第244話 閑話:三人のアラサー女子4
「実はそのぉ……妊娠したようで……これは
女性にしては珍しい短めに整えられた髪と、見る者全てを威圧するような鋭い眼差し。
整った顔を仏頂面に見せる真一文字に結ばれた唇と、不機嫌そうに刻まれた眉間のシワ。
相手が誰であろうとニコリともしない、無口でぶっきら棒な女騎士。
そんな愛想の欠片もないクラリスではあるが、この時ばかりは顔を赤く染めてバツが悪そうに身を捩らせていた。
その姿は如何に男前な彼女であっても、やはり女性なのだと改めて思い出させるものだった。
しかしあまりの衝撃発言にリタもフィリーネも返事が出来ずにいる。
そしてやっと口を開いたかと思えば、それは素っ頓狂な叫び声だった。
「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「なんじゃとぉぉぉぉぉ!!!!????」
大きく目を見開き、鼻の穴を膨らませたその顔はまるで阿呆のように見えたが、今や二人はそう叫ぶだけで精一杯だ。
しかしクラリスは己の発言をまるで省みることなく、再びおずおずと口を開く。
「その……申し訳ありません。実は以前からお伝えしようと思っていたのですが、中々言い出せなくて……」
「……」
「あの……もしもしリタ様、聞こえてらっしゃいますか?」
怪訝そうにリタの顔を覗き込むクラリスと、まるで反応を返さないリタ。
やはりどう見ても声が聞こえているようには見えなかったため、クラリスは失礼を承知で顔の前で手を振ってみる。
するとリタは、突如灰色の瞳を瞬かせた。
「に、妊娠したって……クラリス……それは一体……どういうこと?」
まるで意味がわからない。
リタの顔にはそう書いてあった。
前回の合コンで知り合ってから、男性騎士のレオ・ドプナーとクラリスは付き合うようになった。
初対面とは思えないほど意気投合し、出会ったその日に関係を持った二人ではあったが、それ以来順調に愛を育み続けていたのだ。
屋敷の女子寮に住むクラリスとは違い、レオは街中に部屋を借りている。
そのため他人の目を気にすることなく自由に部屋に入れるので、ここ最近のクラリスは通い妻よろしくレオのもとに通い詰めていた。
とは言え、料理はもちろんのこと、家事もろくに出来ない彼女はレオの世話を焼いているわけではなく、単に酒盛りをしに行っているだけだったのだが。
若い男女、しかも恋人同士が同じ部屋で酒を飲んでいれば、当然それだけで終わるはずもない。
そのためここ最近は、朝帰りするクラリスの姿がよく見られるようになった。
しかし彼女はそれをリタに報告していなかった。
恐らくそこには遠慮があったのだろう。わざわざ自身のプライベート、しかも男女の仲について主人を煩わすのも如何なものかと思ったクラリスは、敢えてずっと黙っていたのだ。
もちろんいずれは打ち明けるつもりだったのだろう。しかしそうなる前に妊娠が発覚してしまった。
フィリーネ、クラリス、ブリジットといったリタの周囲のアラサー女子の中では、一番クラリスが男と縁がなさそうに見えたのだが、蓋を開けてみれば一番宜しくやっているのが彼女だった。
しかも結婚をすっ飛ばしていきなり妊娠したものだから、周囲の驚きは計り知れない。
そんなクラリスにリタが説明を求める。
顔にはやっと理性が戻り、その口調はまるで詰問するかのようだった。
「ちょっとクラリス!! 私は何も聞いてないわよ!! ――一体これはどういうことなのか、説明してくれるかしら!?」
「は、はい……」
一喝とは、まさにこれを指すのだろう。
思わずそう思ってしまうほど、リタの言葉は鋭かった。
――――
「なるほどねぇ……まぁ、良かったと言うべきか、なんと言うべきか……とりあえず、おめでとうと言べきよね。――思いきり順序が逆だけれど」
「……め、面目ありません。このような結果となり、誠にお恥ずかしいかぎりです。 ――いまさら言っても手遅れですが、もっと早くにご報告すべきだったと後悔しております……」
元気なく
妊娠と言えば普通はめでたいものなのだが、彼女の立場を慮れば中々そうも言っていられない。
まさかお腹の大きな妊婦に護衛騎士が務まるとも思えず、託児所など存在しないこの時代では、出産後に仕事に復帰するのも容易ではなかった。
ご存知のようにクラリスは、リタの祖母――イサベルがやっとの思いで見つけてきた人材だ。
リタと同性の若くて腕の立つ騎士が欲しいがために、一ヶ月以上かけて探し出してきたのだ。
にもかかわらず、このままでは一年も経たずにお役御免になりそうだった。
自身を拾い上げてくれたレンテリア家には多大な恩があるクラリスだが、それを返す前に引退せざるを得ない現実に、思わず押しつぶされそうになってしまう。
そんな彼女に、敢えてリタは明るい声をかけた。
「ふう……クラリス。べつに謝る必要なんてないわよ。プライベートなのだから、全てを
「す、すいません……」
「だから謝らなくてもいいってば。それで、これからどうするつもりなの? もちろん彼――レオと言ったかしら――とは結婚するのでしょう?」
「はい、そのつもりです。彼も承諾してくれましたので、
「そうなんだ、それはよかったわね。それじゃあ、改めておめでとうと言わせてもらうわね」
