第239話 王配殿下と先王殿下

 突如招集されたブルゴー王国の重鎮たち。

 その目の前で現国王イサンドロの崩御と、次期国王即位の報がもたらされた。

 

 国王の崩御など、普通であれば国をひっくり返すような大騒ぎになるはずだ。

 しかし何故か殆どの者たちは淡々とその事実を受け入れていた。

 中には実父である先王アレハンドロもいたのだが、その彼にして息子の死を――内心は別にして――粛々と受け入れているようにすら見えた。


 もちろん一部には酷く狼狽えた者がいたのも事実だ。

 しかしその殆どは所謂いわゆる「イサンドロ派」と言われる派閥の者たちであり、その数は非常に少なかった。


 現国王でありながら、自派閥の者たちが妙に少ない。

 それはイサンドロの人望の無さの裏返しと言っても過言ではなく、その証拠に国王の逝去に心を痛める者よりも、次期国王――エルミニア王妹殿下の即位を内心喜んでいる者の方が圧倒的に多かった。



 いや、より正確に言えば、彼らはエルミニアの即位自体を喜んでいるのではなく、その夫――勇者ケビンが王配になることに希望を見出していたのだ。

 重鎮たちの反対を押し切ってまで隣国に戦を挑んでおきながら、決して良い結果になりそうになかったこの昨今、ケビンであればなんとかしてくれると誰もが思った。


 「魔王殺しサタンキラー」の異名を持つ勇者ケビンは、ブルゴーの武の象徴として広く国民から慕われている。

 とは言え、実際に戦うところを見た者が少ないため、その実力を疑問視する者がいるのもまた事実だ。


 それでも数少ない目撃証言によってケビンの人間離れした強さは知られていたし、そもそもあの伝説の魔女――アニエス・シュタウヘンベルクが残した唯一の弟子なのだから、その強さは推して知るべしだろう。


 そのうえ今から10年前、俗に「セブリアン失脚事件」と呼ばれる国家乗っ取りの危機では、その陰謀を暴き出したのも、犯人一味を捕らえたのも、第一王子を捕らえるようにと先王を説得したのも彼だった。

 さらに被害者であるハサール王国に単身乗り込んで話をつけてきたのもケビンだし、それ以来水面下でハサールとパイプを持ち続けているのも彼の尽力だった。


 加えて「ブルゴーの美姫」とまで謳われたエルミニアを妻に娶り、その間に四男四女の子を儲けた仲睦まじい夫婦像は、今や多産・富国の象徴として崇められていた。

 今では「産めよ増やせよ」と言わんばかりに子をたくさん産むのが国民の間にも流行るほどで、国の人口増加に対する二人の貢献はまさに計り知れない。


 もっともケビンはそれについて訊かれても「自分たち夫婦がスケベなだけだ」と一笑に付すだけだったし、エルミニアに至っては顔を真赤にして俯いているだけだったのだが。



 そんなわけで、今では誰もが認めるの英雄と言っても過言ではない勇者ケビン。

 その彼が王配として国の支配者の片割れになることを喜びこそすれ、異を唱える者などいるはずもなく、ほぼ満場一致でその即位を歓迎されていた。

 もっともこれは王室法に記載された正当な王権譲渡にあたるため、誰であろうと異議を唱えるなどできるはずもなかったのだが。

 

 最早もはやイサンドロ逝去への悲しみなど何処へやら、新女王誕生の瞬間にその場は湧いた。

 それはイサンドロの人望の無さと言えばそのとおりなのだが、それにしてもその様は、一国の元首の交代の場としてはあまりと言えばあまりと言えた。


 しかしその場の誰もそれを指摘する者などおらず、その後も淡々と会議は進んでいったのだった。


  


 エルミニアの口上が一頻ひとしきり終わると、再び宰相マザランが場を仕切り始める。

 そして先程中断した話題に話を引き戻した。


「イサンドロ陛下が暗殺された直後、まるで図っていたかのように敵軍が襲いかかってきました。その結果我軍はかなりの距離を後退せざるを得なくなったのです」


「軍の損耗は如何ほどか? 撤退の距離は?」


 最前列に座る財務大臣が胡乱顔で質問をする。


「はい。報告では東へ10キロほど押し戻されたようです。しかしクールベ将軍の采配により西部軍本体の被害は最小限で済んだと聞いております。もっとも北と南から投入した援軍は敵中で孤立してしまい、各個撃破の対象になってしまったようですが」


