第223話 絶望と悲しみの山中

 コルネート伯爵家からの山賊討伐の依頼。

 支部長ダリル・アントニーの思惑により直接受託案件として引き受けた冒険者ギルドだったが、その作戦は失敗に終わっていた。

 本来なら余裕で達成していたはずだった。

 しかし相手の人数を読み違えた結果、3倍以上もの山賊に取り囲まれてしまったのだ。


 それでもギルド員たちは生き残りをかけて必死に戦ったのだが、その戦力差は如何ともし難く、約半数のギルド員がその場で殺されてしまう。

 このままでは皆殺しだとばかりに、彼らは皆散り散りになって山の中へと逃げ込んだ。

 しかしそこは山賊たちの庭でもあるため、次第にギルド員たちは追い詰められてしまうのだった。


 

 名ばかりとは言え、それでもクルスはギルド副支部長として現場の指揮を執っていた。

 その彼も仲間たちと共に這々ほうほうていで山に逃げ込んだのだが、途中で何度も襲われた挙げ句に、脚に大怪我を負ってしまう。

 怪我の程度はとても酷く、今や立って歩くことさえ叶わない。

 最早もはや逃げることさえできなくなったクルスは、自分を置いて行くように何度も部下たちに訴えた。


 ギルド員たちはその申し出を当然のように無視すると、クルスを抱きかかえて逃げようとする。

 しかし190センチ140キロの巨体を抱えて山中を進む足取りは遅々として進まず、やむなく彼らは来るかどうかもわからない救出隊を待つことにしたのだ。


 それから数日後、クルスの容態も安定してくる。

 そこで彼らが再び移動を開始しようとしたまさにその時、山賊たちの追手に見つかってしまった。

 

 

「おい、見つけたぞ!! てめぇら全員こっちに来やがれ!!」

 

「うひゃひゃひゃ――ザマァ見やがれ!! 皆殺しにしてやるぜぇ!!」


「正義面しやがって!! 冒険者だかなんだか知らねぇが、『紅蓮の黙示録』に喧嘩を売ったんだ!! 生きて帰れると思うなよ!!」


 教養とはまるで無縁の、如何にも下卑た無法者の声。

 とっくに日も暮れた夜闇の広がる山中に幾つもの松明の明かりが広がると、一斉にこちらへと向かってくる。

 その状況を見たクルスは、山賊たちに見つかるのは時間の問題として早口にまくし立てた。


「おい、お前ら!! 俺のことはもういいから、全員ここから逃げろ!! このままじゃ皆殺しになるぞ!!」


「な、何言ってんだ副支部長!! あんたを置いていけるわけねぇだろ!!」


「そうだ!! 俺たちはこれまであんたに助けられてきたんだ!! 今度は俺たちがあんたを守る番だ!!」


 年の頃は30代半ばほどだろうか。

 如何にも腕に覚えのありそうなベテランの冒険者が、クルスの声に咄嗟に叫んだ。

 戦闘は避けられないと腰の剣に手を添えながら油断なく周囲に視線を走らせていると、その直後に目の前の下生えが大きく動いた。


「いたぞ!! ここに――5人だ!!」


「おうっ、今行く!! うらぁ、ぶっ殺してやるぜぇ!!」



 その声を合図に周囲の下生えが動き出すと、何処にこれだけいたのかと思うほどの山賊たちが姿を現した。

 一点に向かってわらわらと集まってくる様子は、まるで獲物に群がる蟻のように見える。


 見たところ山賊たちの人数は10名を超える程度だが、それに対するギルド員たちは身動きのできないクルスを含めても5人しかおらず、状況を考えると最早もはや絶望しかなかった。

 それでも冒険者達は、まるで怯む様子も見せずに剣を抜く。


 およそ倍の人数差ではあるが、太い木々が生い茂り、膝までもあるような下生えが覆う山の中では絶望的な戦力差ではない。

 障害物が多く前後左右からの挟撃は避けられるため、百戦錬磨のギルド員であれば十分に対抗できるはずだ。

 

