第206話 波乱含みの縁談

「あー!!!! お、お前!!!!」


「あぁーーーーー!!!!」


 ムルシア侯爵家の首都屋敷で行われたラングロワ、ムルシア侯爵家の縁談の席。

 その会場に、突然叫び声が響き渡った。

 一つは低めの男の声、もう一つは透き通るような女の声。

 

 その場の者たちが視線を向けると、そこには今日の主役――ラインハルトとエミリエンヌが互いを指差しながら固まっていた。

 大きく目を見開き、ポカンと口を開けた様は間抜けにしか見えなかったが、それでも彼らは驚きのあまり身動き一つできずにいる。


 そう、まさに彼らは固まって・・・・いたのだ。

 まるで先に動いた方が負けと言わんばかりに互いに動き出せずにいる。

 すると状況を飲み込めないながらも、周囲の方が先に動き出したのだった。



「お二人とも……如何いかがなさいましたか? 何やら尋常ではないご様子ですが……」


 両家の者たちが胡乱な顔を隠せずにいる中、いち早くシャルロッテが口を開いた。

 それでも若い二人が固まったままでいると、見かねたオスカルが大声を出した。


「おい!! どうしたのかと訊いているだろうが!! 二人とも返事をせんか!!」


 およそ縁談の席には似合わない怒声。


 「脳筋ゴリラ」の渾名あだなの通り、確かにその厳つい容姿は恐ろしく見えるが、そのじつ普段のオスカルは明るくにこやかだ。

 しかし、太く低く無駄に大きい声のせいで、普通に話していても怒鳴っているように聞こえるらしく、周囲の者たちから何事かとよく振り向かれていた。

 もちろん普段の彼を知る者はわかっているのだが、中には恫喝されたのかと勘違いする者も出るほどだった。

 

 40代も半ばを過ぎ、その性格もだいぶ丸くなったと言われる昨今、顔にも柔和な表情が増えていた。

 しかし不意に怒鳴り声を上げたその姿は、間違いなく彼が武家貴族筆頭家の当主にして現役のムルシア侯爵軍の将軍であることを思い出させるものだった。


 そしてその声は彼の父親――今は亡きバルタザールにそっくりで、古参の使用人たちはその声を聞くたびに在りし日の前当主を思い出してしまう。

 そんな迫力満点のオスカルの怒声に、若い二人の肩がビクリと震えた。



「は、はい!!」


「はひっ!!」


「なんだ? 初対面だと思っていたが、お前たちは既知の仲だったのか?」


「えっ……いや、そのっ……まぁ、はい……」


「えぇと、そのぉ……実は……」


 しどろもどろになりながら、ラインハルトとエミリエンヌは互いの顔をチラチラと見ていた。

 その顔には戸惑いが満ち溢れ、彼ら自身も非常に困惑していることがわかる。

 そんな二人に助け舟を出すように、シャルロッテが口を挟んだ。


「皆様、とりあえず席に着きませぬか? 縁談の席に立ち話など聞いたこともございませぬゆえ……」


「そ、そうですね。彼らの話は後で聞くとして、まずは皆さん席に着きましょう」


 その言葉にバティストが賛同すると、やっとその場の全員が席に着いたのだった。




 ――――




「えぇ、本日は遠路はるばるお越しいただきまして――」


 ムルシア家とラングロワ家の面々が向かい合って座っていると、今日のホストとしてシャルロッテが場を仕切り始めた。

 そして形式通りに式事を進めていく。


 本来その仕事は当主であるオスカルがすべきものなのだが、元来細々としたことが苦手な彼はその全てを妻に丸投げしていた。

 もっとも、当のシャルロッテはこの手の仕切りは嫌いではないので、特に思うところもなく粛々と進行していたのだが。

 

