第241話 送られてきた報告書
「いい加減にしろ!! いったいあれから何日経ったと思っている!? ジルダはいつ戻るのだ!? 組織の返答はまだなのか!? おいっ、早く答えろ!!」
ここはカルデイア大公国の首都ベラルカサにある大公の居城――ライゼンハイマー城。
華美な装飾を排除した些か地味過ぎる一室に、突如怒鳴り声が響き渡った。
それは背が低く、些かだらしなく腹が突き出た中年の男だった。
最近
しかしそれは、その名と地位を
そう、それは誰あろう、カルデイア大公国大公セブリアン・ライゼンハイマーその人だった。
その彼がまるで掴みかかる勢いでカルデイア大公国宰相――ヒエロニムス・ヒューブナーににじり寄る。
まるで癇癪持ちのように感情の起伏が激しいセブリアンではあるが、この国に来て以来
その理由は様々にあるのだろうが、やはりその中でもジルダの存在が大きいのだろう。
生まれて初めて人を愛し、人から愛されたセブリアン。
彼はこの10年で著しい精神的成長を遂げた。
さらに長かった軟禁生活では――大幅に自由が制限されていたとは言え――様々な世俗の
相思相愛、愛する女性とともに過ごす安寧の日々には、これまで彼がどっぷり浸かってきた権力争いも騙し合いも、そして命の取り合いすらもなかった。
あまりに平和すぎる日々は時に暇を持て余すこともあったが、それでもその10年間はセブリアンの性格すら変えてしまうほど穏やかなものだった。
だからと言ってただ平穏無事に過ごしていたわけではなく、穏やかな日々の暮らしに埋没しながらも、いつ
それは何故なら、セブリアンは前大公に世継ぎが生まれなかった場合のスペアでしかなかったからだ。
だからある日突然用無しだとして殺される可能性も高く、この10年は明日をもわからぬ毎日だった。
それはまさに刑の執行を待ち続ける死刑囚に似て、とても心穏やかに過ごせるものではなかったのだろうが、ジルダとの生活に満たされていた彼は、あるがままの現実をそのまま受け入れていた。
結局オイゲンは他に実子を残さずこの世を去ってしまったため、セブリアンが満を持してカルデイアの新大公となったのは周知の事実なのだが。
組織の幹部に会いに行くと言ったきり、ジルダの姿が見えなくなってすでに10日。
初めの一週間はセブリアンもおとなしく待っていたが、さすがにそれを過ぎるとイラつきを隠せなくなってくる。
これまで10年以上に渡ってともに生きてきた最愛の女性。
そのジルダが傍にいないだけでセブリアンの情緒は不安定になってしまい、ここに来てついに堪忍袋の緒が切れたらしい。
突如大声を出しながら執務室に駆け込んできたかと思えば、宰相ヒエロニムス・ヒューブナーに向かって掴みかかってくる。
それにはさすがの宰相も内心慌てたのだろうが、表面上は何事もなかったかのように取り繕った。
「これはセブリアン大公陛下、おはようございます。今朝はまた随分と早いお越しでございますね。執務の時間までは今暫くございますれば――」
「ヒューブナー!! 挨拶などどうでもいい!! 組織に問い合わせると言ってからもう3日。一体いつになったら答えが返ってくるのだ!?」
「大変申し訳ありません。なにぶん組織の所在は秘匿されております故、連絡にはいま暫くお時間がかかるかと――」
「その言葉は聞き飽きたぞ!!
