第238話 女王の誕生

 何処とも知れぬ道端でジルダがその儚い生涯を閉じた頃、ブルゴー王国軍と睨み合いを続けていたカルデイア大公国軍は突如敵の異変に気付き始めた。

 

 この大人数で夜戦は行えない。

 そのため開戦するなら夜明けだろうと構えていたが、それを待たずにブルゴー軍が動き出したのだ。

 未だ夜も明けきらぬ薄暗闇にもかかわらず、突如騒がしくなる敵軍。それに気づいたカルデイアに突如緊張が走り抜ける。


 しかし多数の人間が落ち着かなげに走り回っているだけで、どう見ても戦闘準備などではないらしい。

 何か事件でも起こったのだろうか。声高に何かを叫びながら皆一様に動揺を隠せない様子だった。



 此度こたびの戦にはブルゴー国王自らが出向いており、敢えて最前線に陣を張って敵との直接戦闘も辞さない構えらしい。


 事前にその報告を受けたカルデイアの将軍――ダーヴィト・ヴァルネファーは、思わず耳を疑った。

 何故ならそれは、にわかに信じ難い話だったからだ。


 その名の通り「国王」とは国の元首であり、封建制度が幅を利かすこの時代においては国の所有者そのもの言っても過言ではない。

 にもかかわらず、そんな人物が戦の最前線に身を置くなど常識的にも考えられなかった。

 もしもその話が本当であるなら、国王自身もそうだが、それを許した側近連中も相当な愚か者と言えるだろう。

 

 今まで聞いたことはなかったが、イサンドロは相当腕に覚えがあるのか、はたまたただの馬鹿なのか。

 前者であればよし、もしも後者であるなら些かがっかりと言ったところか。

 などと、そんなことをダーヴィトが考えていると、突如斥候が戻ってくる。

 そして将軍ダーヴィトと参謀ジークムントの前で報告を始めた。



「申し上げます。つい先程敵軍に動きがありましたが、どうやら軍事行動ではないようです」


「そうか。では、あれはなんなのだ? なにやら酷く混乱していたようだが」


「はっ。どうやらイサンドロ国王が暗殺された模様です」


 顔色一つ変えず、さらりと斥候は言い放つ。

 しかしその内容は決して軽く言えるようなものではなく、ダーヴィトもジークムントも思わず驚愕してしまう。


「はぁ!? なんだそれは!? そんな話は聞いてないぞ!! そもそも――」


「……それは確かなのか? よもやブルゴーの策略などではあるまいな? 我々をおびき寄せるための……」


 あまりに斜め上の報告に感情的に大声を上げてしまうダーヴィトと、目を細めてなにやら思案顔のジークムント。

 その対象的な姿を見ていると、片や猛将と謳われて、片や知将と讃えられる理由がよくわかる。 

 そんな二人に交互に視線を向けながら、尚も斥候が報告を続けた。


「策略……確かにその線も捨てきれないでしょう。実際私もそれを警戒したのですが、なにぶん敵前線には箝口令かんこうれいが敷かれているらしく、兵たちもよくわかっていないのが現実です。そのため詳細は不明です」 


「そうか……では、お前はどう見る? 実際に見てきた者の忌憚ない意見を聞きたい」


「……はい。これはあくまでも私個人の感想ですが、国王が暗殺されたのは事実ではないかと。場所を隠していましたがあれは間違いなく国王のテントでしたし、我々などそっちのけで上層部が対応に追われていました。あの慌てよう……あれを意図的に演出しているのであれば、相当な役者ではないかと思います」

 

「ふむ……なるほど。で、ダーヴィト――お前は?」


 斥候に思案顔を返しながら、今度はダーヴィトに話を振るジークムント。

 幼馴染のこの二人はプライベートでは気安い口調を隠さないが、公の場では将軍とその参謀という立場から互いに一線を引いている。

 しかし他に斥候一人しかいないこの場ではそんな気遣いすら放棄しており、変わらずぞんざいな口調で答えを返した。



「国王の暗殺かぁ……にわかには信じられんな。そもそも俺は何も聞いていないぞ。もしもそれが本当なら、一体誰が何の目的でそんなことをした? ――なぁ、ジークムント、おかしいと思わないか? 敵軍を崩すのが第一の目的であるならば、我々と連携するのが普通だろう? 違うか?」


「あぁ、お前の言うとおりだ。連携して我々が動くのならいざ知らず、事前の連絡もなしに単独で敵将を暗殺するなど……全く意味がわからん」


「確かに。しかし、どうやらその話は本当らしいな。軍の総大将であると同時に一国の国王でもある人物が討たれたのだ、奴らの動揺は察するに余りある。 ――であれば、むしろこれは好機ではないのか?」


「ならば、どうする? 我が軍の最高司令官として問いたい。この機に乗じて動くか?」


 突如ニヤリと笑みを浮かべると、まるで試すかのようにジークムンドが問いかける。

 するとダーヴィトは、片方の口角だけを上げた何処か皮肉そうな笑みを作りながらおもむろに立ち上がった。


「当たり前だ!! これを好機と捉えずしてどうする? ――よし、ジークムント、全軍に伝えよ!! 夜明けとともに攻撃開始だ、一気に蹴散らしてやる!!」


「はっ!! 承知いたしました!! ご武運を!!」




 ――――




 場所は変わって、こちらはブルゴー王国。

 対カルデイア戦争の最前線で、国王イサンドロが暗殺されてから数時間後の王城内。

 未だ夜も明けきらぬ薄暗い会議室に、数多の者たちが集まっていた。

 

