第247話 告げられた真実

 カルデイア大公国大公の居城、ライゼンハイマー城。

 建物の大きさ、塀の高さ、敷地の広さなど、そのどれをとっても周辺諸国と遜色なく、長い歴史に裏打ちされた重厚さと荘厳さは見る者全てを圧倒する。


 しかし同時に、実際に見た者たちは皆例えようのない違和感に襲われてしまう。

 その原因を探ってみてもすぐに答えは出てこない。しかし城に近づくにつれて違和感の正体に気付かされる。


 古く、大きく、そして重厚なライゼンハイマー城ではあるが、よく見ると不自然なほど装飾類が見当たらず、城も門も塀も庭も、その何もかもが徹底的に簡素だったのだ。


 建国以来350年の長きに渡って軍事国家として名を馳せてきたカルデイアは、良く言えば質実剛健、悪く言えば質素、簡素を旨とする国風だ。

 とは言え、せめて国家元首の住まいくらいは豪奢にしてもバチは当たらないだろう。

 城を実際に見た者は皆そう思うらしく、行き過ぎた素朴さはむしろ見窄みすぼらしい、田舎臭いとして他国の笑い話にもなるほどだった。


 このようにもともと垢抜けないカルデイアなのだが、さらにここ10年でより悲惨になっていた。

 原因は10年前の戦役だ。

 ハサール王国による多額の戦後賠償金を課されたカルデイアは、その返済に追われるあまり街の景観維持すら満足に行えなかった。

 そのため、如何に老朽化していようとも、城の補修など後回しにされていたのだ。




 そんな痛みが目立つライゼンハイマー城の一室に、一人の男がたたずんでいた。

 目の前には整然と並べられた四つの死体。

 身動みじろぎひとつしないまま、ただひたすらにそれ・・を見つめ続ける中年の男。


 言うまでもなくそれは、この国の国家元首――セブリアン・ライゼンハイマーその人だ。

 そして見つめ続けるそれ・・とは、彼の専属護衛騎士にして最愛の女性でもあるジルダだった。


 ジルダだった・・・――その言葉が示すとおり、今やそれはジルダではない。正確に言えばジルダだった死体・・・・・・・・だ。

 そして物言わぬ肉塊と化した彼女の前で、セブリアンはその身を固まらせていた。



 どれほど時間が経っただろうか。

 1分、2分、5分――正確なところはわからないが、恐らく10分はそのままだったかもしれない。

 あまりに長い時間身動みじろぎをしない大公に、どうしたものかと周囲の者たちは迷い始める。

 もしや正気を失ったのではないか。などと心配そうに覗き込む者まで出る始末だ。

 

 その中の一人が、声をかけろとばかりに宰相――ヒューブナーに目配せすると、まるで先回りするかのようにセブリアンが口を開いた。

 

「出て行け……」


「はい……?」


「出て行けと……言っている」



 声と呼ぶには、あまりにそれは小さすぎた。

 ともすればつぶやきかと紛うほどその声は聞き取りにくく、思わず宰相は聞き返してしまう。

 すると次の瞬間、それは大きな怒鳴り声に変わった。


「いいから出ていけ!!」


「は、はい!?」


「貴様ら全員、出て行けと言っている!! 聞こえんのかっ!!」


 直前までとは打って変わって、鬼気迫る様子のセブリアン。

 今や茫然自失の姿はなく、そこにはひたすら感情を爆発させる一人の男がいた。

 それは子供のように癇癪を起こすかつての彼のようにも見えたが、それとは何処か様子が違うようだ。


 などとそんなことを考えていると、さらにセブリアンが激昂した。


「早く出ていけ!!!! 聞けぬと言うなら、全員この場で斬り捨てる!!」


 恐らく本気なのだろう。その証拠に彼は腰の剣を抜き放っていた。

 暗い瞳を不穏に光らせながら、右手に持った剣を振りかぶろうとするセブリアン。

 その姿に何かを察したヒューブナーは、周囲に向かって朗々と声を響かせた。


「陛下のお申し出です。さぁさぁ皆さま、部屋から出ましょう。 ――陛下、失礼ながら我々は退出いたします。外で待機しておりますので、ご用がございましたら声をおかけくださいませ」


