第243話 閑話:三人のアラサー女子3

 リタ専属メイドのフィリーネ、同じく専属護衛のクラリス、そしてリタの弟――フランシスの家庭教師を務めるブリジット。


 これらアラサー女子三人組の合コン(194・195話参照)から3ヶ月経ったある日。

 ここレンテリア家の首都屋敷に人知れず小さなため息が溢れていた。

 

 それはメイドのフィリーネだった。

 実を言うと今日は彼女の誕生日なのだが、特に何か変わったことがあるわけでもなく、なんとなく今年も一歳年齢を重ねてしまっていた。

 

 平民出身のフィリーネには誕生日を祝う習慣はない。

 それは彼女のような平民、特に農村では当たり前のことなのだが、仕える主人――リタやその弟のフランシスの誕生日を盛大に祝っているのを見ていると、些か羨ましく思うのも事実だ。

 とは言え、この年齢で祝われても正直ちっとも嬉しくないのもまた事実なのだが。


 15歳で成人を迎えて20歳はたち前には結婚、出産するのが当たり前のこの時代、28歳の彼女は最早もはや立派な行き遅れと言えた。

 相手もおらず予定は全くの未定なのだが、もしも30歳までに子供を産むのであれば、今年あたりが結婚の最後のチャンスなのかもしれない。


 そんなことを朝から考えていたフィリーネは、今や今日何度目かもわからないため息を吐いてしまうのだった。



 2歳年上の姉――ジョゼットは19歳で結婚して20歳はたちで子を産んだ。

 そしてその後も立て続けに出産したので、自分と同じ年齢の時にはすでに3人の子持ちだった。

 今ではすっかり母親の貫禄を身に着けた姉。

 その姿を見ていると、嫌でもその差を思い知らされてしまう。


 休みの日に時々会いに行くのだが、甥っ子も姪っ子もとても可愛い。

 特に一番下の4歳女児のキャロリンは、母親――ジョゼットの生き写しのような容姿のため、同様に姉と良く似るフィリーネは、そこに自身の面影を見ることができる。


 そんなキャロリンと散歩をしていると、すれ違う全員が本当の親子だと思うのだろう。

 彼らは皆一様に「可愛らしいお嬢さんですね。お母さんにそっくりだ」などと声をかけてくるのだ。

 その度にフィリーネは想像してしまう。

 母親になった自分が小さな子供と一緒に暮らす姿を。



 もちろんそんなものは夢のまた夢だ。

 運命の男性に出会い、愛を育み、結婚して子を産む。

 そこまで行くにはどんなに順調だったとしても数年はかかるだろうし、そのためには魅力的な男性との出会いが不可欠だ。


 実のところフィリーネは、この歳になるまで一度も異性と付き合ったことがない。

 その原因を考えてみると、出会いがない、仕事が忙しい、周りにロクな男がいないなど常にネガティブな原因を探し続ける自分がいるのだが、それが本当の理由ではないことにここ最近気づき始めていた。


 30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい。


 もちろんそれは独身男を揶揄する世俗的な言葉なのだが、もしもそれにならうなら、30歳まで処女だと僧侶にでもなれるのだろうか。



「……いやよ、絶対にいや。僧侶になんてなりたくもない」


 思わずそう呟いてしまったフィリーネは、同時にまたため息を吐いてしまう。

 すると耳聡みみざとく聞きつけたリタが、胡乱な顔を向けた。


「どうしたのフィリーネ。今日は朝から、やけにため息が多いけれど。 ――それになに? その『僧侶になんてなりたくもない』って。どういう意味?」


「あっ……いいえ、なんでもありません。ただの独り言です。失礼致しました」


「そう……まぁ、いいけれど。それにしても、本当に元気がないわねぇ。今日はあなたの誕生日なんだから、少しは元気を出さないとダメじゃない。 ――はい、プレゼント。お誕生日おめでとう」


「え……?」


 突然の出来事に目を白黒させてしまったフィリーネは、主人の差し出した小さな包みに手を伸ばすことなくその場で固まってしまう。

 するとリタが再び胡乱な顔をした。



「フィリーネ……驚くのはわかるけれど、せめてこれを受け取ってくれないかしら。 ――いつまで私はこのままでいればいいの?」


 起き抜けの薄手のネグリジェのまま、専属メイドに苦言を呈するリタ。

 そんな主人の言葉にハッと我に返ると、慌ててフィリーネはその身を屈ませた。


「お、お嬢様……こ、これを……私に?」


「だからプレゼントだって言っているでしょう? 今日はあなたのお誕生日じゃない? そんな大切な日を忘れてなんかいないわよ」


「リ、リタ……お嬢様……」


「ふぅ……なんだか聞こえていなかったみたいだからもう一度言うけれど……お誕生日おめでとう、はい、フィリーネ。」


「あ、ありがとうございます……お嬢様……本当に……ありがとう……ござい……ひっく……ひっく……」


 主人の差し出したリボンの付いた包みを受け取りながら、礼の言葉を述べるフィリーネ。

 まさに「おずおず」といった遠慮した様子ながら、しっかりとその包みを受け取った。

 しかしその直後、突如彼女の頬を涙が伝い始める。



「ちょ、ちょっとフィリーネ!! 急にどうしたの? ねぇ!?」

 

