第250話 悲痛な叫び

「――だから我々は殺したのですよ、ジルダをね」


 それはまさに正論だった。それもぐうの音も出ないほどの。


 当たり前の話ではあるが、諜報暗殺者集団『漆黒の腕』の構成員は全員が手練れだ。

 潜入技術や諜報能力、暗殺術や剣技など各人の得意とするものは様々だが、その中でもジルダは自他共に認める潜入、暗殺術のプロだった。


 もちろん剣術に関しても相当なもので、組織内では上の中と言われるほどの技能を誇る。

 結果的に半死半生にされたとは言え、同時に襲いかかってきた暗殺者全員を返り討ちにしたことからもわかるとおり、その技術は折り紙付きだった。


 それ故その力を己自身のために振るうことは固く禁じられており、今回その掟を破った彼女に対して厳しい制裁が課されたのは当然と言えた。



 今回ジルダはセブリアンのため、いてはカルデイアのために動いていたので、厳密に言えば己自身のためではなかったとも言える。

 しかしそれは組織を通した正式な依頼もしくは命令ではなく、あくまでも個人の自由意思でしかなかった。


 それは組織の掟を完全に逸脱していた。

 確かに彼女の行動は一定の理解を得られる部分もあったのだが、掟は掟として厳に守られるべきとの声は大きく、結局ジルダは組織に消されてしまう。

 つまりはそういうことだった。


 その理屈は決して間違ってはいない。

 諜報暗殺者集団などという無法者アウトローの世界において、掟とは最低限守られるべき約束事でなければならず、もしも守られないのであれば、その理由の如何にかかわらず制裁されるべきなのだ。

 それは組織を組織として成り立たせるための一丁目一番地であるべきで、構成員は皆当然のようにそれを認知している。


 そのうえ如何にカルデイア大公と言えど、独立組織である『漆黒の腕』の内部事情に口出しはできない。

 外部に影響を及ぼさない限り、その自治に関しては完全に認められているからだ。

 そうであるなら、たとえジルダを殺したのが組織の意思だったとしても、それを恨むのはお門違いだろう。


 はっきりと口に出してはいなかったが、ゲルルフが言いたいことはまさにそれだった。

 そしてそれに気付いたセブリアンは、一気に怒りの矛先を失ってしまい気が狂いそうになってしまうのだった。




如何いかがです? ご理解いただけましたか? そうであれば、私はもう引き上げることにしましょう。 ――そもそも今日は、これらの死体を引き取りに来ただけですからな」


 行き場のない怒りに身を震わせながら、恨みがましく睨みつけてくるカルデイア大公セブリアン。

 その彼に含みのある視線を投げながら、尚もゲルルフが言い募る。

 そして横たわる暗殺者たちの死体を皮肉そうな顔で眺めていると、横からヒューブナーが口を挟んできた。


「死体の引き取りに……? それは異なことを。何故わざわざ首領自らが来られる必要がある? そんなものは部下にでもやらせればよろしかろうに」


「確かに。それはもっともな話ではありますな。とは言え、今回は人手が足りなかったと言っておきましょうか」


 やはり含みのある物言いに、胡乱な顔をしてしまうヒューブナー。

 しかしそれも一瞬のことで、すぐに真顔に戻る。


「……まぁそれはいいとして、ひとつ訊きたい。 ――ジルダ殿の遺体も引き上げるつもりか? それは少し待ってほしいのだが――」


 そう言うとヒューブナーは、身を震わせるセブリアンにチラリと視線を投げる。

 するとゲルルフは、不意にその口に笑みを浮かべた。


「ふふふ……それはこちらからお断りしますよ。言っておきますが、ジルダの死体を引き取るつもりなど毛頭ありません。なにせ此奴こやつは裏切り者ですから、すでに組織の人間ではありませんので。 ――煮るなり焼くなり好きにしていただいて結構」