 時間も時間であるうえに討議の内容も内容であるため、今ここに呼ばれているのは国の基幹に関わる者たちだけに限定されていた。それは王族、王室関係者に始まり、王国府の役人や各部門の大臣とその補佐など多岐に渡る。


 さすがは人口150万を擁する中規模国家と言うべきか。

 呼び出す者を大幅に制限していても、すでにその人数は50名を超えていた。

 冬だというのに汗が滲むほど熱気に満ち、決して狭くはない部屋が今や手狭に感じるほど人で溢れかえっている。



 未だ彼らには国王崩御の報は知らされていない。

 それは可能な限り混乱を避けたい上層部が意図的に情報を遮断しているためなのだが、こんな明け方に突如招集をかけられてしまえば、彼らとて察してしまうのも無理はない。


 箝口令が敷かれているため余計なことは言えないが、それでも彼らは何か予感するものがあったらしい。

 部屋の中で見知った顔に会った途端、皆口々に噂を口にし始めていた。

 

 ざわざわと些か騒がしい会議室。

 突如その場に大声が響き渡った。


「皆様静粛に!! ――このような夜分にもかかわらず突如お集まり頂いたこと、まずは心より感謝いたします。時間もないゆえ、このまま前口上抜きで始めさせていただきますが、よろしいでしょうか?」


 言葉遣いは丁寧だが、何処か威圧感を感じさせる低い声。

 それを合図にして騒がしかった室内が一変すると、好き勝手に噂話に興じていたのも何処へやら、今や会議室は静寂が支配していた。

 その様子に満足そうな視線を向けながら、ブルゴー王国宰相――フェリクス・マザラン公爵が歩みを進める。

 するとその後から、エルミニア王妹殿下とその夫のケビン・コンテスティ公爵が続けて姿を現した。



 イサンドロが国王になってからというもの、エルミニアもケビンもこのような席に呼ばれたことはない。

 それは彼ら夫婦――主にケビンに対して――に些か思うところのあるイサンドロが意図的に避けていたからだ。

 もっとも、如何に国王の親戚とは言え現在の「護衛騎士指南役」などという字面で見てもよくわからない役職では、ケビンとて国の重要会議に出席などできるはずもなかったのだが。


 何はともあれ、まずはその二人が現れたことに皆驚きを隠せなかった。

 それと同時に、自身の予想が決して外れていなかったことに今更ながらに気づいてしまう。


 王命により幽閉されているはずの勇者ケビン。

 釈放されたと聞いていない以上、ここに姿を見せているのには退きならない理由があるはずだ。

 そもそも彼を幽閉したのはイサンドロ自身であると誰もが知るところだ。

 その本人が首都から遠く離れているにもかかわらず、ケビンが牢から出されているということは――



「皆様、ご無沙汰しております。王妹のエルミニアでございます。このような火急の招集にもかかわらず快くご足労いただけましたこと、マザラン宰相同様、心より感謝申し上げます」


 出席者たちが物思いに耽っていると、次に少々甲高い透き通るような声が響き渡った。

 聞きようによっては10代の少女のようにも聞こえるその声は、国王イサンドロの妹――エルミニアのものだ。

 決して大きくない体躯の彼女が部屋の隅々まで届かせようと懸命に声を張る。するとその脇を、夫――勇者ケビンが守るように控えていた。


 ケビンは柔和な人柄だとよく言われるが、今の姿を見る限りおよそそうは見えなかった。

 数ヶ月に及ぶ幽閉生活のためにすっかりやつれてしまい、頬はこけ、眉間に刻まれた深いシワのせいで、今や恐ろしいとさえ言えるほどその顔は厳しく見える。


 そんな夫に労わるような微笑みを向けると、エルミニアは再び話を続けた。



「皆様、このような席ゆえ単刀直入に申し上げますが――イサンドロ国王陛下が崩御されました。勇敢にも最前線にて戦闘中に、卑怯なるカルデイアの暗殺者によって無慈悲に討たれたのです」


「や、やはり――」


「そうか……予想はしていたが――」


「う、うむ……」


 ざわ……ざわ……ざわ……


 国王の死去などという国家の一大事であるにもかかわらず、室内が少々ざわついた程度で不思議と大声を上げる者は一人もいなかった。

 それはその知らせが彼らの想定内であった証拠でもあるのだが、それでも室内には困惑した空気が漂い始める。

 するとそれを払拭するかのように、再びマザラン宰相が声を響かせた。



「静粛に!! ――突然の訃報に対し、皆様の悲しみ、怒り、そして困惑は計り知れないでしょう。しかし今は戦時中、いつまでも悲しんでばかりいられないのです。国家の運営に間断は許されません。即位の義を終えなければ正式なものにはなりませんが、急遽ここに次の国王の内定をお知らせ致したい所存です」

 

「おぉ……」


「ついに……」

 

 再び喧騒が会議室を支配する。

 しかしそれも数瞬で、すぐにそれは収まった。

 何故なら、続けて再び甲高い声が発せられたからだ。


 もちろんそれはエルミニアだ。

 自国の王であり、実の兄でもあるイサンドロの突然の訃報にもかかわらず、毅然とした態度で宣言したのだった。


「我、エルミニア・フル・コンテスティは、亡きイサンドロ陛下の御遺志を継ぎ、ブルゴー王国第18代女王エルミニア・フル・ブルゴーとして即位致します。 ――なお、正式には後日行われる即位の義の後になりますが、なにぶん戦時中ゆえ略式にてご了承頂きたく存じます」


 注がれる数多の視線にまるで臆することなく、エルミニアはゆっくりと臣下たちを見渡していた。

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