「うえぇぇぇ!! おじょうざま゛ぁー!! あじがとうごじゃいますぅー!! うえぇぇぇ!!!!」


 リタの髪をくブラシを左手に持ち、そして右手にプレゼントを持ったまま天井を見上げて大声で泣き出してしまった専属メイドのフィリーネ。

 28歳にもなる大の大人がまるで小さな子供のように突然泣き出したものだから、さすがのリタもオロオロとしてしまう。


「ちょ、ちょっとフィリーネ、どうしたの!? あなた普通じゃないわよ!? 一体どうしたのよ? なんで泣いているのよ!?」


「うえぇぇぇ、おじょうざま゛ぁー、ずびばぜんー!! ふえぇぇー」


 リタの言葉にもまるで泣き止む気配を見せないフィリーネだったが、しばらくするとその鳴き声も次第に小さくなっていく。

 そしてしゃくり上げる声がすっかり落ち着くと、慌てて謝罪の言葉を口にした。


「も、申し訳ありません!! このような醜態をさらしてしまい、何と言ってお詫びをすればよろしいのか……本当に申し訳ありませんでした!!」


 平身低頭、まさに床に額を擦り付ける勢いでひざまずく専属メイドに向かって、慌ててリタは駆け寄った。


「ちょ、ちょっとフィリーネ!! いいから、謝らなくていいから、頭を上げてちょうだい!! びっくりしただけで、べつに怒ってなんかいないから!! と、とにかく身体を起こしてちょうだい、それでは話にもならないでしょ!!」




 ――――




「……なるほどねぇ。まぁ、あなたの気持ちもわかるけれど、こればかりはねぇ」


「はい、すいません。リタ様の優しさに触れた途端、涙が止まらなくなってしまいまして……本当に失礼いたしました」


「もう謝らなくてもいいってば。 ――だけど全然知らなかった。フィリーネがそんなことで悩んでいただなんて」


「はい。なにぶん、これを話すのはお嬢様が初めてですから」


「むふぅ……」



 突然フィリーネが泣き出してしまった理由――それは将来に対する漠然とした不安だった。


 主人のことをフィリーネは心から尊敬しているのだが、肝心のリタはあと数年内にはいなくなってしまう。

 そしてそれにフィリーネも付いて行けるのかと問われれば、難しいと言わざるを得なかったのだ。


 今年16歳になるリタは、少なくとも20歳はたちになるまでにムルシア家に嫁ぐことになっている。

 もっともそれは、夫になるフレデリクの従軍訓練が一通り終わるのが条件なのだが、順調に行けばそれもあと二年ほどで終わる予定だ。

 だから早ければ、あと二年でお別れになってしまうことになる。

 

 ムルシア侯爵家といえば国内でも有数の貴族家だ。

 さらに武家貴族家筆頭の西部辺境候であるうえに国内最古の貴族家でもある。

 そんな侯爵家婦人の専属メイドを務める者は最低でも伯爵家以上の身分の者しか許されず、どう足掻いても平民のフィリーネには諦めざるを得なかった。 

 幾らリタが望んだところでフィリーネが付いていくことは許されないのだ。



 リタがいなくなった後、自分は一体どうなってしまうのだろうか。

 諸々の事情を鑑みれば、一般メイドに逆戻りして屋敷の雑務をこなしながら歳を重ねていくのは間違いない。

 そして年をとって動けなくなってしまえば、実家に戻されることになるのだろう。


 しかし最早もはや自分には、帰るべき場所はないのだ。

 モサリナ村の実家は長男である弟が継いでいるのだし、すでに妻も子もいる彼の家には自分の居場所は当然ない。

 だから用無しとして屋敷を追い出されたとしても、早晩露頭に迷う他あり得なかった。



 そんな漠然とした不安を訥々とつとつと語り始めたフィリーネ。

 その彼女に髪を梳いてもらいながら、リタはなにやら考えていた。

 そしておもむろに口を開く。


「あなたの想いはよくわかったわ。そしてその不安な気持ちもね。 ――ごめんなさいね、これまで気付いてあげられなくて」


「いえ、そんな……謝らなければいけないのはむしろ私の方です。幸運にもリタ様のような素晴らしいお方に仕えることができたというのに、それを顧みずこのような不安を抱えているだなんて……贅沢であるとお叱りを受けても仕方がないのではないかと……」


「そんなことはないわよ。 ――でもねぇ、いずれ私はフレデリク様の元へ行くのだけれど、残念ながらあなたは連れて行けないのよねぇ。こればかりはムルシア家の仕来しきたりだから、私の一存で捻じ曲げるわけにもいかないし」