 しかしその予想もその直前までだった。

 鼻息も荒くギルド員たちが剣を抜き放った直後には、その顔に絶望が広がったのだ。



 5人のギルド員を取り囲む10名の山賊たち。

 彼らがジリジリとその輪を縮めているうちに、気づけばその外側にさらに大きな輪が広がっていた。

 ざっと見ただけでもその人数は20名は下らず、先に取り囲んだ者たちと合わせても30名以上にもなっている。今やその様子は絶望的なまでの戦力差にしか見えない。


しかし、逃げ道を失ったギルド員たちが己の運命を悲観しているかと思えば、むしろ逆だった。



「く、くそっ――ふざけやがって!! こうなったら一人でも多く道連れにしてやる!!」


「お前達!! 仲間の仇を取るぞ!!」


「すまねぇな、クルスさんよ!! 悪いが約束は守れそうにねぇよ!!」


 口々に勇ましい言葉を吐きながら、武者震いさながらにその身を震わせる。

 今日ここに集まっているのは山賊討伐や魔獣駆除に特化した武闘派ギルド員たちばかりだったが、今や3名しか残っておらず残りは新人のカンデと怪我人のクルスだけだ。


 他にも10名程度が逃げているはずだが、それがどうなったのかは今の彼らには知る由もない。

 今や一人でも道連れにする覚悟で死ぬ気でいるギルド員たち。

 その彼らを見つめたまま盛大に渋面を浮かべるクルスに、カンデが声をかけた。



「副支部長……すいません、どうやらここまでのようです。俺も皆と一緒に戦います」


「……カンデ。なんとかお前だけでも逃してやりてぇが……すまねぇな、ちょっと難しいかもしれん」

 

「いいんですよ。俺はまだまだ弱いけれど、それでも先輩たちに鍛えられてきたんだ。山賊の二人や三人は道連れにしてやりますよ」


 恐らく怖くて堪らないのだろう。武者震いというには些か派手にカンデが身を震わせると、その姿にクルスは一瞬何かを言いかける。

 しかしすんでのところで口を噤んだ。


 

 確かにこれまで戦闘や討伐にかかわる依頼は避けてきたが、クルスとて経験豊富な冒険者ギルド員だ。

 だからこの状況が、如何に救いのない絶望的なものなのかは十分に理解している。

 口々に気炎を吐くベテランのギルド員たちもクルスと同様だったが、誰一人として泣き言を言わなかった。


 それどころか、未だ駆け出しのカンデを鼓舞するように強気の発言を繰り返していたのだ。

 もっともそれは虚勢、もしくはやせ我慢としか言えない態度でしかなかった。この最悪の状況を変えられるはずもなく彼らはジリジリと追い詰められていく。

 そして唐突に戦闘が始まった。




 太い木々が生い茂る山中に、甲高い剣戟けんげきの音がこだまする。

 時には叫び声、悲鳴が轟く中次第にギルド員たちが追い詰められていくと、初めは笑みすら浮かべていた彼らにも次第に諦めの表情が浮かび始めた。

 それでも彼らは一人でも多く道連れにしようと必死に剣を振るうのだが、多勢に無勢、体力も気力も尽きていく。


「ぐあっ!! ぬかった、くそっ!!」


「カレルヴォ!! 大丈夫か、しっかりしろ!!」


「す、すまねぇ……レクス……あとは任せる……」

 

「カレルヴォ!!」


 未だ動くことすらままならぬクルスの前で、ギルド員が倒れていく。

 その様子を眺めることしかできない彼が凄まじい目つきで山賊たちを睨みつけていると、横に佇むカンデが動き出した。

 その顔には恐れと怒りと覚悟とが複雑に入り混じった表情が浮かんでいた。


「カ、カンデ!!」


「どこまでできるかわかりませんが、副支部長は俺が守ります!! 任せて下さい!!」


 一声そう叫ぶと、まるで確かめるかのように愛剣を一振りする。

 少々刃こぼれの目立つ若干長めのその剣は、決して高級でも高価でもない。しかし彼が冒険者になった時から肌身離さず身につけてきたものだ。

 それは当時冒険者になったばかりのカンデに、教育係を任されたクルスが譲り渡したものだった。

 

 クルスにとっては単に自身の剣の買い替えタイミングが重なっただけで、それ自体に深い意味はなかった。

 刃こぼれが目立つとは言え、買えばそれなりに高価なブロードソード。

 下取りに出しても然程さほどの値がつくわけでもなく、かと言って捨てるにはもったいない。

 そう思ったクルスは、新米冒険者の訓練用くらいには使えるだろうとカンデに手渡したのだ。


 しかしそれはカンデにとって特別なことだった。

 騎士になろうと田舎の村から身一つで出てきたカンデは、頼る者が全くいない中、夢破れて途方に暮れていた。

 そんな時にまるで父親のような年齢のベテラン冒険者に貰った剣は、彼の人生を大きく変えたのだ。

 クルスのおかげで、腕一本で生きていく道が騎士だけではないことを知ったのだ。


 今では彼も剣を買い換えられるだけの蓄えはある。しかしいまだにそれを使い続けていることからも彼のクルスに対する特別な想いが伺えた。


 

 そんな特別な剣をカンデは力いっぱい握りしめると、クルスに向かって笑顔を見せる。

 その顔はいつもと変わらない優しげなものだった。

 するとその前に、一人の山賊が姿を現す。


「ここにいやがったか!! この野郎、死にやがれ!!」


「お、おい、カンデ!! 右だ!!」


「は、はいっ!!」


 冒険者になって早2年。

 17歳のカンデは相変わらず新人と呼ばれ続けていたが、教わる剣技を必死に身につけようとする愚直なまでの真面目さは、先輩たちにも可愛がられていた。

 そのおかげもあって、今では剣の腕もクルスと同等になっていたのだ。

 