「各個撃破だぁ!? なんだそれは!? 話によれば、そこまでの戦力差ではなかったはずだ。何故にそんなことになったのだ?」


「指揮系統の混乱だそうです。此度こたびの戦に関しては、いかんせん準備期間が短かすぎました。それ故、元々のクールベ将軍旗下の西部軍はいざ知らず――言い方は悪いですが――それ以外はグダグダだったそうです」


「グダグダ……もとより遠征軍を持たない我軍にとって、彼らは貴重な戦力であるというのに……そもそも一体誰がそんな采配を……」


 そこまで言うと、突如財務大臣は口を閉じた。

 何故なら、その采配を振るったのが前国王イサンドロであることを、彼だけに限らずこの場の全員が思い出していたからだ。

 今さら言っても詮無いことだが、死した人間を悪く言うのはさすがにはばかられた。



 気まずい空気が蔓延してしまい、なんとなく誰も口を開こうとしないでいると、今度は左手から声が上がった。

 見れば大臣の中でも未だ若手と言われる農林大臣だった。

 その彼が若者らしく勢いよく立ち上がると、大きく口を開いた。


「宰相殿、話はわかりました。しかしこれからどうされるおつもりなのですか? 此度こたびの戦はこちらから始めたもの。そうであるのに、初戦から負けをつけられた挙げ句に撤退など……周辺国のいい笑いものではないですか!!」


「あぁ、メイナード侯爵。相変わらず血気盛んで勇ましいですな。勢い溢れるその若さは、私のような者には眩しすぎる。 ――と、冗談はさておき、その件につきましては、こちらにおわしますコンテスティ公ケビン王配殿下からご説明がございます。ぜひ御拝聴なされるがよろしいかと」


 若さゆえ勢いに任せて口走ったメイナード農林大臣――レスター・メイナード侯爵を宥めるように見えて、そのじつ皮肉をぶつけるマザラン宰相。

 そんな二人の姿に苦笑を浮かべながら、今や「コンテスティ公」などという大仰な名で呼ばれることになったケビンが一歩前へ出た。



「マザラン宰相殿……これまで通りケビンでいい。『公』だの『王配殿下』だのと呼ばれると背中が痒くなる」


 何気に苦言を呈する勢いでケビンが言及すると、突如身を寄せたマザランが耳元で小さく囁いた。


「無礼を承知で申し上げますが、今や貴方様は一介の御仁ではないのです。臣下の手前示しがつきませぬ故、そう呼ばせていただきたく存じます。 ――それに否やはございません。何卒ご了承くだされば。よろしいですね? コンテスティ公ケビン王配殿下」


「……そ、そうか。わかった」



 その出自が平民でしかないケビンではあるが、今では「コンテスティ公爵」と呼ばれる準王族の地位に収まっている。

 それは彼が第二王女――王族であるエルミニアと結婚するためにコンテスティ家に養子に入ったためなのだが、その後本当の跡取りが急逝したため、そのまま彼が家名を継いでいたのだ。


 もっともそれは、跡継ぎを亡くした前コンテスティ公爵夫妻には渡りに船だった。

 王族から妻を迎えた以上、今後コンテスティ家は王家の親戚になるのだ。

 それがたとえ血の繋がらない養子のケビンであったとしても、彼がコンテスティの名を未来に繋いでくれるのであれば、彼らに不満などあろうはずもなかった。


 そんなケビンは、妻のエルミニアが女王に即位すると「コンテスティ公ケビン王配殿下」などという些か大仰な名前で呼ばれるようになってしまう。

 しかし如何に本人が嫌がっていようと、臣下の手前その呼び名を崩すわけには絶対にいかなかった。

 それは国王の権威を守るべく役目を司る宰相マザランの譲れない一線らしく、幾らケビンが嫌がろうとも一切聞かなかったのだ。


 

