いそうになっているというのに、その上さらに自身の子を懐妊していたなどと知ってしまえば、一体どうなってしまうのだろうか。

 想像しただけで、恐ろしくなってしまう。



 次にペネロペだ。

 ジルダの懐妊を知っていながら敢えて伏せていた彼女に、果たしてセブリアンはどのような態度を示すのか。


 確かに彼女の言うことはもっともではある。

 どんなにジルダがブルゴー国王を暗殺しようとしても、懐妊の事実が知られてしまえばセブリアンは絶対に許可しないはずだからだ。

 無事に出産が終わるまで、恐らくジルダを軟禁状態にしていただろう。



 しかし――とヒューブナーは思ってしまう。

 ジルダの自由意志という体裁をとっているが、彼女を暗殺に向かわせたのはペネロペ自身に違いない。様々に理由をつけた挙げ句にジルダ自らが危険な道を選ぶように仕向けたのだ。

 そしてその理由を推測してみれば、そこには様々な思惑が透けて見えた。


 ジルダの懐妊で一番割を食うのはペネロペだ。

 そもそも彼女を正妃に迎えたのは、ジルダの代わりにセブリアンの子を産ませるためだった。

 それなのに先にジルダが子を孕んでしまえば、最早もはやペネロペの立つ瀬が無くなってしまう。



 ではどうするか。

 そこでヒュブナーは、ペネロペになったつもりで考えてみる。


 もしも自分であったなら――絶対にジルダを消そうとするだろう。

 今後脅威となるのは間違いないのだから、この機会に確実に亡き者にしようとするはずだ。

 しかし生粋の暗殺者であるうえに、大公の護衛を務めるほどの手練をそう簡単に殺せるはずもなければ、もしも暗殺などしようものなら一番に自分が疑われるのは目に見えている。

 

 そうであるなら――

 もっともらしい理由をでっち上げて、さも自分から死にに行ったかのように装うのだ。

 そして人知れず消してしまえば良い。



 そこに思いが至ったヒューブナーは、思わずその顔を綻ばせてしまう。


「ふふっ……まさかな。如何いかなフーリエ公爵家令嬢と言えど、本気でそのようなくわだてをするとも思えんか。 ――そもそも消すと言ったところで、ジルダ殿ほどの強者つわものを簡単に殺せるとも思えん。そんなもの、プロの暗殺者でなければ無理なのでは―― んっ?」


 そこまで考えたところで、不意にヒューブナーは表情を変えた。

 そして何か恐ろしいものを見たような、ゾッとした顔になる。


「待てよ……それでは残りの3体の死体は……まさか……」 



 口に出すのも憚られる、恐ろしい事実に辿り着いたヒューブナー。

 無意識のうちに彼はその身を震わせてしまうのだった。

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