「……」


 声が聞こえているのかいないのか。

 まるで機械仕掛けの人形のようにゆっくり向きを変えると、返事を返すことなく再びジルダを見つめ始める。

 そしてセブリアンは、一言も喋らなくなってしまったのだった。




 ヒューブナーを先頭にその場の全員が退出すると、狭い医務所の中は四体の死体とセブリアンだけになる。

 そんな中、彼はジルダの死体に近づくとゆっくりとその髪を撫で始めた。


「ジルダよ……こんな姿になってしまって……さぞ辛かっただろうな、苦しかっただろうな……痛かったであろうな……」


 まるでささやくように声をかけながら、優しくゆっくりと最愛の女性の髪を撫で続けるセブリアン。

 その暗く濁った瞳には次第に涙が溢れて、やがて粒となり頬を伝い始める。

 それから嗚咽の混じった震える声で、尚もジルダに語りかけた。


「今さら言っても詮無いが……なぜこんな真似をした? なぜイサンドロを殺そうとしたのだ? ……俺を助けるためか? それとも他に理由があるのか? 教えてくれ、なぁジルダよ」


 赤黒く変色したジルダの頬にポツポツと落ちる涙。

 しかしすでに乾ききったその肌は、まるで砂が水滴を飲み込むが如くセブリアンの涙を吸い込んでいく。

 

 幾ら涙を吸おうとも一向に潤わない頬と、今や面影すら薄れつつあるジルダを見つめながら、セブリアンの嗚咽はさらに大きくなる。

 そして絶え間なく涙が溢れ続けた。



「どうして言ってくれなかった? なぜ黙って行ったのだ、ジルダよ。 ――確かに俺は言った。イサンドロを殺せば、ブルゴーの出鼻を挫くことができるとな……しかし愛するお前に、そんな危険な任務を頼むはずがなかろう」


 腐り、異臭を放つジルダの頬を指でなぞりながら、セブリアンは静かに語り続ける。

 しかし最早もはや腐りかけの肉塊と化したジルダは、何も語ってはくれない。

 それでもセブリアンは飽きることなく話し続けた。


「それなのに……なぜ……なぜおまえは行ってしまったのだ? そんなことをして、この俺が喜ぶとでも思ったのか? お前が危険な目に会うというのに…… あぁ、すまん、すまないジルダ……俺は……お前を責めるつもりはないんだ……言い過ぎた、許してくれジルダよ……」


 ポロポロと止め処なく涙を流しながら、ジルダの身体に手を伸ばすセブリアン。

 異臭を放つ液体が身体に付くことすらはばからず、愛おしそうにジルダの死体を抱きしめたのだった。


 


 ――――




「あの……陛下は……大丈夫なのでしょうか?」


「……大丈夫とは?」


 遠慮がちな医師の問いに、まさに「ギロリ」といった視線で宰相ヒューブナーが睨みつける。

 一国の宰相とは思えないほど腰が低く物腰も柔らかい彼なのだが、この時ばかりは不機嫌さを隠そうともしていなかった。

 そして廊下に置かれた簡素な椅子に座ったまま、忙しなく右足を動かし続ける。

 

 それは所謂いわゆる「貧乏ゆすり」だった。

 髪は薄く、顔にも苦労が滲み出るなど、決して容姿に恵まれているとは言い難いヒューブナーだが、それでも一国の宰相を務めるだけあり、礼儀作法と所作、そして慇懃な物言いは国の重鎮としてまさに完璧と言っていい。


 しかしその評判からは想像できないほど、いまの彼はイラついていた。

 廊下に音が響くのさえ構わずに、ひたすら右足を揺すり続ける。

 そんなヒューブナーに恐れを抱きつつも、それでも医師は懸命に話しかけた。



「い、いえ、今の言葉に他意はございません!! ――しかしあれからすでに半刻は過ぎておりますのに、部屋から物音一つ聞こえてきませんので……少々様子を伺っては如何いかがかと……」


