第242話 悲鳴と咆哮と叫び

「ほう……これらがイサンドロを葬った暗殺者たちか。 ――それで、どういった理由わけでわざわざ前線から送られてきたのだ?」


 ずかずかと無遠慮に医務所に入ってくるなり、開口一番セブリアンは言い放った。

 それと同時に、部屋中に漂うえた臭いにその顔をしかめさせる。


 何かが腐敗したような、それでいて少し甘く、濃く、そして目に染みる臭い。

 ともすれば顔を背けたくなるほどのそれは、普段の生活ではおよそ嗅ぐことはない。しかし戦場に行けば其処彼処そこかしこから漂ってくるものだ。


 それは――死臭だった。

 それも死後数日は経っているような激しく鼻につくもので、後を追いかけてきた宰相や護衛の騎士、そして役人たちまでもが皆顔を顰めるほどのものだった。


 ブルゴー王国の第一王子として生まれたセブリアンではあるが、これまで戦場に立ったことはない。

 だからおよそ腐乱死体の匂いなど嗅いだことなどないように見えるのだが、実のところ彼はその臭いをよく知っていた。


 何故なら幼少の頃、死体が朽ちる様子に興味を持ったセブリアンは、殺した犬や猫が腐敗していく様を観察したことがあったからだ。



 今思い出しても、あの臭いは強烈だった。

 近寄るだけでも身体に臭いが染みついて、その後数日取れなかったのを思い出す。

 小さな動物でさえそうなのだから、それが人間大の、しかも四つもあるのだからその凄まじさは推して知るべしだ。

 

 それでも厳冬期なのが幸いだった。

 死後数日経っていたとは言え、低い外気温のおかげで思ったよりも腐敗が進んでいなかったのだから。

 もしもこれが真夏だったとしたならば、想像しただけでも目眩がしそうだ。


 そんな不快な臭気の漂う医務所の中に置かれた4つの死体。

 上から布が被せられているため詳細は不明だが、一つだけ妙に小柄なものがあるのが目につく。

 報告によれば暗殺者と思しき連中は男3名、女1名らしいので、一番小さいのが恐らく女の死体なのだろう。それにしては小さすぎる気もするが。


 女暗殺者ということは、ジルダの同僚なのだろうか――


 そんなことを考えていると、慌てて部屋の奥から医師が走ってくる。

 突然の大公の訪問に慌てたのだろう。その額には汗が滲んでおり、緊張のために顔は強張ったままだ。

 その彼に向かってセブリアンはおもむろに口を開いた。




「おい、これがその死体なのだな。それにしても酷い臭いだが……状況を説明しろ」


「こ、これは大公陛下、ご機嫌麗しく!! 御自らのご足労には恐縮至極にございます!! こ、此度こたびの戦におかれましては――」


「えぇい、やめろ!! 口上など必要ないわ!! お前はさっさと訊かれたことに答えればよいのだ!!」


「はひっ!! も、申し訳ありません!! ――こ、これらの死体でございますね!! お、恐れながらご説明申し上げます――」


 機嫌の悪さを隠すことなく、部屋に入ってくるなり威圧するセブリアン。

 その態度に身を震わせながら宮廷医師が掛け布をめくると、その下から首のない死体が出てきた。


 それは真っ黒な衣装を身に纏い、両手脚には特徴的な装甲を身に着けていた。

 他にはない独特のそれは、過去にジルダが暗殺者として身につけているのを見たことがあったため、それが暗殺者集団「漆黒の腕」の一味の死体であることは間違いないのだろう。

 その事実に思わず唾を飲み込んだセブリアンは、次に首の傷口に注目した。



 この時代の一般的な武器といえば両刃のブロードソードなのだが、言わばそれは剣と言うよりも大型のなたに近いものだ。

 革や金属の鎧が発達するこの昨今、主にその隙間から突き刺すか、または重さと勢いに任せて鎧ごと敵を叩き切る、もしくは殴打するものであって、決してそれ自体の切れ味は良くない。 

 もちろん剥き身の肌に触れれば斬ることも出来るのだろうが、そもそも戦場で肌を晒す者がいない以上、それは狙ってできるものではないだろう。


 にもかかわらず、この死体は見事なまでの傷口を披露していた。

 まるでカミソリの如き鋭利な刃物で斬り落とされたらしきその首は、最早もはや芸術と言っても良いほどの美しい断面を見せていたのだ。 

 それは熟練の首切り役人でさえ滅多に出来ない見事なもので、およそ普通の兵士の仕業とは思えなかった。


 いや、冷静に考えれば兵士ごときが凄腕の暗殺者を殺すなど出来るはずもないのだし、ましてや一刀のもとに首を刎ね飛ばすなど尚の事不可能だろう。

 確かに大勢で取り囲んで寄ってたかって斬りかかれば殺せるかも知れないが、死体を見る限り首の切断以外に外傷は見当たらなかった。



 小さく鼻息を吐きながら、セブリアンは次の死体に目を走らせる。

 それは腹を斬り裂かれていた。

 やはりそれも見事なまでの切り口で、まさに一刀のもとに斬り伏せられたと言っても過言ではない。

 生粋の暗殺者の、しかもその身体の中心を斬り裂くなどおよそ常人に出来るとは思えず、思うにこの男を殺ったのもやはり相当な手練なのだろう。


 次の死体も同じだ。

 膝から下を一刀のもとに斬り落とされたそれも、一体目同様に見事な切り口を披露していた。

 斬られた本人にしてみればたまったものではないだろうが、その様はやはり芸術のように美しかったのだ。



「おいヒューブナー、この腕の意匠を見てみろ。やはり此奴こやつらは『漆黒の腕』に間違いないな。しかも恐らく上位の者たちだろう」


 3体目の死体の腕にも、他と同じ意匠が施されていた。

 暫くそれをしげしげと眺めていたセブリアンは、、背後で控えていた宰相にそう告げる。

 相変わらず顔は顰められたままだが、それでもそこには理解の色が浮かんでいた。

 そんな大公にヒューブナーが声をかける。


「陛下、もうそのくらいでよろしいかと。とにかくこれで敵将――イサンドロ国王を討ったのがの組織だというのがはっきりしたのですから、それで良いではありませんか。あとはそれを命じたのが誰なのかと言う疑問は残りますが、それは追々おいおい調べて――」