 一人、二人と死に物狂いで山賊を斬り捨てていくカンデ。

 生き残りを駆けて必死になれば山賊の一人や二人は斬り伏せることができたのだが、そうすればするほど守るべくクルスとの距離が開いていく。

 

 するとその時、地に臥せたままのクルスに斬りつけてくる者がいた。

 もちろんそれは山賊の一人だ。

 今や立ち上がることさえできないクルスを見つけると、まるで舌なめずりをするように近づいてくる。

 そして剣を振り上げた。


「へへへっ!! この野郎、死にやがれ!!」

 

「く、くそっ!!」


「副支部長!!」


 背後から聞こえてくるクルスの声に、一瞬カンデが気を取られてしまう。

 するとそのスキをついて山賊が剣を突き刺した。


「うぐぁ!!」


「カンデ!!」


 自身に振り下ろされる凶刃になど一切構わず、後輩の身だけを案じるギルド副支部長のクルス。

 その彼の目の前で、腹から背にかけて剣を突き抜かれるカンデ。


 その光景は、まるで夢でも見ているようだった。

 クルスの耳からは全ての喧騒が消え果てて、その視線は倒れ伏す後輩にのみ注がれる。

 すると山賊は力いっぱい剣を抜いて、そのままカンデを蹴り飛ばした。



「けっ!! 邪魔だ、どけ!!」 


 まるで物のように転がるカンデ。

 今や一言も発しないところを見ると、すでに彼は事切れているのだろうか。

 そんな最悪な考えをクルスがよぎらせていると、そのまま無造作に山賊が近づいてくる。


 倒れ伏すカンデを跨いでニヤニヤと下卑た笑みを浮かべる山賊。

 そんな憎むべく相手にすら視線を向けられず、ひたすらクルスはカンデを見つめていた。


「カンデー!! うおあぁー!! くっそぉ!!!!」


 自由にならない脚を必死に動かしながら必死に立ち上がろうとする。しかし思い通りにならない。

 クルスは己の不甲斐なさを呪いながら、それでも自身を取り囲む二人の男たちを道連れにする方法を考えていた。


「へへへへっ!! なんだてめぇ、もう動けねぇのか? ――うひひっ、こりゃあいい。殺された仲間の手向けにたっぷりいたぶってやる」


 ともすれば涎を垂らしそうな勢いでニヤつく山賊。

 その男を睨みつけながら、それでもクルスは必死に叫んだ。



「てめぇ!! よくもカンデを!! ぶっ殺してやる!!」


「うひひひっ、こりゃあいい!! へぇ、ぶっ殺すか? どうやって? 動けもしねぇくせに笑えるねぇ」


 ニヤニヤといやらしい笑みを浮かべながら言葉を吐くと、おもむろにクルスの腿に剣を突き立てた。


「ぐあぁぁ!!!!」


 全身を走り抜ける焼けるような激痛。

 その耐えきれぬほどの感覚に、まるで皮肉のように生きていることを実感してしまう。

 これから死ぬまでこんな責め苦が続くのかと思うと、思わず絶望に悲鳴を上げそうになってしまうが、倒れるカンデを見つめて必死に耐えた。

 今クルスを支えているのは目の前で後輩を殺されたことへの怒りと、残される家族への未練だけだった。


「ち、ちくしょう……パウラ……アニー……シャルル……すまねぇ」


「へへへっ、なんだてめぇ!! それは家族の名前か!? そんなもの何の助けにもならねぇよ!! ずいぶんとおめでたい奴だな!!」


 ざすっ!!


 変わらず下卑た笑いを浮かべたまま言葉を吐くと、山賊はクルスの左手指を切り落とす。

 それには堪らずクルスも悲鳴を上げてしまった。


「ぐあぁぁぁぁ!!!!」


「いい声で鳴くねぇ。 ――へへへっ、惜しいよなぁ、これが女だったらもっと興奮したのになぁ」


「く、くそぉ!! こ、殺すならさっさと殺しやがれ、ちくしょう!!」


「お前、ギルドの副支部長なんだってな。そこの若いのが叫んでいたぞ。 ――いひひっ、こりゃあいい。たっぷりといたぶってから、お前の死体をギルドの前に捨ててやる。いい見せしめになるだろうよ。『紅蓮の黙示録』に手を出すとどうなるか、教えてやるってなもんだ!! うひゃひゃひゃひゃ!!!!」


「て、てめぇ!!」 



 右足首と膝に深手を負い、左腿を剣で突き刺され、そして左手指四本を斬り落とされたクルスは最早もはや身動きすらできずにいる。

 その彼をどうやって殺してやろうかと舌なめずりをする山賊の男。


 そんな最悪としか言いようのない状況にさすがのクルスも絶望を隠せずにいた。


 するとその時、突然森が光った。

 夜闇に紛れる鬱蒼と茂る木々を照らすように、突如その光は広がったのだった。

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