第204話 理想の縁談

 事件から二週間後、全ての用事を済ませたムルシア家の者たちは、領都へ向けて出発した。

 しかしこれから長い馬車旅が始まるというのに、相変わらずエミリエンヌは呆けたままだ。

 その様子を心配したオスカルが一先ひとまず自分だけ帰ることを提案したのだが、もとよりシャルロッテもエミリエンヌも領都に帰らなければならない用事があるので、結局三人で一緒に帰ることにした。


 明らかに普通ではない様子のエミリエンヌ。

 当初は事件のトラウマがその原因だと思っていたが、実はそうではないことを最近知った。

 それはエミリエンヌの専属メイド――ナイナがシャルロッテに報告してきたからだ。

 しかしそのことは、意図的にオスカルには黙っていた。


 娘に想い人ができたなどと万が一にでも耳に入れば、娘を溺愛するオスカルのことなので、その詳細を必死になって訊き出そうとするだろう。

 それどころか、相手のところに突撃するかもしれない。


 良くも悪くも空気を読まないことに定評があるオスカルは、エミリエンヌの神経を逆撫でするのは間違いなかった。

 容易にそれが想像できたシャルロッテは、余計な揉め事を避けたいがためにその事実をひた隠しにしていたのだ。 


 しかし、日毎ひごとに相手を想う気持ちが大きくなっていく娘を見ているうちに、最早もはや隠しきれないと思ったのだろう。

 三人が乗る帰りの馬車の中で、シャルロッテは唐突に口を開いたのだった。



「エミリエンヌ。ここのところ、気分のほうはどうですか?」


「……はい、お母様。もうすっかり良くなったわ。夜は眠れるようになったし、食事も喉を通るから大丈夫」


 心配そうに顔を覗き込む母親に向かって、柔らかい笑みを返すエミリエンヌ。

 しかしその顔は一目でわかるほどにやつれており、その様子からは彼女が相当無理をしているのがわかる。

 そんな娘を見つめながら、それでもシャルロッテは躊躇なく口を開いた。


「そうですか――実はあなたに折り入ってお話があるのです。そろそろ大丈夫だと思うので申しますが……」


「……」


「あなたに縁談が来ています」


「えっ……?」



 恐らく唐突すぎたのだろう。

 まるで母親の言葉を理解できないと言わんばかりに、エミリエンヌは聞き返してしまう。

 それから不思議そうな顔の娘に向かって、シャルロッテは気遣う素振りを見せた。


「エミリエンヌ、大丈夫ですか?」


「ご、ごめんなさい……お母様、もう一度仰っていただける?」


 言葉は聞こえているが、話の内容が理解できない。

 そんなエミリエンヌが再度訊き返した。


「もう一度申しますが、あなたに縁談が来ているのです。 ――あのようなことがあったばかりなのでもう少し黙っていようかと思いましたが、少々事情もある故、やはりお話しすることにしました」


「……縁談? 私に?」



 瞬間、エミリエンヌは胡乱な顔をする。

 それまでのぼんやりとした表情は消え去り、顔には生気が戻り、その珍しい黒い瞳の輝きも少しだけ増したように見えた。

 そんな娘を眺めながら、母親は話を続けた。


「そうです、あなたにです。あなたを妻に迎えたいと申し入れてきた家があるのです」


「でも……これまで通り、今回も断るのでしょう?」


「いいえ、今回は別です。わたくしたちはこの話を進めようかと思っています。武家貴族筆頭にして西部辺境候でもあるムルシア家。そこの長女でありながら、これまであなたには婚約者がいませんでした。 ――もっともそれは、あなたの責任ではありませんが」


 言いながらチラリと夫を流し見るシャルロッテ。

 その視線に気づいたオスカルは、瞬間バツの悪い顔をしたかと思うと目線を外した。



 母親が言う通り、有力貴族家の長女でありながらこれまでエミリエンヌに婚約者はいなかった。

 しかしそれは決して彼女の責任ではなく、むしろ父親と母親の共謀だと言っても過言ではない。


 幼い頃のエミリエンヌは、愛らしい容姿だけではなくきつい性格までもが母親そっくりで、ミニチュア版シャルロッテと渾名あだなされていたほどだった。

 しかし、その類稀たぐいまれなる優れた容姿と、ムルシア家が持つ強大な力のために彼女を婚約者にと望む家は多かったのだ。

 だが、オスカルは娘可愛さのあまりすべての縁談を断っていた。


 もちろんそれはオスカルの一存ではない。

 それにはシャルロッテの意向も多分に反映していた。

 元々王族の親戚筋であるバルテリンク公爵家出身の彼女は、人を見る眼がとても厳しい。そのため、縁談を持ち込んで来る相手に難癖をつけては夫の口から全てを断らせたのだ。


 そんな度が過ぎた行動のせいで、ある時を境にぱったり縁談の話が来なくなってしまった。

 その頃になると、エミリエンヌの気の強さと手の付けられないじゃじゃ馬ぶりが噂として独り歩きしていたので、周辺貴族家はすっかり尻込みしてしまったのだろう。


 しかしここに来て、東部辺境候アンペール家の失脚とそれに伴う東部貴族家の再編と融和が進んだため、これまで全く付き合いのなかった家から打診を受けるようになったのだ。

 そこへ今回ラングロワ家から話が来たというわけだった。


 

「これほどの地位と力と名声を持つ家であるにもかかわらず、すでに成人を迎えた長女には未だ婚約者がいない。これほど稀有な例は他にないでしょう。北と南の辺境伯のご息女がとっくに結婚していることを鑑みても、ここはやはり――」


