第245話 閑話:三人のアラサー女子5

「ん? そう言えば、ブリジットは? 相手の男性とはその後どうなったの?」


「そ、それは……」


 その質問に、咄嗟にフィリーネは答えられなかった。

 何故なら、あれから暫くブリジットと会っていなかったからだ。


 いや、正確に言えば何度か屋敷の中で顔を合わせてはいた。

 しかし双方ともに忙しい身ゆえ、それはほんの短い立ち話でしかなかったのだ。そのため当たり障りのない会話に終始してしまい、互いのプライベートについて話す機会など全くなかった。


 フィリーネとクラリスは、同じ主人――リタに付く使用人だ。

 その役割はメイドと護衛とそれぞれに違うが、それでも二人は同僚として日常的に顔を合わせている。

 しかしブリジットに関しては少々事情が異なる。


 よく勘違いされるのだが、ブリジットはレンテリア家の使用人ではない。

 確かにリタの弟――フランシスの家庭教師を務めているが、本職はハサール王国魔術師協会所属の魔術師にして王立魔術研究所の主任研究員なのだ。



 本職でもない彼女が、なぜレンテリア家で家庭教師を務めているかと問われれば、それはある人物に紹介されたからだ。

 そしてその人物とは、王国魔術師協会副会長であり無詠唱魔術の研究者としても名高いロレンツォ・フィオレッティだった。


 姉を尊敬するフランシスは、自身の家庭教師としてロレンツォを希望した。しかしそれは残念ながら断られてしまう。

 今や魔術師協会の要職に就くロレンツォにはとてもそんな時間がなかったのが理由なのだが、その代わりとして紹介されたのがブリジットだったのだ。


 話を聞く限りでは、ブリジットは暇そうに聞こえる。

 しかし今や彼女も数人の部下を持つ主任研究員なので、決して暇なわけではない。いやそれどころか、むしろ多忙とすら言えた。

 


 それでもロレンツォの紹介を引き受けたのは、そこにリタの存在があったからだ。

 数少ないリタの正体を知るブリジットは、どうにかして繋がりを作りたかった。だからその紹介を無理してでも引き受けたのだ。


 その名を歴史に残す偉大な女魔術師――魔女アニエス・シュタウヘンベルク。

 彼女から直接教えを受けたいというブリジットの想いを聞いていたロレンツォは、この機会にチャンスを作ろうとした。


 もちろんそれは、ロレンツォなりの気遣い――いや忖度だった。

 短い期間ではあったが、命を賭してともに戦場に出た戦友として、そして一時でも自分に好意を持ってくれたことへの感謝のしるしとして、敢えてブリジットの名を挙げたのだ。


 しかし実際にリタの指導を受け始めると、意外にもブリジットの限界が露呈してしまう。

 決して高くはなかった限界値は、無詠唱魔法など言うに及ばず、必死に習得しようとした召喚魔法ですらユニコーンのユニ夫を呼び出すので精いっぱいだった。

 それでも彼女は満足していた。

 何より自分の限界がわかったことで、今後の身の振り方を決められたのだから。



 そんなブリジットの顔を数か月も見ていなかったことに、いまさらながらにリタは気付いてしまう。

 最低でも週に2回は屋敷に来ているはずなのに、いつもすれ違いになっていた。

  

「そう言えば……今日はフランシスのお勉強の日だったわね。久しぶりにブリジットに会ってみようかしら」


 未だ肩を落としたまま項垂うなだれる専属メイドのフィリーネ。

 その髪を優しく撫でながら、小さくリタは呟いた。




 ――――




「おはようございます……あれぇ、リタ様。こんな時間にいらっしゃるなんて珍しいですね。今日はどうされたのですか?」


 朝のレンテリア伯爵家に、突如甲高い声が響き渡る。

 もちろんそれは家庭教師としてやって来たブリジットのもので、それは32歳のアラサー女子とは思えないほど幼く聞こえた。

 ともすれば拙いとも表現できる少々舌足らずなその声は、巷で話題の女性声優のようだった。


 ちなみに「声優」とは、子供向けの人形劇で人形の声をあてる女優のことだ。

 舞台上には姿を表さずセリフだけを読む、言わば「声専門の女優」のことなのだが、その特徴的な声音によりそれぞれに熱心なファンが付いている。


 しかしブリジットはその分野にどっぷりと浸かったディープなマニア――俗に言う「オタク」ではあるが、女優でも声優でもないただの魔術師だ。

 それでもその声音は、その分野でも十分にやっていけるのではないかと思えるほど特徴的だった。


 そんなブリジットの声を聞きながら、朝っぱらからリタは渋い顔を返した。



「おはよう、ブリジット。ちょっと急用ができたものだから、今日は仕事をお休みしたのよ」


「そうなんですか? それにしても、あれだけ仕事熱心なリタ様が休むなんて、ほんと珍しいですねぇ」


「ま、まぁ……ね」


 思わず苦笑を返すリタ。

 その顔には自嘲するような笑みが浮かんでいた。



 伯爵家令嬢のリタは、本来であれば仕事などしなくてもいい。

 特に嫁ぎ先が決まっている彼女の場合、成人を迎えた後は花嫁修業に精を出すだけで十分だった。


 しかし貴重な「魔力持ち」であるうえに、数少ない王国魔術師協会所属の二級魔術師でもある彼女は、国に貢献することを強要されていた。

 それは新しい魔法の開発や術式の改良に始まり、論文の作成から文献の編纂に至るまで多岐に渡る。言わばエリート集団である魔術師協会員の中でもさらに一握りの者にしか任されていない重要なものだった。