 しかし主役の若い二人はずっと互いの顔を見つめたままだったし、周りの者たちも彼らの関係を問い質したくて堪らないらしく、皆そわそわと落ち着きがなかった。

 そんな中、やっと落ち着きを取り戻したエミリエンヌが、改めてラインハルトの様子を観察していた。



 最初見た時は他人の空似かと思った。

 しかし自分を見た時の反応や思わず上げた声を聞いても、彼があの騎士であるのは間違いない。

 まさか彼が縁談の相手だとは夢にも思わなかったし、あまりにも出来すぎたこの状況に何か作為的なものを感じる。

 思わずそう思ってしまうのは、あまりに被害妄想なのだろうか。


 それにしても――あの時の彼とは随分印象が違う。

 格好が違うのは当然として、長めの金髪はボサボサではないし無精ひげも生えていない。

 日に焼けて浅黒い顔は変わらないが、それでも土埃に汚れてもいない。

 何故あの時は一介の騎士の格好をしてたのだろうか。

 


 しかし……改めて正装した姿を見ていると――認めるのはしゃくだけれど、まぁ悪くはない。

 確かにあの騎士の姿にはワイルド感が漲っていたけれど、こうして小奇麗にした彼もまた……く、くそぉ……カッコいいじゃない……


 ……い、いや、ちょっと待って。

 落ち着け……落ち着け、私。

 今ここに彼がいるということは、もしかして私の……お、夫になるということ……なのよね?


 ……か、彼が……私の……夫?

 そして、私が……彼の妻?


 妻……妻……つまぁ!?


 えぇぇぇぇぇ――――!!??



 ラングロワ家当主――バティストが口上を述べているのを尻目に、突然エミリエンヌが真赤に顔を染めてしまう。

 その様子はまるで頭のてっぺんから「ボンッ!!」と煙が出る勢いで、最早もはや直視できないとばかりに顔を俯かせた。

 そんな彼女を見ていたラインハルトも、色々と思うところがあったらしい。



 うーむ……まさかあの女がエミリエンヌだったとは。

 それにしても……乳でけぇ。


 

 真赤に顔を染めたエミリエンヌと、その姿を興味津々に見つめるラインハルト。

 そしてその様子を伺う両家の者たち。

 今や縁談の最中であることすら忘れてしまった彼らには、バティストの口上すら聞こえておらず、さすがにそんな状況が続いていると遂にオスカルの堪忍袋の緒が切れたのだった。


「もういい!! 見てみろ、誰一人として集中できておらんではないか!! こんな茶番はもうたくさんだ!! なにはともあれ、お前たちの関係を説明しろ!!」


 突然大声で怒鳴り始めたオスカル。

 普段であればそんな彼をシャルロッテが宥めるのだが、一向に何も言わないのを見ていると全く止める気がないのだろう。

 その様子に目ざとく気づいたラインハルトが、突如口を開いた。



「申し訳ありません。私達のせいで、式事が滞ってしまっているようです。であれば、まずは我々の関係を説明させていただきたく思います。 ――よろしいですね? エミリエンヌ嬢」


「えっ!? あ、は、はひっ!!」


 今やぼんやりと縁談相手を眺めていたエミリエンヌは、飛び上がる勢いで椅子から立ち上がってしまう。

 それから少々大きな声で返事をした。


「お、お任せいたしますっ。特に隠し立てすることでもございませぬ故、ラインハルト様のよろしいようになさってくださいませっ!!」


「承知しました。 ――えぇ、それでは皆様。僭越ながら私からご説明させていただきます。こちらのエミリエンヌ嬢とは――」


 


