第205話 それぞれの覚悟

「ラングロワ侯爵家……」


 そう呟いたエミリエンヌは、母親とは全く別のことを考えていた。


 あの事件では、生まれて初めて生命いのちの危機に瀕した。

 そして最早もはや助からぬと諦めかけたその時、あの男が颯爽と現れたのだ。

 背が高く、屈強な体躯にボサボサの髪と無精ひげが目立つ風貌。

 口調は荒く、言葉は汚く、野盗集団を一人で全滅させるほどの強さ。


 そんな薄汚れた粗野としか言いようのない男ではあったが、よく見れば 眉目秀麗な容姿をしていた。

 髭を剃り、髪と身なりを整えれば、かなりのイケメンだと言っても過言ではなかったのだ。

 

 もちろんそれは、あの命の恩人である「金髪の騎士」のことだ。


 未だ確認が取れていないので推測の域を出ないが、彼の所属先はラングロワ侯爵家であることはわかっている。

 さらに先日の事件で目撃したとおり、当主夫妻の護衛として随伴を許されるほどの強さを誇ることもだ。


 今回の縁談の相手は、その家の嫡男だという。

 もしもこの話を受け入れたなら、この先何度もその男に会うことになるし、その際にはあの「金髪の騎士」を伴ってくるかもしれない。



 ――あぁ、もしかして再びあの人に会えるのだろうか。

 しかし、護衛騎士といっても数多くいるのだから、必ずしも彼を同伴するとも限らない。


 それでも――会いたい。

 ナイナの前ではもう忘れると言ったし、確かに自分もそのつもりだった。

 だけど、再び彼に会えるかもしれないと思うと、この胸の高鳴りを抑えきれない。


 

 突然表情が変わったかと思えば、心ここに有らずといった様子で一人考えに沈み込むエミリエンヌ。

 そんな娘の姿を気にしながら、シャルロッテは話を続ける。


「どうしましたか? なにか気になることでも?」


「……」


「エミリエンヌ、どうしたのですか?」


「えっ!? あ……ご、ごめんなさい。いえ、なんでもない。気にしないで」


「……そうですか? この母には、とても何でもないようには見えませぬが」


「だ、大丈夫、気のせいだから!! ――それで、お話にはまだ続きがあるんでしょう?」

 

 まるで何かを誤魔化すように娘が話を変えようとすると、未だ胡乱な顔を隠せないままシャルロッテは話を続けた。


此度こたびの縁談ですが、わたくしたちは先方に一つだけ条件を出しました。それができなければ、この話をなかったことにすると」


「なかったことに……? 条件……?」


「はい、条件です。 ――我が娘を嫁にほしくば、見事口説き落してみせよと申したのです。裏を返すなら、もしもあなたがラインハルト殿を気に入らなければ、この縁談は断って良いということ」


「えぇ!?」


「いいですか、エミリエンヌ。わたくしたちはあなたに幸せになってほしいのです。たとえこれが政略結婚だとしても、あなたには好いた殿方と添い遂げてほしい。そのためには、まずはあなたを惚れさせてみせよと条件を出しました」

 

 ムルシア家にとってこの縁談は、これ以上ないほどの良縁だ。

 それは自分とて十分に理解しているし、およそ断るべきではないのも承知している。

 それでも両親は、相手を気に入らなければ断っていいという。

 政略結婚が当たり前のこの貴族界において、およそそんな話は聞いたことがなければ、常識的にもあり得ない。

 しかし彼らは、そんな常識よりも自分の気持ちを優先してくれるというのだ。


 なんてすばらしい両親なのだろうか。

 そんな彼らには、自分も報いなければならないだろう。

 だから、自分の答えは一つしかないのだ。



「お父様、お母様、ありがとうございます。そのようなお気遣いまでいただき深く感謝いたします。しかしわたくしとてムルシア家の娘。この縁談の重要性は十分に理解しております。なればこそ、そこに私情を挟むのは憚られるのです。 ――わたくしとしましては、お相手がどのようなお方であろうとも粛々と嫁ぐ所存にございます」