「申し訳ございません。こちらの問い合わせは間違いなく届いているはずなのですが……できますれば、もう数日――」
「いい加減にしろ!! もう待てぬぞ!! 返答が来ないというのであれば、こちらから乗り込むまでだ!! 組織の場所を知る者を連れてこい!?」
ずっと同じ言葉を繰り返すセブリアン。
しかしそんな態度に怯むことなくヒューブナーが
「失礼いたします。たったいま前線のヴァルネファー将軍から早馬が着きました。すでに第一報にてお知らせしておりました通り、
前触れもなく颯爽と入って来たにもかかわらず、部屋に満ちる微妙な空気に思わず言い淀んでしまう一人の男。
数十枚はありそうな紙の束を小脇に抱えて、思わずその場に立ち止まっていた。
それはセブリアン付きの文官だった。
大公には複数の事務方の役人が付いているのだが、その文官はセブリアンが軟禁されていた時からの付き合いだ。
そのためセブリアンが大公の座を継ぐ時に、是非にと連れて来ていた。
そんな担当文官が、自身を見つめる二人の視線に慄きながら、それでも何とか口を開いた。
「ど、どうやらお取り込み中のようですね……後ほど出直しましょうか?」
「そうだな。悪いがまた後ほど――」
「かまわん、報告ならここで読み上げろ。勝ち戦の話でも聞けば、この苛立ちも少しは紛れるだろう」
イラつく大公を慮ったヒューブナーが文官を下げようとすると、それをセブリアンが遮ってしまう。
そしてそのまま報告書を読み上げるようにと促した。
「か、畏まりました。それでは読み上げさせていただきます――」
それから暫くの間、セブリアンとヒューブナーは文官の読み上げる報告を聞いていた。
とは言え、ヒューブナーにしてみれば自分で読んだ方が理解も早く時間もかからなかったのだが、この時ばかりは煩いセブリアンが口を閉じていたのでそれはそれで良しとすることにした。
しかしその報告が佳境に差し掛かったところで、幾つか引っかかるところが出てきてしまう。
そしてその部分をヒューブナーが言及しようとしていると、セブリアンが先回りした。
「おい、少し待て。いまお前は、ブルゴー国王が暗殺されたと言ったか?」
「は、はい。この報告書にはそう書かれております。失礼ながら、再度読み上げます――斥候からの報告によれば、敵将であるイサンドロ国王は推定午前0時から1時の間に暗殺された模様。指揮官用野戦テントが突如騒がしくなったことからも、この情報は信用に足る。我軍はこの混乱に乗じて一気に兵を前進させた……とのことです」
「イサンドロを暗殺だと? ……馬鹿な。言っておくが、俺はそんな指示は出していないぞ。 ――そもそもこの戦は、ブルゴーと本気でやり合うものではなかったはずだ。のらりくらりと
まるで詰問するような口調でヒューブナーを攻め立てるセブリアン。
その顔に胡乱な表情を浮かべていると、珍しく慌てた口調で宰相が答えた。
「はい、陛下の仰るとおりかと。当初の計画では、意図的に戦を長引かせてブルゴーに圧力をかけることになっていました。遠征に慣れていない
「しかしこの報告が事実であれば、イサンドロは殺されたのだ。 ――どうなると思う?」
「まずいでしょうね……それもかなり。国王が討たれてしまった以上、
「……」
「申し上げますが、誓って私はそのような指示は出しておりません。もとよりヴァルネファー将軍には、たとえチャンスがあったとしても敵将――イサンドロ国王を殺すなときつく命じていたのですから」
まるで意味がわからない。
ヒューブナーの顔にはそう書いてあった。
どうやら彼は本当に知らないに違いない。そう思ったセブリアンは、それ以上追及するのを止めてしまう。
ヒューブナーと言えど、生粋のカルデイア人にして代々大公家に仕えてきた有力貴族なのだから、敢えてこの国が不利になることをするはずもないのだ。
ブルゴーと全面戦争をするには、とにかく金も体力も人員も何もかもが足りなすぎる。
まさかその状況で本気で勝ちに行けとも言えず、決して負けないように戦を長引かせろと命じるのが精一杯だったのだ。
勝たなくていい。負けさえしなければ。
結局カルデイアの取った戦略はそれしかなかった。