「ま、待って、お母様!! きゅ、急にそんな話をされても困るわ!!」


 母親の話を途中で遮ると、突然エミリエンヌは大声を出した。

 それはここ数日で一番大きな声だった。


「何が困るのです? 貴族家の娘たるもの、いくら突然であろうが、一度も会ったことがなかろうが、それが家の利になるのであれば迷いなく嫁ぐべきではなくて? 貴族の結婚とはそういうものだと、幼い頃からあなたもその覚悟はしてきたはずです」


「そ、そうだけど……で、でも、私は……そ、その……」


「好いた殿方がいる――でしょう?」


「えっ!?」



「なにぃ!!!! だ、誰だ、そいつは!? 俺は聞いてないぞ!! おい、説明しろ!!」


 その言葉を聞いた途端、勢いよくオスカルが立ち上がる。

 しかし狭い馬車の天井に思い切り頭をぶつけて、思わず涙目になってしまう。

 それでもまるで掴みかかる勢いで娘に詰め寄ろうとしていると、思い切りシャルロッテに睨みつけられてしまった。


「あなた。お願いですから、ここは静かにしていただけませぬか?」


「し、しかし、お前!!」


「あなた。もう一度申しますが、ここは黙っていてくれませぬか?」


 決して声を荒げたり大声を出しているわけではなかったが、妻から得も言われぬ迫力を感じたオスカルは渋々口を閉じた。

 それでもその顔には、不満げな表情が浮かんだままだった。

 

 そんな父親には一切かまわず、娘が母親に問いかける。



「ど、どうしてそれを……」


「そんなもの、あなたを見ていればわかります。この母の目は節穴ではありませんよ? 聞けば、事件の際に助けられた騎士に心を奪われているとか」


「な、何故そこまで……」


 まるで咎めるような視線を投げながら、エミリエンヌが呟く。

 その視線の先には専属メイドのナイナが乗る馬車があったのだが、それに気づいたシャルロッテは、遮るように身を乗り出した。


「言っておきますが、これはナイナに聞いたのではありませんよ? 決して彼女を責めてはいけません。わかりましたね?」


「はい……そんなことはしないわ、ナイナは大切な友人だもの。 ――彼女に何を聞いたのか知らないけれど、いまはもう関係ない。確かに一時いっときはその騎士に心奪われたのは認めるけれど、もうとっくに吹っ切れたから……」


「そうですか」


「はい。辺境侯爵家の娘たる私が、一介の騎士風情と添い遂げられるわけがありませんもの。それは十分にわかっています」


「……」



 心の内を伺うように、娘の顔を覗き込むシャルロッテ。

 その彼女をして、エミリエンヌが無理をしているのがわかるものだった。

 いくら口では「吹っ切れた」と告げていても、何処からどう見てもその顔には彼女の本心が表れていたのだ。


 それは「未練」だった。 

 まるで演技をするかのように、しれっとした顔で告げたエミリエンヌ。

 しかしいくら態度を取り繕おうとも、どう言おうとも、その顔には隠し切れない未練が表れていたのだ。

 それでも彼女は、本心を隠しおおせているつもりで話を続けた。 




「それで……その縁談のお相手だけど……一体誰なの?」


「最近東部辺境候になったばかりのラングロワ侯爵家は知っているでしょう? そこの嫡男のラインハルト殿がお相手です」


「えっ……? ラングロワ家?」


 その言葉にエミリエンヌの肩がピクリと動いたが、その真意を知る由もないシャルロッテは気にせず話を続けた。

 

「その名前はあなたも聞いたことがあるでしょう。我がムルシア家を代表とする西部貴族家は、これまで東部貴族家とは疎遠でした。しかし、新しい辺境候になられたバティスト様は、今後は西部と融和を図ると仰ったのです。そして身を以てそれを示すために、西部を代表する我がいえの長女――あなたを嫡男の妻に迎えたいと申し入れてきたというわけです」


「……」


「どうしたのです、おかしな顔をして。 ――話だけを聞いていると、確かにこれは単なる政略結婚にしか思えないでしょう。しかし、あなたにとってもこれは決して悪い話ではありません。何故なら、あなたは次期東部辺境候――ラングロワ侯爵家婦人になるのですから」


 

 母親の言う通り、それは確かにエミリエンヌにとって悪い話ではない。

 兄と結婚するリタが次代の西部辺境候婦人になるように、エミリエンヌも次期東部辺境候婦人になるからだ。

 それはつまり、ハサール王国の東西両翼の辺境候夫人を、リタとエミリエンヌという義理の姉妹が務めることになるということ。


 正直に言うと、エミリエンヌはリタに嫉妬していた。

 大好きな兄を取られてしまうのは勿論だが、なによりこの家を継げることが羨ましかったのだ。


 ムルシア家と言えば、ハサール王国を代表する武家貴族家筆頭だ。

 その家をリタに託して、自分は他家へ嫁いでいく。

 この国にはムルシア家ほど軍事力と財力を併せ持つ家はないので、この先何処へ嫁ごうとも自分は実家を――いてはリタを羨むことになるのだろう。 


 しかしその他家というのが、東部辺境候ラングロワ家であるなら話は違ってくる。

 アンペール家の代わりに辺境候になったラングロワ侯爵家。

 これまで東部貴族とは疎遠だったが、アンペール家が失脚したおかげで遂にその垣根も取り払われた。

  

 これまで東部貴族家ナンバー2だったとは言え、歴史も、軍事力も財力も、その全てがムルシア家には大きく劣る。

 それでもこの両家は辺境候として国からは同列に扱われるため、そこに上下関係はない。


 エミリエンヌの嫁ぎ先として、これほど相応しい家はないだろう。

 そう思わずにはいられないほど、その縁談は理想的と言えたのだった。

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