第236話 裏切りと自業自得

 ブルゴー王国西部国境からカルデイア大公国側へ50キロ。

 そこには現在繰り広げられている二国間戦争の最前線がある。


 ブルゴー側から宣戦を布告し、且つ一方的に侵攻を始めてからすでにひと月が経っていたが、未だ大規模な戦闘が始まらないまま睨み合いに終始していた。


 当初ブルゴーは圧倒的戦力で一気に首都まで攻め上るつもりだった。

 しかし突如降って湧いたような戦だったせいもあり、戦力、補給、国内での摺合せなどその他諸々の全てにおいて準備が足りず、いざ出兵したところで敵地のど真ん中で足踏みを余儀なくされてしまったのだ。


 自ら戦を仕掛けておきながら、実は準備不足だったとはこれまた冗談のような話だが、事実なのだから仕方がない。

 そもそもブルゴー王国は、その長い歴史の中でも他国に侵攻した経験はない。

 所有する軍隊の殆どは国境沿いに配置された防衛部隊ばかりで、補給線を確保しつつ他国へ侵攻するなど誰もしたことがなければ、ノウハウすら持っていなかった。


 確かに北のアストゥリア帝国とは長年に渡って小競り合いを続けているが、それとて国境沿いで小規模な戦闘を繰り返しているだけだし、現在休戦中の南の魔国に至っては基本的に自衛戦闘が中心だった。

 その魔国については、勇者ケビンを中心にした部隊によって魔王を討った経緯はある。

 しかしそれも少人数による言わば特殊潜入作戦のようなものだったので、そこに軍自体の関与はなかったのだ。

 


 そんな事情もあり、それなりに強い軍隊を持っていながらその殆どが防衛用の軍でしかないブルゴー王国は、一切経験のないまま初めて他国へ侵攻する羽目に陥ってしまう。


 深く敵地に侵攻するには、それなりの規模の軍が必要だ。

 しかしはなから侵攻軍など持っていないブルゴー王国は、代わりに他部隊からかき集めようとした。

 とは言え、如何に西部に軍を集める必要があるとしても、北のアストゥリア帝国と南の魔国に対する防衛部隊まで注ぎ込むわけにもいかない。


 その結果、本来の西部軍と広く浅く集めた北部、南部、そして元々少ない東部軍を加えた混成部隊ができあがったのだが、その規模は元の五割増し程度でしかなかった。

 しかもその指揮系統は様々なしがらみから複雑怪奇なものになってしまい、現場の混乱に増々拍車をかける始末だ。



 遠征の経験もなければノウハウもなく、しかも今や規模が大きいだけの寄せ集めのようなていをなしてしまった西部軍は、様々な混乱を抱えながらノロノロと西進していく。


 しかしそれを敵地で待ち構えていたのが、未だ猛将、知将としてその名を轟かせるダーヴィト・ヴァルネファーとジークムント・ツァイラーだったものだから、ブルゴーにとっては最悪だった。

 確かに両名ともに急ごしらえの混成部隊を持たされただけにすぎない。

 しかし、厳冬期にもかかわらず遠い異国に遠征させられた兵たちと、自国を守ろうと愛国心に満ち溢れた兵たちとでは士気からして大きく違う。


 片や慣れない土地に戸惑いながら寒さに震えて進軍するブルゴー兵、片や地元の住民たちに歓迎されながらじっくりと防衛陣地を敷くカルデイア兵。

 いざ彼らが戦場で相まみえた時には、その数的規模以上の差が出来上がっていたのだった。




「えぇい、どうしてどちらの兵も動かないのだ!? 一体どうなっている!?」


 ブルゴー王国西部混成軍が現地に布陣してすでに3日。

 先頭に立って現地入りしたブルゴー国王イサンドロは、遠く離れた山際に敵――カルデイア軍の姿を認めながらも、一歩も動けずにいる自軍に苛立っていた。


 今も主だった将軍、武官を集めて「作戦会議」という名の説教をぶちまけているところだ。

 しかし黙ってそれを聞く部下たちは、些か釈然としない面持ちで嵐が過ぎ去るのを待つばかりだ。


 敵地の中で足踏みさせられる焦りは十分理解できる。

 しかし1ヶ月も前から侵攻するぞと脅し続けていたのはブルゴー側なのだし、それに対して十分な準備をしてきたカルデイアに憤るのは、まさにお門違いと言えよう。

 しかも相手が実戦経験豊富な猛将、知将で有名なダーヴィト、ジークムント両将軍なのだから、その布陣に隙がないのも仕方がない。

 

 決して口にも顔にも出してはいないが、その場の全員がそんなことを考えていると尚もイサンドロはヒートアップしていく。

 まるで怒鳴れば物事が上手く運ぶとでも思っているかのように大声を出し続ける様は、王座に就く以前の彼では最早もはやなくなっていた。


 