己の立てた作戦が根底から崩れていく。
そんな悪夢のような光景にヒューブナーが身を震わせていると、まさにギロリと擬音が聞こえてきそうな勢いでセブリアンが睨みつけてきた。
「ふんっ、まぁそれはいい。いずれにしろ、このような大それたことを仕出かした者が近くにいるのは間違いないのだ。これからじっくりと炙り出してやるから覚悟しろ。 ――それで、その暗殺についてもう少し詳しく読み上げろ」
「は、はい……えぇ……少々お待ちを――あぁ、それに関する記述がありました。少し飛ばしますが、これからその部分をお読み致します」
「早く読め!!」
「は、はいっ!! 読み上げます!! ――戦闘が終結した後に敗残兵狩りを行っていたところ、敗走する敵騎兵を発見。それらを捕獲、殺害したところ、所持していた荷物の中に暗殺者と思しき四名の死体を発見した――とのことです」
「なに!? 暗殺者だと!? それではイサンドロを殺ったのは本職の暗殺者だと言うのか!?」
「ど、どうやらそのようです。続きを読みます。 ――発見した死体の服装、所持する武器から推察するに、彼らは暗殺者集団『漆黒の腕』と思われる。男三名、女一名の計四名で、いずれも死後半日程度経っている模様」
「なにぃ!!!! 漆黒の腕だと!!!! それは本当か!?」
「は、はひっ!! そ、そう報告書に書いてありますれば――平にご容赦を!!」
今や激高寸前のセブリアン。
そのあまりの剣幕に恐れをなした文官が、思わず
暗殺者集団「漆黒の腕」を動かすなど、普通の人間に出来ることではない。
それは「漆黒の腕」がカルデイアの子飼いの組織であるためなのだが、それを個人で動かせる者など限られている。
にもかかわらず彼らが動いていたのであれば、それを命じた者を追求せねば納得できない。
事は高度に政治的な様相を帯び始めた。
暗殺を命じたのがセブリアンでもなければ、ましてやヒューブナーでもないとすれば――
そこに思い至ったヒューブナーは何か思うところがあるらしく、セブリアンを落ち着かせようと口をはさんだ。
「陛下。この報告書はいま少しその真偽を確認せねばなりません。できましたら先に私の方で精査して、後日に再度ご説明を――」
「やかましいぞ、ヒューブナー!! ここまで来てその真相を確かめずにおられるものか!! 今すぐに、ここで内容を精査する。いいな!?」
「しかし――」
「俺の言うことが聞けんのか!? 俺はこの国のなんだ? 言ってみろ!!」
一度この状態になってしまうと、誰が何と言おうと全く聞き耳を持たないのはこれまでの付き合いでよくわかっている。
唯一の例外はジルダに
そんな宰相が、半ば諦めたように告げた。
「……かしこまりました。仰せのままに。 ――おい、その暗殺者とやらの記述を抜粋して、再度陛下にご報告差し上げろ。よいな!?」
「はっ!! しょ、承知いたしました!! えぇと……読み上げます、最後の部分です。 ――この報告書とともに、確保した暗殺者の死体を送付する。何卒検分のほどをお願いしたい――とのことです」
「なに? ちょっと待て、暗殺者の死体も送られてきているのか?」
「はい。すでに医務所に運び込んであります。死後数日経っていますので、検分されるのであれば早いほうがよろしいかと思われますが……
文官の言葉に何か嫌な予感を覚えたのだろうか。
再び慌てたようにヒューブナーが口を挟んだ。
「へ、陛下!! その死体はそれほど重要ではないと思われますが。それに状態もあまり良くないらしいですし……検分はこちらでいたしますので、陛下はおやめになったほうがよろしいかと――」
「やかましい!! 一体その死体がなんだというのだ。どうしてわざわざこんなところまで運んできた!? ヴァルネファーとて馬鹿ではなかろう。伊達や酔狂でそのような真似をするわけがない。 ――恐らく何か意味があるに違いないのだ。 ……よし、俺自らが検分してやる、ついて来い!!」
何かを察した宰相が再び慌て始めたのを尻目に、鼻息も荒くセブリアンは送られてきた死体の検分に向かうのだった。
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