第224話 小さな救世主

 冒険者ギルド・ハサール王国支部所属の新米ギルド員、カンデ。

 現在17歳の彼がこの仕事に就いてからすでに二年が過ぎていたが、未だに新米扱いされていたのは剣の腕の未熟さ故だった。


 騎士になるために田舎の寒村から身一つで出てきたことからもわかる通り、腕ひとつで身を立てる道にカンデは憧れた。

 しかし現実はそう簡単なものではなかった。

 身元を保証する者が誰もいない彼を受け入れるところなど当然のように何処もなく、早晩騎士見習いへの道は閉ざされてしまったのだ。


 それでも彼は懸命に努力した。

 名だたる貴族の屋敷には騎士の募集がないかを訊いて回り、王国騎士団の募集にも何度も応募した。

 しかしどんなに努力をしても、貴族の次男、三男坊が大勢を占める騎士の世界に受け入れられることはなく、故郷から遠く離れた首都でカンデは路頭に迷ってしまったのだ。


 そんな時に声をかけたのが、現ギルド副支部長(当時は一介のギルド員でしかなかったが)のクルスだった。

 故郷に帰る路銀すら尽き果てて力なく道端に座り込むカンデ。

 彼を拾い上げたクルスは家に連れ帰って食事を与え、事情を訊き、仕事がないなら紹介してやるとばかりに冒険者への道を勧めた。


 23歳も年上のクルスは、カンデにとっては恩人であると同時にもう一人の父親のようなものだった。

 その彼に貰った使い古しの一本の剣。

 貰ったその日から肌身離さず大切にしていたその剣を今や地面に放り出し、ぴくりともカンデは動かない。

 止め処なく腹と背から血を流すその姿は、彼の命が風前の灯火であることが誰の目にも明らかだった。


 その光景にクルスが悲鳴を上げる。

 自身に襲い掛かる山賊の殴打など無視するように、ひたすらカンデの身を案じたのだ。



 その時だった。

 突然森が光に包まれたのだ。

 遠くに小さく見えたその光は、次の瞬間には幾つもに枝分かれして散っていく。

 そして気付けば目の前の山賊の頭が吹き飛んでいた。


 悲鳴どころか一言も発することなく地に倒れこむ、元山賊だった肉の塊。

 盛大に血飛沫を上げながらビクビクと痙攣する様は、直前まで彼が生きていた名残だった。しかし今や誰もそれを気にする者すらいない。


 目を覆いたくなるようなそんな状況の中であってさえ、ひたすらクルスはカンデに声をかけ続けた。


「カンデ!! おいカンデ、しっかりしろ!! 返事をしろ!! 頼むから返事をしてくれぇ!!」 


 クルスの必死の叫びにもまるで反応しない17歳の新米ギルド員。

 吹き出す自身の血飛沫すら構わずに必死にクルスが声を張り上げていると、突如それは目の前の姿を現したのだった。




「いた、いたよ、リタ、リタ。あんたの探してる人間、ここにいたよ、いたよ」


「うんうん、いたね。ここにいたね。リタの言う通り。熊みたいだね。おっきいね。リタ、リタ、早く早く!!」


 突如周りを飛び回り始めた小さな光の塊。

 全体が緑がかった光を発するそれは、よく見ると小さな人間のような姿をしていた。


 大きさは10センチほどだろうか。

 人間で言えば10歳くらいの女児によく似た姿のそれは、まるで小鳥のさえずりりのように甲高い声を上げながら、クルスの頭上を飛び回る。 


 そんな現実離れした光景に思わずクルスが呆けそうになっていると、その声は突然響きわたった。



「クルス!! そこにおるんか!? どうじゃ、無事なんか!!」


 叫び声とともに膝までもある下生えをかき分けて、突如姿を現した一人の少女。

 夜闇の中にさえ光り輝くプラチナブロンドの髪を後ろに束ね、少々時代遅れの豪奢な縦ロールが風になびく。

 気が強そうに吊り上がる眉が目立つ神懸かり的に整った顔と、細く華奢(しかし巨乳)な身体のラインがわかるピッタリとした白い乗馬服を纏う姿は、まるで森の妖精のようにも見えた。