「あ、ありがとうございます……」
相変わらず申し訳無さそうなクラリス。
彼女が感謝の気持ちを伝えていると、突如その横から呟きが聞こえてくる。
「け、結婚……? クラリスが……結婚? えぇ!?」
いや、それは呟きというには些か大きすぎ、
驚いた二人が声の方を見ると、フィリーネが立っていた。
敏腕メイド宜しくいつもは笑みを絶やさない彼女だが、今に限ってはその顔を強張らせており、口は開き、目は泳ぎ、今にも卒倒しそうになっている。
そんなフィリーネに二人が同時に声をかけた。
「フィリーネ、どうしたの? 大丈夫?」
「お、おいフィリーネ。大丈夫か? そんな顔をして……どうかしたのか?」
果たしてそれは聞こえたのだろうか。
二人の声にもピクリとも反応しないフィリーネだったが、しばらくすると突如大声を上げた。
「結婚!? 結婚するですって!? それはどういうこと!? ま、まさか、裏切るつもり!?」
「なっ……ど、どうした!? おい、フィリーネ!?」
「クラリス!! あなた、まだまだ結婚はしないって言ってたわよね!? 二人で仲良く30歳になろうって約束したわよね!? それなのに……それなのに……」
「ちょ、ちょっと待て!! 落ち着け、落ち着くんだフィリーネ!! 興奮するな!!」
「どうして、どうして……ひっく……ひっく……」
「お、おい、フィリーネ……」
「うえぇぇぇぇー!! もういやぁー!!!!」
主人の前であることさえ忘れて、再び泣き始めてしまうフィリーネ。
大の大人であるのにまるで幼い子供のように泣き叫ぶ様は、少々常軌を逸しているようにしか見えなかった。
そんな同僚に思わずクラリスが後退っていると、慌ててリタが声をかけた。
「ク、クラリス!! 具合が悪いのであれば、今日はもう上がっていいから!! お祖母様には私から言っておくわ!!」
「えっ? いや、しかしリタ様、私はべつに――」
「ほらほら、具合が悪いのだから無理しちゃだめよ!! 部屋に戻って寝てなくちゃ、さぁさぁ!!」
突如そう叫んだリタは、部屋の入口まで強引にクラリスを押していく。
そしてフィリーネから十分に離れると、耳に小さく
「いいからもう下がって!! 今朝からずっとフィリーネが情緒不安定なのよ!! あとで説明するけど、あなたもその原因のひとつなの。とにかく部屋から出て行ってちょうだい!!」
「わ、わかりました……」
結局クラリスは、半ば押し切られる形で部屋から追い出されてしまう。
理由も告げられないままそんな仕打ちを受けたことに、彼女とて言いたいこともあっただろう。
しかしクラリスは粛々とリタの言葉に従った。
そして去り際に何度も背後を気にする様は、彼女なりに同僚を気遣っているようにさえ見えた。
クラリスが退出すると、再びリタはフィリーネと二人きりになった。
そして未だ起き抜けのネグリジェのまま、専属メイドの頭を撫でた。
「フィリーネ……どう? 落ち着いた?」
「も、申し訳ありません!! 一度ならず二度までも、リタ様の前で失態を演じてしまいました!!
「だから、謝らなくてもいいってば。私は何も気にしてないし。 ――さっきも言ったけれど、あなたが不安に思う気持ちは私にもわかるのよ。クラリスに抜け駆けされて、思わず動揺するのもわかるし……」
「うぅぅ……すいません、本当にすいません!! ――あの男前のクラリスが、まさかいきなり結婚するなんて思わなくて……あまりのショックに意識が飛びそうに……」
「……まぁね。その話を聞いた時、さすがの私も卒倒しそうになったもの。わりと本気で。 ――それで? その合コンとやらで知り合った殿方だけれど、あなたの相手はどうだったの?」
「あぁ……」
合コンでフィリーネが相手をした男――フレディ・ライルとは、結局それっきりだった。
そもそも全身だるんだるんの肥満体からして好みではなかったし、顔だって決してイケているとは言えない――いや、むしろ気持ち悪いとさえ言えたのだ。
なにより歌劇女優グループ「NTR48」の追っかけなどという、あまりにディープすぎる趣味は
そんなわけで、その一件はすでになかったものにしていたフィリーネだが、フレディの方はそうでもなかったらしい。
どうやら彼はフィリーネを気に入ったらしく、合コンのあとも何度か連絡を寄こしていたのだ。
しかし肝心のフィリーネは、
意図せずそれを思い出してしまったフィリーネ。
思わず顔を顰めていると、何かを察したリタは再び慰めるように髪を撫でた。
「まぁ、一口に殿方と言っても、色々な方がいるわけだし……今回はたまたま巡り合わせが悪かったということで、綺麗さっぱり忘れちゃいなさいよ」
「……そうですね」
沈み込む専属メイドに寄り添って、優しく頭を撫で続けるリタ。
その様子を見ていると、どちらが年上なのかわからなってしまいそうだ。
そんな中、ふと思い出したようにリタが顔を上げた。
「ん? そう言えば、ブリジットは? 相手の男性とはその後どうなったの?」
「そ、それは……」
その質問に、再び不安な表情を浮かべてしまうフィリーネだった。
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