第222話 懐かしい幼馴染
「この俺様が来た以上、大船に乗ったつもりでいろ!! ――おう、嬢ちゃんよ。おめぇの父ちゃんは必ず助けてやるからな!! おとなしく待ってろよ!!!!」
まるで結婚式にでも出席するような真っ白なタキシードのまま、思い切り啖呵を切るラインハルト。
その彼に指をさされたパウラの長女――アニーは、顔を強張らせたまま後退ってしまう。
しかしそんな様子には一切構わず、ラインハルトは屈強なギルド員を押し退けるようにズカズカと無遠慮に近づいてくる。
「おう、リタ嬢。こいつらから話は聞いたのか? どうやら時間がないらしいな。準備ができたらすぐにでも出かけるぞ」
「ラインハルト様……とりあえずその格好はどうにかなりませんの? いくら時間がないからってその衣装は……着替えくらいしてくればよろしいのに……」
「大丈夫だ、問題ない。着替えなんぞ、あとでいくらでもできるからな!! もしくはこの純白のタキシードのまま暴れるのもまた一興!! うははははっ!!」
細かいことを全く気にしないラインハルトは、天井を見上げながら大声で笑い出す。
するとその背後から二人の男たちが姿を現した。
「ちょ、ちょっと若、待ってくださいよ!! 勝手にどんどん行かないで下さい!!」
「若!! あんたちょっと羽目外しすぎだ!! 幾らお父上のお墨付きを貰ったからって、少しは遠慮ってものを――」
それはラインハルトの護衛――というのは表向きで、実際にはお目付け役――として付き従う二人の騎士だった。
主人に対して敬語を使う若い男が19歳のアルノー・レーマー、些かぞんざいな言葉を吐くのが28歳のニコリーネ・ボッセで、二人ともがラングロワ侯爵家配下の貴族の子息だ。
放蕩息子と渾名され、
その彼と平然と行動をともにできることからもわかる通り、彼ら自身も相当な変わり者であるうえに腕にも覚えのある手練だった。
彼らが付いてきたということは、無事に両親と婚約者から許しを貰ってきたのだろう。
そう思わざるを得ないほど、ラインハルトの顔には頼もしいまでの笑顔が浮かんでいた。
そんな将来の義弟にリタが口を開く。
「無事に追いかけて来たということは、エミリーの許しは出たみたいですわね。 ――もしかして、その代わりに何か土産を言いつけられたんじゃありませんの?」
「おぉ、よくわかったな!? ――なんだかよくわからんが、エミリエンヌは『カピバラ・ラテ』と『マッスル・ケーキ』とやらがご所望らしいぞ!! 悪いが、事が済んだら買い物に付き合ってくれ。女子供が好む甘味なんぞ、俺にはさっぱりわからんからな!!」
「カピバラ……」
無駄に大声で報告をするラインハルトにリタがどう突っ込もうかと考えていると、再び周囲からざわめきが起こり始める。
その声は前にも増して大きく、
「リタ……ラインハルト……エミリエンヌ……って、おい、ちょっと待てよ!!」
「も、もしかして、この男は……東部辺境候の――」
「そ、そうだ間違いない!! この男――じゃない、この御方はラングロワ侯爵家の嫡男の――」
「ラインハルトー!?」
「うげぇー!! マジかよ!! これがあの『ラングロワの包茎息子』なのかよ!!??」
「違うわ!! 『放蕩息子』やろ!!」
「なんでもいいけどよ!! すげぇ!! ここにきて王国東西の武の揃い踏みってか!?」
次第に大きくなっていく周囲の声。
その声に何を思ったのか、ラインハルトは突然大声を返した。
「おい!! 誰が包茎だぁ!! たたっ斬っちゃるからそこへ直れ!!!!」
「……」
「返事くらいしやがれ!!!! ふざけんな、俺は包茎じゃねぇ!! 証拠を見せようか、おらぁ!!!!」
そう言うとラインハルトは、
するとその後頭部を思い切りリタが引っ叩いた。
すぱぁん!!!!