「そ、そうです!! 宰相殿の仰るとおりです!! 大公陛下御自らがこのようなものを検分するなど、あまりに畏れ多い!! お願いでございますから、もうこの辺でおやめいただければと存じます!!」


 ヒューブナーの言葉に同調するように、再び医師が声を上げる。

 慌てて言い募るその様を見ていると、どうやら彼はこれ以上死体を見せたくないようだ。

 そこにはなにか理由でもあるのだろうか。

 再びセブリアンは胡乱な顔を向けた。



「おい、なんだその言い草は? 俺が死体を見るのがそんなに気に食わんのか? ――そもそもこれはヴァルネファーが検分しろと送ってきたものなのだ。俺が見て何が悪い? もっともこれでイサンドロの暗殺は現実味を帯びたがな」


「そ、そうですね。将軍はそれを確認してほしかったのだと思います。イサンドロ国王暗殺の実行犯が『漆黒の腕』である事実。それを陛下の目で確認していただきたかった――つまりはそういうことなのでしょう。そうであれば目的はもう達したかと存じます!! ささっ、どうぞもうお戻りを!!」


 まるで説得するかのような医師の言葉。

 再びセブリアンが怪訝な顔をしていると、その横からヒューブナーも声を被せてくる。


「えぇそうでしょう、そうでしょうとも!! これで将軍の依頼は果たしたのですかから、もう良いのではないでしょうか!! ――この部屋はあまりに酷すぎる。狭く、暗く、そしてとても臭う。高貴な陛下がいらっしゃる場所とは到底思えません!! そもそも大公陛下自らに死体を検分しろなどと、あまりに不敬。戦が終結した暁には、ヴァルネファー将軍に抗議しなければ!!」

 

「……」


「ささっ、陛下。もう行きましょう。将軍の依頼は果たしたのです。これでもう十分でございます!!」



 一国の宰相にしては珍しく、誰に対しても物腰の柔らかいヒューブナー。

 決して感情的になったり大声を出したりすることのない彼だが、何故かこの場においては様子が違っていた。

 まるでこのままを連れて行こうとするかのように、半ば強引な態度で退出を促してきたのだ。

 

 しかし医師と宰相が止めるのも全く意に介さず、セブリアンは最後の死体に手をかけると勢いよく掛け布を捲り上げたのだった。


 


 布の下から現れた一つの死体。

 その姿を見た途端、セブリアンの動きが止まった。


 それは女性だった。

 背の高さは平均的なのだろうが、右脚は足首から先がなく、左脚は膝から下が千切れかかっている。

 そのため上半身に対して下半身が妙に短く見えた。

 掛け布の上からだと妙に小柄に見えたのは、どうやらそれが原因らしい。


 さすがは暗殺者と言うべきか、厳しい世界を生き抜いて来たのがひと目でわかるような細く鋭い吊り気味の眉と険しい面差し。

 閉じられているのでよくわからないが、それでも生前は睨みつけるような鋭い眼差しだったのが想像できる。

 てのひらの半ばから斬り落とされた左手には指が二本しか残っておらず、その上腕には骨まで届く深い切創が残っていた。


 そして一番目立つのが、首元に残る深い刺し傷だ。

 恐らくそれが致命傷だったのだろう。

 そこを中心にして赤黒い大量の血がほとばしり、全身を染めていた。


 しかしこれだけの大怪我を負っていながらも、不思議なことに何故かその唇は微笑むような弧を描いていたのだ。

 それは愛する者へ向けられるような、深く、優しい無償の微笑みに見えた。

 

 

 そんな何処か目を引くような死体ではあったが、決して状態は良いとは言えなかった。

 赤黒く変色した肌と深く落ちくぼんだ瞳。

 頬は削げ落ち、不思議な笑みを浮かべる唇さえも何処か空虚さを漂わせていた。

 どす黒く染められた身体はすでに死後硬直が解けてしまい、むしろぶよぶよと柔らかくなっている。


 すでに生前の面影すら薄くなりつつある死体ではあったが、セブリアンにはひと目でわかった。


 出かけると言ったきり、そのまま姿を消してしまった最愛の恋人。

 ずっと所在を探し続けていた、将来の伴侶。


 最早もはや形にもならないような光景が、まるで走馬灯のようにぐるぐると頭の中を駆け巡る。

 それは過去の記憶だったり、未来の夢だったり、思い出だったりと様々だったが、その中には常に彼女の姿があった。



 死体を前に今や口を開くことさえ出来ないセブリアン。

 その時間はどのくらいだっただろうか。

 10秒、30秒、1分、2分――いやもっとかもしれない。


 まるで永遠とも思える時間を金縛りのように固まり続けることしか出来なかった彼だが、やっとのことで口を開いた。



「ジル……ダ? ジルダ……? ジルダ……ジルダ…… ジルダー!!!!!!」


 今や悲鳴とも咆哮ともとれない悲痛な叫びが、悪臭漂う狭い部屋の中に響き渡った。

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