第240話 見知った死体

「よし、初戦としては上出来だ。準備期間と兵の練度を勘案すれば、これ以上は望むべくもないだろう」


「あぁ、その通りだな。最初にこの軍を押し付けられた時には一体どうなるかと思ったが、やってみればなんとかなるものだ」


「ふははっ、違いない。正直に言えば貧乏くじを引かされた思いだったが、蓋を開けてみれば予想以上に兵たちはよく動いてくれた。 ――まぁ、本音を言えば敵本体にも多少の打撃は与えたかったがな。思った以上に殿しんがりがしっかりしてやがるから、ほぼ無傷で逃げられてしまった」


「そう言うなダーヴィト。この面子でここまで出来たんだ、これ以上は贅沢というものだ。もっともブルゴーの連中がこれで諦めるとも思えんからな、必ずや引き返してくるはずだ。その時はさらに敵の数も増えているだろう」


「そうか。ならば陛下に初戦勝利の報とともに増援を無心してみよう。もっとも聞き届けられられるかはわからんがな」



 勝利の美酒に酔いしれる兵たちを眺めながら、カルデイア大公国東部防衛軍司令官――ダーヴィト・ヴァルネファーと、その参謀ジークムント・ツァイラーが会話を交わす。

 将軍とその参謀という上下の関係を感じさせないその様は、彼らとてこの勝利に束の間の安寧を味わっているのは間違いなかった。

 事実その手にワイングラスが握られているのがその証拠だ。


 ダーヴィトもジークムントも、本音を言えばこれほど容易に初戦を勝利できるとは思っていなかった。

 何故なら、与えられた部隊のレベルが二人の要求を満たしていなかったからだ。


 確かにその部隊は、人数も揃っているし訓練も行き届いていた。

 幹部の中には10年前の戦役で実際に采配を振った者もいたし、よく知る古参の顔もちらほら見えた。

 しかし直前まで他人の手によって育てられていた部隊は、二人にとって違和感が大きすぎ、このまま実戦に投入したところでどの程度動けるのか全くわからなかったのだ。


 もちろん準備期間が足りなかったのは否めない。

 訓練だけでは練度が不足しているのもそうだ。

 しかし勝利は必須とばかりに満を持して与えられたにしては、それは少々お粗末すぎた。

 とは言え、それは厳しい実戦をくぐり抜けてきた二人だからこその要求の高さであって、一般的には十分な練度を保っているとは言えたのだが。

 

 

 対してブルゴーも初戦勝利は必須だった。

 それもそうだろう。なによりこの戦は自分から仕掛けたものなのだから、初戦から負けるなど世界に向かって恥をさらすに等しいとしか言いようがない。

 だから彼らが率いてくるのは紛れもないエリート部隊のはずであり、当然苦戦が予想された。


 しかし蓋を開けてみれば、あっさりと勝利することができた。

 もっともそれは、敵将暗殺という予想だにしなかった出来事のおかげも大きかったため、ダーヴィトもジークムントも手放しで喜ぶわけにもいかなかったのだが。

 それでもワインを飲むくらいには安堵していた。  


 ブルゴー国王暗殺に関しては、未だ詳細は不明だった。

 もちろん二人ともそのような企てがあるなど一切聞いていなかったし、軍の幹部、部下の誰に聞いても知らないという。

 そんな些か釈然としない思いを抱きながらワイングラスを傾けていると、二人のもとに突如報告がもたらされたのだった。




「なに? 暗殺者の身柄を確保したと?」


 報告を受けたダーヴィトの顔に胡乱な表情が浮かぶ。

 笑みさえ湛えていた顔は再び顰められ、今や彼は鬼の将軍に戻っていた。

 それを見た報告者は、睨みつけるような視線に耐えられず直立不動になってしまう。


「はっ。正確には『暗殺者らしき者の死体』です。敗走する敵兵を捕らえましたところ、奴らが怪しい死体を運搬中だったのです。どうやらそれが暗殺者のような格好をしているとかで、もしやと思いまして」


「そうか。ではその死体とやらをここまで運んでこい。俺自らが検分してやろう」


「承知いたしました。しかし――」


「どうした? なにか問題でもあるのか?」


「いえ、その……失礼ながら申し上げますが、少々死体の状態が良くありませんので……ご覧になっても、あまり愉快なものではないかと」


「ふんっ。これまで死体など、戦場で腐るほど見てきたわ。いまさら驚きもせん。くだらんことは気にせずに、さっさと持ってこい!!」


「はっ!! か、かしこまりました!!」




 それはほんの偶然だった。

 カルデイアの兵たちが敗残兵を探していると、大きな荷物を抱えて走り去る複数の騎馬を偶々たまたま見つけたのだ。

 その装飾からブルゴー兵だと瞬時に判断した兵たちは、瞬く間に追いつくと寄ってたかって皆殺しにしてしまう。


 騎士の死体の横に残った、複数の大きな頭陀袋ずだぶくろ

 わざわざ持って逃げるくらいなのだから、余程大切なものに違いない。もしかしたらお宝でも入っているのだろうか。


 などと思ったカルデイア兵たちが、期待に胸をときめかせながら袋を開けてみると――中から複数の死体が出てきた。


 皆一様に真っ黒な衣装に身を包み、中には顔まで隠している者もいる。

 それはどう見ても普通の兵士や騎士などではなく、暗殺者かそれに類する者のようにしか見えなかったのだが、敢えてそんなものを運ぶ意味がわからない。


 わざわざ戦場から運び出すくらいなのだから、当然重要な死体に違いないのだろう。

 しかしすでに死体と化してしまった騎士たちは、今さら何も答えない。

 