 その中でもリタは特に優秀だった。

 それは弱冠15歳にして新規魔法開発のプロジェクトリーダーに抜擢されるほどだ。

 中にはその人事を貴族令嬢ゆえの贔屓ひいきだと揶揄する者もいる。

 しかし200年以上にも及ぶ前世のアニエス時代の膨大な知識と経験は余人の追随を許すところではなく、少しでも一緒に仕事をしたことがある者であれば皆口を揃えて彼女の有能さを認めるところだ。



 そんな忙しい日々を過ごすリタなのだが、今朝は突然休むことにした。

 体調不良でもあるまいし、その日の朝に突然リーダーが休むなど普通であれば顰蹙ひんしゅくものだろう。

 しかしリタは全く悪びれた様子も見せずに出勤早々上司に告げた。 


「ベーラー部長。大変申し訳無いのだけれど、今日はこれで帰らせていただくわ。よろしくて?」


 たとえ上司と言えども、平民出身のベーラーがリタに物申すことなどできるはずもない。

 それでも彼は管理職の責任として理由を尋ねなければならなかった。

 するとリタは事も無げに言い放った。


「休む理由? それは異なことを。 ――わたくしが休みたいから休む。それ以上の理由が必要でして?」


 顔に笑みさえ浮かべながら、しれっと答えるリタ。

 名門伯爵家令嬢にそんな態度を取られてしまえば、最早もはやベーラーとて何も言えなくなってしまう。


「さ、左様でございますか。それは仕方ありませんね。承知いたしました、ど、どうぞお休み下さい」


 気の毒なベーラーは、そう告げるのが精一杯だった。



 そんなわけで急遽仕事を休んだリタだったが、まるで待ち伏せしていたかの様子に思わずブリジットは怪訝な顔をしてしまう。

 するとリタは意図的に笑顔を作りながら話しかけてくる。


「ブリジット。こうしてあなたと顔を合わせるのも久しぶりね。相変わらず元気そうだけれど、変わりはないの?」


「あ、はい。 ――特に変わりは……ありません。相変わらずですね」


 一瞬の間が気になったが、それでも普段と変わらないブリジットの様子にリタは安堵した。


「悪いのだけど、授業の前に少しだけお話をいいかしら? 手間は取らせないから、こちらに付いてきて下さる?」


 とっくにフランシスの授業時間は過ぎていたが、リタに逆らえるわけもないブリジットは招きに応じるままに玄関横の応接室に入っていったのだった。





「突然ごめんなさいね。 ――どうぞこちらに掛けてもらえるかしら。少しお話を聞いたら、すぐに解放してあげるから」


「は、はぁ……」


 いつものようにレンテリア邸を訪れたブリジットではあったが、気づけばリタに拉致されていた。

 どうやらその「お話」とやらが終わるまで解放されないらしく、何やら嫌な予感を覚えてしまう。

 もとよりリタに対して絶大な信頼を寄せるブリジットではあるが、さすがにこの期の及んでは不安を隠しきれない様子だ。


 そんなブリジットに茶を出しながら、横からフィリーネが話しかけてくる。


「突然ごめんね。どうしてもあなたに確認しなければいけないことがあって……答えたくないことは、無理に答えなくていいから」


「フィリーネ、あなたまで……一体どうしたの? それに訊きたいことって?」


 主人の会話にメイドが口を挟んでくるなど普通はあり得ない。

 それなのに何故かリタはフィリーネを諫めようともせず、それどころか積極的に発言させようとすらしていた。

 その様子にブリジットが胡乱な表情を見せ始めると、再びリタが口を開いた。



「そうね。それに関しては私の方から訊くわ。 ――フィリーネ、申し訳ないけれど、あなたは下がった方がいい。場合によっては――」


「いいえ、リタ様。たとえどのようなことになろうとも、私はここで聞き遂げます。それが私の責任だからです」


「フィリーネ……そう、わかったわ。そこまで言うのであれば、あなたの意思を尊重しましょう。だけど、途中でどうなっても知らないわよ? 本当に大丈夫? 無理してない?」


「はい、大丈夫です!!」


「もしも途中で倒れそうになったら、遠慮なく言うのよ!? いい!?」


「かしこまりました!! しかしご心配は無用です!! 必ずや最後まで耐えきって見せます!!」


「うん、わかったわ、その意気よ!! それがあなたの運命さだめなのね!! 頑張ってフィリーネ!!」


「はい、リタ様!!」


「フィリーネ!!」


「リタ様!!」


「ファイトー!!」


「おー!!」


 向かい合って互いの両手を握り締めながら、なぜか瞳をうるうるとさせるリタとフィリーネ。

 その姿は巷で話題の青春スポーツ根性演劇のワンシーンにそっくりだった。



「な、なにこれ……?」

 

 しかしそのノリについて行けずに、何処か冷めた目で見る者がいた。

 もちろんそれはブリジットだ。


 今や意味不明の熱い主従関係にじっとりした半目を向けながら、32歳のアラサー巨乳女子は小さなため息を吐いたのだった。

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