 元来イサンドロは物腰が柔らかく、笑顔の似合う好青年として認知されてきた。

 今ではその姿がフェイクであることは広く知られているが、それでもここまで大仰に怒鳴り散らすような人物ではなかったはずだ。

 少なくとも王城にいた頃はもっと余裕のある態度だったし、時折怒鳴ることはあっても今のように感情に任せるほどではなかった。


 その原因を考えてみると、やはり全てはこの戦のせいだった。

 偽計を弄してまでケビン抜きで戦を始めてみたものの、次から次へとまるで嫌がらせのように問題が発生し、挙句の果てに敵の首都に攻め上るどころか初戦の勝利すら危うい。

 このあまりと言えばあまりな見込み違いは全てイサンドロ自身の責任ではあったが、どうやら彼はそれを認めたくないらしく、今も絶賛責任転嫁中だった。



 そんなブルゴー王国第17代国王イサンドロ・フル・ブルゴーに唯一物申せる者がいた。

 それはブルゴー王国西部辺境伯にして西部軍最高司令官でもある、コランタン・クールベ伯爵だ。


 爵位で言えば中位に位置する伯爵でありながら、ブルゴー王国最古の貴族家でもあるクールベ家は王国中の貴族家から一目置かれていた。

 そしてその現当主を務めるコランタンは、西部軍の所有者そのものでもあるため、誰もその彼に逆らおうとする者はいない。


 言わばその爵位以上に力を持つコランタンではあるが、その朴訥とした人柄は先王アレハンドロからも慕われ、信用されてきた。

 そんな現在58歳の老練な将軍が、荒れまくるイサンドロにやんわりと声をかける。



「陛下。そのように大声を出さずとも、部下は動きますよ。今はまだ機が熟していないだけですので、もう少々お待ち下さい。あまり怒鳴り過ぎますと、皆が萎縮してしまいます」


「う……あ、あぁ…… わ、わかった」


「陛下の焦るお気持ちは私にもよくわかります。しかしここは大船に乗ったおつもりで、我々専門家にお任せください。もう夜も更けてまいりました故、陛下はもうお休みになられるのがよろしいかと」


「……もういい、わかった。 ――それでは、あとはお前に任せる。良きに計らえ」


「承知いたしました」


 物腰は柔らかく、決して声を荒げるわけでもないのに、一国の国王ですら従わせるコランタン。

 得も言われぬ迫力とともに彼が告げると、それまで怒鳴り散らしていたイサンドロすら大人しくなった。


 その様子に武官たちがホッと胸を撫で下ろしていると、最後にまるで捨て台詞のように鋭い一瞥を送ったイサンドロは、そのままテントから出ていってしまう。

 そして侍従からワインのグラスを受け取ると、足早に自身のテントへと入ってしまったのだった。




 テントに入ったイサンドロは、グラスのワインを一気に飲み干す。

 それから簡易に作られたソファに乱暴に腰掛けると、眠気と酔いで焦点の合わない瞳で遠くを見つめた。


「くそっ!! 何奴どいつ此奴こいつも、この俺に物申しやがる、クソがっ!! そもそもあいつらがシャキッとしないから、この俺自らが戦場に立たねばならんのではないか!!」


 ガシャン!!


 酔いが回ったせいだろうか、激昂したイサンドロは持っていたワイングラスを思い切り地面に叩きつけた。

 すると驚いた侍従がテントの入口から顔を覗かせる。


「へ、陛下!! 如何されましたか!?」


「な、なんでもない!! 多少音がしたくらいで、いちいち顔を出すな!! ――いいか、俺はこれから寝る!! 多少の物音では顔を出すな、鬱陶しい!!」


「は、はい!! かしこまりました!! それではごゆっくりお休みくださいませ!!」


「ふんっ、日が昇ったら起こせ!! それまでは入ってくるなよ、いいな!!」


「はい!!」


 



「クソがっ……」


 ぶちぶちと文句を垂れながら、それでもソファ兼ベッドにどっかりとその身を預けるイサンドロ。

 ロウソクに照らされているとは言え、それでも濃い陰影が支配する狭いテントの中に次第に寝息が響き始める。


「ぐぅぅ……ごぉぉ……」


 規則正しく響き続けるイサンドロのいびき

 それはそのまま夜明けまで響き続けるかと思われたのだが、なんの前触れもなくそれは乱れた。


 ザシュッ!!!!


 ブシュー!!!!


 突如吹き出した真っ赤な血潮。

 見る見るうちにそれは狭いテントを染めていく。

 蝋燭一本だけでは照らしきれないテントの中は、それまで白と黒のコントラストに彩られていたが、今やそれは赤と黒に変わっていた。



「ぐごっ……がぁぁ!!」


 バタン!! ゴトンッ!!