「あぁリタ様。私如きのためにお心を痛めるなんておやめください!! お願いですから」


「でもねぇ」





 コン、コン……


 未だ起き抜けのネグリジェのままリタとフィリーネが話し込んでいると、突如部屋の扉がノックされた。

 時間的に専属護衛のクラリスだろうと思っていると、案の定そうだった。

 今日も今日とて男前な彼女は、鋭い眼差しの目立つ顔を覗かせる。


「おはようございます、リタ様……どうされたのです? この時間にお着替えが済んでいらっしゃらないとは、珍しいですね……うぷっ」


「えぇ、ちょっと色々とあってね。 ――それよりもクラリス、そういうあなたは随分顔色が悪いようだけれど……また飲みすぎたの?」


「そ、そんな、滅相もない!! 飲みすぎだなんて……それにもう飲むのはやめましたから……うぷっ」


「あら? あんなにお酒が好きだったあなたにしては、一体どういう風の吹き回しかしら? 何かあったの?」


「えぇと、そのぉ……うぷっ」


 なにやら言い淀むクラリスは、リタが言う通り何気にその顔色は悪かった。

 訓練による日焼けのために決して色白ではない彼女ではあるが、今日に限ってその顔は妙に青白く、まるで病人のように見えたのだ。


 そしてリタと話しながらも時々嘔吐えずくような仕草を隠しているところを見ると、間違いなく彼女は体調が悪く見える。

 そんなクラリスに向かって、尚もリタは追求の手を緩めなかった。



「正直に言いなさい。あなた体調が優れないでしょ? 隠しても無駄よ、さっさと吐きなさいよ」


「は、吐く……? い、いや、そんな……まさかこんなところで……さすがに……」


 リタの言葉に、何故かたじろいでしまうクラリス。

 もともと彼女はあまり迂遠な表現が通じるタイプではないが、いまの言葉の何処にそれがあったのかと問われれば些か疑問だ。

 しかし彼女は明らかに何かを勘違いしていた。


 そんな専属騎士を尚もリタは追求する。

 

「ちょっとクラリス、本当に具合が悪そうだけれど。ほら、もう観念するのね。吐いてしまいなさい」


「さ、さすがにここでは……うぷっ」 


「具合が悪いのなら悪いと正直にそう言って。私だって鬼ではないのだから、1日くらい休ませるのもやぶさかではないわ」


「いや、しかし……」


「いいからもう、我慢しないで吐きなさい」


「……承知いたしました。それではお言葉に甘えて――」


 決して厳しい口調ではないものの、そのじつ有無を言わさぬ迫力を醸すリタ。 

 いくら遠慮しているとは言え、再三に渡る主人の言葉を断るのは不敬にあたると思ったのだろう。

 ついにクラリスは、その顔に覚悟を滲ませた。


 そしておもむろに手近にあった屑入れを手に持つと……本当に吐いた。




「おえぇぇぇ!! うぇぇぇぇ!! げほっ、ごほっ……おえぇぇぇ!!!!」


 突然部屋に広がる、得も言われぬ酸味のある香り。

 あまりと言えばあまりに衝撃的な光景に、リタは言うに及ばず、フィリーネまでも固まってしまう。

 しかしさすがは敏腕メイドと言うべきか、咄嗟に走り出すと苦しそうに嘔吐えずく同僚の背中を擦り始めた。


「ちょ、ちょっとクラリス、大丈夫!? それにしても、あなた本当に具合が悪かったのね。無理をするから……だからと言ってこんなところで本当に吐かなくてもいいと思うけれど……」


「ごほごほっ……す、すまん。実を言うと、ずっと吐きそうだったんだ。我慢はしていたのだが、リタ様の許可があったものだから、つい――」


「なんじゃあ、おまぁ!! そういう意味で言ったんではないわ!! そもそも、ほんまに吐くやつがおるかい!! この阿呆がっ!!」


 直前までと打って変わって、突然本性を表したリタ。

 薄絹のネグリジェ越しに大きな胸を揺らしながら、苦しげに呻くクラリスににじり寄る。

 しかし直前で急に表情を変えると、再び口を開いた。



「ふぅ……まぁ、クラリスの具合が本当に悪いのはこれでわかったけれど……原因はなに? まさか本当に飲み過ぎだなんて言ったら、本気で怒るわよ」


「えっ……その……あの……」


 普段から男のようにぞんざいな口調とぶっきら棒な態度を崩さないクラリスだが、何故かこの時ばかりは珍しく弱気な態度だった。

 その違和感に何か嫌な予感を覚えながら尚もリタが追求し続けていると、遂にクラリスは観念して口を開いた。



「実はそのぉ……妊娠したようで……これは悪阻つわりではないかと……」


「……」 

 

「……」



 その言葉とともに、部屋の時間が止まってしまう。

 そしてそれからどのくらい経っただろうか。

 突如その場にリタとフィリーネの叫び声が響き渡った。


「えぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」


「なんじゃとぉぉぉぉぉ!!!!????」


 あまりと言えばあまりに衝撃的な事実に、口を開けたまま固まってしまう二人。

 その前でクラリスは、その男前な顔を真っ赤に染めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る