 揺れる馬車の中で暫く考えていたエミリエンヌは、不意に顔を上げると両親の前でそう宣言した。

 揺るぎない決意を表すように、その言葉は直前までの喋り口調ではなく多分に改まったものだった。


 相手のことが気に入ろうが入るまいが、この縁談には応じる。

 個人の感情よりも、家の利益を優先させる。


 そう告げたエミリエンヌの顔には、今や笑顔は全く見られなかった。




 ――――




 その後ラングロワ家に返答を伝えたところ、一ヶ月後に再び首都で会うことになった。

 もちろんそれはエミリエンヌとラインハルトの初顔合わせのためだ。


 首都を挟んだ東西にそれぞれの屋敷があるために、どうしても中間地点である首都で落ち合うことになる。

 どちらか一方が相手の領都まで出かけると片道10日もかかってしまうので、こればかりは仕方がない。


 もっとも両家ともに首都には色々と用事があるので、ついでにそれらを済ますことができる。

 そのため、都合が良いと言えばそのとおりではあったのだが。

 いずれにしても東西の辺境候は互いの縁談のために首都にやってくることになり、その滞在日数も10日ほどを予定していた。


 しかし両親と違って、エミリエンヌにはこの縁談以外に用事はなかった。

 それでも旧友に会いに行ったり、リタと一緒にスイーツ店をハシゴするなど、彼女なりに楽しみはあるようだったのだが。



 そんなわけで、一度予定が決まるとあっという間に約束の日となり、今はムルシア家の首都屋敷でエミリエンヌが着せ替え人形よろしく飾り立てられているところだ。

 そして準備の終わった彼女が両親の前に姿を見せると、その場は感嘆のため息に満ち溢れた。


「おぉ……エミリエンヌ……美しい……さすがは俺の娘だ」


「……」


 何を言っているのだ。

 もしもあなたに似ていたならば、娘としてこれほどの悲劇はないだろう。


 などと思わずツッコミを入れそうになったシャルロッテだったが、敢えてここは何も言わずにスルーした。

 そして何気にドヤ顔のメイドたちと一緒に現れた、娘の姿に目を向ける。



 まさに、絶世の美少女がそこにいた。

 10代の頃から、長らく絶世の美女の呼び名を我がものにしてきたシャルロッテ。

 その彼女を母親に持つエミリエンヌは、当然のように美しかった。


 気が強そうに吊り上がるアーモンド型の瞳は、何処か神秘的な雰囲気を醸しており、母親から受け継いだその美貌は、入念に施された化粧によりさらに美しさを増している。

 それだけでも十分に絶世の美少女と呼べるのだが、彼女の場合はその背の高さを父親から受け継いでいた。


 未だ成長期の15歳ながら、すでに170センチに迫るスラリとした長身と、男であれば思わず目が行くような母親譲りの大きな胸は、まさに迫力満点だ。

 持って生まれたその容姿ですらすでに人目を引いているのに、身に纏うドレスがさらにそれを助長していた。


 高価なシルクのサテンで作られた薄緑色のロングドレスと、惜しげもなくあしらわれた芸術品のようなレース生地。

 細くしぼめられた腰から下をゴージャスに膨らませたドレスは、スラリと背の高い体型をさらに煌びやかに見せている。

 

 両肩を大胆に露出させた少々攻めたデザインは、身長のわりに小さな顔と細く長い首、そして今や立派に成長した胸を十分に強調しており、少女から女性への過渡期の者だけが醸す独特の透明感が滲み出る。

 

 そんなムルシア侯爵家の令嬢がリビングに姿を表すと、その場にいた者たち――両親はもとより、部屋付きのメイドから護衛騎士に至るまで、その全員が感嘆のため息を吐いたのだった。


 

「ふふふ……さすがは我が娘です。そのままでも十分に美しいですが、そのように飾り立てるとますます見目麗しい。あなたのその美貌には、ラインハルト殿もひと目で虜になることでしょう」


「あぁ。お前を見ていると、昔のシャルロッテを思い出すな。初めて会った時のあの衝撃。この世にこれほどまでに美しい女がいるのかと、本気で思ったものだ」


 絶世の美少女と化した娘を眺めながら、うんうんと何度もうなずくオスカル。

 そんな夫に妻が視線を投げる。


わたくし……ですか?」


「あ、いや、い、今のお前も十分に美しいと思っているぞ!! ――ま、まぁ、あれだ!! 長い年月を共に乗り越えてきた中で、美しさだけではない魅力も多く見つけたのだ!! そんなお前に、日々惚れ直しているのだぞ!! そ、それに、娘時代にはなかった溢れるようなその色香。俺には今のほうが好ましいくらいだっ!!」


 少々慌てながらオスカルが答えると、シャルロッテが小さな笑みを浮かべた。

 どうやら彼女は満更でもないらしく、変わらず笑みを含んだまま告げた。

 