 その時突如思い出したのだ。

 上官が暗殺者について訊きまわっていたことを。




 なんとなくそんな雰囲気ではなくなったダーヴィトとジークムントが酒を飲むのをやめて待っていると、そこにくだんの死体袋が運び込まれてくる。

 全部で四個のそれは皆一様にどす黒く染まり、中には未だ赤黒い液体が滲んでいるものさえあった。

 そんな見るからに中を覗くのが憚られるようなものを、少し眉を顰めただけで二人はまるで躊躇なく検分していく。

 

 話に聞いていたとおり、それらは暗殺者の衣装を纏っていた。

 ひとりは首から上がなく、ひとりははらわたをぶちまけて、そしてもうひとりは膝から下が無くなっていた。

 その惨状でも言葉を発することなく淡々と検分を進める二人だったが、最後の死体に取り掛かった時その瞳を見開いてしまう。


「こ、これは――」


「もしや……この御仁は……」


 そう。思わず二人が動きを止めたのは、最後の死体――ジルダのそれを見た時だった。

 あまりに酷い有様に初めこそ気づかなかったが、その死体をよく見ればそこには間違いようのない面影があったのだ。



 ここに来る前、彼らは数度セブリアンに会っていた。

 この戦を任された時、軍の編成が終わった時、出陣に際して挨拶に出向いた時。

 思い出すだけでも都合3回は会っているのだ。


 セブリアンに会えば当然ジルダにも会っている。 

 専属護衛として、そして愛人として、公私に渡って常に傍に寄り添い続ける彼女は、必ずセブリアンの横に立っていた。


 身長こそ平均的だが、細く華奢に見えてそのじつ鍛え抜かれた筋肉質な肢体。

 常に周囲を睨みつけるような鋭い瞳と、薄く小さな唇。 ――そして一度見たら忘れられない、頬に走る大きな刀傷。

 年の割に若く見える整った顔は、如何に血で赤黒く汚れていたとしても、ダーヴィトとジークムントにして見紛うはずもなかった。

 


「これは……ジルダ殿……だよな?」


「おい、これを見ろ。この頬の傷……見覚えがあるだろう? それにこの剣はあの・・『漆黒の腕』のものだ。さらにこの衣装もそうだ。 ――彼女の本職があの組織の暗殺者であるのは有名だからな。まず間違いない」


「そうだな。俺もそう思う。 ――しかし何故彼女が……? この3人は仲間なのだろうな。ということは、彼女は個人ではなく組織として動いていたということか?」


「そのようだな。そして組織が動くということは、その裏にはそれなりの意図が働いているはずだが……俺もお前も聞いていないのだよな」


「そのとおりだ。仮に暗殺者が動いたのであれば、我々に一言あって然るべきだろう。 ――おかしい、何かがおかしい」


「あぁ……この裏には普通ならざる意図が感じられる。それも屈折した何かだ」



 血塗れのジルダの死体を前にして、腕を組んで思案に沈み込んでしまうダーヴィトとジークムント。

 しかし物言わぬ死体は最早もはや何も語ろうとはしない。

 それでも二人が暫く思案していると、おもむろにジークムントが口を開いた。



「しかし……これは酷いな。これを陛下に見せるのか……」


 思わず呟いた盟友の言葉に、視線を落としてしまうダーヴィト。

 するとその視界に再び惨状が広がった。


 指を3本斬り落とされた左手と、今や足首から先を失った右脚。左脚は膝から下が千切れそうになっており、首には大きな傷跡が残る。

 ひと目見ただけでも、それは酷いものだった。

 もしもこれが生きたままこうなったのであれば、その苦痛は想像に余りある。


 恐らく首が致命傷なのだろう。

 大量に吹き出した血で全身を赤黒く染めた姿は、あまりに酷すぎてとても直視できるものではなかった。


 しかし彼らにはやらねばならぬことがあったのだ。

 それはジルダの死体を首都に送ってセブリアン自身に検分させることだった。


 愛する女性の惨殺死体を見せられる、セブリアンの思いは如何ばかりか。

 それを想像すると、百戦錬磨の二人とて気が進まないのも無理はなかった。



 そんな同僚を労るように、ジークムントが口を開く。

 その顔には苦虫を100匹纏めて噛み潰したような表情が浮かんでいた。


「陛下か……お前同様、俺だって気は進まんよ。俺にはテレジア、お前にはエミーリアという愛する女がいるからな。その惨殺死体を突然目の前で見せられてみろ、発狂しない自信はないな」


「まぁな、確かにそうだろう。俺なら絶対に正気を保てないだろうな…… しかし俺が心配しているのはそういうことではないんだ。 ――いいか? 誤解を恐れずに言うならば、大公陛下にはどうしてもこの国を守り抜かなければならない大義はない。わかるか?」


「あぁ、わかる。陛下自身はこの国に愛着もなければ守り抜く気概もないだろう。敢えて理由を探すなら、それはジルダ殿がいるからだ。この先も彼女とともにいられるためにこの国を守る。陛下の原動力はそこにしかない」


「……だよな。であれば、この死体を送りつけたらどうなると思う?」


「それは……」



 その先を想像した二人は、まるで問いかけるようにジルダの死体を見つめてしまう。

 しかし今や物言わぬ肉塊と化した彼女は、決して何も答えてはくれなかった。

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