 言うまでもなくそれは、名門貴族レンテリア伯爵家の令嬢にして次期西部辺境候夫人、そして稀代の魔術師として将来を嘱望される15歳の少女――リタ・レンテリアだった。

 その彼女が突然姿を現すと、周囲を飛び回る緑色の光に向かって声をかけた。


「おぉ、ピクシーよ!! よくぞ見つけ出してくれた!! このとおり感謝する!!」


「いいの、いいの。もしもあんたが現れたら、力を貸すように言われていたの。ティターニア様にね」


「そうそう。ティターニア様に言われていたから。べつにあんたが好きだから助けたわけじゃないし。感謝はいらない、いらないから」


「それでも感謝する、ピクシーよ!! ――おぉクルス、なんとか間に合うたようじゃの!! わしが来たからにはもう大丈夫じゃ。すぐに治してやるからの!!」


 ひらひらと頭上を飛び回る2匹のピクシーに感謝を伝えると、地面に倒れるクルスにリタが近づいてくる。

 その様子を、まるで信じられないものでも見るようにクルスは見つめていた。



 如何にも美少女然とした姿にはおよそ似つかわしくない、ともすれば年寄りのような言葉遣いのリタ。

 その口調の時のリタは、内心で焦ったり動転したりして平常心を欠いていることが多いことから、今の彼女は相当慌てていることがわかる。

 その証拠に、横に倒れるもう一人のギルド員――カンデにはまるで気づいていなかった。

 

 そんなリタの登場に、クルスは安堵するどころかさらに焦燥感を募らせる。


「ア、アニエス……!? 何故あんたがここに……? って、そんなことはどうでもいい!! 俺はあとでいいから、頼むからこいつを先に診てやってくれ!!」


「あ゛!?」


「こいつは新米なんだ。まだ20歳はたちにもなってないのに、こんなところで死なせたくねぇ!! 頼む、お願いだ、助けてやってくれ!!」


「あっ――あぁ、わかった!!」



 クルスの必死の懇願に頷くと、下生えに隠れていたカンデに気づいたリタは手早く容態を確認する。

 呼吸、心臓の鼓動、傷口と出血の状態を慣れた手つきで素早く診ると、すぐに治癒魔法を発動し始めた。

 そして血を流す若者を見つめながら無言のまま治癒魔法を行使していると、その背中にクルスが心配そうに声をかけてくる。


「アニエ……リタ嬢!! ど、どうなんだ、カンデの様子は!? 助けられそうか!?」


「なに? カンデじゃと……?」


 赤く紅が引かれた小さなリタの唇が、その言葉に少しだけ歪む。

 必死に何かを思い出そうとしているが、どうしても思い出せない。それはそんな顔だった。

 するとそれを助けるようにクルスが言葉を足した。


「あぁそうだよ、カンデだよ……そいつはオルカホ村のカンデだ。 ――確かお前の幼馴染だったはずだな?」


「えぇ……!? カンデ……カンデなんか!? ど、どうしてここに……? それにこの姿は……なんぞ!?」


「話せば長げぇんだ。だから今度ゆっくり説明してやる。 ……そ、それでどうなんだ? そいつは助かりそうなのか?」


 縋り付くようなクルスの言葉にリタが答えると、その顔には少々渋い表情が浮かんでいた。

 それはまるで伝えるのを躊躇しているようにすら見えた。



「カンデ……そうか、カンデじゃったんか……どうりで何処かで見たことのある顔じゃと……」


 何度も確かめるようにカンデの顔を見つめるリタ。

 その顔は何処か懐かしそうだったが、次の瞬間には愛らしい顔には似合わない渋い表情が浮かんだ。


「そうか、カンデか…… のう、クルスや。此奴こやつじゃが……助かるかどうかはわしにもわからぬ」


「なにっ!?」


「なんにしても出血が多すぎる。わしの治癒魔法では傷は治せても失った血液までは元に戻せぬからの。 ――じゃからバルタサールのじぃ様も……」


 最後の言葉は、小さく夜空へと消えていった。

 そんなリタが小さく呟くと、顔をゆっくりと上げる。

 そして無理に笑顔を作ると、珍しくクルスに向かって優しげに告げた。

 

「そう悲観した顔をするな。短い間ではあったが、此奴こやつは幼少を一緒に過ごしたわしの幼馴染なのじゃ。助けてやりたい気持ちはお前と同じじゃよ。あとでゆっくりと故郷の話なども聞きたいしのぉ」