「さぁ、そろそろ時間です。先方が到着しましたら、速やかにお出迎えをしなければなりませぬ。 ――みなさん、準備はよろしいですか?」




 ――――




 ムルシア家の面々が到着を待ちわびている頃、その屋敷に向かって一台の馬車が走っていた。

 見るからに豪奢な装飾が施されたそれは、殆ど揺れることなく滑らかに道を進む。

 まるで滑るように走るその馬車は、中に乗る者たちの身分の高さを表わしているようだ。


 並の貴族ですら手が出ない高級な馬車に乗る者――それはもちろんハサール王国東部辺境候、ラングロワ侯爵家の者たちだ。

 今は両親と長男の三名が、縁談のためにムルシア家の屋敷に向かっているところだった。


 ちなみにラインハルトには10歳下の妹――マルスリーヌがいるのだが、今日は首都屋敷でお留守番中。

 とは言えちゃっかり者の彼女は、両親たちが留守の間に最近首都で有名なカフェでスイーツを堪能すると意気込んでいたのだが。



 この三人以外には、専属の執事とお付きのメイド衆、そして周囲を固める護衛騎士たちも一緒だった。

 その全てを数えると20名にも及ぶ大所帯なのだが、本来であればそこまでの人数は不要だ。

 しかし仮にも一国の辺境候たる者が他家を訪問する場合、立場を慮るとその程度の人数は必要になる。特に今回は嫡男の縁談の顔合わせが目的なので、少なすぎる随伴はかえって失礼にあたるだろう。


 かように貴族の仕来たり、風儀とは面倒なものなのだが、それこそがラインハルトが窮屈に思うところだった。

 そんな中、狭い馬車の中から外を眺めていたラインハルトが、おもむろに口を開いた。



「なぁ、親父殿よ……やっぱりアレか? もしもエミリエンヌ嬢に嫌われてしまえば、この話はなかったことになるのか? しかし――そもそもの話だが、貴族家同士の縁談なんてそんなもんじゃないだろう?」


「お前の言う通りだ。政略結婚なんて、家と家が合意しさえすればそこに当事者の意思は関係ない。現に私とユゲットだってそこから始まっているのだからな」


 そう言うと父親――バティストは、隣に座る妻のユゲットに視線を向ける。

 すると彼女は、満面の笑みを返した。

 

 その様子からもわかる通り、ラングロワ侯爵夫妻の仲は決して悪くない。

 いや、それどころか、その仲睦まじい鴛鴦おしどり夫婦ぶりは有名で、典型的な政略結婚から始まった二人であってもここまで仲良くできるという見本のような仲だった。

 そんな母親が、代わって口を開いた。


「これはシャルロッテ様の意向なのよ。知っての通り、のご夫婦は互いに愛し合って結婚しているわ。これは貴族家としては異例のことなのだけれど、どうやらご息女にも同じ経験をさせたいご様子」


「……それじゃあ、こんな俺なんかじゃなく、他にいい男を探せばいいだろう」


「あなたがそれを言ったらおしまいじゃないの。なによりこの縁談は、我がいえから申し入れたのですからね。それを忘れないで」


「そんなの知るかよ。俺が頼んだわけでもあるまいし。 ――いまさらだけど、まだ数年はこのままでよかったんだ。親父殿はまだまだ元気だし、俺が家督を継ぐのはまだ先だと思っていた。それがあのくそアンペールのせいでこのザマだ」


 今日は朝からずっと不機嫌なラインハルト。

 その彼が、些か乱暴な口調で吐き捨てると、母親が優しく宥め始めた。



「そう言わずに。もう何度も言っていますが、この縁談の成功はあなたにかかっているのですよ。初対面とは言え、エミリエンヌ嬢の心を掴まなければなりません」


「だから、それが無理だって言ってんだろ!! そもそもよ、エミリエンヌ嬢がなんて呼ばれているか知ってるか!?」


「プチ・シャルロッテ……でしたわね。確か」


「だろう!? 公爵家出身のプライドお化けみたいな性格と、あの・・オスカル卿を尻に敷くほどの気の強さ。それらをそっくりそのまま受け継いでるって言うじゃねぇか。絶対に俺と上手く行くわけがねぇって」

 