 まさに死体蹴りだった。

 死してなお苦言を呈されるジルダに思わず同情を禁じえなくなったヒューブナーは、再び横を見てしまう。

 するとそこには、今にも狂わんばかりに身悶えをするセブリアンがいた。


 まるで窒息直前の魚のように大きく口を開け閉めする様は、今や叫びだす直前に見えた。

 そしてその通りになる。


「き、き、き、貴様かぁ!! ジルダを殺したのは貴様なのかぁ!!!!」


 身長差で約40センチ、体重で倍は大きなゲルルフに、果敢にもセブリアンは斬りかかろうとする。

 しかしゲルルフは、ひょいとばかりに抜身の剣をつまみ上げると、事も無げにへし折ってしまう。

 

「大公陛下。お戯れが過ぎますな。如何な私と言えど、理由もなく斬りかかられれば身を守らなければなりません。おやめになったほうが懸命かと」


「うるさい、うるさい、うるさーい!!!! 貴様が殺したのか!! 貴様がぁ!!!!」


「お言葉ですが陛下。ジルダを殺したのは私ではありませんよ。手を下したのは此処ここな3人の男たちです。 ――もっともその指示を出したのは私ですがね」


「それでは、お前も同罪ではないか!! そもそもお前が命じさえしなければ、ジルダは、ジルダは、ジルダはっ……!!!!」


 一度は失った怒りの矛先を見つけたセブリアン。

 簡単に剣を折られてしまいながらも必死に武器を探していると、皮肉そうな笑みを増したゲルルフがまるで面白がるかのように言葉を重ねた。



「そこまで言われてしまえば、如何いかな私とていささか不本意というもの。 ――それでは敢えて言わせていただきますが、此度こたびの件は私にとっても望んだことではなかったのですよ。知っての通りジルダは、我々の中でも飛び抜けて優秀な人材でした。と同時に、陛下の大切な人であるのも十分に理解しておりましたからな。できれば殺したくなどありませんでしたよ」


「そ、それではなぜ、なぜ、なぜお前はっ……!!」


「それはある御方に密告されたからです。誰から依頼があるわけでもなく、私憤に駆られたジルダがおのが暗殺術を行使しようとしているとね。それを聞いてしまった以上、我々としても動かざるを得なかったのですよ。 ――そのまま見て見ぬ振りをしても良かったのですが、あれだけの高貴な御方の言であれば無下にもできなかったというのが正直なところですか」


「密告……? 高貴な御方……? 誰だそれは……?」


 それまでの激昂など何処へやら、まるで牙を抜かれたかように大人しくなるセブリアン。

 今や彼の頭の中はゲルルフの言葉でいっぱいになっており、必死にその『高貴な御方』とやらの正体を探り始める。

 そしてその横では、己の推論が正しかったことに気付いたヒューブナーが顔色を変えていた。



「失礼ながら私の口からは申し上げられません。なにせ厳しい守秘義務がありますからな。 ――と申せども、その言に従いジルダを手に掛けたのは事実。陛下への謝罪とジルダへの手向けとして、せめてその経緯を告げるのはやぶさかではありません」


「経緯……だと?」


「えぇ、経緯です。 ――よろしいでしょう、事の経緯を順を追ってお話しましょう。もっともその高貴なお名前を直接お出しはできませんがね」


「……」


「どうやらその御方はジルダを焚き付けたようですな。陛下のお役に立ちたいのであれば、敵将を討つくらいのことはやってみせろ……とね。 ――子を生むのは自分にもできる。しかしそれはあなたにしか出来ない、などと言って言葉巧みだったようです」


「子……だと?」


「ふふふ……良い意味で純粋なジルダは、その言葉にすっかり乗せられてしまったのでしょう。なにせ陛下が戦を避けたがっていたのはよく知っていましたからね。 ――敵将を討てば、この戦は終わる。事はそう簡単ではないはずなのに、何故かジルダはそう思い込んだ」


「……」


「恋は盲目――とはよく言ったものです。ふふふ……まさか本当にそうなるとは非常に興味深い……とは言え、すっかりそれに乗せられたジルダは、本気でブルゴー国王を討ちに行き見事にやり遂げてみせた。 ――もっとも、そこで終わっていれば全て丸く収まっていたでしょう。我々とてカルデイアなのですから、ジルダの心意気は十分に理解できますからな」