「そ、そうか……」


「うむ。 ――ほれ、カンデの傷は塞がったぞ。未だ息があるところを見れば、そう悲観したものでもなかろう。クルスよ、次はお前の怪我を治してやる。診せてみぃ」


「す、すまねぇ……」


 リタの懸命な治癒魔法によりすっかり傷は塞がっていたが、未だ意識が戻らない新米ギルド員のカンデ。

 その頬を優しくひと撫ですると、リタはクルスの治療に取り掛かったのだった。




 ――――



 

「うははははっ!! どりゃぁー!! たかが山賊ごときが、この俺様と斬り結ぶなんぞ100億年早ぇってんだ!! どうだ、この野郎!! わははははっ!!!!」


「わ、若ぁ!! ちょっとあんた、もう少し手加減ってもんを――」


「若ぁー!! そんな突出しないでくださいよ!! 囲まれちまうでしょうが!!」


 リタがクルスの治療をしていた頃、少し離れた山中では案の定ラインハルトが暴れまくっていた。

 相手は冷酷無比の無法者――山賊集団『紅蓮の黙示録』。そんな奴らを殺しても、感謝されても責める者などいるわけもない。

 大義名分我が意を得たりとばかりにまるで容赦なく斬り捨てるラインハルトは、使命感に燃えたぎっていた。



 結局彼は着替えをしないままだった。

 高価な生地をふんだんに使った、染み一つない真っ白なタキシードのまま、ラインハルトは暴れ回っていたのだ。

 全身に浴びた返り血などまるでかまわずに、山賊たちを次々に斬り捨てていく。

 まさに鬼気迫るその様はどこか現実離れして見えて、追い詰められる山賊たちにしてみれば、その姿はまるでおとぎ話に出てくる幽鬼の騎士のように見えただろう。


 山賊たちにとっては今や恐怖の対象でしかないラインハルトは、怪我を負って逃げ惑うギルド員たちからすればまさに救世主そのものだった。

 そんな次期東部辺境候の若者に、ギルド員たちは次々に歓声を上げた。


「あれが『ラングロワの放蕩息子』か!! 悪くねぇじゃねぇか!!」


「あぁ。見ろよ、あの剣捌き!! ありゃあ、相当な達人だぞ!!」


「確かにな!! もしもギルド員だったら、最高ランクにもなれるな!!」


「すげぇ!! 全く容赦ねぇな!! いったい一人で何人斬り捨てるんだよ!? 山賊たちめ、ざまぁ見ろってんだ!!」



 突然現れて山賊たちを斬り捨て始めたラインハルトに皆目を奪われていたが、決して彼は一人ではなかった。

 その両隣には当然のようにお付きの騎士(お目付け役とも言う)のアルノー・レーマーとニコリーネ・ボッセが盾になっており、主人よろしく情け容赦なく山賊たちを斬り捨てていたのだ。

 

 とは言え、三人の男に対して山賊たちの人数は20人は下らない。

 如何に剣の達人であろうとも、普通であれば圧倒的な戦力差によって不利は免れないだろう。しかし木々が生い茂る見通しの悪い山中では、山賊など彼らにとっては各個撃破の対象でしかなかった。

 それだけ彼らと山賊たちとの技量の隔たりは大きかったのだ。


 その後も暴れ続けること十数分。

 ついにラインハルトたちは、見える範囲の山賊たちを根絶やしにしたのだった。


 累々と死体を晒す山賊たちと、歓声を上げ続けるギルド員たち。

 その様子にラインハルトが満足げな笑みを浮かべていると、アルノーとニコリーネが同時に口を開いた。



「それで若。この場の全員は斬り伏せましたけど、頭領かしらはどうするんです? どこか別の場所にいるんじゃないですかね?」


「このままだと逃げられてしまうだろう。みすみす見逃すつもりか?」


 護衛騎士(お目付け役とも言う)の二人が当然のように口にする疑問。

 ラインハルトはそれに軽く答えた。


「お前ら、なに言ってんだ? そんなの、あいつがやってくれるに決まってんだろ? 婚約者が単身飛び出していったんだ。その後を追わないなんてあり得ないだろ?」


 そう言い放つラインハルトの顔には、少々ニヤついた笑みが浮かんだままだった。

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