 直前までのいびきとは明らかに異なる音を立てて、イサンドロがもがき始める。

 まるでそこに救いがあるかのように、しばらく何もない空中を両手で掴もうとしていたが、次第にその動きも緩慢になっていく。


 そして次にテントを静寂が支配した時には、すでにイサンドロは寝息すら立てていなかった。

 そしてその身体は、徐々に冷たくなる一方だった。




 ――――




「さすがは『紅のジルダ』だ。全くブランクを感じさせない、見事な手際だな」

  

「ふははっ、ざまぁ見ろ。これでブルゴーの連中も、撤退せざるを得んだろう」


「お前の働きは帰ったらしっかり報告してやる。褒美は見取みどりだ」


「……」


 月明かりさえ届かない暗い森の中を、音も立てずに足早に進む集団がいた。

 頭の天辺から足の先まで黒い衣装で身を包んだ四人組。

 身のこなしから走り方まで徹底的に無音に拘るその様は、彼らが特殊な訓練を受けた者たちであるのが一目でわかる。


 もうどのくらい走っただろうか。

 鍛え抜かれた彼らにして肩で息を始めた頃、やっとその速度を緩めると道端の切り株に腰を掛けて暫しの休憩を取り始める。


「今回はお前一人の手柄だな。 ――喉が乾いたろう、飲め」


 覆面のせいで顔は見えないが、それでもこの中では最年長と思しき男が水筒らしきものを差し出した。

 すると中でも一番小柄な人物が無言でそれを受け取る。


「……」

 

 水筒に口を付けようと覆面を外すと、偶然木々の隙間を抜けた月明かりが一瞬顔を照らした。



 それはジルダだった。

 女性にしては珍しく短く整えられた髪と、感情が読み取れない鋭く細められた瞳。

 少々冷たい印象ではあるが、それでも十分に美しい面差し。

 ややぴったりとした衣装からわかる均整が取れた肢体と、不快そうに汗を拭う仕草は思わず男の劣情を誘う。


 そんな一言で「艶めかしい」と表現できるジルダだが、その頬に走る大きな刀傷が異彩を放っていた。

 如何に大きな傷跡であれ、化粧で上手く隠すことも出来るはずなのだが、セブリアンの前でも敢えてそうしないところを見ると、それが彼女の矜持なのかもしれない。


 安寧の日々に身を置きながらも、決して自身の出自を忘れない。

 それがジルダの背負う宿命なのだろう。

 


 受け取った水筒に無遠慮に口をつけるジルダ。

 色香漂う白い喉を鳴らして水を飲んでいると、その様子をニヤニヤと下卑た瞳で見つめながら男たちが語りかけてくる。


「お前、城に戻ったら大公と結婚するんだろ? 俺達と同じ穴なのに大した出世だな。もうこれからは、呼び捨てになんかできねぇな」


「でもよジルダ。女暗殺者ってことは、お前、赤ん坊が産めないんだろう? そんなヤツにご執心だなんて、大公も随分と物好きだな」 


「ひひひっ……アレだろう? 女暗殺者なら誰でも持ってる『性技』。さすがの大公もジルダの技に溶けちまったんだろう」


「あぁ、違いねぇ。ふひひひ……俺も何度か訓練に付き合ったことあるが、アレは良いもんだ。天にも登る気持ちってな、アレを言うんだろうなぁ……あぁ、今でも忘れられねぇよ。あれを知っちまったら、その辺の娼館じゃあもう満足できねぇ」


「完全に同意」



 その会話のせいだろうか、徐々に男たちの目つきが怪しくなってくる。

 まるで舐めるようにジルダの肢体を眺める様は、今や劣情を湛えたオスのものになっていた。


「うるさい!! お前たちには関係ない、少し黙っていろ!! それから私をそんな目で見るな、気色悪い!!」


 相手が同じ組織の者であるためか、少々肩の力が抜けているジルダ。

 いつも冷静で感情を表に出さないにもかかわらず、この時ばかりは違っていた。

 今やトレードマークにもなっている仏頂面とぶっきら棒な物言いをかなぐり捨てて、盛大に不快感を見せ始める。

 それでもしばらくニヤニヤとジルダを見つめていたが、突如男たちの表情が変わる。


「そうだな、関係ないか……まぁ、確かに俺達にゃあ関係ないっちゃ関係ねぇがな。だがよ――」



 ザシュッ!!!!



 男の変化にジルダが気を取られていると、突然その背に衝撃が走った。

 そして一瞬遅れて、灼熱感と猛烈な痛みが襲いかかってくる。

 

「なっ……!! く、くそっ!!」


 さすがは生粋の暗殺者と言うべきか。

 突然背後から斬りつけられていながらも、間一髪身体を捩って地面を転がったジルダ。

 なんとか致命傷を避けた彼女は、男たちから距離を置きながら自らも剣を抜き放った。


「な、何をする!? なんのつもりだ!?」


 自身を取り囲む3人の男たちに忙しく視線を向けながら、防御の姿勢を取ったジルダが激しく問いかける。

 しかしそこには直前まで無駄話に花を咲かせていた軽薄な男の姿は何処にも見られず、それどころか冷酷な暗殺者としての本性を見せていた。

 


 ひたすら無言のまま間合いを詰めてくる男たちを睨みながら、その時ジルダは何かに気づいた。

 そして呟く。


「……そうか、あいつか、あの女か。 ――ふっ……私も焼きが回ったものだ。あんなヤツを少しでも信用するとは……これが自業自得というものか」


 何をジルダが呟こうとも、まるで聞く耳を持たない男たち。

 今やその姿は、仕事を完遂しようとする暗殺者のそれだった。


 変わらず無言のまま間合いを詰めてくると、彼らは同時にジルダに斬りかかってきたのだった。

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