「き、貴様……」


「しかしそこで密告があったのですよ。ジルダが己の意思のみで動いているとね。何処からもめいも依頼もないにもかかわらず、国情を左右するような企てを独断でしていると。 ――それを聞いてしまった以上、我々も動かざるを得なくなった。なにより我らにとって掟とは、命を賭してでも守らなければならぬもの。個別の事情で見逃すなどあり得ない」


「密告……だと……自ら焚き付けておきながら、それを密告……?」


「えぇそうです。陛下の仰るとおりですな。その裏には何かしらの思惑が隠れているとしか思えませんでした。と申せども、その理由は察するにあまりありますが。 ――なにせジルダは、その御方の大きな脅威になりつつありましたから」


 


 話の内容に気を取られるあまりセブリアンもヒューブナーも気付いていなかったが、語り続けるゲルルフの顔には次第に笑みが広がっていた。

 しかしそれは暗く陰湿なものでしかなく、到底愉快なものには見えなかったのだが。


 そんなゲルルフに向かって、やっとのことでセブリアンが口を開いた。


「脅威……脅威と言ったか? なんだそれは? どういう意味だ?」


「ふふふ……そのままの意味ですよ。あの御方にとってジルダは突如脅威になったのです。なにせジルダは陛下のお子を身籠ったのですから。 ――これを脅威と呼ばずして何と呼べば?」


「なっ……!!!!」


「あぁ!! な、なんてことを!!!!」 



 ニヤリとした笑みと同時に吐かれたゲルルフの言葉に、セブリアンとヒューブナーが同時に声を上げた。

 一人はこれ以上ないほどの驚きとともに、そしてもう一人は凄まじいまでの困惑とともに。


 するとその様子を見たゲルルフは、笑みを更に深める。

 そして少々わざとらしく見えるほど大袈裟に驚いてみせた。


「おや? その驚きよう……もしやご存知なかった? とっくにご存知だと思っておりましたが――これはあまりに無神経でしたな。謹んでお詫び申し上げる」


「な、なんだと……ジルダが……俺の子を……なぜ……なぜ……なぜ黙って……」


「へ、陛下!! そ、それは――」


「ご存知でなければお教えしましょう。これも私からの詫びのひとつと受け取っていただければ幸いです。 ――ジルダが身籠っていたのは紛れもない事実。しかしそれを伝えてしまえば陛下は自分を行かせなくなると言って、暗殺が終わるまで黙っているつもりだったようですな」


「そ、そんな……」


「もっとも、そう入れ知恵したのもやはりその御方ですがね。陛下には戻ってきてから伝えるべきだと。嘘だと思われるのであれば、外の医師に訊いてみられるがよろしい。なにせ彼もその時一緒におりましたから。 ――おっと、医師を責めてはいけませんよ。彼もその御方には逆らえなかっただけですからね」


「ジ……ジルダ……ジルダが俺の子を……そんな……そんな……それなのに……」

 


 今やその言葉のどこまでが聞こえているのだろうか。

 目を見開き、口をあけ、その焦点の合わない瞳で何処か遠くを見つめるセブリアン。

 しかしその問いに、ジルダの死体は何一つ答えてはくれなかった。

 その様子にさすがのヒューブナーも声をかけるのを躊躇ためらってしまったが、それでも彼は果敢に勇気を絞り出す。

  

「へ、陛下、お気を確かに。確かにそれは――」


 しかし当のセブリアンはまるで聞いているようには見えなかった。

 それどころか、突如その身を起こすと、これまで一度も聞いたことがないほどの大声を上げた。



「ペネロペェェェェェ!!!! 貴様かぁ!!!! 貴様なのだなぁ!!!! 殺す!! 殺してやる!! 何処だ、何処にいる!!?? 今すぐ叩っ斬ってやる、覚悟しろぉ!!!!」 


 固く閉じられた医務所の扉。

 しかしそれすらも突き抜けて、その叫びは静まり返る廊下にまで響き渡っていた。

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