「何さらしとんじゃ、われぇ!! いわすぞ!!!!」
「痛ってぇな、リタ!! なにすんだ、このやろう!!」
「本当に出してごらんなさいよ!! その粗チンに隕石の雨を降らせて差し上げますわよ!! ラングロワ家はあんたの代で断絶ね!! いい気味だわ!!」
思わず背筋が凍るかのような凄まじい目つきとともにリタが吠える。
その様子を見る限り、彼女が本気で言っているのは間違いなかった。
そんなリタの剣幕に思わずゴクリと唾を飲み込むと、ラインハルトは少々声のトーンを落とした。
「くっそぉ……憶えていやがれ…… おうよ!! 俺がその『ラングロワの放蕩息子』だ、文句あるか!! この俺様が来た以上、盗賊なんざ軽く蹴散らしてくれる!! なぁ、嬢ちゃん、坊主、お前らの父ちゃんは、この俺様が必ず助けてやるからな!! 期待して待て!!」
なんら根拠もないくせに、ノリと勢いだけで宣言するラインハルト。
その背中に向かって、リタは今日何度目かわからない深い溜め息を吐いたのだった。
――――
どうしてこんなことになったのだろう。
ただ自分は騎士になりたかっただけなのに。
田舎の寒村で生まれ育った自分は、両親と同じような農夫になるしかなかった。
特に何かの技術を身に付けるでもなく、目的もなく、なんとなく生きてきた幼少期。
周囲を見回しても両親同様に農夫しかおらず、自分も農夫になるのだと思っていたのだ。
あれは6歳の時だっただろうか。
幼馴染だった少女一家が、ある日突然姿をくらました。
いや、簡単ではあったが別れの挨拶はきちんと済ませたので、正確には「くらました」とは言わないのかもしれない。
それでもある日突然いなくなったのは間違いないので、自分としてはまさにそんな印象だった。
彼らが村を出ていった理由は、当時はよくわからなかった。
それは幼かったというのもあるのだろうが、両親や近所の人たちに訊いて回っても皆言葉を濁すばかりではっきりと教えてくれなかったのだ。
しかし今思い返してみると、当時の状況がよくわかる。
彼らは自らの意思で出ていったのではなく、村から追い出されたのだ。
彼女の両親は、
当時旅人としてたまたまこの村を通りかかっただけの彼らは、妻の妊娠が発覚すると村の外れの物置小屋に住み着いた。
もちろん村長や近隣住民の許可は取っていたので問題はなかったが、それでも彼らが「よそ者」であるのは変わらなかったし、閉鎖的な辺境の村に受け入れられることもなかった。
さらにその後生まれた赤ん坊も全く姿を見せず、彼らも村人に見せようとはしなかったのだ。
しかしある日自分は、その子と友達になった。
友人のシーロと一緒に村外れで遊んでいると、突然見も知らぬ女の子に出会ったのだ。
当時自分は5歳で、その子は3歳だったと思う。
それはとても可愛らしい子だった。
母親にそっくりな金色の髪と整った顔立ち、そして父親と同じ灰色の瞳。
当時の自分はあまり意識したことはなかったが、今思えば彼女は相当な美少女だったのだろう。
そして初めて見せられた、凄まじいまでの魔法の力。
しかしそれこそが彼らが村から追い出された原因だったのだ。
「魔力持ち」を
だから領主から無用な咎めを受ける前に、彼らを村から追い出したのだ。
理由は定かではないが、その後彼らは首都へ向かったらしい。しかし途中で役人に捕まったとも聞いており、その後の彼らの消息は知らない。
しかしその時、自分は新たな世界を発見した。
それはこの国の首都だった。
幼い自分には両親と村と友人だけが世界の全てだったが、そこに首都――アルガニルの存在が加わったのだ。
それと同時に、騎士や剣士など己の腕一本で生きていく職業も知った。
15歳になると同時に、自分は首都に出てきた。
もちろんそれは騎士になるためだったのだが、事はそう簡単なことではなかった。
田舎の寒村出身の、コネも金もないただの15歳の少年。
そんな者を騎士見習いとして受け入れてくれるところなどあるはずもなく、早晩食うにも困ってしまった。
そんな自分を拾ってくれたのが彼だった。
彼は食い詰めた自分に飯を食わせてくれた挙げ句に、仕事まで紹介してくれたのだ。
言わば命の恩人とも言える彼は……いま……
「副支部長、具合はどうですか?」
「あぁ、だいぶ痛みは引いてきた……もう少し休めば立ち上がれそうだ。 ――だがなカンデ、この状況で怪我人なんかかまっている余裕などないだろう? 俺をかまうな。いいから置いていけ」
「なに言ってんですか!! そんなことできるわけないでしょ!? 何度も言いますが、副支部長は俺の恩人なんです。これまでずっと助けられてばかりだったけれど、今度は俺が助ける番ですからね!!」
「お前……相変わらず生真面目なヤツだな。そんなヤツは長生きできねぇって何度も教えただろ? ……って、性格なんて一生変えられんだろうがな。 ――それはそうと、カンデよ。俺はお前に謝らなきゃならん」
鬱蒼と茂る下生えに囲まれた山の中腹。
今そこに5人の男たちが身を潜めていた。
とっくに闇に包まれた夜の
そしてその三人に囲まれて熊のように大柄な男が寝転がり、その横にひょろりと背の高い一人の男が座っていた。
まるで倒れ込むように地に伏す男。
それは冒険者ギルド、ハサール王国支部副支部長のクルスだった。