 ラインハルトが事件の顛末と二人の出会いを語り出すと、部屋中の者たちは皆真剣に聞き入った。

 それは両家の両親のみならず、その場に控えていた執事やメイド、果ては護衛の騎士に至るまでの全員だ。

 恐らく話の種にでもするつもりなのだろう。メイドの中には聞き逃さないように身を乗り出す者まで出る始末だったが、誰もそれを咎める者はいなかった。


 滔々と語り続けるラインハルトと、食い入るように見つめる周りの者達。

 その様子は、この場の全員がこの話に興味津々であることを証明していた。


 それもそうだろう。

 この二人が知り合いだったとは誰も聞いたことがなかったし、ここで顔を合わせた時には彼ら自身でさえ驚いていたのだから。

 しかしラインハルトの話が進むにつれて、その顔に理解の色が広がっていく。

 そして最後にエミリエンヌを助けたくだりに差し掛かると、若いメイドの口から熱いため息が聞こえてきたのだった。



 ご存知のように、ラインハルトは見目が良い。

 風になびくやや長めの金髪に、涼しげに細められた透き通るような青い瞳。

 180センチに届くすらりとした長身に、細身でありながらも鍛え抜かれたガッチリとした体躯。

 そんな絵に描いたような美丈夫が、女性のピンチに颯爽と現れたのだ。そして圧倒的な強さでバッタバッタと悪漢を斬り伏せた。


 これほど乙女心をくすぐるシチュエーションはないだろう。

 しかもそれが実話だというのだから、うら若き乙女たちの口から羨望のため息しか出ないのも無理はなかった。 


 

 そこまで話が進んだところで、突然オスカルが口を挟んだ。

 その顔には、他の者たち同様に深い理解が浮かんでいた。


「そ、そうか!! お主があの『謎の騎士』だったのか!! 絶体絶命のところを騎士に救われたと娘から聞いてはいたが、その正体が不明だったのだ。まさかそれがお主だったとは!! ――なぜ名乗らなかった? 娘の命の恩人なのだ、礼をしようと思って散々探したのだぞ?」


「いえ、そのような目的で助けたのではありませんので。それに、礼ならすでに受け取りました」


 何処か飄々とした様子のラインハルト。

 実際には事情聴取に付き合うのが面倒くさかっただけなのだが、口が裂けてもそれは言えない。


 『礼ならすでに受け取りました』

 その言葉を切っ掛けに何かを思い出したらしく、突然ハッとしたエミリエンヌがさらに顔を真っ赤に染めてしまう。

 見れば頭から湯気が出そうな勢いになっており、今にも卒倒しそうになっていた。

 そんな彼女をニヤニヤと見つめるラインハルト。そんな彼にオスカルが問いかけた。


「礼をもらった? 何の話だ?」


「いえ、なんでもありません。 ――今のは言葉のあやです」


「……そうか? まぁいいが」




 何やら釈然としないままオスカルが返事をしていると、それまで黙っていたバティストが口を開いた。


「ラインハルト!! その話は聞いておらんぞ!! 何故黙っていた!? 仮にも侯爵家のご息女が巻き込まれるような大きな事件だったのだ。すぐに報告すべきではなかったのか!?」


 大きく低く、咎めるような声音。

 剣闘大会で5連覇を果たすほどの武闘派でありながら、普段は柔和とさえ言える顔のラングロワ侯爵。

 しかし、今やその顔はこれまで見せたことがないほどの厳しいものになっており、それはまさしく彼がハサール王国東辺境候軍の将軍であることを思い出させるものだった。


 そんな父親にチラリと視線を向けると、事も無げに息子が答える。

 その様子はまるで世間話でもしているようなお気楽ぶりだった。


「まぁ……結果的に無事だったし、あの時は急ぐ用事もあったからなぁ……」


「急ぐ用事って、お前……」


 何処か捕らえ所のない様子でうそぶく息子を前にして、尚もバティストが口を開こうとする。

 その様子を見る限り、ここが縁談の席であることを忘れているようにしか見えなかった。

 するとそれを宥めるように、シャルロッテが口を挟んでくる。



「いいではありませぬか、バティスト卿。どのようなおつもりだったにせよ、ご子息に助けていただいたのは事実なのですから。実際、あの時ラインハルト殿がいなければ大変なことになっていたはず。 ――まずはムルシア家として、ラインハルト殿、いてはラングロワ家の皆様に礼を述べねばなりませぬ」


「あぁ、妻の言うとおりだ。ラインハルト殿、バティスト殿、そしてユゲット殿、とにかく娘を救ってくれたことに感謝する。このとおりだ」


 そう言うとオスカルとシャルロッテは、戸惑うラングロワ家を前に深々と頭を下げた。


 この出来事をきっかけにして、その場に打ち解けた雰囲気が漂い始める。

 そして、今や和やかとも言えるほどの雰囲気の中、滞りなく全ての式事も無事に終了したのだった。

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