「まぁそう言わずに。 ――あなたはそう言うけれど、結婚から始まる恋もあるのよ? わたくし達のようにね」



 そう言いながら振り返ったユゲットに、バティストが優しく頷く。

 妻を見つめる瞳には深い愛情が溢れており、その様子は彼女の言葉が間違いではないことを証明していた。


 確かに父親は息子から見ても十分に整った容姿をしているし、若い頃は美男子だったという言葉も納得ができる。

 さらに言えば、今では40歳を過ぎた母親も未だに可愛らしいと言えるほどに愛らしい見た目をしていた。


 「私が若い頃なんて、美少女で有名だったのよ」などとたまに冗談めかして言うことがあるが、その言葉があながち嘘ではないことは12歳の妹を見ていれば十分に想像がつく。 

 そんな溺愛する妹を思い出したラインハルトだったが、一瞬笑みを浮かべただけですぐに不機嫌な顔に戻る。

 


「確かにそうかもしれないが、今はそんな悠長なことは言ってられないだろ。なにせエミリエンヌ嬢を惚れさせなければ、この話もなくなるんだからな。そんなの無理ゲーだっつーの」


「何言ってるの。いずれあなたは辺境侯にならなければいけないのよ? その地盤を固めるためには、なんとしてでもムルシア家から嫁を取らなくちゃいけないの。それはあなたもわかっているでしょう?」


 いつもは優しい母親ではあるが、この期に及んで些か咎めるような口調を見せた。 

 その彼女に向かって、投げやりにラインハルトは叫んだ。


「……わかったよ!! やりゃあいいんだろ!? 努力はするけどよ、どうなっても知らねぇからな!!」




 

 その10分後、ラングロワ家一行がムルシア侯爵邸に到着すると、屋敷前にはすでに当主オスカル夫妻を始めとする多数の使用人たちが待っていた。

 それからバティストを先頭にラングロワ家の面々が馬車から降りていくと、ラインハルトのところでどよめきが起きる。


 実を言うと、彼らがラインハルトに会うのはこれが初めてだった。

 いや、実際にはこれまでも年始の王宮挨拶の会場で毎年会っているはずなのだが、当時は東部辺境候軍の副将軍の息子でしかなかった彼に、誰も注意を払う者はいなかったのだ。


 もちろん「ラングロワの放蕩息子」を物珍しそうに見る者もいたが、少なくとも東部貴族家とは疎遠だった当時において、西部貴族から敢えて近づこうとする者はいなかった。

 そんな初めて姿を見せた次期ラングロワ家当主――ラインハルトだったが、その予想外の容姿に皆驚きを隠せなかったのだ。



 180センチを超えるスラリとした長身に、輝くような金色の髪。

 透き通った青い瞳が映える鋭い切れ長の瞳。

 日に焼けて少々浅黒くなってはいるが、元来色白であろう鼻筋が通るその顔はとても整っており、まるで女性歌劇団に出てくる男役のように美しい。

 

 女性であれば思わず見惚れそうなほどの美青年ぶりにもかかわらず、さらに服の上からでもわかるほどにその体躯は鍛えられている。

 無駄な贅肉を切り落とした芸術のような体格は、まるでよくできた彫刻のように美しかった。


 男でありながらも、まさに美しいとしか表現できないラインハルト。

 その彼の姿に若いメイドたちが感嘆のため息を漏らしてしていると、不覚にもシャルロッテまで動きを止めてしまっていた。

 しかしそれも一瞬で、すぐに取り繕って声を上げる。


「本日はようこそおいでくださいました。さぁ、ご案内いたします、どうぞこちらへ」




 今日の会場は、ムルシア侯爵邸の玄関ロビー横にあるセレモニー用の大きな部屋だ。

 そこに用意された細長い机を挟んで、両家は向かい合って座ることになる。

 先に通されたラインハルトたちが、多大な緊張と少々の居心地の悪さを我慢していると、おもむろに部屋のドアが開かれた。


「失礼いたします。 ――ムルシア侯爵夫妻及びそのご令嬢、エミリエンヌ様が入室いたします」

  

 慇懃かつうやうやしい態度のメイドが、部屋に入るなりそう告げる。

 するとその後に、父親にエスコートされながら若い女性が入ってきた。


 それはもちろん、この日のために膨大な時間と金をかけて飾り立てた絶世の美少女――ムルシア侯爵家令嬢エミリエンヌ・ムルシアだ。 

 その彼女が少々の緊張と多大な覚悟を漲らせながら部屋に入ってくると、前方から突然大きな声が聞こえてきた。


「あー!!!! お、お前!!!!」


「えっ?」



 突如聞こえてきた場違いな叫び声。

 その声の主を探すように、エミリエンヌが顔を上げると――


「あぁーーーーー!!!!」


 同じような素っ頓狂な声がその口から漏れ出たのだった。

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