恐らく深手を負っているのだろう。右の
その横には心配そうに声をかける一人の男――いや、未だ幼さの抜けきらない顔を見る限り、それは少年と呼ぶのが適当か――がいた。
それはカンデという名の17歳の青年だった。
年齢的にはとっくに成人しているのだが、ともすればあどけないとも表現できる幼い顔立ちは、ひょろりとしたその背の高さに比べると少々アンバランスに見える。
それでもその「ベビーフェイス」は、可愛げのある純朴な男が好みの年上の女性に人気があるだろうと思われた。
そんな青年カンデが、クルスの言葉に答えを返す。
「……謝ること? なに言ってるんですか? そんなものなにもありませんよ」
「しかしなぁ……新人のお前をここに連れてきたのは俺だからな。お前を最後まで守ってやるのはこの俺の役目のはずなんだが……それもちょっと難しいかもしれねぇな」
「やめてくださいよ、副支部長。ついてきたのは俺の勝手なんですから、あなたが責任を感じることなんて何一つありませんよ」
「ふぅ……やっぱり真面目なやつだな、お前は。 ――そう言えばお前、確か出身はオルカホ村だったよな? オットー子爵領の」
「突然どうしたんです? ――はい、そうです。ご存知のように、俺はオルカホ村出身の田舎者ですよ。それがどうかしましたか?」
「まぁな。ちょっと思い出しちまってな。 ――田舎者か。確かにあそこは田舎だったな。山と畑以外に何もないところだった」
「えっ!? 副支部長はオルカホ村に行ったことがあるんですか? それは初耳ですよ。どうして今まで黙っていたんです?」
何処か遠い目をしながら答えるクルスに、胡乱な顔を返すカンデ。
その顔を見つめながら、クルスはあることを思い出していた。
オットー子爵領オルカホ村。
クルスの住む首都アルガニルから徒歩で10日も離れるその場所は、彼にとっては思い出深い場所だった。
何故なら、妻のパウラに求婚したのがその地だったからだ。
出会って10年、男女の関係になってから8年もの間相棒として傍にいてくれたパウラ。
その彼女と家族になろうと心を決めたのはある事件がきっかけだった。
そして運命の出会い――魔女アニエスと出会ったのもそこだった。
思えばあの地を訪れたこと自体が己と妻の人生を大きく変えたと言っても過言ではないだろう。それは何度思い出してみても感慨深かった。
少々感傷的になりながらクルスがそんなことを思い出していると、その顔を心配そうにカンデが覗き込んでくる。
「副支部長、どうかしましたか? もしかして脚が痛むんですか?」
「あ、いや、大丈夫だ。ちょっと昔のことを思い出しちまってな。 ――だめだな、こんな時に感傷的になったりして……歳は取りたくないもんだな!! うはははっ!!」
不必要に明るい声を絞り出しながら、カンデの不安を消そうとするクルス。
夜の闇にもはっきりとわかるほど、その顔にも不自然に明るい表情が浮かんでいた。
「そう言えばお前、村の幼馴染に小さな女の子がいただろ?」
「えっ……幼馴染……ですか? ――あぁ、ビビアナですか? よく憶えていましたね。副支部長が村に行った時に会いましたか?」
クルスの問いに一拍置いて答えるカンデ。
実を言うとクルスが示したのはリタのことだったのだが、勘違いしたカンデはもう一人の幼馴染の少女――ビビアナの名を挙げた。
「あ、いや、そうじゃなくて――」
「ビビアナかぁ……そうですね。実は彼女とは結婚の約束をしているんです。本当は騎士になれたら呼び寄せるつもりだったんですが……」
「そ、そうか。しかし冒険者でも立派に家庭を持っている者も多いぞ。現にこの俺もそうだしな」
少しだけ得意そうにクルスが答えると、その顔を眺めながらカンデが悪戯そうな顔をした。
「はい。副支部長の奥さん――パウラさんって本当に綺麗な方ですよね。とても若々しくて、初めて会った時はまだ20代かと思ったほどですよ。副支部長もやるなぁって、本気で感心したもんです」
「そ、そうか? いや、それほどでも……」
「だけど、手前味噌ですがビビアナもとっても可愛いんですよ。ちょっと気が強いのが玉に
「そうか。それじゃあリタと同い年だな。 ――いいかカンデ、よく聞け。訳あって今まで黙っていたが、実はお前のもう一人の幼馴染のリタなんだが――」
「静かに!! 遠くから物音が聞こえる!! 姿勢を低く保って、物音を立てるな!!」
唐突にクルスが何か重大な話をしようとしていると、それを見張り役の冒険者が遮った。
夜闇の中でもわかるほどにその顔には緊迫した表情が浮かび、ともすれば顎から滴る冷や汗をかいていた。
その声を聞いた途端、全員が身を伏せる。
そして鬱蒼と茂る下生えに姿を隠すと、じっと時が過ぎるのを待ち続けた。
1分2分と時が過ぎていく。
それと同時に下生えを掻き分ける音が次第に近づいてくる。
思わず叫び声を上げそうになるほどの緊張感のもと、その声は唐突に響き渡った。
「おい、見つけたぞ!! こっちに何人か隠れていやがる!! てめぇら全員こっちへ来い、皆殺しにしてやるぜ!!!!」
酒に焼けた下卑た声。
その声が響くと同時に、辺り一面に松明の灯りが灯りだしたのだった。
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