 名を呼ばれるたびに不快感を隠さないケビン。

 少々子供っぽい意外な夫の姿に微笑みながら、今や女王となったエルミニアが促した。


「さぁ、あなた。皆にご説明を」


「あぁ、わかった。 ――それでは俺の口から先程の質問に答えよう。これからどうするのか――そうだったな、メイナード侯爵。発言を許すから、遠慮なく言ってくれ」


 そう言うとケビンは、28歳の年若い農林大臣に話を振った。

 するとメイナードは直立不動になりながら口を開いた。


「は、はい!! 恐れながら申し上げます。説明によればクールベ将軍の軍は瓦解したとか。王配殿下より、ぜひこの先の展望をお聞かせいただければ」


「まず言っておくが、クールベ将軍の西部軍は瓦解などしていない。あくまでも北と南から送った臨時の編成軍が敗走しただけで、彼の軍は未だ無傷のままだからだ」


「無傷……」


「そう、無傷だ。しかしイサンドロ陛下暗殺による現場の混乱は如何ともし難く、やむなく軍を後退させた。そんな状況だと聞いている。 ――将軍の名誉のために言うならば、彼だからこそ成し遂げられた見事な戦略的撤退だったと俺は理解している」


「承知いたしました。それでは、その臨時編成軍はどのように?」


「あぁ。敵将はあの・・ダーヴィト・ヴァルネファーとジークムント・ツァイラーだと聞いている。敵ながら彼らは、その名に恥じぬ働きを見せてくれたらしい。 ――つまり、臨時編成軍はほぼ壊滅したということだ」


「ほぼ……壊滅……」


「そ、そんな……」



 ケビンの口から語られた衝撃の事実に、部屋中の者たちが声なき声を上げてしまう。

 臨時編成軍とは大した人数でもなさそうに聞こえるが、その実態は軽く二個連隊に匹敵する。

 その人数を初戦で失ってしまったのだ。それはあまりにも痛すぎる。

 特にこの戦はこちらから仕掛けたものなのだから、言うなればそれは「返り討ちにされた」に等しかった。


 しかし、いまさらそれを言ったところでどうにもならない。

 幾ら悔やんだところで死んだ者は生き返らないし、戦の鉾を収めることも出来ないからだ。

 

 などと、そんなことを皆が考えていると、今度は別のところから声が上がった。



「それではどうするつもりだ? よもや撤退させるつもりではあるまいな」


 低く太く、それでいてよく通る大きな声。

 まるでどうすれば部屋中に響くのかを知り尽くしたような、少々演技じみた聞き慣れた声。

 その主を探して視線を向けると、そこにはイサンドロとエルミニアの実父――先王アレハンドロの姿があった。


 息子の訃報を聞きながらそれでも努めて冷静さを装った彼は、まるで試すかのように娘婿に声を放つ。

 その目的は質問の答えを聞くことではなく、それに対するケビンの対応を見極めるためなのは明白だった。


 そんな義理の父親に、しかし全く臆することなくケビンは言い放った。



「それはないと断言しましょう。自国の王が殺されたのです。それが正々堂々戦った末の戦死であればまた違ったかも知れませんが、卑劣にも陛下は暗殺されたのです。そのような仕打ちを受けながら、こちらから兵を引くなど絶対にあり得ません。それこそ周辺国から負け犬の烙印を押されてしまうでしょう」


「ほう……ではどうするつもりだ? 此度こたびの戦……引き際は難しいぞ。なによりこちらから仕掛けた戦なのだからな。 ――ケビンよ、お主であれば何とする?」


 まるで試すような先王アレハンドロの言葉。

 それに対して全く気後れせずに、ケビンは答えを返した。



「もしもイサンドロ陛下がご無事であったなら、如何様いかようにもやり方はあったでしょう。カルデイアを追い詰めてからの和平交渉、賠償金の支払い要求、領土の割譲請求など、それこそ幾らでも思いつきます。しかし王が殺されてしまった以上話は変わります。 ――つまり、今のこの状況で我々が取るべき手段は、一つしかないということです」


「……ふむ。では、その一つとは?」


「決まっています、カルデイアの滅亡です。現状それしかあり得ません。王を殺されたのであれば、相手の王もまた殺すしかない。 ――つまりは武力によってカルデイアを滅し、セブリアンの首をねる。そのためであれば、私はこの身を粉にしてはたらいてみせましょう」


 痩せて幽鬼のような風貌のまま、ケビンは真顔でそう言い放つ。

 病的に落ちくぼんだ黒い両目には、今や爛々と光が満ちていた。

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