「……ひとつ言っておく。お前がどう思っているかは知らないが、惚れた女の後を追うほど大公陛下は弱くはない。勘違いするな」


「い、いえ、私はなにも、そのような――」


「ふんっ、同じことだ。 ――いいか? それよりも私は、今後のことが心配なのだ。ジルダ殿がいなくなった今、陛下を止められる者は誰もいないのだからな」


「は、はぁ……」


「お前は知らんだろうが、タガが外れた陛下はそれこそ何を仕出かすかわからんのだ。それに――」


 捲し立てるように一気に話したヒューブナーだったが、突如その顔をハッとさせる。

 そして少々バツの悪そうな顔をしながら視線を逸らした。

 その顔はまるで自身の発言に恥じ入っているように見えた。


「いや、すまんな。こんな話をお前にしても詮無いことだった。 ……忘れろ」




 医務所の前の廊下に置かれた、質素で小さな木製の椅子。

 痛む尻をかばいながらもそれに腰かけた宰相と医師は、固く閉じた扉の向こうに思いを馳せる。

 医務所の中にセブリアンが閉じこもってからすでに半刻が過ぎていた。しかし未だにその扉は開けられる気配がない。


 決して厚い扉ではないのだが、物音ひとつ聞こえてこない。

 まさかジルダの後を追ったのかと医師は思ったようだが、それに反してヒューブナーは全く心配していなかった。

 それより彼は、今後の心配をしていたのだ。


 今ではすっかり治まっていたが、本来のセブリアンは猜疑心に満ちた暗く陰惨な性格をしている。

 そのため感情のタガが外れた時には、一体何を仕出かすのかわからない怖さがあった。

 今の状況で彼が真っ先に何をするかと想像すれば、それは復讐以外あり得ない。少なくとも死んだ恋人の後を追うほど健気な性格はしていないはずだ。



 今回ジルダが殺されたのは、間違いなく敵将――イサンドロ国王暗殺に関与したためだ。つまり復讐の鉾先は、ブルゴー王国軍、いてはブルゴー王国自体に向かうはずなのだ。

 

 もちろん国王を殺されたブルゴーだって黙っているはずがない。

 一国の主が殺されたのだ。国の体面をおもんぱかれば絶対にこのまま引くはずもなく、間違いなく次はカルデイアを滅ぼすつもりで襲いかかってくるだろう。


 それはカルデイアも同じだ。

 今や恨みだけを原動力として動くセブリアンは、後先考えずに徹底的に相手を潰そうとするはずだ。

 周辺諸国へのけん制など関係なく、国中の戦力をかき集めて全力でブルゴーにあたるのは間違いなかった。


 互いに一歩も引けない両国は、まさに全面戦争の様相を呈するのは確実だ。

 そこには最早もはや和平交渉も休戦協定もあり得ずに、どちらかが滅ぶまでこの戦は続くのだ。




 そこに思い至ったヒューブナーが愕然としていると、再び医師が口を開いた。

 その口調は何処かオドオドとしており、直前までの様子とは明らかに異なっていた。


「あの……宰相様。実はお耳に入れておきたい事がございまして……これは申し上げるべきかどうか迷ったのですが……」


「この期に及んで……一体なんだ?」


「は、はい……そのぉ……えぇと……」


 何やら歯切れの悪い医師の物言い。

 その姿に再びイラついたヒューブナーは、意図せず大声を上げてしまう。


「なんだと訊いている!! はっきり答えろ!!」


「は、はひっ!! 申し訳ありません!! 実はジルダ殿のことなのですが――」


「ジルダ殿の? ……なんだ?」


「は、はい。実は亡くなる直前に判明したのですが……ジルダ殿は懐妊していたのです。 一応は宰相様のお耳に入れておこうと思いまして」


「……」



 あまりに衝撃が強すぎて、理解するのに軽く数秒かかってしまったヒューブナー。

 次になにかを言おうとしたが、その口からは全く言葉が出てこなかった。

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